6/7 追撃
「そういうの、嫌いなんだよね」
壊れたほうがましだと声を上げる涼清刀に首を振り、怜乱はその使用者を取り押さえる算段をする。
最善は穏便に話し合いで済ませることだったが、使用者の意志を無視する相手では望むべくもない。
次善は押さえ込んでしまうことだが、達人の技術で振るわれる刀相手ではそれも難しかった。
荒事と言えば妖相手、というのが画師の常だ。
大抵の画師が対人戦に向けて武芸の修練に励まないように、怜乱もまた対人戦の技術はそう高くない。
持ち前の視力と反射で攻撃を避け、あるいは着物の耐久性に物を言わせて近寄り、手足を砕く。
暴漢相手であればそれでも良いが、ただ振り回されているだけの一般人にそこまでの仕打ちを加える訳にもいかない。
六鹿からの願いや連雀の反応を見れば、涼清刀の破壊も選択肢から消すべきだろう。
少し考えて、怜乱は足を踏み出す。
* * *
(涼清、お願いだからやめてよ。ねぇ、今からでも遅くないよ、きっと話せばわかってもらえるから──)
殺意に燃える涼清刀に、連雀は必死で呼びかけていた。
引き離されるのを厭うなら、常道は排除ではなく説得であるはずだ。
涼清刀の交渉に画師が応じてくれないなら、自分が話をしてみてもいい。
そう考えている連雀には、涼清刀が画師の排除に躍起になる理由がわからなかった。
ただ、涼清刀との長いつきあいから、ようやく見つけた自分と引き離されたくないのだろうと思うばかりだ。
涼清刀に引きずられて重ねる凶行の記憶は、刀の手によってたびたび消されている。
それは良心の呵責に耐えきれない連雀のためではあった。
しかし、涼清刀の能力では、消した分の記憶の辻褄を合わせることができない。
消された記憶の空白を認識するたび、連雀の胸には漠然とした不安だけが湧き上がってくるのだった。
正体の見えない不安に、連雀の精神は自覚のないままに追い詰められていた。
だからこそ、名も知らぬ画師が目の前に現れたとき、とっさに縋ろうと思ったのだ。
連雀にとっては、画師も涼清刀のような『鬼』も、封妖譚の住人という意味で同じものだったから。
だというのに。
長椅子を押し除けながら近寄ってくるその画師の着物は、すでに半身が赤く染まっている。
人は失血で容易に死ぬと理解している連雀は、範囲を広げていく赤に危機感を募らせていた。
涼清刀から伝わる知覚で、彼が人の身でないことは理解している。が、それでも止血が必要なことに変わりはないはずだ。
(涼清、力づくなんておかしいよ、お願いやめて──)
しかし、どれだけ止めてと言い募っても、涼清刀は連雀の言葉に耳を貸そうとはしない。
それどころか、手を放すこともできない金属の柄から伝わってくる殺意は、言葉を重ねるたびに濃くなっていくようだった。
「──煩い、煩い黙れ黙れ!」
連雀の説得に我慢できなくなった涼清刀は、苛立ちに声を上げた。
己が主人は、画師の手元に返った『鬼』がどうなるか知らない。
調度品のように、古道具屋の店先に並ぶ訳ではないのだ。
『鬼』は金銀を始めとした希少金属を主として構成される。
その調達の困難さから、必要とされなくなった『鬼』は解体されて再利用される。
正常稼働している『鬼』なら修理してもらえることもあるだろう。
しかし、涼清刀とて自己の機能が万全でないことくらいは自覚している。
おまけに、創られた時代が時代だ。知識や腕がないという理由で、解体されない保証はないのだ。
故に。刀は解体されたくない一心で怜乱に殺意を向ける。
歩み寄ってくる画師に長椅子を蹴り込み、それを飛び上がって避けようとする体目がけて刃を突き込んだ。
* * *
怜乱の予想通り、涼清刀は胴体の中央を狙って刺突してきた。
構わずその手首に手を伸ばすが、相手の方が大柄だ。逆に伸ばした手を掴まれて強く引かれる。
引かれるままに流れた視界に、光の具合で刀に穿たれた銘が見えた。
涼清刀に与えられた銘は、万病万傷不余祓除──傷も病も余さず祓え。
旧い字体は、それが神代の作であることを示している。
銘とは『鬼』に与えられた使命であり、存在理由である。
大抵の『鬼』には二字から八字の銘が刻まれ、彼らの機能はそれに従って発揮される。
それは長ければ長いほど強い力を付与できるが、同時に調整は難しくなっていく。
なるほどと納得したのと、背中が長椅子に叩きつけられるのはほぼ同時。もんどり打って床に落下した怜乱の背を、すかさず涼清刀が追う。
