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4/4 正体

 「……さて。猿芝居はこの辺で終わりにしようか」


 怜乱はくるくると、何かを(から)め取るように指を回す。

 不可解に見える仕草を続けながら中空に声を掛けると、辺りの空気がざわざわと振動した。


「なんだ。解っていたのか」


 そこから聞こえてきたのは、多少響きが変わってはいるものの、(まぎ)れもなく星嶺の手によって分解されて跡形も残らなくなったはずの男の声だった。


「まぁね。後は君を封じるだけだ。彼女はもう悪いものにはならないだろうから」

「まさか。俺はこのまま逃げさせて貰うよ。まだまだ遊び足りないんでね」


 奇妙な模様の描かれた紙をぴしりと中空に向ける少年を、声は嘲笑(あざわら)った。


「……逃がすと思う?」

「……」


 声だけで笑った少年に返事はない。

 ただ気配だけがふっと密度を薄め、声が聞こえなくなった。

 元々実体がないものだから、それだけでもう相手がどこに行ったのか解らなくなってしまう。


 しかし、怜乱は相変わらずのんびりと指を回し続けていた。


 狼が隣にいたら、何をやっているんだと(あき)れた声を上げたかも知れない。

 少年が正直に答える訳もないが、質問をするはずの狼は遠くで星嶺につきっきりになっている。


 もう助かる見込みのない彼女を最期まで看取(みと)ってやるつもりなのだろう。

 星嶺の浅い息を関知して、怜乱は軽く溜息をつく。


 封じてやれなかったのは残念だ。

 ──とても、残念だった。


 今となっては仕方がないが、彼女は一時的に怒りに目が絡んでいただけだ。

 要素が悪いモノとして収束することはないだろう。


 考えるうち、回し続ける指に何かが引っかかる手応えを感じる。


 ()を巻き取りきったのだ。

 あとは簡単に捕まえられる。


 相手の抵抗が糸越しにびしびしと伝わってくるが、そんなものを気にするような少年ではない。

 淡々と、表情一つ変えず、逃げようとする獲物を一本調子で引き寄せる。


 彼が手繰り続けているのは、己の意識が続く限り切れることのない、意思で編まれた糸のようなものだ。

 最初にあれの胸を貫いた使鬼を通して糸を通し、その自己修復に依って縫い付けた。



 櫨渦(ろか)──一時的にせよそう呼ばれていた名前のないものは、引き寄せられていく一方の状況に慌てふためいていた。


 自分の()れ物になっていた(からだ)は、星嶺の攻撃で粉散した。

 画師に何か目印をつけられていたにせよ、その時点で全て消し飛んでいる。使っている躰がなくなれば、元の意識だけの存在に戻るはずだ──いや、今だって彼が(まと)っている物質などない。

 辛うじて彼として残っていた霧も、さっき言葉を発した時点で全て捨ててしまった。


 それなのに、この状況は何だ?


 意識を絡め取る手段は限られている。

 それも、相手と自分の存在としての根幹が同じでなければ触れることは不可能なはずだ。


 もしかして、自分の知らぬ間にその方法が編み出されたというのか?


 まさか。


 何とかして逃れようともがきながら、彼はありとあらゆる可能性を想定し、また否定していった。


 自分は元々名も実体もたない、敢えて名を付けるなら『指向性』とでも呼ぶべきものだ。

 人間の意識の根底に流れる『同じ方向性を持ったもの』が()り合わされて、偶然にも流れの中から切り離されて浮かび上がった存在が彼だった。

 人間はその存在に影響を受けることはあっても、それを知覚することはできないし、ましてや触れることなど何をかいわんやである。


 実際、過去に彼が相対(あいたい)し逃げおおせた何十もの画師たちは、誰もそんな方法を知らなかった。

 器がなくなれば、それ以上彼を認識することなど出来ないのだから。


 同じように過去、彼を(はら)い清めようとした何百もの道士たちも、彼に触れる方法を持たなかった。

 彼に触れるために必要な存在の基盤を持たないのだから。


 そもそも。彼のような存在はそう多くない。

 知覚すら出来ないことが普通なのだ。


 だから事実上、彼に触れる方法は存在しない。


 しかし、己の存在が引き寄せられていくのもまた事実だった。

 どうしてなのか判らない。


 ──そもそも彼自身、物質に触れる手段など持っていないのだ。

 人の躰や意識を乗っ取りはしても、実際にその物質や精神に触れているわけではない。

 ただ、何らかの原因で彼の指向性に汚染された人間は、彼に近い存在になる。


 彼はそれを体よく利用しているだけで、手段と呼べるようなものではない。

 そんな状態のもの(・・)が、いかにして逆の手段を考えることが出来ようか。


 どうしようもない事実に狼狽(ろうばい)する間に、白い少年の存在が間近に迫る。


 奇妙な模様の描かれた銀の紙を(かざ)す少年の動作が妙に恐ろしいものに感じられて、彼は苦し(まぎ)れに自分の欠片を少年に向けて撃ちつけた。


 画師が自分の存在に影響されることがあれば何とかなるかも知れない。

 そう考えてのことだったが、欠片を真正面から額に受けた瞬間、少年は何とも言えない微笑みを浮かべた。


 ──()えて例えるなら。

 世界全ての絶望を全て呑み込んで、それが極上の美酒であると勝ち誇ったような。

 お前程度の意識など、空を漂う埃よりもくだらないと見下すような。


 それを目にして、彼はどうしても自分が勝てないことを(さと)った。


 ──俺が実体のない化け物なら、画師(こいつ)はそれ以上の化け物だ。

 自分にはどうしても考えつかなかった答えを見出せる相手に、どうして勝つことが出来ようか。


「頼む、待ってくれ! どうしてお前は俺に触れられるんだ?!」


 相手には聞こえないはずのその問いに、少年は誇らしげにこう答えた。


「──形なき概念(モノ)に形を与えるのも、画師(ぼくら)の仕事の一つだからね」


 その言葉を理解しないうちに、彼はその存在を封じられた。



             *  *  *


 

 「星嶺の絵(これ)、どうしよう」


 怜乱は宙に浮いた星嶺の絵を(もてあそ)びながらぼやいた。


「愛すべき人もいなくなったし倒すべき相手もいなくなった。私は馬鹿だったわ人によって殺された櫨渦(あのひと)が生き返ったと思ったなんて」


 唐突に、老狼が口を開く。

 所在なげに紙切れを(かざ)していた怜乱は、それが妙に高くて死んだ彼女の声に似ていたので、背筋をびくりとさせて狼のこと見上げた。


「ら……老狼?」

「? どうした。妙な顔して……」


 怜乱の視線に気付いた狼が不思議そうに問う。


 どうやら狼は自分の口走ったことを知らないようだ。

 錯覚かなと考え直した少年は何でもないよと微笑み、鹿の精の絵姿を銀の箱に大切そうに仕舞った。



                    ──────【五/星を射落す闇の檻・了】

◆次話案内◇

 目の前を駆け去って行った一陣の風に、少年は古い知己の気配を感じて腰を上げた。

 そこへ土煙を上げて引き返してきたのは、どことなく犬に似た青年。

 彼との再会を喜び、しばらく一緒に旅をしようと申し出る怜乱。

 そんな怜乱の行動に、狼は何とも言えない違和感を感じるのだった──次回、『樹下鬼譚──きのしたのきのはなし──穣賜・君を探して三千里』。上中下の3回です。

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