君を探して三千里(上)
そろそろ秋も近いな、と、茶店の店先でそれぞれに少年と狼は考えていた。
少年は十代半ば。雪色をした頭髪と真っ白な装束、僅かに袖ぐりと襟周りに色が乗るものの、白い色を主体に固められたその姿は季節外れの積雪のようだ。
整った顔の造作をしているが、世捨て人のような雰囲気を纏っているためか、その存在感は思いの外薄い。
背筋をすっきりと伸ばし、特に何かするでもなく座っている少年は名を怜乱という。
少年の隣に座っている狼──とは言ってもただの狼ではなく狼の『妖』なのだが──は、人に似た形を取っている。
黒光りする毛皮で包まれた七尺を超える体躯を赤い長椅子の隅っこに置いて、長い手足をだらしなく投げ出し、長い尻尾をぱたりぱたりと動かしている。
着物に描かれた炎の意匠が、秋の日差しを受けて暇そうにゆらゆらと色を変えていた。
時折、白い少年との間に置いた皿から団子の串を取り上げては口に運んでいる彼は名を老狼という。
煮えたぎるような暑さも一段落し、これから寒い季節へと向かうのだ。
その前に一息ついて、腰を落ち着けてものを考えるのはなかなか乙なものだ。
二人はぼんやりと目の前を過ぎてゆく人混みを眺め、何となく物思いに耽っているような気分に浸っていた。
実際のところは二人とも何も考えてはいないのだが、なぜかしっかり雰囲気だけはそういうものを振りまいている。
時折、狼の隣に山と積まれた団子の皿に目を見張った通行人が、隣にいる怜乱の非常識な服装──この国では白は葬色とされているから、普段着にその色を使う人間はいないのだ──に首を傾げて通り過ぎる。
それでも彼らは視線を気に留める様子もなく、流れる人々をただ見ていた。
そんな二人の目の前を、唐突に一陣の風が駆け抜けていった。
「あれっ……?」
直後、少年が珍しく驚いたような声を上げ、慌てた様子で腰を上げかける。
「? どうした?」
名残惜しそうに餡のついた串を咥えながら、道行く人の靴の種類を数えていた狼は首を傾げた。
怜乱はそわそわと風の過ぎていった方向を見やりながら答える。
「……いや、あの匂いは護児じゃないかと思って」
「匂い? おまえは鼻も利くのか」
「いや、目はよく見えるけど鼻は十人並みだよ。
匂いっていうのは間違いかもしれないな。うん、雰囲気とか気配みたいなものだよ。
何にせよ、あれはやっぱり護児に間違いないと思うんだけどな……」
居心地が悪そうに言葉を濁す少年の様子に、狼は鼻面に皺を寄せた。
「おいおい、さっぱり訳が判らんのだが? 知り合いなんじゃないのか」
「えぇとね。護児って言うのは、昔知り合いだった狩人──利彪っていうんだけどね──が飼っていた犬の名前なんだ。主人も犬も互いにベタ惚れだったんだけど、さっきのは犬じゃ……」
なかった、まで言い切る前にそれはやってきた。
盛大な土煙を巻き上げて、一直線にこちらに駆けてくる。
「飛龍様────────────────────────ぁ!」
犬の遠吠えにも似た響きの声を上げて、それは二人の目の前で急停止した。
両手足を地面について座り込んだ相手を見て、老狼はぽかんと口を開ける。
「……何だこいつ……」
怜乱はしばらく彼のことをまじまじと見ていたが、やがてやっぱり、と嬉しそうな声を上げた。
先ほどまでの歯切れの悪い様子はどこへやら、相手の手を取って起こしながら親しげな言葉を掛ける。
「護児じゃないか、久しぶり。いつの間に転化の術を覚えたりんだい?
