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不眠症はつらいよ(後)

 「あうー、人の気も知らないで」


 烏円(うえん)はぬるい茶をすすりながら嘆いた。

 隣では狼が茶菓子をつつき、向かいでは少年が宿の亭主を相手に世間話をしている。

 宿の亭主は、方々から仕入れてきたらしい話を披露するのに忙しそうだ。


 誰も自分の話に耳を傾けてくれないのでは愚痴の垂れ甲斐がない。


 それでも烏円は一人ぶつくさ言っていたが、やがて諦めたらしく自分で茶を()れに行った。

 厨房(おだいどころ)借りますねー、というぼそぼそした声にも誰も反応しない。


 怜乱(れいらん)はそれに気付いていたが、相手をする価値もないと判断したのか知らぬふりを決めこんでいる。


「それにしても、この宿屋って活気がないよね。そんなに悪いところに建ってる訳でもないでしょ? むしろ立地条件は良い方なのに何で人が来ないの」


 何事もなかったかのように人の良さそうな顔をした亭主に話しかけると、彼は深い溜息を吐いた。


「それが、なんでも街道筋のちょっと向こうの街で疫病だがなんだかが出たらしくて。どうにも人が寄り付かなくなっちゃったんですよ。」

「あー、それはどうしようもないね。……ところで、どんな病だったかは聞いてる?」

「いや、それがよくわからなくて。とりあえずあっちに向かっちゃだめだって話で」

「うーん、僕らもそっちに向かうつもりだったんだけどなぁ」


 困ったように腕を組む少年に、亭主はそれならつてを辿って聞いてみましょうか、と申し出てくれる。


「助かるよ」

「じゃあ、その間に私のことも助けてくださいよ~」


 いつの間にか烏円が戻ってきていて、恨みがましげな声を上げて怜乱の肩口から顔を出す。

 怜乱はちらりと烏円を見やって、面倒そうに目を眇めた。


「えー、面倒くさい。老狼(らおろう)、ちょっとこの猫の頭どやしつけて昏倒させられない?」

「馬鹿、俺がやったらこいつなんか跡形もなく吹っ飛ぶぞ」

「ここで流血沙汰はちょっと……」


 狼のあきれたような声と亭主の嫌そうな声に、怜乱は肩をすくめた。


「はいはい。ならこの猫の世話頼むよ」


 厭そうに言って宿屋から足を踏み出しかけ、ふと気づいて楊枝の尻を眺めていた狼を引っ張って行った。



             *  *  *



 狼を引き連れて雑踏を歩きながら、怜乱はぶつぶつと文句を言っていた。


「だいたいさ、眠れないなんて贅沢(ぜーたく)なんだよ。眠れないなんて悩むなら、あいた時間で別のことをすればいいじゃないか。僕なんて睡眠時間欲しくたって妖につけ狙われるから日に半刻(※約一時間)寝られるか寝られないかってとこなのに。僕だって組成修復とか記憶整理のためにちょっとは睡眠をとらないとまずいんだからね?」


