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2/4 殺到

 人には聞こえ得ぬ振動が、深き山中を駆け抜けた。


 鬱蒼(うっそう)とした森は招かれざる客に怒りの声を上げ、少年と狼の血液を震撼(しんかん)させる。


「凄いね」


 無言で前に回り振動から守ってくれた狼の背中にしがみつきながら、怜乱(れいらん)は軽く驚嘆の声を上げた。

 びりびりと震える空気に、血が共鳴して騒いでいる。

 狼は伏せていた耳を跳ね上げると、器用に口笛を吹いた。


「ひょう、凄いな。並の人間ならたちまち血餅(けっぺい)だぜ。怜乱よ、大丈夫か」

「大丈夫。素材が人とは違うからね、ちょっと気色悪い程度で壊れることはないよ」


 安心したようにそうかと頷いて、狼は先に立って歩き出した。


「俺にはよく判らなかったが、やはりお前が狙いだったのか?」

「うん、確実に僕に焦点を合わせてたね。

 (からだ)の組成が人間とは違うから問題ないけど、人の身なら今頃どろどろなんじゃないかな。

 ところで老狼(らおろう)、相手がどこにいるか判らないかい」


 問われて、狼はちょっと鼻を上げて小鼻をひくつかせた。


「……いいや、匂いはしないな。鼻が利かなけりゃ俺はお手上げさ」

「それは残念」


 余り残念そうでもない口調で言って、少年はくすくすと笑った。

 懐に手を突っ込んで、無造作に白い紙片をばらまく。


 きらきらとした軌跡を描きながら、空気の隙間(すきま)()うようにしてそれらは一散に空を目指す。

 


             *  *  *


 

