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3/4 破砕

 悲鳴を上げて暴れる星嶺(しんりん)を、狼は内心冷や冷やしながら押さえつけていた。

 彼の銀色に輝く牙も、鋭い黒色に輝く爪も、獲物を狩るためのものではないのだ。


「放せ! 邪魔立てするならお前も殺してやる!」


 どふ、という鈍い音を立てて衝撃波が(からだ)にぶつけられるが、その程度で怯む狼ではない。

 太い四肢は女の手足を押さえつけたまま微動だにしない。

 柔らかな肌に浅く食い込む爪に、星嶺のほうが僅かにたじろぎ息を呑んだ。


「すまんが、少しばかり静かにしてくれないか。俺はお前さんの血なんざ見たくないんでね」


 鼻先を近づけて脅すと、彼女は元が草食動物だとは思えないほどの殺気のこもった、それでいて焦点の合わない目で睨み付けてきた。


 じりじりとにらみ合いをしているうちに、白い狼の一頭に乗った怜乱(れいらん)が到着する。

 足場のない滝の中程にふわりと白銀の(きざはし)を浮かせて、その上をゆっくりと歩いてくる。


 雪のような地面は白い狼が歩を進める半歩前にせり出していき、星嶺が押さえつけられている岩場まで到達すると、それを取り巻いてちょっとした足場を作った。


 狼の背から(すべ)り降りた少年は、星嶺の隣に膝をつく。

 濁った瞳の奥に灯った怒りの炎など見ようともせず、感情のこもらない口調で淡々と告げる。


「君に二つの選択肢を与えよう。おとなしく封妖(ふうじ)られるか、画師(えし)狩りを止めて山の主へと戻るか。二つに一つだ」


 怜乱がこんなことを言うのは珍しい。

 大抵は問答無用で封じてしまうのに、今日は一体どういった風の吹き回しだと狼は首を傾げた。


 しかし星嶺にとっては、彼が憎むべき画師であること以外に重要なことなど何一つない。

 じたばたと暴れて狼の拘束(こうそく)をふりほどこうとする。


「だから、もう諦めろって」

(いや)だ、私はエシを狩るんだ、放せこの獣!」


 哀れみの混じった声で忠告する狼の言葉に耳も貸さない女を見て、少年はため息をついた。

 懐から銀の紙を取り出し、ぴしりと星嶺の姿を写し取る。


「説得の余地は無いみたいだね。──紙の牢の中で長き時を過ごすがいい」


「その必要はない」


 怜乱の筆が紙を離れたその時だった。

 低い男の声と共に飛来した(つぶて)が、少年の次の行動を(さえぎ)った。


 鈍い血の色をした弾丸が、星嶺の腹へと食い込んだのだ。

 びしゃりと鈍い音がして、女の腹が弾ける。


 予想外の方向からの攻撃に、狼は驚きながらも拘束を解き星嶺を背に(かば)った。

 怜乱も反射的に振り向き、まだいくつか上空を舞っていた使鬼(しき)を攻撃の主に打ち落とす。

 人の体を(つらぬ)いたとは思えないほどに軽い、それでも僅かに鈍い音が続けざまに響いた。


「……()……()?」


 星嶺は石榴(ざくろ)のように弾けた腹を押さえようともせず、呆然と男の名を呼んだ。


 そんな彼女を歯牙にもかけず、白い階へと打ち落とされた男はくつくつと笑った。

 笑いながら、背中に(くちばし)を突き立てる使鬼を(つか)んでは抜いて捨てる。

 深く刺さった二三の使鬼に至っては、そんなものは初めからなかったような顔をしてゆっくりと身を起こした。

 ぶしぶしと(いや)な音がして肉が()けるが、男は痛そうな顔一つしない。


 投げ捨てられた使鬼に目をやった怜乱は軽く眉を上げる。

 転がる使鬼の白い表面には、血はおろか肉片すらついていない。


 櫨渦(ろか)は軽く躰を揺すって裾をはたくと、面倒くさそうに星嶺を見た。


「──()ってぇなぁ。

 おいおい、何を寝ぼけたこと云ってるんだ? 櫨渦なんて男はとっくの昔に死んだじゃないか。

 忘れたのか? お前の良人(だんな)はお前の目の前で八つ裂きにされたんだろ?

 面白かったよなぁ、あの時は。俺は笑いが止まらなかったよ。絶望とか憎しみとか怒りとか諦めとか、ありとあらゆる負の感情を浮かべるお前は本当、たまらなかったぜ?

 それとも、そんなことも忘れたのか。やはり愚かだな動物は」


 穴の開いた場所を軽く叩きながら、男は口を歪める。


「嘘……。私を、私を(だま)したのね!」

「おいおい、自分の勘違いを人の所為(せい)にするなよ。俺は一言だって、俺がお前の伴侶だなんて口にしちゃいないぜ?

