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3/7 龍穴温泉

「へぇ、(あやかし)の客中心だとこういう造りになるんだ」


 ご丁寧に本日貸切と書かれた戸を引き開けて、怜乱(れいらん)は珍しげに建物の内装を見回した。


 脱衣場は妖熊(ようゆう)が原形でやってきても問題ないほどの広さがあった。

 分厚い木製の床や壁は(ろう)で磨き込まれ、風が抜けるように作られた天井からは花を模した形の燭台が下げられている。

 壁にしつらえられた棚は妖の体格にあわせて七段に分けられて、それぞれに竹で編まれた籠が置かれていた。

 中から鍵のかかる脱衣場もあるらしく、番号の書かれた扉もいくつか並んでいる。


 壁には大きな張り紙が何枚も貼ってあった。

 服は脱いで棚に置くように、びしょ濡れのまま上がらない、手ぬぐいは浸けないこと、できれば人型で入るのが好ましいが髪は抜けないように気を遣うこと、人型を取れないものは全身の毛を丁寧に()いてから湯船に入ること(※毛梳きは別料金で承ります)、湯船は源泉に近いほど気が濃いため、端のほうから徐々に身体を慣らすと良い、気に変調を感じたらすぐに湯から出て脱衣所か休憩所で休むこと。

 実に妖向けの注意書きである。


「いやぁ、貸切とはありがたい話しだなぁ」


 注意書きを興味深げに読んでいる怜乱に、老狼(らおろう)がのんびりと声を掛ける。

 ふさんと尻尾が振られる音を耳にした怜乱は、注意書きの一つを指して狼を仰ぎ見た。


「老狼、ここにできれば人型で入れって書いてあるけど」

「あぁ、良いんだ。毛はこうやって焼いておくから」


 言って、狼はとんとんと着物の胸を叩く。

 とたん、上袍(うわぎ)の模様から本物の炎が上がり、狼の全身を包んだ。

 じりりと小さな音を立てて下から上へと炎が引けば、そこには一段階毛づやの良くなった狼の立ち姿がある。

 手には獣の姿になったときに首に巻かれている、炎の模様をした布が一枚。それを揺すって耳環にすると、耳の先にぱちんと留める。

 どうだとばかりに鼻先を上げる狼に、怜乱は納得顔で頷いた。


「あー、なるほどねぇ。老狼は炎が使えるから、別段()かなくても身繕いはできるんだ。道理でどこにも毛が散らばらないわけだ」

「そういうことだ。人型も取れんことはないが、俺は人とそこまで親しくする気はないんでな」

「あぁ、人と交わる気のない妖は原型を残す、ってやつだったっけ」

「正確には『()き隣人以上の付き合いをする気がない妖は』だな。市中の管理者連中なんかは大抵、どこかに原形を残しているだろう」

「確かにね。人間は見かけが違えば向こうから一線を引いてくれるものねぇ」


 そんな会話をしながら、怜乱は着物の袖を軽く叩いた。

 しゃらりと音を立てて解けた着物は、一瞬の間に怜乱の手首へと絡みついていく。

 銀の糸を幾重にも絡めたような幅広の腕輪に変じた着物に、狼が目を丸くした。


「凄いな。画師(えし)の着物って皆そうなのか?」

「いいや、僕は着物も含めて一揃いだから、機能的に離れられないだけだよ。生身だと、盗られたら困る荷物は使鬼(しき)に守らせることが多いかな」

「それもそうか。人間は荷物が多いし、裸では走り回れもせんからなぁ」

「そういうこと。ところで、老狼のそれは?」

「これか? これはあれだ、炎龍の皮を変じたものだ」


 良いだろうと自慢げな顔をする老狼に、怜乱は呆れた顔になった。


「炎龍って、たしかものすごく昔に皆地中に潜ったとかいう話じゃなかった? 僕よりよっぽど凄い代物(しろもの)を着込んでるじゃないか」

「伊達に長生きはしてないからな。それよりほら」


 狼が先に行けと示すので、怜乱は仕切りをくぐってひょいと湯殿に足を踏み入れた。


 何かの結界を跨ぐ感触がして、視界がぱっと開ける。

 同時に鼻先に漂ってきたのは、今まで結界で遮られていたらしい湯気と濃厚な大地の気だ。


「……これは凄いね」


 目の前に広がる景色に、怜乱は感嘆の声を上げた。


 湯殿と言うには広すぎるきらいのある空間には、青い水を湛えた棚田状の池が広がっていた。

