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4/12 昏睡

 案内されたそれぞれの寝室では、老夫婦と若い男、そして幼児が二人眠っていた。


「この子たちはいつから?」


 すやすやと眠っている子供の顔を覗き込みながら、怜乱(れいらん)狛斗(はくと)に問いかける。


「長男が陵彩下青(十一月十五日)、次女が上赤(三日)でした」

「ということは、伴氏(だんなさん)が真っ先に眠ってるのかな。狛斗はいつまで起きていたの」

(はい)、家族の中では夫が真っ先に眠りに落ちました。わたくしは……凄嵐朔日(十三月一日)でしたかと」


 付き人のように床に膝をついた狛斗が返す答えに、怜乱は少し考える顔になった。

 狛斗の義母は彼女より少し前、義父は後まで起きていたようだという。

 眠りにつくのが歳の順かと思えばそうでもなく、男女の別も関係なさそうだ。


「今年は三百三十年だけど、狛斗の記憶ではいつかな」


 怜乱が年号を口にして手持ちの貨幣を見せると、狛斗は驚きの色を浮かべた。


「……わたくしの記憶は、三二八年で止まっております」

「そう。今日は隷慎中赤(十四月十日)だから、かれこれ二年以上か……長いね」


 眉を寄せ、怜乱は質問を続ける。

 妖の血が濃い人間はいないか、持病や服薬の有無、彼らから変わった話を聞いたことはないか、等々。

 しかし、その全てに狛斗は首を横に振った。


「少し、触れても構わないかな」

「御心のままに」

「……いや、何も人身御供にしようと言ってる訳じゃないんだから、そんな言い方はやめてよ」


 多少うんざりした色を浮かべながら、怜乱は眠る子供の脈を取るのだった。



             *  *  *



 結論から言えば、何も判らなかった。

 大人も、子供も、つい先ほど眠りについたかのように穏やかな寝息を立てている。

 それだけだ。


 栄養失調の兆しもなく、床ずれがあるわけでもない。

 瞼をめくって瞳の反応を確かめても、特におかしなようすもない。

 脈を取っても睡眠中独特のゆっくりとした鼓動に触れるばかりだ。


 変化といえば、時折夢でも見ているように眼球が震え、息の調子が変わる。

 その程度だった。


 ただ、深い眠りに落ちていることは確からしかった。

 獣より鈍いとはいえ、人も触れられれば何らかの反応をする。

 だというのに、怜乱が脈をとったり瞼をめくったりする間も、彼らは眉一筋動かさなかった。



 一通り調べ終えると、怜乱は室の壁に背を預けている狼を呼んだ。


「何か判ったか」


 暇そうにしていた老狼がいそいそと近付いてくる。

 怜乱はそんな狼を見上げ、首を横に振った。


「いいや。それより、お得意の雑談はどうしたの」

「あんなに恐縮してるやつとどうやって話せっていうんだ。何か言うたびに頭を下げられちゃ、たまったもんじゃない」

「確かに、あれじゃ話もできないか。もう一回説得しないとだめかなぁ。……ところで、老狼。老狼は何か妙な気配を感じたりしない?」


 怜乱の問いかけに、狼は首を横に振る。


「いや。やたらと空気が乾燥しているせいか匂いもよく判らんし、だいたい、お前さんのほうがその手のやつは得意だろう」

「僕もそう思うんだけど、ちょっと調子が出なくてさ。ずっと頭の隅で変な音がしてる気がするんだけど、老狼はそんなことない?」


 じっと見上げられて、狼は何度か耳を巡らせた。


「いや、俺は特に何も感じないな。さっきも気を失っていたんだし、熱のせいで参ってるんじゃないか。それに、お前さんが不調だからと言って俺が鋭くなる道理もないからな」

「……確かにね」


 あまり期待していなかったなどと言いながら、怜乱はわざとらしく肩を落としてみせた。