 まだ息の音がする。


「……櫨渦(ろか)。画師は生きているわ」


 見えないはずの視線を敵の方向に向けて、星嶺(しんりん)は苛立った声を上げた。

 腕に掛けられた彼女の細い手に力が入るのを感じて、櫨渦は鹿の子色の髪を宥めるように撫でる。


「今の封妖画師は先代に創られた道具だ。

 星嶺の音は人間用に調整したんだろう? 少し変えないと効果がないのかも知れない。探れるのなら探ってみると良い」

「そうなの。人形のくせに、人の真似をするなんて生意気ね」


 明暗の差しか判別できなくなった目に怒りをたぎらせ、星嶺は凄絶な笑みを浮かべる。

 色の抜けた肌にのった血の色の唇が風を呼ぶ言葉を紡ぐのを聞き、仕草とは裏腹な表情で男は笑った。


「お前はそうやって怒っているのが一番綺麗だ」

「……何か云った?」


 遠くの物音に集中していた星嶺が、思わず漏らした声に反応して男を振り仰ぐ。


「いや。それより、向こうはどうなった?」


 櫨渦は誤魔化すように星嶺の頬をちょっと撫でてやって、状況を問うた。

 喜びの色を浮かべた焦点の合わない目がこちらを見ているが、男にとってそれは何の意味もないものだ。

 愛も信頼も、所詮(しよせん)は憎しみと絶望を生む種に過ぎない。見知らぬ誰かに向けられている怒りのほうが、何倍も好ましい。


「……そうね」


 男の言葉に、星嶺は再び敵がいるはずの方向へ顔を向け、濁った瞳に憎悪の色を戻す。


 彼女の聴覚は、近づいてくる二つの足音を正確にとらえていた。

 敵が窪地(くぼち)や木の陰に隠れるようにして移動しているようすは、手に取るようにわかっている。


 相手がどこにいようと、そんなことは関係がない。

 星嶺の武器は、星を落とすと(うた)われるほどに強烈な、音を操る力なのだから。


 この世に存在するものの中で、完全に静止したものは存在しない。

 動かぬように見える石や大地の中でさえ、それらを構成する極小の何かは揺れ動きながらその形を維持している。

 音とは大気の揺れ、つまりは振動である。動いているものに干渉するのに、音ほど有効な手段はないのだ。


 何度か対象の組成を確認するための音を放って攻撃のための調整を行う。


 そうして放たれたのは人には聞き取れぬ波長の轟音(ごうおん)だ。


 焦点を合わせているとはいえ、振動の余波は周囲にもこぼれていく。

 一方的な攻撃を何度か繰り返すうち、辺りは一面の粉塵(ふんじん)に包まれた。


 目を開けていられないような土煙の中、星嶺は軋むような音を立てて砕ける標的のそれを知覚していた。


「やったわ」

「いや、相手は画師だ。(おとり)くらい簡単に用意する。

 どこかで息を潜めているに違いない」


 腰を上げかける星嶺を押し留めて、櫨渦(ろか)は遠くの気配を探らせる。


 だから、星嶺は気付かなかった。


 音もなく上空を舞っていた鳥の一つがふらりと舞い落ちて、隣に立つ男の胸を(つらぬ)いたことを。

 銀の色をした鳥が、よく磨かれた(やじり)のように、男の背中から胸までを鋭角に通り過ぎて滝壺(たきつぼ)の中に消えたことを。


 それはあまりにも迅速(じんそく)に、周囲の音に(まぎ)れて飛来したのだった。


 少し風通しのよくなった胸を押さえて、男は口を歪める。


「──は。よく解ってるじゃないか」


 くつくつと喉の奥で笑って、声なき声で呟く。


 星嶺の頬に飛んだ己の肉片をそれと悟られないように拭ってやって、不思議そうな顔をする彼女にただの泥だと誤魔化した。


 鳥の形に開けられた胸の穴からは、ぼんやりと白い肉が覗いている。

 その空隙(くうげき)を、周りから(にじ)んできた黒い霧が埋めた。



             *  *  *



 『あれが囮になると思うかい』


 怜乱(れいらん)の声が頭の中に囁く。

 声とともに伝わってくるちらりとした苛立(いらだ)ちに、老狼(らおろう)は苦笑いを浮かべ、尻尾の先で軽く少年の手を叩いてやった。


『何だ、珍しいじゃないか。

 あれに注意が向いている間は何とかなると思うが、その後はわからんな』

『正論だけど、やっぱり面倒だなぁ』


 放っておけばいつまでも人形のように動かない少年も、今は緊張しているのかも知れない。


『……余計なこと考えないの』


 少年にも狼の考えていることが伝わったのだろう。

 ちょっと勘に障ったという感覚とともに、少年が脇腹をつついてくる。


『おいおい、あんまりごそごそやるとあちらさんに感づかれるぜ』

『解ってる。……あー、視界がはっきりしないと気分が悪いよ』


 音を操る(あやかし)は耳も相当に鋭いという狼の主張で、呼吸どころか鼓動まで止めた二人は小さな窪地(くぼち)に身を隠していた。

 それだけでも人間には決してできない芸当であるのだが、彼らの前方には怜乱の創った囮が二人のふりをして歩いている。


 怜乱はその囮の視界を使って辺りを見ていた。

 背中合わせで、しかも狼が攻撃の飛来方向に陣取っているために、そのままの姿勢では何も見ることができないからだ。

 ()しんば攻撃と相対していたとしても、舞い上がる土埃のせいで何も見えないに違いないのだが。


 囮以外にも大量に放ってある鳥の形をした使鬼(しき)たちも、未だ敵の姿を(とら)えていない。

 ただ、敵の姿を捉えられたとしても、詳しい情報は使鬼が帰ってこないことには解らない。


 ありとあらゆる不可能を可能にするなどと囁かれる封妖画師(ふうようえし)だが、いざ妖と相対すればどのような手段を選ぼうと力足らずであることに変わりはない。

 相手を封じるにも、その姿を確認しないことにはどうしようもないのだ。


 少年がそんなことを考えているのが、不本意ながらも手に取るように解る。


『あーあ、やっぱり見つけ物なんて使うべきじゃなかったなぁ。

 僕ならもっとまともな『(もの)』が創れるのに』


 怜乱の愚痴が伝わってくる。


 音を立てられない状況で話をするために、二人は伝令板(でんれいばん)という『()』を使っていた。

 『鬼』とは画師の創り出した、不可思議な力を持つ道具のことだ。

 小さな骨董(こっとう)屋の片隅に埋もれるようにして置いてあった道具(もの)なのだが、これがどうにも使い勝手が悪い。


 『鬼』自身に刷り込まれた説明によれば、遠く離れた二者間の会話を伝達するだけの機能しかないはずだった。

 しかし実際に使ってみれば、あまりにも近くに相手がいる場合その思考までが相手に筒抜けになってしまう。


 決して解らないはずの相手の思考が読めるのは面白いかもしれないが、自分の思考まで伝わってしまっては面白いわけがない。


『そう怒るなよ』


 判ってる、そう言いかけた瞬間に少年の指先にわずかな痛みが走り、視界が二つふいと途切れた。


『人形が壊された』


 ち、と微かに舌打ちをした怜乱の足下に、一拍の間をおいてずるりと蛇の形をしたものが這い上がってくる。

 土の中から現れたそれは、瞬く間に少年の白い肌に()けて消えた。


『収穫あり、か?』

『──うん』


 問いかけてくる狼に頷きながら、怜乱はどこから取り出したのか大量の紙を宙に投げ上げ、一瞬の間に狼の姿を描き上げる。

 そして、土煙の中のある一点を、繊細(せんさい)な指先でぴしりと指した。


『老狼、当たりだ。彼女を取り押さえてくれないか』

 任せろ、といって飛び出した老狼の先へ、真っ白な狼の群れが音よりも早く疾走した。

 


 

 光は音よりも速い。


 櫨渦(ろか)は粉塵の中に無数の影を見つけて、星嶺(しんりん)に声を掛けようと口を開きかけた。

 尋常でない速度で迫ってくるそれは音もなく存在していた。


 星嶺は当然の事ながら、まだ気付いてはいない。気付くこともできないだろう。


「──」


 櫨渦の言葉が言葉になる前に、狼たちが到達する。

 眼前に居並ぶのは瞳までもが白い、作り物の狼の群れ。


 遅れて音が星嶺の元に届く。

 突然現れた気配に動揺した星嶺は音を放とうと右手をかざした。


「星嶺だな、観念しろ」


 しかし、少し遅れて飛び出してきた黒銀の狼が、星嶺の首に食らいつき四肢を封じる。

 喰われる……! 星嶺は、本能からの恐怖に悲鳴を上げた。


「星嶺!」


 彼女の耳に響くのは、慌てたような櫨渦の声。


 

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