 だんだんと怒りの声が大きくなってくる。

 地団駄を踏むように一歩ずつの歩調に力が籠もってくる少年の姿を横目で眺めながら、狼はなるべく平静に相槌を打つ。


「そういや道中お前が寝てるとこって見た事ないよな、俺」


 その代わり、宿につけば夜寝て朝起きるいわゆる人並みの生活時間になるのだが、今回は少しばかり間が悪かった。

 すなわち、宿について間がなかったのだ。


「そうだよ、僕の平穏の時間を……あーもう、鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい!」


 軋む硝子のような視線で宿屋の方角を睨むと、怜乱は語気荒く狼に当たって一直線に薬店目指して歩き出した。


 ……ついでに逗留期間も長くない予定だったせいもあるのかもしれない。

 おまけに、なぜかあの猫は二人が泊まっている部屋に居座っているせいもあるだろう(老狼の足元に丸まっているので、怜乱に直接の被害はないはずなのだが)。

 宿屋の亭主が追い出すかと思ったのだが、どうやらあまり気にしていないらしい。

 もしかすると、猫だし金を払えるわけがないと思っているのかも知れないが(宿代は個室なら定額である)。


「睡眠時間が足りないと苛々(いらいら)するって本当だな」

「何か言った?」


 狼のぼやきに反応した怜乱がばっと振り向いてくる。

 触れたら凍傷にかかりそうな視線に両手を振って、狼は曖昧(あいまい)に誤魔化した。


「なんでもねえよ」

「じゃ、ぶつぶつ言ってないでさっさと歩く!」


 最近割と人間らしくなってきたよなぁ、なんて言ったらどれだけ爆発するかしれたもんじゃない。

 狼は少年の視界の上でこっそりと肩をすくめた。


 ……それでも、最初の頃に比べればだいぶ取っつきやすくなった。

 人形のように押し黙っていられるよりも、わいのわいのと文句を垂れているのを見る方がよほどいい。



             *  *  *



「ほらこれ!」


 餐卓(つくえ)に得体の知れない草を叩き付けて、帰ってきた怜乱は乱暴に腰を下ろした。


 烏円(うえん)はきょとんとした顔でそれを眺める。

 猫独特の仕草でおそるおそるにおいを嗅いで、草についていた細かい粉を思いっきり吸い込んだのかくしゃみを連発する。


「……ひあっ! ぐす、何ですかぁ? これ……あくしゅっ!」


 ひょっとしてくしゃみの薬、と訳の分からないことを言う烏円に、少年は冷水のような視線を浴びせた。


催眠(ねむり)草に決まってるじゃないか。一番きつい()を買ってきたから、適当に煎じて飲んでみなよ」

「ええっ! そんな、煎じ薬なんて苦くて飲めませんよぅ」


 瞳孔をまん丸にしてごねる烏円に、怜乱は気分を害したように目を細めた。

 元々大して高くなかった視線の温度が真冬の川くらいの温度に下がる。


 それに気付いた烏円はびくっと背中をひきつらせて、そろそろと後ずさった。


「だいたいさ、猫って鼠取りと寝るのが仕事みたいなものじゃないか。寝られないとかのたまわってるなら鼠でも捕りなよ」

「だーってぇ~、鼠とか変な病気持ってそうじゃないですか~。それに……」


 もじもじもじ。へちょんと情けなく耳を寝かせて、烏円は身をくねらせた。


「……それに?」


 さらに機嫌の悪くなった少年が、云って見ろ、と続きを促す。


「だって、苦いの、嫌いなんですもん。猫だけに猫舌ですしー。なんていうか、生理的に無理って言うかぁ?」


 聞いていた怜乱の視線の温度が、完全に氷点下に落ちた。

 白皙の眉間に珍しく皺が寄る。


「……あのね。

 薬は苦いからやだとか、熱いとだめだとか、匂いが気にいらないとか、君には努力が足りないんだよ、我慢も! 真剣味なんて欠片もないじゃないか。だいたい、なんで妖の君が僕に頼って来るんだよ。医者に行きなよ、医者に。まともな医者なら(あやかし)だってちゃんと診てくれるよ」