 そして、後ろに控えている狛斗に声を掛けようと振り向き、口を開きかける。


 しかし、少年の口から言葉が出ることはなかった。

 足を踏み出しかけた姿勢のまま、まるで糸が切れた操り人形のようにかくんと倒れ込む。


「! おい!」


 その襟首をとっさに掴んで、老狼は少年の呼吸を確認した。


 ──また止まっている。


 一体どうしたのだと首を傾げた老狼の視界に、床に落ちた長い彩布(スカーフ)が目に入った。

 空の色に似た碧色の染布は、間違いなく狛斗が髪に巻いていたものだ。

 見下ろせば、床に伏した狛斗の姿が目に入る。

 ぐったりしたようすに驚いて、狼は怜乱を放り出し狛斗を抱き起こした。


 抱えた躰は完全に脱力していたが、聞き耳を立てれば深い呼吸と心臓の拍動が聞き取れる。

 生きているというのが容易に判断できる、その事実に狼は胸をなでおろした。

 額に鼻先を当てて熱がないことを確かめ、狛斗の肩を揺する。


「おい、狛斗。どうした。目を開けろ」


 声をかけても肩を揺すっても、全く反応がない。

 意識を失って脱力しきった躰は、重心を取ることを忘れてひどく重かった。


「……どうしたんだ、一体」


 ひとしきり狛斗を起こそうとして、狼は弱ったなと耳を伏せた。

 怜乱ならともかく、自分一人が起きていてもできることなど何もない。

 しばらく考えて、狼は空いていた寝台に狛斗を寝かしつけることにした。

 庁堂(きゃくま)に動かない怜乱を放り出すと、自分もその隣で丸くなる。

 誰かが起きてくるまで眠るつもりで眼を閉じた。



             *  *  *



 怜乱は遠い泣き声を聞いていた。


 さりさりという音に混じって、細く泣く女の声が聞こえる。

 遠く近く響いてくる声はひどく弱々しく、泣き声の中に混じる喘鳴はひどく苦しげだ。


 どうしてだかそれが気になって、怜乱は誰何(すいか)の声を上げようとする。

 しかし、口を開いた感覚の前に、自分の声が別の場所から聞こえた。

 わぁん、とあちこちに反響して歪んだ声が、誰、誰、だれ、だれと訳の分からない音になって消える。


(──たすけて)


 その音に混じって女の声が聞こえた──ような気がする。

 蚊の鳴くような細い声は、懇願するような調子。

 無意識にどうしたのと問いかけようとして、またしてもざわめき立った木霊に耳を塞いだ。


 どうしたの、たのし、たどう、どう、の、の、たの、たのしたのしたたのしたのしたのしたの。


 訳の分からない残響に混じって、女の声が囁く。


(──けて────で────もう、)


 途切れ途切れの声は、さりさりという音と反響にまぎれて聞き取れない。

 ずっと続いている女のすすり泣きだけが、いやに耳についた。


 そういえば、ここはどこなのだろう。


 そんなことを考え、首を巡らせる──巡らせた感触があった。



 怜乱が立っていたのは、さらさらと流れる砂の中だった。

 すり鉢状になった砂の底、足の下から音を立てて地面が流れている。

 冷たく細かい粒子が、足首を撫でてはどこか深みへ落ちていく。


 ぼんやりと見上げた空には、溶けたような光の玉が揺らめいていた。

 雲一つない空は、空というよりも凪いだ海のようで。

 さあとざわめき落ちていく砂は、どこか波の音を連想させた。



 どこだ、ここは。

 こんな場所は見たことが/まるで  の故郷の流砂のよう 。



 上手く頭が回らなかった。

 さりさりと続く音に遮られてでもいるように、何もかもが曖昧でまとまらない。


 自分がいるはずのない場所。

 聞いたことのない声。

 現実感のない空気。



 ──これは夢だ。


        そう、自覚して、



 怜乱はがばと身を起こした。


(──たすけて──)


