不可視の盗賊(中)
街道をしばらく歩くうちに銀の鳥が帰ってくる。
目下の白い髪に飛び込んで消える鳥を確認して、狼は少年に声をかけた。
「怜乱よ、首尾はどうだ?」
「今日は雲が出ているから、あまり使鬼を高く上げられないんだよね。とりあえず半刻で回れる範囲を見てこさせたんだけど、想像以上に隠れるところがないや」
狼のことを見上げた少年は、少しばかり首を傾げて応答する。
使鬼というのは怜乱が使役する紙の鳥のことだ。普段から斥候として扱われているそれは、基本的に地面を歩く彼の視界を補助する役目を与えられている。
怜乱は使鬼に見て回らせた範囲に大きな河はなく、見渡す限りの畑の中、水路だけが延々と続いていると説明した。
「半刻というと直径十里程度か? 昔は一面の氾濫原だったというのに、よく整備したものだ」
「あといくつか使鬼が帰ってきたら、少しは情報が増えるだろうけど。官吏から地形図と賊の出た里を教えてもらえれば、少しは絞れるんじゃないかな」
「確かにそうだな。しかし、盗賊退治とは、なんというか、人里に降りてきたって気がするな」
うんざりしたような怜乱の様子とは裏腹に、狼は楽しそうだ。
視界の片隅で揺れる相棒の尻尾を恨めしげに睨んで、少年は息を吐いた。
「人間を相手にするのは衛士か軍の仕事なんだけどなぁ」
「道士もじゃないのか?」
「あれは明らかに同類か妖が犯人の場合の時だけの副業だね。それに、破落戸の中にはとにかく強いのがいるから、相手が盗賊かもなんて言ったら来てくれる道士はいないと思うよ。術を使う暇がないなら、道士なんてそこいらの農夫にすら勝てないんだから」
暴力が一番手っ取り早いと乱暴なことを言う少年に、狼はさもありなんと頷いた。
「それもそうか。お前さんがちょっと頑丈すぎるせいで、そのへん忘れがちなんだよな」
「僕だって別に頑丈なわけじゃないよ。獲物に乗った付与術式によってはすっぱり行くんだから」
「そう言われてみれば、お前さん、髪飾りで手首切ってたりもするもんなぁ」
「そういうこと」
会話をしているうちに、街道のすぐ東に作られた街が大きく見えてくる。
他の里よりも高く作られた土台の上にそびえる石の壁は、里にはないものだ。幅広く作られた城壁の上を、歩哨が暇そうにぶらついていた。
「あぁ、さすがに府庁のある街は造りが違うね。県城にしては規模が小さいから、郷城かな」
「どうだろうな。しかし、こういう賑やかそうな場所は久しぶりだな」
滑らかな石で葺かれた斜面に刻まれた階段を登ると、扁額のついた門が見えてくる。
もう夕方も近い時間であるためかそれとも普段から人が来ないのか、詰所の中では衛兵が暇そうな顔で紙縒りを作っていた。
その前に掲げられた赤い旗を見て、怜乱が額を押さえる。
「しまった、明日は府庁が休みじゃないか」
「? 何でそんなことがわかるんだ?」
「あー、老狼はあんまりその手のことには詳しくないんだったっけ。そこに掛けられた旗が曜日を示すものだというのは知ってる?」
怜乱の示した赤い旗を見て、狼は小首を傾げた。
「いや、初耳だな」
「そう、なら暦は?」
「春の新月が来たら正月だといって人間たちが騒ぎだすことは知っているが、他に使う機会もないのでな。それ以上のことは知らん」
「それもそうか。僕だって今の今まで忘れてたくらいだし、老狼が知らないのも当然だよね」
首を傾げる狼に、少年は暦の説明を始める。
この国の暦は春の新月を起点として数えること。
新月から次の新月までの二十一日を一月とし、十六月を数えれば春が来るためそれを一年と呼ぶこと。
一月は上中下と三分割され、分割後の七日を週と呼ぶこと。
日常生活を営むぶんには日付が判らずとも問題はないが、官吏は週を単位として動く。
そのため、公共の場には週日を知らしめるための表示が義務づけられている──そういった内容だ。
「曜日を示す旗の順番は青紫赤黄黒緑白。官府は今上帝の貴色の前日に休む決まりだから、今は黄色の旗の日が休みなんだ」
「なるほど。赤い旗がかかっているから、明日はその休日というわけか」
「そういうこと。まぁ、別に官吏に話を通さなくても構わないんだけどね」
「? ならば何でそんなことを気に掛けるんだ?」
「もし懸賞金がかかってるなら、路銀の足しになるからね」
「……なるほど。お前さんも一応人間なんだなぁ」
「老狼は僕を何だと思ってるのさ」
心外だとでも言いたげな顔で、怜乱は肩をそびやかせた。
* * *
城門での手続きを終え、紙縒りの衛兵に教えてもらった宿の入り口をくぐる。
一階が食堂を兼ねる造りの薄暗い店内では、酔っ払いが店員相手に土下座していた。
「亭主殿ー、お願いだから酒! あと半合でいいから、このとおり!」
「そんなことされたってだめですよ、隊長殿はお酒に弱いんですから。三合以上は絶対だめだって、部下の方から言いつかってるんです」
「そんなこと言わずに、もう半合、な」
迷惑な酔いかたをしている体格のいい男は、どうやらどこかの軍の隊長らしい。
床に頭を打ち付ける男を前に困った顔をしていた女は、客人の姿を見てぱっと顔を輝かせた。
「ほら、私はお客様の相手がありますから。他に人が来ないうちに、早いところ顔を洗って酔いを覚ましてください。仮にも中隊長さんなんですから、顔に土なんてついてたらみっともないですよ!」