 怜乱の声はだんだんと(けん)を帯びてくる。


「そこまでは言ってません……」

「うるさい、黙って話を聞くんだ」


 ぼそぼそと反抗した烏円だったが、怜乱はぴしゃりとはねつけた。

 そんなやりとりを聞いていたのか、昼食の用意をしていた宿の亭主が厨房の奥から顔を出してくる。


「お客さん、苦くなければいいんですね」

「そうなんですよぅ! 甘いお薬なら大歓迎なんです~」


 烏円は我が意を得たりと子供のように頷いた。そんな烏円に怜乱が文句を言う。


「何それ。薬なんて苦いのが当たり前じゃない」

「だからイヤなんですよぉ……」

「あのねぇ」


 またしても説教を垂れようと口を開きかける少年を(なだ)めて、亭主は投げ出してあった薬草を手に取った。


「まあまあ、怜乱さんも押さえて。今お昼をお出ししますから。おなかがいっぱいになればどっちでも良くなりますよ」

「……食事はいらないからお酒もってきて」

「承知しました。

 烏円さんは暫くお待ちください……っと」


 懐かしいなぁと呟きながら、彼は奥に引っ込んでいった。



             *  *  *



 昼飯も終わり、怜乱他二匹がぼうっと過ごしていると、こつこつと扉を叩く音がした。


「烏円さん、いらっしゃいますか?」


 亭主の声がする。扉の隙間から漂ってくる匂いに、寝台にのびていた狼がひょいと頭を上げる。


「はぁ~い」


 烏円は嬉しそうに返事をすると、今にも倒れそうなようすで扉に駆け寄った。

 しかし、彼の歩みは牛の歩みよりも遅かった。

 この調子でさっきも階段を上っていたのだが、それを眺めるのに耐えかねた狼に首筋を掴まれて運ばれたのだ。


「猫じゃなくて蝸牛(かたつむり)じゃないか。一体どうやってここまで来たのさ」

「蝸牛だってもっと早いかもしれないぜ。まあ、俺はそこいらの子供よりでかい蝸牛なんて見たくはないがな」


 悪態をつく怜乱に、老狼(らおろう)もやれやれと尻尾を振り回す。

 そんな二人を後目に限界の早さで扉へと歩み寄って、烏円は嬉々とした顔で扉を開ける。


「はい、どうも。失礼しますよ」


 怪しげな液体の入った湯飲みを乗せた盆を片手に、やけににこにこしながら入ってくる亭主に怜乱は首を傾げてみせた。


「いやにうれしそうだね」

「久々に方薬(ほうやく)のまね事ができましたから。これでも、昔は医者を目指して頑張っていたんですよ」

「へぇ。そうなの。僕はてっきり、危ない薬(ねこいらず)でもでも盛ったのかと思ったよ。……その方が有り難いし」

「そんなことするわけないじゃありませんか。大分煮詰めてはありますけど、元は催眠草ですよ」


 さりげなく酷いことを言う怜乱にご冗談をと笑って、彼は烏円に湯飲みを差し出した。


「……本当~に、苦くないですよね」


 どろりとした液体を覗き込み、ちょっと臭いを嗅いでみて、烏円は警戒も露わに後ずさりする。


「……ったく、だから真剣味が足りないっていうんだ」

「苦くありませんよ。ね、怜乱さん」


 しばらく待ってみても烏円が手を出そうとしないのに(しび)れを切らしたのか、亭主は怜乱に同意を求めてきた。ちょっと味見してくださいよ、と水を向けてくる。


「どれどれ……」


 熱心に勧められて、怜乱は申し訳程度に(さじ)ですくってぺろりと舐めた。

 ほわりと口の中に広がる何とも言えない香りに、無意識のうちに目を細める。


「あ、おいしい。ちょっと幸せになれそうな味だね」

「そうでしょうそうでしょう! 秘伝の味付けですら」

「秘伝って、薬の……?」

「薬効と味を両立させるのは、結構技術が要るんですよ」


 半分あきれた様子の怜乱の後ろから、甘いものに目がない老狼がうらやましそうに眺めている。

 それに敏感に気づいた亭主は、狼にも湯飲みを差し出した。


「老狼さん、ちょっとだけ味見します?」

「お、味見させてくれるのか」

「ちょっとだけですよ」


 待ってましたとばかりに湯飲みを受け取って、狼は尻尾を振りながら口に運んだ。


「老狼さん、烏円さんの分がなくなっちゃうじゃないですか」


