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2/12 市街

 辿り着いた街は、まるで廃墟のようだった。


 ぴくりとも動かない怜乱(れいらん)を担いで城門をくぐると、砂煙に霞む大路が見渡せる。

 かなり余裕を持って作られた路は、それなりの規模を誇る街にしかないものだ。

 しかし路の両脇にある市を出すための広場は、しんと静まりかえって小店の一つすら見あたらない。


 この規模の街ならば、明るいうちは路の左右から店がせり出し、多寡はあれども人がうろついているのが普通だ。

 暑い場所だから昼は休憩時間なのかもしれないが、それでも店構えごと片付けることはないはずだ。


 どうしたことかと首を傾げ、老狼(らおろう)はゆっくりと左右を見回した。


 城壁に沿った路は、大抵の街で行商人たちの縄張りとなっている。

 ここも例外にもれず壁沿いに荷車が列をなしてはいたが、周りには張り番一人見あたらない。荷を曳くための駄獣もいない。


 砂に囲まれた街だから、砂にまみれているのはまだわかる。

 しかし、白いはずの幌がすっかり砂色に染まっているのは、一体どういうことだろう。


「どういうことだ、これは」


 首を傾げながら、狼は街を歩いて回った。


 石と干し煉瓦で作られた街並みは、蹂躙の跡もなく綺麗なものだ。

 植物は青々として季節どおりに花を咲かせ、あるいは実をつけている。


 しかし、整備された街並みは、どこもかしこも分厚い砂に埋もれていた。

 誰かいないかと細い胡同(ろじ)にまで足を運んでも、辛うじて察知できる人の気配は皆家の中だ。


 こういった強烈な陽射しの降り注ぐ地域の人々は、昼日中に活動しないことも多い。

 それでも、風通しのいい日陰でまどろむ人の数人程度はいるものだ。

 その数人すらいない光景は、奇妙を通り越してどこかおかしかった。



 人の姿を探して道を辿るうち、老狼は大きな湖に行き当たった。

 青々とした植物に囲まれた翡翠色の水が、高い砂丘に沿って三日月形に広がっている。

 透き通った湖水を覗き込むと、大小様々な魚たちが群れを成して泳いでいた。


 鼻先を撫でる涼しい風にふと思いついて、老狼は肩に担いでいた怜乱をぽいと水に放り込んだ。

 泡の一つも立てずに水に沈んだ白い姿を、泳ぎながら見守る。



 時折水面に顔を突っ込んで確認しながら約半刻。

 ぼんやりと目を開いた少年を水底に見出して、狼ははたはたと尻尾を振った。


「起きたか」

「……」


 少し待ってみても返事はなかった。

 怜乱は青い光の揺れる水底をのろのろと見回し、考えごとをするように首をひねっている。

 寝ぼけているらしい仕草をおかしく思いながら、狼は少年の着物の襟首を咥えて岸辺に引き上げた。


 岸の草地に放り出された怜乱は、ひどくぼんやりとした顔で視線を彷徨わせていた。

 焦点の合わない鳶色の瞳が、隣にしゃがみ込んだ老狼と湖、そして反対側に広がる砂にまみれた街の間を何度も往復する。


 たっぷり十回はそうしたあと、彼は不思議そうに小首を傾げた。

 何度も瞬きをして焦点を狼にあわせ、そろそろと口を開く。


「老狼……だよね? ええと……あれからどれくらい経ったの? 百年? 千年?」


 なかなかの寝惚けぶりではあるが、なぜそんなに長期間眠っていたという発想になるのか。

 狼は半ば呆れながら、妙に真剣な顔をしている少年の額をつついた。


「何を言ってるんだ。陽を見ろよ、まだ半日も経ってないぞ」


 信じられないと言いたげなようすで、怜乱は空を見上げた。

 どこか精彩を欠いた動作で星を読み、低くなってきた陽を空の半ばに探しあて、額を押さえる。


「……嘘。だって僕、あれで機能停止してたから……あれ? そういえば、置いて行ってって言ったのに。わざわざ運んでくれたの」

「当然だろう。死んでないと解ってるやつを置いていけるか」


 そう返されて、怜乱はぽかんと老狼の顔を見上げた。

 どこか決まりが悪そうにもぞもぞと座り直し、琥珀色の視線からわずかに目を逸らす。


「ありがとう……目が覚めたら砂の中くらいは覚悟してたからさ、助かったよ。目を開けたら水の中だったから、もっと経ってるのかと思ってた。ところで、ここは?」

「扁額には晨沙(しんさ)と書いてあったから、目指していた街で間違いないと思うぞ」

「本当に? だってここ、人の気配がぜんぜんないよ。僕が目指していたのは確かに緑洲(オアシス)のある晨沙っていう街だけど、もっと大きくて栄えてるって聞いてるよ。老狼、方向を間違えたんじゃないの」

