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散画追集封妖譚 ~少年と狼の妖怪退治道中記~  作者: あまね つかさ
七/使命果たすに過ぎたる刃
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3/7 懊悩

 「(いや)だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ」


 卓子(つくえ)の上に突っ伏して、連雀(れんじゃく)はひたすらにその言葉を繰り返していた。

 医者らしく短く切りそろえた髪に両手を突っ込んで、頭を抱え込んでいる。


「御主人様、朝餉(あさごはん)はどうされますか? 特にご希望がなければいつもどおり香草粥にしますけど」


 厨房(ちゅうぼう)朝餉(あさげ)の支度をしている少年が、連雀に問いかけてくる。

 しかし彼には、好みを伝える余裕などなかった。

 というよりも、最近の彼には食事をしたいと言う基本的欲求すら残ってはいない。


 昨日の感触がまだこの手に残っている。


 それを思うだけで彼の背は冷水を浴びせられたように冷たくなる。

 胸の中には常に冷たい石か氷の固まりが詰まっているようで、腹の中には恐怖という名の冷たい沼があって、それだけで彼の体の中身は一杯なのだ。


 昨日の老人が死んでいないことは判っている。

 それどころか、息を吹き返し、すっかり健康になって己の時間に戻っていったはずだ。

 自分が病で倒れたことすら、彼は覚えていないだろう。


 頭で理解はしているが、それだけに彼は恐ろしかった。


 誰に咎められることなく、誰に気づかれることもない人体の破壊。

 それがいくら後で修復されると判っていても、皮膚を割り肉を裂き骨を砕き、本来人があるべき正常な形を破壊する──その行為は紛れもなく、人を殺めるに足る暴力である。

 刀身から伝わってくるのは断末魔じみた痙攣(けいれん)で、その後全ての生命活動が一旦停止している。

 いくら蘇生するとはいえ、それが殺人でなくて何だというのだ。


 呼吸と心臓の停止、瞳孔の拡散。

 それが、医者としての彼が知る、死の定義だ。

 三魂六魄(さんこんろっぱく)の全てが肉体から離散した状態を真の死とする見方もあるが、ただの人である彼は魂魄のありかを感知するなどできない。


 古来、命あるものは死をどうにかして回避したいと願ってきた。

 そのために一生を捧げた人間は数知れず、だからこそ、どんなものでも強制的に己の命を絶とうとするものには非難の視線を向ける。

 人であろうが畜生であろうが、それは同じだ。

 ──直接言葉を交わせる人間相手ならば尚のこと。


 なぜ自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。

 手術をするのが怖くて、血を見るのが厭で内科医になったというのに。


「……こんな事になるなら……」


 拾ってこなければ良かった。


 その言葉を辛うじて飲み込んで、連雀はぐしゃぐしゃに乱れた髪をさらに掻き(むし)った。


 過去、少年の()()が何人もの命を救ったことを、彼は忘れていなかった。

 少年に救われた人数の中には、自分と両親、故郷の町の人達も含まれている。

 それを覚えていながら少年の存在を否定することなど、できるわけがない。


 しかしそれでも、現状から逃げ出したいと思う気持ちは止められない。


 あまりにも力を込めて爪を立てるせいで、彼の手はすぐに血塗れになる。

 引き抜かれた髪がばらばらと辺りに散って、赤い雫が卓の上に点々と落ちる。


 自傷しても何も変わらない。そんなことはわかっている。

 内側から壊れていく己を何とか押しとどめようとして、結果外からも自己を破壊する矛盾に気づかないわけがない。

 それでも、冷たい炎に()かれるような焦燥から逃げ出すために、痛みで気を紛らわさずにはいられないのだ。


 かろうじて頭の隅に残った医者としての彼は、冷静に止めないとと告げている。

 それでも、内から湧き出す衝動は止められない。


 連雀は拳を卓に叩き付けた。

 卓が跳ね上がり、上に置いてあった食器のうちのいくつかが床に落ちて割れる。


 これは元に戻らない。

 後ろ向きな事実が、彼の胸の内に幾許(いくばく)かの安心をもたらしてくれる。


 その安心のためだけに、彼は残りの食器も床に叩き落としていった。落とすものがなくなると立ち上がり、手近にあった椅子でさらにそれを粉々に砕いていった。



 起居(いま)から聞こえてきた何かが割れる音に、火の加減を見ていた少年ははっと顔を上げた。


「──っは、あははははははは! これはもう戻らない、壊れたものはもう戻らないんだ、それが当然なんだだってぼくがこわしたんだからもうもとになんてもどらない、もどらないもどらないもどらないもどらないあはははははははは──!」


