不可視の盗賊(下)
「──というわけで、君たちの役目は出てきた盗賊を取り押さえることだ。見えない相手は僕らが何とかするから、安心して対処して」
周囲に銀の鳥を舞わせながら、怜乱は三十人ほどの兵士の前で声を上げていた。
彼らが立つのは、農地の間を流れる運河をいくつも集めた河のほとりである。泥の色をした水と農地を隔てる背の高い草を、彼らは先ほどまで刈っていたのだ。
怜乱の隣では宿屋で酔っ払っていた中隊長が、白蝋の棍を手に控えている。
老狼は水際に三尺ほど残された長い草の中に立ち、大河の上を渡ってくる風の匂いを嗅いでいた。
* * *
中隊長の協力を取り付けた翌々日、黒の旗の立つ日に怜乱たちは官府を訪れた。
朝からずっと待ち構えていたらしい彼に兵舎へと連行され、質問する間もなく話を聞かされたのはもう一週還も前の話である。
盗賊の被害は平原の東端から始まっていた。怜乱たちがやってきた方向とちょうど逆、無数の水路がほんの少しの高台にぶつかり、広大な湿地を形成している方向である。
その湿地にほど近い里に端を発した被害は、南へ北へとふらつきながら、徐々に平原の中央を流れる河の方へと向かっていた。
「あの高台の向こうで、何があったか知ってる?」
地図を眺める怜乱がそう言うと、集まってきていた兵士たちは一様に首を傾げた。
州の武官であるはずの中隊長も、歴史は必須知識ではないらしく首を捻っている。
昔からこの平野を開墾し続けている、程度の認識しかない彼らに、怜乱は軽く近隣の地理と来歴を説明した。
水をせき止める東の高台のさらに東には、広大な沙漠が広がっている。
そこは神話の時代の古戦場と伝えられる場所だ。
大華では人も災禍も東より来たると言い習わすが、それは彼らの祖先があの沙漠を越えてきたためなのだ。
古戦場や彼らの辿ってきた道筋には、過去の遺物が大量に眠っている。
それらの大半は壊れて使い物にならないが、中には奇跡的に機能を保っているものがある。
おそらくは、そんな遺物の一つを見つけた盗賊が、それを悪用しているのではないか──
滔々と歴史を語る怜乱を、兵士たちは不思議なものを見るような目で見つめていた。
「──画師殿曰く、敵は金属を奪う性質のある何かを持っているものと思われる。腰の剣は極力使わないように。あと鎌もな。では、総員配置につけ!」
「応!」
そのときと同じような顔をして銀の鳥を目で追っていた兵士たちは、中隊長の掛け声に足を踏み鳴らして応えた。
薄闇の落ちてきた河原に散っていく兵士たちを確認して、怜乱は中隊長を見上げる。
「じゃ、あとは打ち合わせ通りに。悪いけど先に約束事があるから、いざとなったら部下を止めてほしい」
「は、了解しました」
「後ろは頼んだよ」
敬礼する男を背に、怜乱は川縁へと足を向けた。水面を監視する狼に歩み寄り、首尾はどうかと問いかける。
「ちょうど風上の方だ。見えるか?」
視線を下げた狼はそう言って、黒い爪で広い運河の一点を示す。
怜乱は何度かその方向を見渡して、肩を竦めた。
「……気配は探したとおりなんだけど、僕じゃ背丈が足りないみたい。どうなってるの?」
「河の真ん中が不自然に凹んでいるな。ちょうどあっちの運河に泊まっている艀くらいの大きさだ」
「ということは、昼間は里を作るための艀に紛れて移動して、都合のいい場所で里を襲いに行くって算段かな」
「どうだろうな。ちょうど逃げおおせる所に出くわしたのかもしれんぞ。ここの川上には確か大きい街があるからな」
「あぁ、そういえば、州都は川沿いにあったっけ。盗品を処分するつもりだったのかな」
そんな会話を交わしながら、怜乱は戻ってきた銀の鳥で凹みの場所を確認し、代わりに尾の長い使鬼を作って空に飛ばす。
怜乱の手に尾の先端を残して飛び立った鳥は、河の中央辺りを目がけて降下し、ある一点でふっと姿を消した。
手の中にあった鳥の尾が白銀の縄に変わるのを確認して、少年は再び狼を見上げる。
「金属がだめだって言うから偽装しようかと思ったけど、さすがに使鬼は大丈夫みたいだね。老狼、悪いけどちょっと引き寄せてくれる?」
「応よ。岸に引き上げればいいか?」
「うん。逃げ出すようなのがいても、後ろの面々が何とかしてくれるから気にしないでいいから」
「なるほど。人手があるってのはいいもんだな」
少年から縄を受け取って、狼は口許ににやりと笑みを浮かべた。
手のひらに何度か縄を巻きつけ、ぐいと引く。
