5/7 茶話雑談
しばらく温泉を楽しんで室に戻ると、火鉢と茶の用意を抱えた小鳥の使用人が待っていた。
「お客様、お茶をどうぞ。お食事は如何なさいますか? お好みにあわせた山野の珍味とお酒がご用意できますよ」
「俺は素菜なら何でも良いぞ。甘いものが沢山あると嬉しい」
「僕はここのお酒だけで十分かな。種類があるなら色々出してくれると嬉しいけど」
「かしこまりました。お食事は応接室にてご用意いたしますので、しばしごゆるりとお過ごしくださいませ」
丁寧に一礼して退がっていく小鳥の足音を聞き送って、老狼は起居の榻に寝そべった。
ふわ、と大きな口を開けて欠伸をして、思い出したように言う。
「そいや、お前さんが飯とか食ってるところって見たことないよな」
「うん、固形物はちょっとね。摂れないことはないけど、そこから得られる精気よりも分解のために費やす精気の方が多いから、消耗するだけなんだよね」
軽く胃の辺りを押さえる怜乱にふむふむと頷いて、老狼は尻尾の先をはたはたと振った。
そして思い出したように茶壺に茶葉を放り込み、火鉢から薬缶を取り上げて茶の支度を始める。
「食えば食うほど腹が減るってやつか、それはいかんな。酒は良いのか」
「そういうこと。お酒っていうか、収支的に得られる精気が多いなら何でも良いんだけどね。市井で手に入りやすくて、極力不純物が少なくて、なおかつ人前で口にしてもおかしくないもの、っていうとお酒が一番なんだ。半年も一年も手を入れて作る食べ物なんて他にないでしょ」
「確かにそうだなぁ。だが、たまに飯を食ってる『鬼』もいるだろう? あれはどうなんだ?」
「あぁ、画師なんて大抵が百姓の出だからね。食事の時に何も食べない相手に控えられると気詰まりだって人が多いんだ。だから、人型を取る『鬼』の多くは飲み食いできるように創られているんだ。一人でいるときも食事をしている『鬼』は、多分ただの習慣だと思う」
「なるほどなぁ。あ、茶はどうだ?」
目の前に置かれる茶碗を受け取って、怜乱は淡い黄色の液体を口に含む。
そして驚いたように目を見張る。
「ありがとう。そうだね、お茶は木が育ったところと製法にかなり左右されるけど、悪くないかな。
……でも、ここのお茶は危険だな。人里のお酒が水か何かに思えてくる」
「そりゃそうだろう。おそらくだがこの茶葉はあれだぞ」
老狼が指すのは窓の外だ。
落ちかけた陽の当たる山肌には、畝のような低木が並んでいる。
怜乱はしばらくぽかんとそれを見つめ、額に手をやりかぶりを振った。
「……呆れた。龍脈の上で、いったい何をやってるんだか」
「本当になぁ。しかも、あの様子を見るとまだまだ広げる気満々だぞ。いったい何を育てるつもりなんだか。これもいくらか分けてもらえるよう、頼んでみるか?」
「本当? じゃあ頼んでみてほしいな」
「おう、任せろ任せろ」
嬉しそうなようすの怜乱に笑って、老狼ははたはたと尻尾を振った。
何も喋らないのが常の怜乱がここまで喋るのは珍しい。
それに今はずいぶんと顔色も良く、ついでに何となく表情豊かだ。
怜乱がいつも人形のように無表情なのは、精気の消耗を押さえるためなのかもしれない。
温泉や酒でも喜んでいたし、こういう場所に連れて行ってやるようにすれば、道中がもう少し賑やかになるだろうか?
そんなことを考えながら、砂糖菓子を一つ手にとって口に運ぶ。
砂糖菓子を手にこっちは普通だなどと言っている狼に、怜乱はそういえば、と首を傾げた。
「老狼こそ、見かけの割に肉も魚も食べないよね。甜心だって獣脂の使ってあるものは避けてるし、何か願掛けでもしているの?」
「いや、俺は元々こういう食性だな。食えんことはないが、どうも血の流れているものの臭いは好かんでな。食えて乳や卵が良い所だな」
「……そうなんだ。もしかして、僕にくっついて市場を回るのとかもあまり嬉しくはない感じなのかな」
「いや、口に入らんのなら何でも同じだから、そこはあまり気にする必要はないぞ。俺にとっては市中も山中も大して変わらんしな」
「鼻が良いってのも大変なんだねぇ」
何か月も旅をしている割には、こういう会話をするのは初めてかもしれない。
お互いにそんなことを考えながら茶をすすっていると、遠慮がちに戸が叩かれる音がした。
「うん? 誰だ?」
いち早く足音に気付いていたらしい狼が迎えに出る。
戸を開くと、湯殿で妖精に変化した翡翠の青年と、彼を引きずっていった千鳥の精が立っていた。
「どうしたの」
続いて怜乱が顔を出すと、小鳥たちは床にぱっと膝をついて平伏した。
「お客様、先程は大変失礼致しました。この翡翠ときたら、せっかく転変できるようになったというのに、みっともなく騒ぎ立てまして」
「あ、あの、ごめんなさい……」
心底申し訳なさそうな千鳥の精とは対象的に、翡翠は今ひとつ飲み込めていないようすだった。
隣をちらちらと見ながら青い背中と羽を丸めて、見よう見まねで頭を下げている。
「この翡翠は我々がしっかり教育致しますので。画師様におかれましては、どうかお目こぼし戴けますよう、よろしくお願い申し上げます」
「お、お願いします!」
床に額をすりつける小鳥たちに困ったような視線を向けて、怜乱は二羽の前に膝をつく。
顔を上げるようにと肩を叩くと、小鳥たちはおろおろと顔を上げた。
「何か勘違いしているみたいだけど。悪ささえしなければ、画師が君たちに手を出すことなんて絶対にないから。そんなに遜らないでくれないかな」
「ほ、ほんとうですか?」
不安げに問い返す小鳥の瞳に浮かぶのは、おそらく彼らが画師に抱いている印象からくる警戒の色だ。
人間が封妖譚で画師を知るのとは違い、妖が画師の存在を知るのは誰かが封じられたという噂話からが主体となる。良い印象がないのは当然だろう。
「本当だよ。画師だって、そんなに無節操に妖を封じて回ってるわけじゃないから、安心して。だいいち、乾坤の人口の何割が妖だと思ってるの。全部封じるなんて馬鹿げてるじゃない」
「そ、そうなんですか……?」
「うん、だからそんなに頭を下げないで」
半信半疑といった顔の小鳥たちを引き起こし、怜乱はその顔を覗き込む。
「君たちも噂でしか聞いたことがないだろうから不安なんだろうけれど、画師の目的は、人に害なす妖とか、いずれ方々に害を撒くような相手を封じることだから。悪意がなくても結果的に人に害を与える妖がいないことはないけれど、目の前で妖精になっただけの相手を封じることは決してないよ。もしそんな画師がいたら、こちらで責任を取るから、そこは安心してほしい」
「……わかりました。そうですよね、悪い熊を退治してくれるって言う人が、私たちまで退治する理由なんてないですもんね」
「そ、そうなの……?」
引き下がっていく妖二人を見送って、怜乱は深い溜息をついた。
「……もしかして、画師って妖を見たら見境なく封じるって思われてるのかな」
「いや、そんなことはないと思うぞ……多分」
ひょっとして柚林が変なことを吹聴しているのではないかと想像してしまい、老狼はげんなりと耳をひくつかせた。




