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4/7 珍客到来

 もうもうと立ち上がっていた水蒸気が晴れると、そこには目を回しているらしい人影があった。

 背格好は二十歳過ぎの男性に近いが、どうやら彼は翡翠(かわせみ)の精らしい。特徴的な色の着物と肌から生えた羽毛が、中途半端に混じり合って水に揺らいでいる。


 ぴくりとも動かない相手に駆け寄り躰を引き起こすと、怜乱はとりあえず肩を揺すって声を掛けた。


「大丈夫、聞こえる?」

「反応がないな」


 しかし、どれだけ声を掛けてみても、ぐったりと目を閉じた青年はぴくりとも動かない。

 いつまでも湯に浸かっていてはのぼせてしまうだろうと、見た目よりも軽い躰を池の縁まで引き寄せて、段差になった場所に座らせる。


 

「う、うーん……」


 何度か頬をはたかれて、青年はようやくぼんやりと目を開いた。

 彼は鳥が羽の下に頭を突っ込むような仕草をしかけて、視界に入った己の身体にぎょっとした表情を浮かべる。


「……な、なんだこれ?!」


 ひっくり返った声を上げてやにわに立ち上がり、彼は腕を広げて飛び上がろうとした。そしてそのままべしゃりと転ける。

 盛大に水しぶきを上げてあたふたと腕を振り回す彼を、今度は狼が拾い上げる。


「いいから、落ち着け」


 脇に手を入れてぶら下げられると、彼は驚いたように目を見張って大人しくなった。

 怜乱は青年が再び段差に座らされるのを待って問いかける。


「大丈夫? 気分が悪いとか、何かが躰の中を飛び回っているような感覚はない? さっきまで自分が何だったか覚えてる?」


 青年はびくっとしたようすだったが、怜乱の姿に怯えることもなく不思議そうに首を傾げた。そして再び自分の手足を目にして慌て出す。


「何……? 何って、私は……あれ? 私の羽はこんなのじゃ……! あの、ねえ、なんなんですか、これ?! え、どうして?! 空が……!」

「落ち着いて。別に死ぬわけじゃないし、君は君だから。ほら、老狼も何か言ってよ」

「あーいや、そうだな……えーと」


 話を振られた老狼は、困ったように尻尾を振り回した。

 隙あらば飛び立とうとする青年を落ち着かせようと四苦八苦していると、後ろから素っ頓狂な声が上がる。


「お待たせしましたー……って、あー! また妖精が生まれてる!!」


 声の主は酒肴を持ってきた千鳥(ちどり)の精だった。まだ鳴き声の残る声を張り上げて、そのまま温泉池に駆け込んでくる。

 その声に振り向いた青年が、ぱっと顔を明るくした。


「ああー、春々(ちゅんちゅん)! うわーん、探したんだよ春々ん-!! どうして黙っていなくなっちゃったのさー!」


 びしょ濡れで小柄な使用人に飛びついた青年は、感極まったらしくそのままわんわんと泣き出した。手に持っていた(たらい)を頭上に掲げて固まった春々から、老狼が盥を受け取る。


「わっ……ちょ、何ですか貴方……あれ? もしかしてあんた翠々(フェイフェイ)? ちょっと、こっち来なさい! お客様、大変失礼いたしました。この妖精は我々が責任持って対処致しますので、引き続きごゆるりとお過ごしくださいね」


 目を白黒させていた春々は、途中で青年の正体に見当がついてきたらしく、素っ頓狂な声を上げた。

 いささか乱暴に青年の首根っこを引っつかんで、取り繕った笑みを浮かべながら頭を下げる。

 手馴れたようすで撤退していく春々を目を丸くしながら見送って、老狼は尻尾を振り回した。


「……えらく手慣れてたな」

「そりゃそうだろうねぇ。老狼、ここの下働きが小鳥か小動物の妖ばかりだってこと、気付いてる?」


 対して怜乱はあきれ顔だ。そのまま段差にすとんと腰を下ろし、浴池のふちに背をもたせかける。

 そして首を傾げる狼に、あちこちにいた使用人の数と原形を数え上げてみせた。


「む、そう言われてみればそうだな。皆若いなとは思っていたが、小妖だから柚林(ゆうりん)が保護しているのだとばかり思っていた」

「……やっぱり、気付いてなかったんだ。さっき、小鳥が妖精に変わるところを見たでしょ。場の気配に紛れてるからわかりにくいけど、ここの使用人からは皆同じような気を感じるし、きっと皆あの翡翠(かわせみ)と似たような経緯(いきさつ)でここに来てるんだと思うよ。柚林も年々従業員が増えてるって言ってたでしょ」

「! あー、そうか……! だからこれだけ広い館になっているのか……なるほどなぁ」


 納得顔の狼に、怜乱は呆れた目を向けてことさらに溜息を吐いてみせる。


「……まぁ、だからこそこういった場所には結界が張られるんだろうね。よく分かったよ」

「なんだか(とげ)のある物言いだな」

「そうだよ、棘を立ててるの。老狼、この温泉ってもしかしなくても、かなり効率の良い小妖の生産所になってるんじゃない? まだ皆ここで大人しく働いてるみたいだから良いけど、規模が大きくなって彼らが人里に悪さをしだしたなら、今度は僕の出番だよ」