 ま、確かに、これはあの男の抜け殻だけどな。案外使いやすくて気に入ってたのに、そこの坊ちゃんが穴だらけにしちまいやがった。

 死にたてならともかく、こうも古くちゃ直して使うのもちょっとな、ってやつだ」

「そんな──」


 星嶺の濁った瞳に絶望の色が浮かぶ。

 だがそれも束の間のこと、男の言葉が脳裏に浸透するにつれ、次第に強い怒りの色がそれを塗り替えていく。


 裏切られたという悲しみと、騙されたという強い怒りに突き動かされて、星嶺はよろよろと立ち上がった。


()せ、動くんじゃない。いくら(あやかし)とはいえ死んでしまうぞ」


 横から狼が引き留めようとするが、星嶺はそれを振り払う。

 命など厭わないと鬼気迫る表情に、狼の手が一瞬止まった。


 腹から流れ出した血はあっという間に彼女の足先までを真っ赤に染め上げ、足下に大きな血溜()まりを作っていく。


 ──信じていたのに。

 あの人が私を迎えに来てくれたんだって。

 いや、そんなことがあるはずがないことは最初から(わか)っていた。

 それでも、私の名前を呼んでくれる人がまだ居たことが、それだけでも嬉しかったのに。


 なのに。なのになのになのに。それが仇敵だったなんて。私の。良人(おっと)と子供を殺した。善良な人々を(あお)って殺させた。張本人だなんて。


 いくら目が見えなくなったからといって、いくら長い間洞窟に縫い止められていたからといって、憎いあれのことまで解らなくなっていたなんて、許せない。あれが、あの存在自体が許せない。


 許せない許せない許せない許せない──────!


「星嶺、やめろ!」


 星嶺の掌に力が圧縮されていく。

 それに気付いた狼が後ろから慌てた様子で叫ぶが、彼女はもう生きることなどどうでもよくなっていた。


 腹の中は既にぐちゃぐちゃだ。

 あの狼だってそれが判らないことはないはずだ。

 何せあれは肉を食らう生き物なのだから、相手の弱り具合など一目瞭然に違いない。


 だが元々の気質が優しいのだろう。

 傷がそう深くなければ、きっとあの身に纏う炎気(えんき)で私の傷を焼くつもりだったのだろう。

 でもそんなモノはもう無駄だ。


 視界が赤を通り越してだんだんと暗くなっていく。

 死ぬ時ってもっと痛かったり苦しかったりするものだと思っていたけれど──そんなことよりも何よりも、あの許せない相手を粉々にしてやりたい。


 頭の片隅に浮かんでは消える、冷静さと激情の入り交じった思考を持て余しながら、星嶺は必死に敵の気配を探る。


 しかし、血の抜けきろうとしている耳も頭も、彼女の言うことを聞いてはくれない。

 集中しようとすればするほど、全てがあやふやになっていく。


「──畜生」


 噛みしめた歯の間から、星嶺は呻くように罵声を上げる。


「畜生、畜生畜生畜生──!!」


 吼えるように叫んでも、その声すら遙かに遠い。


「──こっちだ」


 そんな中で、少年の細い声だけが妙に鮮明に聞こえた。


「おい、怜乱(れいらん)


 戸惑う狼の声がする。

 どこからともなくやってきた冷たい手がぐいと星嶺の腕を握り、どこか一点を()される。


 なぜだか、彼女にはそれが仇敵(てき)の居る方向だと、妙にはっきりと理解できた。

 方向も距離も、何も云われないのに理解できる。


「こっちだ。もう君は間に合わないから、好きなだけ力を使うといい」


 澄んだ声が重ねて告げる。

 何の抑揚もない、とてつもなく情緒に欠ける声だったが、それはとても優しく感じられた。


「ありがとう、優しいのね」

「僕もあいつと一緒だよ。目的のために君を利用しようとしているだけ」


 思った通りのことを口に出すと、声は淡々とそう返してきた。

 星嶺は笑う。


「そう。でも、あなたは優しいと思うわ」


 それだけ伝えて、命を削った音の波を放った。


 人の可聴域を遙かに越えた振動が櫨渦を襲う。

 強烈な振動の余波に周りの木々や土までが分解され、粉塵が辺り一面に立ちこめる。


 彼女が足場としていた岩も粉塵と化したが、開いた穴は速やかに白い紙が埋めた。


 最初の一撃で音もなく櫨渦の躰は塵にまで分解されたが、それが認識できない星嶺は何度も音を叩きつけ、音圧が辺りの(ほこり)をあらかた吹き飛ばした頃になってようやく攻撃を止めた。



             *  *  *



 

 男の姿が完全に分解されたのを視認して、怜乱は血の気をすっかり失って息も絶え絶えな星嶺にそれを伝えてやった。

 そして狼に彼女を抱き渡し伝令板を取り上げると、それを懐に仕舞い込みながらその場から離れていった。


「怜乱」


 咎めるような狼の声を、はたはたと手を振って(さえぎ)る。


 複雑な顔をして見送る老狼(らおろう)の目には、少年の手に握られた銀の紙が映る。

 描かれているのは、水の上に流した墨を写し取ったような奇妙な模様と、その裏に描かれた無数の線だ。


 見ようによっては何かの呪符のようにも見えるそれの意味を掴みかねて、狼は首を傾げた。


 

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