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5/5 称碧

 湖岸には何十もの人魚が集まっていた。


 色とりどりの髪と鱗を持った、いずれも若い女の姿をした生物だ。

 誰もが皆整った美しい顔の造作をしていたが、その表情は皆一様で、本当に別の個体なのかどうかを思わず疑いたくなるほど均質なものだった。


 彼女らは水面から首だけを出してゆらゆらと尾鰭(おひれ)を踊らせながら、岸に集まった人間たちを見ていた。


 水際まで歩いた怜乱(れいらん)が手招きすると、称碧(しょうへき)を捕らえた水槽が滑るように彼の隣まで移動する。

 村人たちはなんとなく引きずられるように、その後に続いた。


 人の移動が終わったと見るや、人魚たちは一斉に口を開いた。

 恐ろしいまでに一律な調子の、さまざまな声。

 すべての声は違う音で同じ言葉を綴っていた。


刻称碧(こくしょうへき)。如何なる理由があろうと契約は絶対。何故背いた。何故人の世界に危害を与える。その行動は万死に値すると知ってのことであろうな』


 その声には口調というものが存在しない。

 女の声にある柔らかさと甘さのある響きはそのままに、冷たく感情の籠らない単調な音。

 相反する二つのものが入り交じったその声は、ひどく神経を逆撫でする。


 怜乱の声も似たようなものだったが、大勢の声がぴたりと重なり響くのはまた別の不気味さがあった。

 村人たちは冷たい唾を飲んだ。


 仲間の視線に射抜かれながら、称碧は青ざめた顔で反論する。


「我らが不干渉の契約を履行しても、人はそんなものがあったことすら忘れ果てて久しいではないか。

 運悪く網に掛かって死んだというなら諦めもつこう。針に食いつけばそれはその者の失態かも知れぬ。

 だが、罠を仕掛け毒を流し、我らの子を狩ったのはあちらが先ではないか。

 人は我らの子を食い荒らし、我らの子は為す術もなく人に殺されていくというのに、形すらなくなった契約を守らねばならぬ理不尽がどこにある。

 子を見捨てての親に何の意味があるというのだ!」


『我らには寿命などあって無きようなものだ。子が殺されたのなら、また産めばよい。一人の子を思い続ける事こそ何の意味もなかろう。人を狩り目玉を喰ろうたのは、もしやつまらぬ復讐のつもりか?』


 称碧の感情的な罵声にも、人魚たちの表情は変わらない。

 まるで作り物のように、淡々と称碧に問い続ける。


「何故、子のための復讐が理解できないというのか! 

 地を這う獣でさえ、子を守ろうとするではないか。稀薄の海(そら)泳ぐ(とぶ)鳥でさえ、子が死ねば嘆くではないか」

『子など守る必要がどこにある。我らの一生は長く、その生の中で産んだ子が一人か二人残れば、それで総体は保たれる』

「──!」


 それは知性のある生物の声とは思えなかった。

 称碧は怒りに任せ激しく水面に尾を打ち付けていたが、彼女の方がよほど理解の範疇にある。


『それに、新たな揺籠(ゆりかご)はもう見つけた。なんの問題がある。

 貴様には我らの一たる資格などない。

 ──「封妖画師」殿』


 人魚たちは、一斉に怜乱に視線を向けた。

 何の表情も浮かべることのない、ただ美しく整っただけの顔。

 ある意味それは人形じみた少年と似通っている。


 知ってか知らずか、少年は彼女らを感心したように眺め回した。


「……怜乱でいい」

『そうか。では、怜乱殿。あれの言い分は聞いてやったが、どうも変質は致命的なようだ。すまぬが、そちらで処分してはくれまいか』


 処分。

 人魚の言葉に、称碧はばしばしと水面を打っていた尾鰭(おひれ)の動きをぴたりと止めた。


「そちらがそれで構わないのなら。総体が欠けても困りはしないのかい」

『枠から外れたものは、既に総体に帰することは不可能だ。我らの心を汚すものは、我らに必要ない』

「……そうかい、なら遠慮なく引き取ろう」


 声が遠い。


 まなじりから血が出そうなほどに目を見開いた蒼白な顔で、称碧はそのやりとりを見つめていた。

 そんな称碧を見捨て、人魚たちは水中深くへと身を翻す。


 身に覚えのある村人たちは、そんなやり取りをただ青くなって見つめるしかなかった。



             *  *  *



「さて」


 怜乱は、呆然としている村人たちに声をかけた。


「この人魚、どうするつもりだい」


 気の抜けたような顔をしている村人の一人が、ぽつりと呟いた。


「どうするって言われてもなあ……あんなもの見せられちゃ」


 うんうんと、群衆は一斉に頷いた。


 水槽の中の称碧は、放心したように浮いていた。

 威勢のよかった瞳は光を弱め、ただ虚空を映している。


 いくら反感を抱いていたとはいえ、仲間にこうもあっさりと捨てられた事が衝撃だったのだろう──それが、いくら予想できた末路であったとしても。


 老狼(らおろう)は人魚が憐れになり、水槽を覗き込んだ。

 澱んだ紫色の視線と、琥珀色の視線がぶつかる。

 称碧は静かに視線を反らせた。


「……笑いたくば笑え。こうなる事は納得済だった。

 ……だが……何故だろうな。ひどく疲れた」


 称碧は裸の胸に手を当てる。

 感情のない同胞に囲まれて育ったため、称碧は感情を形容する言葉を知らないのだ。


 しかしたぶん、この場にいる誰よりも彼女の感情は強い。

 子を守りたいという親の衝動は、何もないところから感情を生み出す程に強かったのだろう。


 老狼は何も言えなかった。



 怜乱は村人相手に話していた。


「本当にいいの? 君たちを苦しめた人魚(あいて)なんだよ、本当にいいんだね」

「いや、わしらはもうあれを商うのを止めて久しいのです。村のものも不老長生なんて求めちゃおりませんし、ようやく客であった者たちもそれを忘れてきたところです。

 ──生活のためとはいえ、儂らも先祖もやりすぎました。画師様の采配にまかせます」

「そう。後でやっぱりなぶり殺しにしたかったとか売り物にするから肉よこせだとか文句言っても、聞き入れないよ。判ったね」


 怜乱は念を押すと、今度は称碧に向いて問いかける。


「称碧。君は何を望む? 孤独な生か、逃避の死か、それとも僕に封じられるか」


 称碧は震えた声で答えた。


「……殺さないでくれるだろうか。人魚は、死んでもまた同じ処に戻っていく。もう一度あの輪には戻りたくない。

 これも逃避かもしれないが……封印を望む」

「そう、判った」


 怜乱はすいと筆を抜くと、銀色の紙に人魚の絵を描き出す。



 色のない絵姿に色が宿る。



             ──────【六/潮に訪なう復讐者・了】

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