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2/5 来訪者

 そろそろ日も落ちかけてきた。


 風は凪いでいる。

 ねっとりと(よど)んだ濃い潮の臭いに混じって、魚の臭いがする。

 湖岸には小さな船が並んでいるが、そこに人影はない。

 尻尾の曲がった野良猫が、脚を引きずりながらとぼとぼと(へい)を伝っていった。


 湖岸と森の間に無理矢理割って入ったような家々からも、人の気配は感じられない。

 そろそろ夕飯時の筈だが、その様子すら外から(うかが)い知ることはできなかった。

 村はただ、しんと静まりかえっている。


 お世辞にも明るいとは言い難い雰囲気のその日暮れ。

 村から唯一外へと続く通りの真ん中で、炎の模様をした上袍(うわぎ)を着た男が立ち止まった。

 獣を思わせる琥珀色の瞳でゆっくりとした動作で辺りを見回し、呟く。


「人がいねえな」


 隣を歩く小柄な少年も、同じように首をめぐらせる。


疫病(えきびょう)だって聞いたけど死臭もしないし、(あやかし)の気配もない。

 ……妙なものでも出たかな、やっぱり」

「やっぱり?」


 少年の言葉に、背の高い男は束ねた髪をふさんと振った。

 その物音に、少年は高い位置にある男の顔を見上げて目を眇める。


「廃村じゃないのは判るでしょ。漁村だっていっても近隣に村はないから、交易もできない。なら、そんなに朝早く起きる理由もないと思うんだ。第一、まだ陽が落ちてない」

「確かに、まだ誰かしら外に出ていてもおかしくはないよな」


 背の高い男は足を進めながらゆっくりと辺りを見回している。


「……どうも、耳がよく聞こえんと落ち着かんなぁ」

「そんなこと言ったって仕方ないじゃない」


 耳の後ろを軽く揉みながら不満を漏らす男に、少年はほら、とある建物を指す。

 白い指先が示す建物の上には、足元に雲をまとい駆け遊ぶ白黒の狼の像がある。

 赤く塗られた柱に掛けられた扁額(へんがく)には、()せた金色で大神(びょう)の文字。


 それを見た男は眉間に皺を寄せた。

 またしても、長い髪が背中でばたばたと音を出す。


「面倒臭ぇなぁ……」

「さっきも言ったけど、老狼(らおろう)がいつもの格好をしていたらきっと、もっと面倒なことになると思うよ」

「だよなぁ」


 少年の指摘にがりがりと首の後ろを掻きむしって、男は溜息をついた。

 ありとあらゆる神を祀る廟が存在する中、わざわざ狼の神を祀る大神廟を選んでいるのだ。この村の住人たちが、多かれ少なかれ狼に対する信仰心を抱いていることは間違いない。