「あー……………………まぁ、お前さんならそこを気にするよなぁ……」


 怜乱に言われ、老狼はしまったとばかりに額を押さえた。

 不自然に起こった水流で、狼がそのことを完全に失念していたらしいとわかる。


「まぁ、柚林は君に心酔してるみたいだし、しっかり釘を刺しておいてくれれば何とかなるかも知れないけどね。もうここまで来れば立派な管理者の一員だし」


 相棒の根が善良なことにどこか安心しながら、怜乱は湯に浮かべられた(たらい)に手を伸ばした。


「さて、せっかく持ってきてくれたんだし、こっちの味見もしてみようかな」


 首の細い徳利から澄んだ液体を注ぐと、桃花に似た甘やかな香りが広がる。きらきらと周りに散る粒子は、酒と共に醸された大地の精気だ。

 あまりにも濃厚な気の固まりに、怜乱は少しばかりそれを口にするのを躊躇(ちゅうちょ)した。

 この気配は、酒というよりもすでに仙薬に近い何かではなかろうか。そんなことさえ思う。


「? どうした、飲まないのか?」

「そうじゃないけど……」


 気を取り直したらしく甜菓を囓りながら首を傾げる老狼に首を振って、怜乱は酒杯におそるおそる口をつけた。

 いつもとは違いほんのわずかに含んだ液体は、華やかな香りと弾けるような精気を舌の上にぱっと広げて喉の奥へと滑り落ちていく。

 波が引くように消えていく後味と入れ替えに、(からだ)の奥底には気が満ちた。


「……うわ、これは凄いな。あとでちょっと分けてもらえないか交渉しなくちゃ」


 感嘆の声を上げる怜乱を珍しいものを見るような目で見つめて、老狼は首を傾げた。

 そんな視線にも気付かぬ怜乱は、何段か上にある湧泉池と手の中の酒杯を見比べている。


「そんなに気に入ったのか?」

「うん。室で出してくれたのは銘酒よりちょっと精気が濃いかな程度だったんだけど、これはものすごく濃縮されたいいお酒だよ。花の香りのするお酒は割とあちこちにあるけど、ここまで気の濃いお酒には初めて出遭ったよ。仙酒ってきっとこういうお酒のことを言うんだろうなぁ。これを三十年も飲んでたら、ただの呑兵衛でも道士くらいにはなれるんじゃないかな。

 あ、湧泉池から(とい)が引いてあるから、きっとあれで水を引いてるんだよ。どこで仕込んでるんだろう、きっと良い場所で仕込んでるんだろうな。ちょっと見せてほしいなぁ」


 声を掛けてみると、怜乱は池を見上げたまま妙に饒舌に語り出した。

 ひたすらの大絶賛に、こいつでもこんなことを言うのかと狼は内心感心していた。

 誰しも好きな物を語るときは口数が多くなるものだが、いつものことを考えれば何倍喋っているのかよく分からないほどだ。

 よほど感動したのだろうと愉快に思って、狼はある提案を口にする。


「そ、そうか。そんなに気に入ったんなら、あとで俺から頼んでやろうか?」

「本当? 是非ともお願いするよ!」

「あ、ああ。きっと柚林なら多少は融通してくれると思うぞ」

「だったらいいなぁ。まあ、無理だったらたまにここに骨休めに来るのも悪くないよね」


 ぱっと身を乗り出してきた怜乱は、普段の無表情はどこへ行ったのかと不思議に思うほど嬉しそうに目を輝かせていた。酒と温泉で多少血の巡りが良くなっているのか、血の気などとんと見た覚えのない頬もほんのりと赤い。

 相棒のかつてない勢いに目を白黒させながら、狼はふと思いだした疑問を口にした。


「ところで、怜乱よ。お前さん、山の中でああ言っていたが、ものすごい文身とか目立つ異形があるわけではないじゃないか。それくらいならその辺の澡堂(ふろや)に行っても特に問題はなさそうじゃないか?」

「一応、それなりに長く稼働することを目的に作られているからね。そういう目立つのはないよ。でも、これで違和感を抱かない人間がいるならお目にかかりたいよ」


 首を横に振る怜乱が示すのは、人よりは石木の精に近い造作の我が身だ。丁寧に作られた磁器人形のような(からだ)には、性別どころか生物であることを示すものすら存在しない。骨組みこそ男性体に近くはあるが、筋肉の凹凸は目立たずすんなりと細いその造作は、男女どちらとも言いがたい。

 およそ胎生の生物とは言えない姿を眺め回して、それでも狼は今ひとつ飲み込めない顔をしていた。


「お前さんは人の(はら)から生まれたんじゃないだろう。ならば木石の精と同じような造作でもおかしくはあるまいに」


 不思議そうに首を傾げる狼に、怜乱はやれやれと首を振った。


「老狼は僕が()だか知ってるからそう言えるんだよ。それに、(きみたち)が原形が違えば造形が違って当然だと理解してるのと同じように、人間は人間とは基形(もとのかたち)が同じもののことだと理解しているからね。基形から大きくは逸れないし、それが当然だと思ってるんだよ。大きい街なら妖連中が結構な数定住してるから多少の異形は気にしなくていいんだけど、小さい集落は異質なものを怖れる傾向が強いからね。敵意をもたれたら話を聞きづらいでしょう」

「……確かにそうだが。人間とはなかなかややこしいのだなぁ……」


 怜乱の説明に感慨深げに頷いて、狼はまた一つ甜菓(かし)を口に放り込んだ。

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