 夢の名残が耳のそばで弾けて消える。


 反射的に周囲の気配を探ろうとしたが、頭の奥にこびりついた雑音が邪魔をした。

 不規則に鳴る音のせいで、思考がちらついてままならない。


 苛ついて少し乱暴に頭を振るが、さりさりという音は止まなかった。

 姿勢を保つのすら億劫に思えて、怜乱は手近にあった(ながいす)に寄りかかった。

 視覚を遮断するために目を閉じて、浮いた処理を思考に回す。


 これは怜乱に限らず『()』──画師に創られた異能の道具を指す言葉だ──全般に言えることだが、彼らはその姿を維持し機能を発揮するため、意識の下で『そうあるため』の演算を行っている。

 固有の機能は言うまでもないが、例えば人型を取るものであれば言動からわずかな反射に至るまで、全てが膨大な演算処理の表出なのだ。

 一般的な『鬼』はこれを自覚しないが、『鬼』であり画師でもある怜乱は違う。

 消耗を防ぐための演算制限も、認識の精度を上げるための加重・偏重処理も、意識的に切り替えて使うのが日常なのだ。

 今も暑さであまり調子が良くない自覚があるため、かなり処理を落としてある。


 しかし、それでも追いついていない気がするのは、一体どうしたことだろう。

 どこかから負荷をかけられているのか、それとも──


 回らない頭で考えようとしていると、向こうから衣摺れの音が聞こえた。


「起きたか。思ったより早かったな」


 低く、舌を噛んだような老狼の声が耳に飛び込んでくる。

 とたん、潮が引くように雑音が消えていった。

 負荷だと認識していた何かが吹き払われて、思考が形になる。


(──一陣の風を)

 怜乱は狛斗の言葉を思い出していた。


 悠然とした態度やついさっきの思い出話からも明らかなように、老狼は力の強い妖だ。

 根が穏やかだから決してしないだけで、小妖ならその存在だけで叩きつぶせるだけの妖力があることは怜乱も認識している。

 彼の操る炎が、物質から認識の類まで、自在に灼くことができるのも知っている。


 しかし、狼の言葉がこんな──邪気を祓うのに近い働きをするとまでは、思ってもみなかった。


「怜乱。大丈夫か」


 身を起こしたきり動かない怜乱を心配して、狼が近寄ってくる。

 ぼんやりと目を開くと、斜め上を向いた視界に三角の耳が映った。


「──────老狼」 


 どうやらまた待っていてくれたらしい相棒の名を呼び、怜乱はのろのろと座り直した。

 思考を邪魔する雑音は小さくなったが、躯を動かすのはまだどうにも億劫だ。


 狼はそんな怜乱の前にしゃがみ込んで、いまだにどこか焦点の定まらない瞳を覗き込んだ。


「覚えてるか? お前さん、またいきなり倒れたんだぞ」

「……そうなんだ」


 狼に言われ、怜乱は視線を彷徨わせた。

 上手く焦点を合わせることのできない目で見渡した室内は、言われてみれば確かに最後に見たのとは違う景色だ。

 廊下から差し込んでいたはずの西日も、いつの間にか低い月明かりに変わっている。


「……半日?」

「まぁ、それくらいだな。狛斗も突然寝ちまったから、俺も仕方なく今までうとうとしていたんだ」

「狛斗も? ……ええと、他には何かあった?」

「いや、この街の中で誰かが目を覚ましたりすれば判るように気をつけてはいたが、そういう気配は特になかったな。動いているのは鳥と獣ばかりだ……が」


 老狼は一旦言葉を切ると、ぴくりと耳を立てた。

 慎重に首を巡らせ、低い声で囁く。


「──しかし、夜になると賑やかになるもんだな。昼夜逆転生活なんぞ送っていると、灯り代がかさんで仕方がないぞ」


 狼の言葉が終わらないうちに、大勢の人間が立てる足音が聞こえてきた。

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