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6/6 拘縲樹

 怜乱(れいらん)老狼(らおろう)に耳打ちすると、紙で作った自分の人形を置いてするりと腕を抜け出した。

 自分の気配などあってなきようなものだが、念のため移譲の術式を掛けてある。


 一つ上の枝に腰を下ろして懐から白銀の紙を取り出すと、髪止め代わりの筆を使ってさらさらと絵を描き出す。

 あっと言う間に細部にいたるまで緻密(ちみつ)な一羽の鳥が描きあがるが、目の部分だけに色がついていない。

 そこにくるりと点睛(てんせい)し、


(とけろ)


 短く呪を唱えて(命令して)紙を宙に放ると、絵はふわりと解けて実在の姿となった。


 これは『封妖画師(ふうようえし)』の用いる技能の一である。

 足りない事の多い人間の補佐的な役割をする、動物の形を模した『モノ』──一般にこれを『使鬼(しき)』と呼ぶ――を必要に応じて作り出すことができるのだ。

 付加的な能力ではあるが、画師が最も便利に使う能力でもある。


 人よりも巨大な猛禽(もうきん)は、主を背に乗せ音もなく舞い上がった。


 怜乱の目は、その気になれば『気』の流れまで見透かせる。


 少年の眼下には、薄く燐光を発する黒い森が絨毯(じゅうたん)のように広がっていた。

 それに重なって、燐光とは別の色をした光が、細い川となってあちこちを流れているのが見える。


 きらきらと移ろう光の流れは、森の中に一見無軌道に張り巡らされていた。

 しかし、少しの間見つめていれば、どこかに流れの集まる一点が見えてくる。


 それを見極めると、怜乱は鳥に指示を与える。


 (たつみ)(南西)の方角に一里半。


 直後。

 森に、火の手が上がった。


 狼の留まっていた場所である。

 鳥の背から俯瞰する怜乱の目に、黒い森が端から端まで大きく身震いするのが見えた。



 ──炎を恐れて。巨大な森が、まるで生き物のように。



 あれは狼が上着の能力を使い操る炎だ。

 『概念の炎』と呼ばれるものに近いそれは、狼が許可したもの以外を焼くことはない。

 言うなれば見せかけの炎だ──そう聞いた。


 しかしそれが何を焼き何を焼かないかは、操っている本人以外知る術もない。


 森が震えた範囲を確認して、少年は鳥と共に地面へと落ちる。


 落ちながら、黒い森の絵を銀の紙に一瞬にして描き出す。

 精緻(せいち)緻密(ちみつ)で何処か非人間的な絵を。



 少年が地面に降り立ったときには、鳥はすでに紙に戻され彼の懐に仕舞われている。


 薄く光って見える大地を軽く蹴ると、血の色をした大きな(こぶ)が現れた。


 真っ赤な根毛(よう)の組織にびっしりと(くる)まれ、それが瘤のあちらこちらに目玉のような模様を描き出している。

 その中のいくつかは本物の目玉なのだろう、土を取り払われたとたんにぎょろりぎょろりと動いて怜乱を見た。


「──これで終わりだ、拘縲樹」


 べったりと血にまみれた『拘縲樹』は、少年の眼光に一人の男の名を思い出した。


「お前は──あの時の──」

封妖(さようなら)


 怜乱は拘縲の言葉を最後まで聞かず、精の最も集まった一点に、真っ黒な『絵』を貼り付ける。



             *  *  *



 炎を認めた森が大きく身震いする。


 狼を拘束していた腕が痙攣(けいれん)し、たちまちのうちに統制を失う。


 老狼はその腕を振り払い、すぐさま解き放たれた矢のように走り出した。

 大地から生えた『腕』が、波が走るように硬直し、みるみるうちに(しお)れ崩れて消えていく。

 その後を追うように。


 上空から見れば、森の消滅の様子が手に取るように分かっただろう。


 ぼんやりと光を発する森がうち震え、ある一点を中心にまるで何かに吸い込まれるように土の色が露出していく。


 数瞬のうちに、かつて『拘縲樹』だった森は消滅した。



             *  *  *



 「封妖画師ってのは便利なもんだな」


 いくぶん皮肉を込めた老狼の言葉は、怜乱の耳を素通りした。


 拘縲樹を封印した後に残った荒れ地に幾許(いくばく)かの手入れを施してやると、息も絶え絶えだった大地は何とか息を吹き返した。

 莫大な精を消費する妖に長いこと居座られたのだから、本来ならばそこは草木一本生えぬ不毛の大地になってもおかしくはなかった。

 そのあたりが、老狼が不満をこぼす理由だった。


 老狼は、怜乱の『甘いものを好きなだけ買ってもいい』という、文字通り甘い言葉に陥落(かんらく)されて、今まで土地整備にいそしんでいたのだ。


 怜乱はといえば、それを眺めて絵を描いている。

 何十枚も同じような絵を紙に描き付けて、束ねてぱらぱらとめくっては満足そうに頷いている。


 何をしているのかと覗き込んだら、簡略化された老狼(じぶん)が、ちょこちょこ走り回って蝶々を追いかけているようすが描かれていて、妙に感心してしまった。

 勢いよくめくるとなかなか面白い動きをするのだ。

 しかし、少年の目から自分がそんな風に見えているのかと思うと少々納得がいかない。


「ああ──そうそう」


 顔を上げた少年は、もう一つ用事を思いついた、という口調で狼に話しかけた。


「老狼、ここいらに土地神はいないかな」

「いねえことはねえけどよ」


 狼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「俺は使いっぱじゃねぇんだぜ。ひとっ走り行っていって呼んで来るなんてごめん被る」


 不満の声を上げる怜乱を無視して、──今度こそはしっかり睡眠をとるべく──老狼は寝転がった。


                    ───────【三、闇に潜むは鳥獣の檻・了】

◆次話案内◇

 「怜乱よ、お前さん温泉に興味はないか?」

 山路を辿る途中、近くに知り合いの妖がやっている温泉宿があると狼が言い出した。

 急ぐ旅路でもなしと立ち寄ることにしたその場所は、深山に似合わぬ豪華な造り。

 しかし、その宿の主は、どうやら招かれざる客に頭を悩ませているようだった──次話、『泉に網張る深山の旅籠』、全7回。

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