暗くなってきた水面の向こうには何も見えないが、ぴんと張った縄はその先に何かが存在することを主張していた。
「思ったより軽いもんだな。船ってこういうものなのか?」
「水には浮力があるからね。割と大きい船でもそれなりに曳けるものだって聞いた覚えがあるな」
流れのある河ならもう少し抵抗はあるのだが、この地の河はあるかなきかの勾配に張り巡らされた溜まり水のようなものだ。
楽しげに口許をつりあげて、狼は軽く縄を引いていく。
音もなく何かが岸辺に乗り上がったのは、程なくしてのことだ。
川縁に繁る草の上に刻まれた平たい底と幅のある車輪の型を確認して、怜乱は納得したように頷いた。
「あーなるほど、姿と音が消えてるわけだ。そりゃ普通の人には見えないよね」
「匂いはあまり隠せんようだがな。お、三人ほど飛び出してきたぞ」
敵襲を告げる老狼に応じて、怜乱は周囲を見渡す。
昼の間に刈っておいた草の平地に、僅かに刻まれる凹凸が三組。縄を握る老狼とその隣に立つ自分に向かって動いている。
「左右は対処するから、後ろからのだけ張り倒しておいて」
「おうおう、暴力的なことで」
楽しげな狼の声を聞きながら、怜乱は懐から銀紙を取り出し遠い方の一つへ投げる。網のように解けた紙はそこにある何かを絡め取り、たちまちのうちに見えなくなった。
後ろでは音もないのに何かがもんどり打って倒れる気配がする。
それを横目で確認しながら、怜乱は向かってくる足跡のほうへと手を伸ばした。
指先に触れた感触は、目算通り襟の合わせ目だ。不可視の布を握り込み、少しばかり重心を揺さぶって地面に叩きつける。
「他の奴らは様子見らしいぜ。臭いからして十二人ほどだ」
「このまま出てこないと楽なんだけどな」
応えながら倒れた草の形から人の形を読み取り、不自然な首の膨らみに手を伸ばす。感触を頼りにそれを取り上げると、目を回している男の姿が現れた。
「お、怜乱の姿が見えなくなったぞ」
「こっちからは変わらず見えるんだけどね……あ、姿が消えてる同士なら見えるみたい」
愉快そうな声を上げる相棒へ使鬼伝いに返事をして、怜乱は男から取り上げた細長い布の包みを解く。
中には腹を開かれ鞣された蛇の革が一枚。その三尺ばかりの革に短い手足がついているのを確認して、怜乱はゆるゆると首を横に振った。
そして懐から拳大の白い珠を取り出し、ぽいと運河の中央に向かって投げる。
「じゃ、ちょっと追い出しにかかるから。逃げ出してくるのは後ろの面子に任せて」
軽く言って、怜乱は包みなおした革を懐に入れた。
そして残りの二人からも手早く襟巻きを取り上げて拘束する。
「お頭! 気をつけてください、こいつらかなりの手練れです!」
まだ意識のあった盗賊の声を背に、怜乱は河岸に引き上げられたそれに目をやった。
形としては船というよりも幌馬車が近い。歪な箱のこちら側の短辺には、馭者台のようなわずかな甲板がある。側面には四つの大きな車輪と細い覗き窓がいくつか。見える限り、出入り口は馭者台の奥に一つしかないから、残りはまだ水に浸かっている裏側だろう。
試しに釘を投げてみると、それは音もなくぺたりと張り付き壁と一体化した。
なるほどと頷いて、怜乱は御者台に乗り込む。
奥にある扉は固く閉ざされているが、これは画師の創ったものだ。誰がどんな指示を出していようとも、画師である怜乱に優先権がある。
知己の家を訪問するような気安さで扉を開く少年にむかって、待ち構えていたいくつもの武器が襲いかかる。しかしがつんと鈍い音はするものの、白い姿には毛ほどの傷も与えられない。それどころか得物を伝う振動に握力を奪われ、何人かが逆に武器を取り落した。
怜乱はつまらなさそうに室内を一瞥すると、最も手近にいた一人を捕まえて蛇革を包んだ襟巻きを取り上げ、無造作に壁に向かって投げた。
ばきっと音を立てて壁が壊れ、空いた穴から人が飛び出す。
外から聞こえてきた罵声を聞き流しながら、怜乱は次々と盗賊たちを表に放り出していった。
十一人まで数えると襲撃の手が止んだ。
もう一人いるはずだがと周囲を見回せば、入り口にほど近い位置にある物見の椅子に縛り付けられてぐったりしている青年がいた。
首の他に、胴に巻かれた縄にも布にくるまれた長いものが絡まっている。
「や、君で最後かな」
怜乱が声を掛けると、彼はびくりと身を縮めた。そして必死に動かない頭を下げる。