けど、走るのに両手をつくのは良くないな。みんなびっくりしてるよ」
「やっぱり飛龍様でしたか。えらく若くなられましたね!」
「まだ利彪を捜してるのかい」
「おれなんかの事覚えていて下さるなんて光栄です!」
「見つかったの?」
「そっちの方はどなたでしょう」
まったく話が噛み合っていない不自然な会話に怪訝な顔をしながらも、老狼は犬のにおいのする青年を眺め回した。
少年の言い回しを鑑みるに、犬の妖で間違いないのだろう。
身長はざっと五尺六分、黒目がちの、少し幼さは残るが青年と言っていい年齢だ。
利彪とかいう主人の真似だろうか、狩人の服を着てくたびれた弓矢を携えていた。弦がぼろぼろでろくに手入れもされていない様子を見ると、格好だけで使ったことはないのだろう。
髪は焦茶だが、前髪に一部分灰色の毛が混じっている。髪の間から黒い耳が覗いているのは変化が不完全なせいだ。
狼が一度だけ聞いた怜乱の前身となった画師の名前を連呼し、怜乱が犬だったと言っていたからには、その頃にはまだ妖ではなかったということだ。
人間はたかだか百年弱で死んでしまうし、妖混じりでもせいぜい五百年がいいところだから、そう歳を経た妖ではないということだろう。
むしろここまで言葉を操れて、人の形を取ることができることを誉めてやるべきだ。
「……へえ。じゃ、飛龍様は怜乱様に身をやつしたって訳ですね。前の方が格好よかったのになぁ」
「ははは、ちょっと違うんだけどなぁ……まぁ、そうもいかないんだよ、人間ってのは」
「で、飛龍様、何で若返っちゃったんですか?」
堂々巡りする青年の話に、怜乱は嫌な顔一つせずにまた同じような答えを返す。
その様子に、狼は眉を寄せた。
さっきから聞いていれば、話が全く進んでないじゃないか。
怜乱が青年の話を遮ったりしないというだけでも十分おかしな事といえばおかしな事ではあるのだが、そういう問題とはまた違う違和感を狼は感じていた。
──どこがおかしいかと言われれば、具体的にはなにも挙げられないのだが、妙に耳の後ろ辺りがむずむずするような気がする。
考え込んでいる間にも会話は続く。
「『封妖画師』ってのは変身もできるんですか? もう仙人様に近いじゃないですか、格好いいなぁ」
「仙人? 会った事もないのに知ったふうだね」
「あれれ、知らないんですか? 南の三斉洞には昆崙に通じる道があるんですよ。今度案内しましょうか。
俺、そこでこの格好にしてもらったんです。人の言葉も教えてもらったから、いつかお礼をしに行かないといけないなぁ」
「はは、まあ、そのうち自分で行くよ」
そもそも怜乱は笑ってばかりだ。
長く同行しているはずの自分が今まで数えるほどしか少年の笑い声など聞いたことがないのに、どう数えてもこの短時間でその数を超えているのではなかろうか。
あいつはそんなに笑うようなやつじゃなかったはずなんだが。
……さっき食った昼飯に何か変なものでも混じってたのか?
笑い茸とか。
もしかしてそれが違和感の正体なんじゃないのか?
会話の違和感ばかりを気にしていた狼は、少年がどこか暗い顔をしているのに気付かなかった。
* * *
半刻も待っただろうか。
いい加減堂々巡りな会話にも飽きたのか、怜乱は護児を食事に誘った。
その間に団子を十皿も平らげていた狼も、小言は言われたものの宿に帰れとも言われなかったのでなんとなくついていく。
店はもう昼時を過ぎて、そこここで店員が遅い昼食を摂っていた。
今ひとつやる気のない給仕に案内されて、彼らは店の端っこの席に陣取る。
「怜乱。同じ事ばかり十回も二十回も繰り返すなんて正気か?
その割にはちっとも話が進んでいないじゃないか」
狼が文句を言っても、少年はどこ吹く風でけろりとしている。ちょっと眉を上げて言い返してきた。
「そんなに言ってないよ。たった十二回なんて繰り返したうちに入らないでしょ」
当然のように言われて、老狼は額を押えた。
「何でお前はそんなに両極端なんだ。俺の時は一度聞き返しただけで面倒くさいとかちゃんと聞けとかぶつぶつ言ってやがったくせに」
「そんなこともあったかな。
ね、護児。何が食べたい?」
怜乱は不満顔の老狼を軽くいなして、さっさと青年に話を振ってしまう。
護児はそうですねえと首をひねり、逆さまに菜譜を眺めた。
「豚の丸焼きなんてどうですか?」
字までは読めないのだろう。
一覧にないものを提案する護児に、怜乱は首を横に振った。
「さすがに僕も若くないし、そういうのは無理かな。それに、そんなに食べる人がいないよ」
「あれ? 狼さんは食べないのです? たくさん食べると思ったんですけど」
どうやら彼なりに気を遣っていたらしい。
首をかしげる護児に、怜乱はあぁ、と眉をあげる。
「老狼は肉より甘いものの方が好きなんだよね。さっきも山ほど団子を食べてたのを見たでしょ」
今も甜譜を眺めている狼を示して、だからこっちは気にしないでと付け加える。
「そういえばたくさん食べてましたね」
納得顔の護児から菜譜を取り上げて、少年は中を解説してやる。
「肉がいいなら豚、牛、羊、馬、兎に鶏、鳩とそれから……珍しいな、雉もある」
「あ、じゃあ俺、雉がいいです。雉。懐かしいな〜」
目を輝かせて身を乗り出した青年が、ひこひこと黒い耳をぱたつかせる。
「そういえば利彪は雉射ちが上手かったものね。
ずいぶんおこぼれをもらったんじゃない?」
「はい! 脚とか頭とかよくもらいましたねぇ」
昔話に花を咲かせる二人を横目で見ながら、狼は怜乱も確かに人間だった頃があったのだなぁ、などと密かに感心していた。
普段あまりにも生物らしくない挙動が多いものだから忘れそうになるのだが、こうして知己がいたり昔話をする程度の過去はあるのだ。
そういえば、いつもに比べて妙に表情豊かな気がする。
普段からこれくらい喋ってくれたらもう少し旅路も楽しいんだが。
そんなことを考えながら、いつまでたっても給仕を呼ぶ気配がない二人に代わって、注文を済ませておいてやる。
もちろん、ついでに汁粉だの揚げ菓子だのを頼むことも忘れなかった。