「一刻もかからん距離を俺が間違えると思うか。そもそも、この近くに別の街などないぞ」

「それを言われるとなぁ……」


 首を振りながら、怜乱は人の気配を探ろうとした。


「……あの」


 しかし、探るまでもなく、彼らの横合いから影が差す。

 緩慢な動作の怜乱が影の主を見上げるよりも早く、影は草地に膝をつき、額をかち割りかねない勢いで叩頭した。


「旅の大公殿とお連れの御仁とお見受けしました。無礼を承知で伏してお願い申し上げます、どうか我らをお救い下さい。このままでは晨沙二万の民が朽ち果てる日もそう遠くはありませぬ」


 女が口にした言葉よりも、結われることもなく地面に広がった紺碧の髪に、少年と狼は顔を見合わせた。


 細かい例外はあるが、この国の民は人前で髪を結うことを礼儀としている。

 妖かそれに連なる者はその限りでないが、女からは妖やそれに近いものの気配はしない。

 寝るときですら緩く一つにまとめている髪を振り乱してやってきた彼女に、怜乱たちが驚いたのも無理はなかった。

 ついでに言うと、服装も起き抜けの人間のそれだったから、本当になりふり構わず飛び出してきたことがわかる。


「死んでしまうも何も、ここにそんなに人がいるの」

「人の気配など感じられんぞ」


 怜乱と老狼が口々に問いかけると、女は額を地面に擦りつけたまま言葉を繋いだ。


「もう長い間、この街は斯様な状態なのです。人も獣も、水も飲まず、食事も摂らず、ただ浅い眠りと深い眠りを繰り返し、ひたすら眠るばかりでございます」

「期間はわかる?」


 怜乱の問いかけに、女は伏したまま首を振った。


「存じません。わたくしも、長い間眠っておりました。浅い眠りの縁に腰を掛けていたとき、清涼な一陣の風を感じて目が醒めたのでございます。きっと助けが来て、町人らも目覚めたと思い外に出ましたら」

「歩いていく俺が見えた、と」

(はい)。威風堂々たる御姿に並々ならぬ神気を感じ、失礼とは知りながら追わせていただきました。──恐れながら」


 女は重ねて助けてほしいという内容を口にした。

 端的に言ってしまえばそれだけなのだが、それを彼らが理解するのにはかなりの時間が必要だった。


 なぜなら、女は前口上として狼を褒め称える言葉を述べ始め、それにかなりの時間が費やされたせいだ。

 どうにもこの手の賞賛が苦手な老狼は、女の言葉に口を挟むこともできずに硬直していた。

 そのうえ、いつもなら上手く話を切るはずの怜乱も、ぼうっと遠くを見つめるばかりだったのだ。


 四半時ばかりの長口上をほとんど聞き流し、彼女の言葉がようやく途切れたと悟った狼は、疲れたように尻尾を振り回した。


「内容はともかくとして、お前さんの言いたいことは判った。しかし、俺はこっちでぼうっとしている画師様の連れなんでな。その辺のことはこいつに聞いてくれ」

「……え?」


 狼に肩を突かれて、少年は驚いたように目をぱちくりさせた。

 どうやら全く話を聞いていなかったらしく、鳶色の視線が狼の顔と未だに平伏したままの女の後頭部を何度か往復する。


「ええと……街がこんなになってる原因究明をして、皆を起こせれば万々歳なんだよね」


 確認するように言う怜乱に、狼はそうだと頷いた。

 わかったと返して、怜乱は女に膝行(いざ)り寄った。

 肩に手を伸ばそうとして、手が砂まみれなことに気付いて袖口で払う。


「ええと、話はわかった……けど、その前に、顔を上げてくれないかな。このままじゃ話もできやしない」


 怜乱に肩を叩かれて、女は首を横に振った。


「そんな、大公殿といえば神にも等しいお方。直視するなどという不敬、致しかねます」

「いや、それでも顔を上げてもらわないと困るよ。老狼、君からも何か言ってよ」

「そうだな……」


 長い押し問答の末、ようやく渋る女を説得できたのはほとんど陽も暮れかけた頃だ。

 女が頑なに直接老狼と言葉を交わそうとしなかったため、全面的に交渉を任された怜乱がうんざり顔で老狼を睨みつけたことは言うまでもない。

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