「ひッ……すいませんすいません! 俺がこんなのを見つけたばっかりに!」
そのようすに、怜乱はあぁ、と内心で嘆息した。
扉を開くときに、この箱の正体はわかっている。
これは遙か昔に画師の手によって作られた『鬼』──人の手では作り出せないはずの機能を持った道具の一つだ。
普段は馬や牛に曳かせる荷車だが、いざというときには馭者となる人の精気を動力とし、気配を馭者一人のものと偽装して自走する機能がある。壊れれば金属を取り込みながら傷んだ箇所を修復もする、そういう性質を与えられたものだ。
おそらく、彼はどこかでこの道具を見つけたのだ。
そして便利に使ううちに盗賊に捕らわれ、言い様にされていたという次第だろう。
怜乱が青年の縄を解いて物見台から降ろしてやると、青年はぐったりと目を閉じた。同時に、外からおおっというざわめきが聞こえてくる。
船か、いや箱じゃないかという兵士たちの声に、主が離れたことで外から見えるようになったと知れた。
破った壁から外に飛び降りて青年を放り出し、さらに抱えていた襟巻きを手放すと、周りから再びどよめきが上がった。
そのどよめきを背に荷車を紙に封じると、積まれていた盗品が山となってその場に残る。
懐に白銀の紙をしまいながら、 怜乱は呆気にとられた顔の中隊長へと向き直った。
「全員捕縛してくれたみたいだね。少しだけ先にやることがあるから、この人だけ保護して下がっていてくれる?」
「あ、はい」
青年を引き渡し、悔しげに呻く十四人の盗賊を草地に集めさせると、怜乱と老狼は彼らを並べた隣で川面を見つめる。
程なくして、遠くからざざざ、と音が近付いてきた。
暗い水面が波打ち、みるみるうちに大きな波となって押し寄せてくる。
盛り上がる水面に、後ろに控えていた兵士たちが驚きの声を上げた。
「や、四年ぶりかな」
ざぁと水を割って出てきた何かに、怜乱は気安く声を掛ける。
「画師様。長らくお手を煩わせ、大変申し訳ありませんでした。我ら一族、この通り、深く御礼申し上げます」
水面を割って出てきたのは、翡翠色の鱗をした、片目の潰れた大蛇だった。
首の少し下に生えた短い手を、辛うじて胴の前に回して古式な礼をしている。
その口には、怜乱が投げ入れた珠が咥えられていた。
「これも画師の役目だから気にしないで。それより、連れ去られた仲間はこれで全部なのかな」
怜乱は深く頭を垂れる蛇から珠を受け取り、ぽっかり空いた眼窩に押し込みながら問いかける。
白い手が何度か珠の表面を撫でると、珠は眼球に変じてぎょろりと動いた。
焦点を合わせるように何度か大きさを変えた瞳孔が僅かに草の凹む地面を映し、続いて盗賊たちに憎々しげな視線を投げつける。
「……はい。いなくなった十七匹、全て揃ってございます。……あぁ、こんな哀れな姿になって」
嘆きの声とともに、大蛇の口から威嚇音が漏れる。その音に震え上がった盗賊たちは、にわかに声を上げはじめた。
「ヒッ……助けて!」「食われるのはいやだ!」「こういうときに守ってくれるのが画師ってやつじゃないのか!」
口々に好き勝手なことを言う彼らに、怜乱はじろりと冷たい目を向けた。
足踏み一つで彼らを縛る縄を締め上げ、身動きの取れなくなった相手を見下ろして鼻を鳴らす。
「たしかに画師は人に害なす妖を封じるけれど。彼らの性質を悪用するために、彼らを殺したのは君たちだろう。先に手を出した人間を守る道理はどこにもないよ」
温度のない声と視線の圧力に、盗賊たちはぐっと言葉に詰まる。
彼らから言葉が出ないのを確認して、怜乱は蛇に向き直った。
「この人間たちの処遇、どうしたいかな。君達が連れて行くというなら、邪魔はしないつもりだけれど」
その言葉に震え上がる盗賊たちだったが、蛇はゆるゆると首を横に振った。
「……いいえ。我々は人を喰らう妖ではありませんし、それに、万が一味を占めた同族が出たら、今度画師様のお世話になるのは私たち、でしょう?」
蛇の言葉に、怜乱は端正な口許を歪めた。一つ頷いて両腕を軽く広げる。
「よく知ってるじゃない。なら、これは人の世界で罰を受けてもらうことにしよう。亡骸は連れて行くでしょう。もう見つからないようにね」
「はい。では、これにて失礼致します」
再度深々と礼をして、蛇は同族の遺体を抱いて消えた。
後に居並ぶ兵士たちは、驚いたようにぽかんと口を開けるばかりであった。
──────【大華国頼事帖・その弐/不可視の盗賊・了】