 大小も深さもさまざまな池を満たすのは、最上段にある小さな池からこんこんと溢れる青い湯だ。

 流れ落ちる水とは裏腹に、天に向かって濃い大地の精が吹き上がっているのが見える。


「……本当に龍穴の真上から温泉が湧いてるなんて」


 柚林の話を話半分にしか聞いていなかったせいで絶句している怜乱を眺めて、老狼は楽しげに尻尾を振り回した。


「ははは、そうだろうそうだろう。ま、俺が掘ったのは上のちっこいやつだけなんだけどな。よく整備したもんだ」

「……え? どういうこと?」

「まあまあ、疑問なんてあとでも良いだろ。そんなことよりも湯に漬かったほうが絶対いいぞ」


 首を傾げる怜乱の背中をどんと叩いて、老狼は自分に合いそうな深さの池を探しだした。


「あ~、やはり龍穴の上の湯は違うな!」


 一番深い真ん中の池に陣取って感嘆の声を上げる狼を背に、怜乱は小さな木の椅子と(たらい)を取って、水道がわりの(とい)の前に腰を下ろすのだった。



             *  *  *



 なんだかんだで旅の埃を落とすとすっきりする。そんなことを思いながら湯船に向かう。


「おう、遅かったな」

「いや、老狼がすぐさま飛び込みすぎなんだと思うよ」


 浴池の縁に顎を乗せてのんびりしていた狼に声を掛けられながら爪先を湯に沈めると、狼が喜んでいたわけが理解できた。

 普段は大地の奥底を巡っている濃厚な精気が、じわりと肌から奥へと染み込んでくる。消耗していた気が満たされていくのを感じて、怜乱は思わず目を細めた。

 青い湯をすくい上げれば、きらきらとした光の粒が舞う。


「どうだ? なかなかいい湯だろう」


 一段上から得意げに話しかけてくる狼に、怜乱は感心しきりの様子で頷いた。


「すごいね、これ。龍穴にしては小さい方だけど、それでもこんなこと、滅多にできるものじゃないよ」

「だろうなぁ。基本的に、龍穴は仙界の連中が結界を張って人払いしちまうからなぁ」

「だよねぇ。なのに、どうして温泉が掘れたの」


 聞くと、狼は何かを思い出すように鼻先を上げる。


「ん? まあ、ここは元々は龍脈の支流の上というだけの場所だからな。温泉を掘ったらなぜだか龍穴になったんだ」

「……は?」

「ふむ、あれはもう百年かそれ以上前になるか。昔、このあたりに迷い込んだ人間がいてな。崖から落ちて瀕死だったところを偶然通りがかったんだ。そいつ、怪我はなかったんだがひどく体を冷やしていてなぁ。温泉に入れれば手っ取り早く温もるんじゃないかと思って、その辺をちょちょいと」


 その場を掘るような仕草をしてみせる狼に、怜乱は呆れた表情を浮かべ額を抑えた。


「……老狼。温泉なんてちょっとやそっとじゃ掘れるようなものじゃないよ」

「そうか? 岩目さえ読めば湯が出てくる場所を読むのはそう難しくはないぞ? 今度見せてやろうか」

「そういう問題じゃないよ。龍脈の上に穴を掘るだなんて、ここの管理者が黙っちゃいなかったんじゃないの?」


 怜乱の言う管理者とは、大地の気の流れである龍脈を監視し整える役目を負う、一種の土地神のようなものだ。

 人に例えれば領主にあたる彼らの許可を得ないまま龍脈に手を入れれば、速やかに神罰が下るとされている。

 実際にそれで死んだらしい人間の話もいくつか伝えられていて、その中のいくつもの話が実話であることを、怜乱はよく知っていた。

 だからこその疑問だったが、狼は何を言っているんだという顔で首を傾げた。


「散々温泉を掘ってはきたが、俺は一度もとがめ立てされたことなどないぞ?」

「や、だってさ、ほら」


 怜乱が指差した先では、どこからか迷い込んできたらしい小鳥が一羽、池にぽとりと落ちるところだった。

 少しの間をおいて、そこにばふっと湯気が立つ。


「ほらって、よくあるやつじゃないか」

「よくあっちゃ困るやつだよ、これ」


 怜乱が額を押さえるのを見て、老狼は理由がわからないと首をかしげた。

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