 重いものを床に叩きつける音と、悲鳴に近い主人の笑い声が聞こえてくる。


「…………っ」


 その声に少年は形の良い眉を寄せ、着物の胸元をぎゅっと握りしめた。


 分かっている。

 昨日の『治療』がまた、主人の心に邪気となってまとわりついているのだろう。


 主人の錯乱を止めないとと考えて、彼は急いで火を小さくする。

 本当はこの手間すら惜しいのだが、火事になっては大ごとだ。

 それに、ほんの僅かではあるものの、荒れる主人の姿を目にするのを遅らせることができる──そう考えてしまったのも事実だった。


 主人の狂乱は一度や二度ではない。

 最初はただ、辛そうに涙を流しているだけだった。

 しかし、少年が『治療』を繰り返すうち、いつの間にかこうなってしまったのだ。


 ──僕は、御主人様に使っていただきたいだけなのに。


 辛そうな主人を見るのは胸が痛い。

 それでも、主人に使われ、己の機能を十全に発揮することこそが、彼の存在理由だった。


 彼の名は涼清刀(りょうせいとう)、人と刀の二形を取る『()』だ。

 その刀身には万病万傷不余祓除まんびょうばんしょうふよふつじょ()が刻まれ、全ての傷と病を(はら)えと彼に命じている。

 瀕死の病人を見つけて、どうして見殺しになどできようか。


 だがそれは、主人を荒れさせる原因になっている。

 ──その事実から、刀はそっと目をそらす。



 自分が何を喚いているのか、連雀(れんじゃく)にはわからなかった。

 ただ衝動のまま浅い呼吸を繰り返し、笑いながら椅子を床に叩きつける。


「──っはははははは、は、はぁ……っ、く」


 しかしそんな狂乱も長くは持たない。

 いい加減息が続かなくなって、彼はその場に膝をついた。


 こうして暴れても何も解決しないことは、彼もよく分かっていた。

 ただ、分かってはいても止められないのだ。


 膝に陶器の破片が食い込むことも気にせず、連雀はぼんやりと床を見つめる。

 年季の入った床には、真新しいものから古いものまで、大小様々な傷が刻まれていた。

 小さな傷は生活していれば刻まれていくものだ。

 しかし、何かをぶつけたようなこの傷は──


「……あれ……?」


 彼はちりりと痛みの走った頭を押さえる。


 あまり覚えていないが、前にもこうして暴れたおぼろげな記憶がある。

 その時は──どうなったんだろう。

 そういえば、何も覚えていない、ような、……


 連雀がある事実に思い当たって、身を強張らせた時だった。


「御主人様、落ち着いてください」


 厨房から駆けつけてきた少年が、連雀の腕を握る。

 その感触に、彼は怯えた声を上げて手を振り払おうとした。


「──()だ、離して──」

「だめです、怪我をなさってしまいます」


 しかし、その手を軽く握るだけで、少年は連雀の動きを封じ込めてしまう。

 神経の伝達に制限を掛けられた連雀は、それを悟ってがっくりと肩を落とした。


「──ぼくのことなんて、放っておいてよ」


 力なく呟き首を振る主人に、少年は悲しげに眉を寄せた。


「そんなこと、できる訳ありませんよ」


 落ち着かせようと声を掛けながら、少年は彼を椅子に深く掛けさせる。

 そして血塗れの彼の頭を抱え込み、傷の上を優しく撫でた。


「そんなに暴れられてはいけません、ほら、血が出てるじゃないですか」

涼清(りょうせい)……ぼくはもう厭なんだ。あんな……治療じゃなくて破壊は、もう厭だよ」


 滅茶苦茶になった部屋を一瞥し、連雀は力なく少年の胸に額を預けた。

 消え入りそうな声を絞り出して目を閉じる。


 ぽたぽたと涙を流す主人の背中をさすりながら、少年は辛そうに眉を寄せた。

 彼の手からは、淡い光が漏れていた。

 淡い緑とも紫ともつかないその光は、触れた場所の傷をゆっくりと癒していく。



 治療を施された連雀は、憑き物の落ちたような表情でふらふらと部屋を出ていった。

 少年はそんな主人の後ろ姿を見送り、惨憺(さんたん)たる有様の起居(いま)を片付け始める。



             *  *  *



 呆然としたまま寝室に辿り着いて、連雀ははてと首を傾げた。


 何でこんな(ところ)にいるんだろう?

 今日は別に、休みの日でも何でもないのに。

 朝ごはん、食べたっけ?


 さっぱり訳が判らないまま、連雀は考えるのを止めた。

 なぜだかとても疲れている。


 診療は午後からだ。多少眠っても問題ないだろう。

 そう考えて、彼は寝台に倒れ込んだ。


 眠りの闇は、死の誘惑に似て甘かった。


 

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