かつんと金属音がしたのは、肋骨に当たった刃が滑ったためだ。
骨と骨の間に落ちた刀身は人の身なら致命傷だが、怜乱にとっては軽微な損傷に過ぎない。
上手く骨が刃を噛めば使用者の手から引き離せると考えて、刀身を巻き込むように身をひねる。
しかし刀も思惑に気付いたのだろう、骨に噛んだ刃が慌てたように引き抜かれる。
微かにがりっと音がしたのは、怜乱の骨からではなく刀を握る男の腕からだ。無理な角度で腕を引いたせいで、どこかを捻ったのだろう。
しかし涼清刀は使用者の負傷を意に介さない。それどころか頭の中で止めて止めてと繰り返す声をまるで無視して、転がり身を起こそうとする怜乱を追撃する。
「くそっ、ちょろちょろ逃げ回るんじゃない」
しかし、壁際に追い込まれない限りは、斬撃を躱すのは怜乱にとってそう難しいことではない。
苛立ちに毒づき、涼清刀は自身の柄を握り直させた。
* * *
涼清刀の人型は、人間の内部構造を模して創られている。心臓を破壊されたり首を切断されたりすれば、人と同じく死に至る。
故に、怜乱も同じような作りをしているという推測の元に攻撃を仕掛けていたのだが、どうやらそれは間違いのようだった。
腕を斬り付けたときにはわからなかった。
『鬼』は金銀銅に鉄、そして水銀を主体に創られている。
金は永続性、銀は機能、鉄は制作者の意図をそれぞれ保証し、水銀と銅が媒介と同調を担う。その割合は画師により異なるが、通常は鉄が大半を占める。
金銀を主体とする怜乱の構成は、どちらかというと妖を封じる紙のそれに近い。
だが、構成は異なるものの、肉と骨があるところは人体と変わらない。故に内部構造も大差ないだろうと考えて、心臓とその付け根の大きな血管を狙って刺したのだ。
しかし、予想に反して彼の身の内には何もなかった──いや、涼清刀の知識では理解できなかったといった方が正しいだろう。
身体を動かすための骨や肉は同じ構造をしているが、それ以外は涼清刀の知識にはない何かが詰まっている。
ならばとばかりに、涼清刀は首や胸よりも筋や関節に狙いを変えていた。
相手が人型を取るものならば、とにかく動けなくなるまで破壊してやればいい。
無理な動きをさせている連雀の身体はあちこちから酷い違和感を訴えていたが、そんなものは後で治せば良いのだ。
(涼清、涼清。やっぱり君はおかしいよ、画師様を殺してどうなるっていうんだ。お願いだからもうやめて。ね、ちゃんと話せば画師様だって分かってくれるはずだよ、一緒に謝って、悪いところを直してもらえるように交渉しよう?)
そんな涼清刀に、連雀は必死に声をかけ続けていた。
彼が自分の話に全く耳を貸さないことなどはわかっている。今までもそうだった。
だが、画師に出会えるなどという奇跡は、これが最初で最後かもしれないのだ。説得をやめるわけにはいかない。
「君は、使用者の躰を使い潰すつもりなのか。言ってることとやってることが矛盾しているのに気付いてる?」
「うるさい。お前さえここに来なければ、僕だってこんなことをせずに済んだんだ!」
黙れと声を上げかけたところに割り込んできた怜乱に怒声を返し、涼清刀はその刀身を振り上げた。
憎々しげな言葉とは裏腹に、男の目にはいっぱいに涙が溜まっている。
その涙を説得の失敗と見て取って、怜乱はわずかに首を振った。
「……何を誤解しているかは知らないけれど、聞く耳はなさそうだね。君の使用者が君を説得してくれればと思ったけれど、無理そうだな」
首を狙って打ち下ろされる刀の間合いから、一歩踏み込んで手を伸ばす。
目を見張る男の胸元を捕らえてぐいと強く引き寄せ、ふらついた足を払う。
悪意のある相手であればそのまま床に叩きつけるところだが、ただの使用者を痛めつける気はない。平衡を失って宙に浮いた躰を、胸元を軽く引きながら床に置く。
ただし、刀を振り回されては厄介だ。手を離しざまに鎖骨の上を撫でて折っておく。
怜乱は人の傷を治すすべを持たないが、涼清刀の銘から考えれば骨折くらいは治せるはずだ。
怪我は涼清刀を取り上げた後で治してやればいいし、万が一上手くいかなくても綺麗につながるように配慮はしてある。
「……これでもう、刀も振り回せないでしょ」
そう言って手を離す怜乱の脇腹に、涼清刀は最後のあがきで刀身を突き込んだ。