 老狼の名が示すとおり、彼の正体は巨大な狼の(あやかし)である。


 今は少年に言われて人間の男性の姿を取っているが、普段の彼は二足歩行の狼といったいでたちを好んでいた。

 原型かそれに近い形態を取ることを嫌う妖の中では、珍しい部類と言える。


 年(わか)い妖の中には、人型を保つだけの妖力がなく半人半獣の姿を取るものもある。

 しかしそれは、妖力が満ちるまでの一時的なものであることがほとんどだ。

 己の属性や本性、即ち弱点をさらけ出すことを避けるために、妖達は相当の苦労をして人型を保つ術を会得するのだ。


 狼は数少ない例外であったが、それは何か予定外のことがあっても単身での対処が可能だからだ。

 しかし、同行者である怜乱(れいらん)がいるとそうもいかない。


 村の人間たちに画師とその同行者という体で話を聞くため、彼は止むを得ず人の姿を取っていた。


 不機嫌そうに首の後ろを揉んでいた老狼が、不意に琥珀色の目を眇める。

 怜乱の隣をふいと離れると、すぐ側の胡同(ろじ)へと(すべ)り込んだ。


「旅人が珍しいか」

「ひっ!」


 急に声をかけられて、物陰から様子を窺っていた女は尻餅をついた。

 かすかに震えながら、急に現れた大男を見上げる。


「何を怯えているの」


 怜乱はなるべく女を驚かせないようにゆっくりと近寄って膝を折り、穏やかな声で話しかけた。


「僕たちはただ宿を取りに来ただけなんだ、何もしないから落ち着いて」


 同じ位置から声を掛けられて、女はちらりと怜乱に視線を向けた。

 小柄な少年に幾分安堵したような表情を作るが、すぐさまその瞳にはおびえの色が走る。


 葬色とされている白い色に包まれたその姿は、いくら非力そうな少年の形を取ってるといえども不吉なものに見える。

 そう、まるで冥府(めいふ)の使いのようだ。


「何もしないから」


 恐怖に強張る女に向かって、怜乱は静かに繰り返した。


「……本当?」

「本当だよ。だから小姐(おねえさん)、落ち着いて。何をそんなに怯えているの? 僕にできることなら協力するよ」


 しかし、女は言葉半ばで激しく首を振った。


「旅の人にどうこうできる問題じゃないわ。もうだめなのよ!  夜な夜な人がいなくなって、もう外にも出られない! この村は破滅するしかないの!」

「あ、ちょっと」


 泣きながら逃げていく女を引き止めようと、怜乱は足を踏み出しかけた。


「止めておけ」


 その襟首(えりくび)を、老狼が掴む。


「だってさ、」

「あんなのは止めたって無駄だぜ。俺の経験から言うと、ああいうのを引き止めても、半狂乱になって引っ掻かれたり痴漢扱いされたりするのが関の山だ」


 ああ、そう、と、怜乱は気のない返事をした。


「と言うことは、少なくとも一回はそういう事態に(おちい)ったことがある訳だ」


 老狼は肩を竦めかけ、ふとどこからか吹いてきた風に首を傾げた。


「どうしたの」

「いや……どうも今、死臭がしたような気がしたんだが」


 じゃあ行ってみようか、と少年は少し下り気味の道を先に立って歩き出した。


「もう一本西側だぜ」

「ふうん」


 視線の先には、広い湖が広がっている。



             *  *  *



 湖岸には、大勢の村人が集まっていた。


 集まった村人の殆どは男で、青年から老爺まで様々な年齢層がある。ごく僅かに老婆も混じっていたが、それ以外に女の姿は見えなかった。おそらく家の中に籠もっているのだろう。


 人の輪の真ん中には、目玉を抜かれた水屍体が転がっていた。

 被害者は男らしい。ぺったりした胸には、雑な字で『碧』と刻まれている。

 ぱっくり開いた傷口からは、血の通わなくなった肉が見えた。


 もう何人目の犠牲者だったかすら分からない。

 五人から先は数えるのをやめた。

 次は誰の番だろう、人々の顔にはそんな言葉が書かれているようだ。


「ちょっと失礼」


 嫌な想像に押し潰されそうになった時丁度、よく通る少年の声が辺りに響いた。


 しんと静まり返った人の輪を掻き分け、一見して旅人と判る見たことのない二人連れが現れる。


 ああ、この村もついにお(しま)いか。

 そんな思いが、村人たちの心を一層重くした。

 疲れ切った顔にはやるせない困惑の色が浮かんでいる。


 村人たちの顔色には頓着せず、少年と背の高い男は遮られないのをいいことに屍体を検分している。

 少年の方が傷口に触れて、何かを取り上げ首を傾げた。


老狼(らおろう)、見て。人魚だ」

「人魚? 怜乱(れいらん)、ここは山中だぜ。あれは海に棲まう一族じゃないか。何を寝惚けた事言ってるんだ」

「知らない? この湖は海と繋がってるんだよ、川と底の方で。けど、おかしいな。彼女らは人と関わりを持つようなことはしないはずなんだけどな」


 見慣れぬ二人の会話は続く。

 村人たちの困惑は、時間と共に苛立ちへと変わっていった。


 とうとう、村人の一人が、口を開く。


「あんたたち……」


 少年は、それを予期していたように立ち上がり、くるりと振り返った。

 自分に集まる無数の視線を一通り見渡して、鷹揚(おうよう)に頷いて両手を広げ、髪飾りにしている筆を掌で示す。


「大丈夫。僕は『封妖画師(ふうようえし)』だ。心配しなくても口外はしないよ」


 言いながら、怜乱は視界の隅に、ちらりと光る物を発見する。


「老狼、悪いけどあれを取ってきてくれないかな」

「応よ」


 かなりの距離を軽々と跳躍し岩へと飛び移っていく男の姿に、村人たちは警戒の色を強める。

 そんな彼らへ、少年はさらに声を掛けた。


「疑ってるみたいだね。……それもしかたないか。封妖画師なんて、とっくの昔にいなくなっちゃったと思われてるからね。信じないならそれでもいいよ。

 でも、君たち、この状況を何とかしたいんだろう?」


 群衆は一斉に唾を飲んだ。


 封妖画師──それは、この大陸、『(えん)』に伝わる一種の伝説のようなものだ。

 人に敵なす妖を、人でありながら人ならざる能力を以て狩り、封じ、人を守る、最も仙人に近く、そして最も妖と人間に恐れられた者たち。


 しかし、彼らは強大な妖の減少と共に姿を潜め、今では世界中探しても両手の指で事足りるほどしか存在しないとすら言われている。


 炎の人間たちはその存在を信じながらも、彼らが自分たちの前に現れることはないだろうと考えている。

 もちろん、この村の人間達も同様だ。

 信じてはいても、既に頼るほど現実的な希望ではない。封妖画師は、既にそういう存在なのだ。


 それが──目の前にいる、のかもしれない。

 本当かどうかは別にして、この事態を解決してくれるなら例え詐欺師だって構わない。

 村人達は、多少の期待を込めて少年に質問した。


「どうやって?」

「それは当然、この筆を使って。

 君たちは何もしなくていい。邪魔をしないで、問題が解決するまでの宿を貸してくれればね。──あとは、ありったけのお酒を頂戴」


 少年の自信たっぷりの口上に、群衆はふらふらと頷いた。


 ──なんとなく騙されているような気もしないではなかったが。


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