「えぇ~、酒……」
不満の声を上げる男を尻目に、女はいそいそと客人たちの元へと歩み寄る。
「いらっしゃいませ、旅人さん。ご宿泊で? それともお食事?」
「両方かな。室はそこそこ広めがいいな。とりあえず一週還。ところで、彼はいいの?」
「いいんですよ、この方はただの飲んだくれですから」
怜乱が後ろの酔客を目で指すと、女は笑って手を振った。
そのようすに要求を呑んでもらえないと判断した男は、ふらふらと立ち上がり表へ向かおうとする。
しかし、かなり酔いが回っているのだろう。何もないところで躓いた。
「おっと」
よろめく男の襟首を掴んだのは、ほんの一歩の位置にいた老狼だ。
ぷらんと宙に吊されて、彼は不思議そうに首を傾げる。
「……おや。宙に浮いている」
「浮いてるわけではないぞ。ほら、手を放すから自分の足で立て」
「あ~、これはこれは。狼さんにはご機嫌麗しゅ……うっ、きもちわるい……」
吊されたままで口を押さえた男を見て、狼は頬を引きつらせた。
このままだと彼が盛大に戻すだろうことは想像に難くないが、せっかく助けてやったのだ。放り出すのも憚られる。
「老狼ったら、余計なお節介を焼くから」
狼が身構えていると、呆れたような声と共に白い手が伸びてくる。
細い絵筆を握った手は、男の額にさらさらと複雑な模様を描き付けていく。
額から鼻先にかけてびっしりと描かれる模様は、酔い覚ましに使われる符術だ。
「……あれ?」
「どう? 酔いは醒めたでしょう」
絵筆が最後の一画を描くと同時に、男の顔から酔いの色がすっと抜ける。
床に下ろされたたらを踏んだ彼は、筆を握った少年を驚いたように見つめ──そして、唐突に平伏した。
「さぞや名のある道士様とお見受けしました! どうか私どもに力を貸し与えて頂きたく、伏してお願い申し上げます!」
* * *
男はこの郷で中隊長を勤めているものだと名乗った。
最近出るようになった盗賊と通行妨害をする何かを追っているのだが、どうしても成果が出せずに腐っていたらしい。
「平和な場所だって聞いて、喜んで赴任してきたのに。何で私が来たとたんにこんな事件が起こるんですか。郷長様にも疫病神なんじゃないかとか言われるし、里の人たちの目は冷たいし、もう散々なんですよ……」
大きな身体をげんなりと縮めて、彼は深い溜息を吐いた。
少年と狼を相手にとりとめのない愚痴をこぼしてもう一刻ほどにもなる。
その間に彼が喋ったことといえば、彼の生い立ちからここへ来るまでの経緯と、お気楽な部下たちに対する愚痴ばかりである。
特に兵士の練度の低さにはよほど鬱憤が溜まっているのか、もう十度は語り口を変えて同じことを言っている。
「ところで、中隊長さん。何度か出てくる『通行妨害をする何か』っていうのは、いったい何なの?」
何十度目かの盛大な溜息と共に沈黙した男のようすに、怜乱はそろそろ話題も尽きたかと判断して問いかけた。
話している間に怜乱の酒を何度かくすねて飲んでいた彼は、酔いに半分濁った目を上げる。
「あー、それですか。それも私が赴任してきたしばらく後から噂されだしたんですが……」
要領を得ない男の話を総合すると、街道やあぜ道が透明な何かに塞がれて通れなくなるという話だった。
目を凝らしても何も見えないが、手を伸ばせば壁のような何かに触れる。街道よりも広い幅をしているらしく、横をすり抜けて通ることはできない。
しかし、いつまでもそれが続くわけではなく、ものの半日もすればまた通れるようになる。
通行の妨げになる以上の害がないため、最初は驚いていた住人達も今ではすっかり慣れきって、多少不便だとは思いながらも日常の一部だと受け入れているという話だ。
「私もつい先日遭遇したんですけどね。押しても引いてもびくともしないからって、槍で突いてやったら穂先を食われましてね。苦楽を共にした相棒をこんな姿にしてしまったのがもう、悔しくて、悔しくて……」
ひとしきり嘆いたあとで、男は壁に立てかけてあった棒を怜乱に手渡した。
ずいぶんと使い込まれた棒の先には、溶けたような断面の金属塊が申し訳程度に残っている。
「見てくださいよ。自慢の槍がこんなになって……この街の鍛冶屋ときたら農具しか作ったことがないから槍なんか判らないって言うし、次の長期休暇なんていつか分からないしで、直してやることもできないんですよ」
大いに嘆く男の手から槍の残骸を受け取って、怜乱は穂先の断面を見つめた。そして少し首を傾げ、不自然な断面に指を滑らせる。
しばらくそうした後で隣の狼を見上げ、その槍を手渡す。
削れた穂先に鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、狼は大きく一つ頷いた。
「間違いないな」
「そう。じゃあ、連絡しておかないとね」
狼の言葉に頷いて、怜乱は懐から一枚の銀紙を取り出して何事か書き付ける。
白い手元から小鳥となって飛び立つ紙を見つめていた男は、少年に声を掛けられてはっと我に返った。
「隊長さん、汚名返上に一枚噛ませてもらって良いかな。それともし可能なら、被害の記録を見せてもらえると助かるんだけれど」
じ、と見上げてくる鳶色の瞳に向かって、男は何度も頷いたのだった。