 返ってきたそれを覗き込んで目を丸くした亭主が抗議の声を上げたが、


「これはなかなか甘……ぐう」


 狼は感心した声を上げるなり、次の瞬間には幸せそうな顔で寝床に倒れ込み、大いびきをかき始めた。


「す、すごいききめですねぇ~」


 烏円が目を輝かせる。

 これなら効くかも、と寝()けた狼を除く皆が思った。

 が……世の中それほど甘くない。

 薬程度で何とかなるのなら、烏円の悩みはもっと早くに解決していたはずだ。

 要するに、狼にあれだけ効いた薬も、この猫には効かなかったという訳だ。



             *  *  *



 三日後。


 ようやく目を覚ました老狼は、階下にいるという書き置きを見つけてもそもそと食堂に向かった。

 もはや集会所と化している食堂の(すだれ)をくぐると、早速烏円の景気の悪い声がした。


「あああ、もう、老狼さんまで何充実した笑み、浮かべてるんですかぁ~」

「いや、昨日は良く眠れたと思ってな。いい夢も見たし」

「あぁあ、もう~」


 ほくほくと答えた狼に、目に涙を浮かべた烏円が恨みがましげに詰め寄ってくる。

 泣き言を言いながら老狼の襟元を持って揺さぶるが、身長が二尺以上も違うせいで、どちらかといえば烏円が取りついて揺られていると印象が強かった。

 狼はそんな事を気にするでもなく、満ち足りた顔で夢の余韻に浸っている。


「老狼は三日も眠ってたんだよ」


 横から怜乱が穏やかな調子で注釈を入れる。

 聞いたことのない声色に面食らって、狼は目を丸くして少年をまじまじと見つめた。


「おぉ?! 怜乱、お前さんいやに幸せそうじゃないか」

「ひどいんですよぉ。怜乱さんったら、『ちょっと昼寝する』とかいって半日もぐっすりだったじゃないですかぁ~」


 更に情けない声になった烏円は、狼に(から)むのを諦めて怜乱に矛先を向けた。


「いやぁ、まさか僕にまで効くとは思わなかったよ。いい夢もみたし。

 あんなにぐっすり眠れたのは何百年ぶりかなぁ」


 しかし見るからに幸せそうに上の空な怜乱もやはり、烏円を相手にしない。

 彼は長い昼寝を終えた後からずっとこんな具合だった。

 一体何の夢を見たんだ(そもそもおまえは百年も生きてない)と狼は突っ込みたくなったが、なんとなく聞いても答えてくれそうにないような気がしたのでやめておいた。


 というよりも、他人の事なんてどうでもいいような気がする。そんなものよりも、どこからともなく涌いてくる幸福感を味わう方がよっぽど大切というものだ。


「あああ、老狼さんまでぇ」


 取りつく島のなくなった烏円は絶望的な声を上げた。

 久しぶりににぎやかになった(といっても三人だけなのだが)食堂に、人の集まる気配を察知した亭主がやって来る。

 そしてひとり騒いでいる烏円に目を向けると、少し首を捻って問うてきた。


「あの、そう言えば気づいたんですけど……烏円さんって、ここに来てから一度でも外に出ました?」


 出ていない。


『やっぱり運動不足じゃないか!』


 言葉は違うが同じ意味の言葉が、烏円にあびせかけられた。

 かくて、狼の姿に戻った老狼に一日中追いかけ回される烏円。


 恐怖の一日を終えた後、心身ともに疲労困憊した烏円は一週間ほど眠り続けたのであった。


 めでたし、めでたし……?


         ──────【大華国頼事帖・その壱/不眠症はつらいよ・了】





   余談


 烏円はぐっすり眠った後元の姿に戻り、決して『妖』になる事はなかった。

 遠い生まれ故郷に帰るわけにもいかないので、何となく宿屋に居着いている。

 割合幸せに過ごしているようだが、何ともはや、人騒がせな猫であった。

◆次話案内◇

◆次話案内◇

 海とつながる湖には人魚が来た。

 人に似た姿の、決して相容れない生きものを獲っては売ったその事実は、忘れられて久しい。

 しかし、人魚は忘れない――人よりも長く生きる彼女は、決して。

 次回第6話、『海に訪なう復讐者』は全6回です。

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