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2/6 黒い森

 黒い森は静かだった。

 その上、もう真昼時だというのに、めったやたらに暗かった。


 風に撫でられた梢がさわさわ音を立てる他には、(きこり)の斧の音はおろか小鳥の(さえず)りひとつ聞こえてはこない。


 しばらくするとその唯一の物音さえも、時間が凍りついたように聞こえなくなった。


 風が吹いてもこそとも音を立てないその森は、ただひたすら次の獲物を待っていた。


             *  *  *



 ──村から大分離れた街道を、一陣の風を連れて走る狼がいる。


 金属光沢のある白い巻紙を噛みつぶさないように丁寧に(くわ)え、太い四肢で地面を蹴る。

 標準の何倍もある体躯は黒っぽい銀色に輝き、獰猛(どうもう)にすら見える琥珀(こはく)色の瞳は森を遠くに見据えていた。

 首には炎を思わせるはためきの、薄い布を巻いている。


(ち。案外に遠いじゃねぇか。何が半刻(いちじかん)も歩きゃ着くだろう、だ。一刻走っても着きやしねえ)


 狼が毒突くと、どこからともなくくすくすと笑うような声が聞こえてくる。


老狼(らおろう)が承知するからいけないんだろ。それに、きっと彼らは足が早いんだよ)

(二本の足で狼より早く歩ける(わきゃ)ァないだろうが)


 狼が抗議すると、少しばかり調子を落とした声が返る。


(ま、そうだね。これだけ走って着かないってことは、目(くら)ましか何かを掛けられてるんじゃないかと疑う方が妥当だね。

 それとも、村人に対してだけ縮地(しゅくち)法を使ってるのかな?)

(そんな面倒なことをして何になるんだ、割に合わん)


 縮地法、というのは読んで字の如く、彼我の距離を短縮するための術である。

 通常は自分一人に対して使うものだが、術者の力量によっては他人や場所に対して使うことも可能ではある。


 ただし、狼の言うとおり、場所に対して縮地法を掛けるためには面倒な準備と莫大な力が必要である。

 戦争のためにすら使われないような術式を、わざわざ使うような相手が存在するとは考えがたかった。


(さぁね。推論(すいろん)はさておき、老狼。あんまり口をもぐもぐ言わせて喋らないでよ。折れたり曲がったりしたら冗談どころの騒ぎじゃ済まないんだから)

(なら、原型(かみ)になんて戻るんじゃねぇよ。

 背中に乗せて行ってやるって言ったら、(いや)がったのはお前の方だろ)

(……今度からは、乗せて貰うことにするよ。

 それより、この調子じゃいつまで経っても森に着かないよ。ちょっとは本気出して走ってほしいな)


 怜乱(れいらん)の声に尻を叩かれた狼はぐっと体勢を低くした。


(ああ、そうだな。じゃ、ちょっと本気出すか)


 力を込めて地面を蹴ると、急に気圧が変わって耳元で音が弾ける。

 狼はこの音が好きだった。俺の成長と共にある音だ。


 ──そして何時かは聞こえなくなる。



             *  *  *



 拘縲(こうるい)は眉を寄せた。


 どうしてこんな所に来るんだ?

 やつらは妖鬼じゃないか。

 こんなところにわざわざ足を運ぶ理由が判らない。


 もしかして俺を『狩り』に来たのか?


 いやしかし、あんなでかいだけで人の姿すら取らない(あやかし)画師(えし)だということはあり得ない。

 『()』に至ってはなにをかいわんやだ。


 しかし、よくない予感がする。


 ……とりあえず、気配だけは消しておくことにしよう。



             *  *  *



 狼は森の際まで来ると大きく跳躍(ちょうやく)した。

 その口から紙片がこぼれ落ち、地に触れたそれは大量の水蒸気を上げて辺り白くぼやけさせる。


 一方、狼の首に結ばれた布から炎が上がった。

 火は狼の形をなめ尽くし、中から現れるのは一目で妖とわかる姿に転身した老狼である。


 狼の周囲の空気は炎気を(はら)み、ぱちぱちと爆ぜた。

 その炎気(えんき)()ぎ払われるように、水蒸気が消える。


 熱を持った風が通り過ぎた後には、少年が一人。白い髪、(とび)色の瞳──怜乱だ。


「……えらく遠かったな」

「ん、まぁ目くらましがそれだけ優秀だったか、何か条件付けをして縮地法を掛けていたか、あるいはその両方ってとこだろうね」


 老狼のぼやきにちょっと首をかしげて答えると、怜乱は森の奥になにがしかの気配がないか探ろうとする。


 が、風は少年が気配を探知する前に、五感としての情報を与えた。


「老狼、血の匂いがしない?」


 耳をぴんと立てた老狼も臭いは感じていたらしい。

 傍目(はため)にも良く利きそうな黒く()れた鼻に、深い皺を寄せて首を振る。


「男だ。……それも──かなり新しいやつ。

 だが、さっきまで何の臭いもしなかったぞ? 悲鳴も聞こえなかったしな」

「そう──じゃあ、結界が張られていたのかも知れないね。

あまりにも気配が希薄だったせいでここに来るまで判らなかったけど、この森全体が血腥(ちなまぐさ)い気配を発しているみたいだ。

 中心の方向は判るけど、隠蔽(いんぺい)されているみたいでよく判らない。

 ──何処(どこ)から襲われるか判らないから、気をつけて」


 ほんの少しだけ眉を寄せて、少年は森の奥を注視している。


 なんだか妙な反応だなと思いながら、狼もつられて同じ方向に目をやった。

 もちろん何も見えないし、臭いや気配も見当たらない。


「解った。しかし、どうする? とりあえず、屍体の所に行ってみるか」


 少年の視線とは少し違う方向を示してやると、彼は狼の顔をちょっと見やって首をかしげる。


「結果を見れば相手の素性くらいはわかるかもしれない?」

「いや、おそらく分からん。しかし、埋めてやるくらいはしないとな」


 狼は耳をちょっと寝かせると、尻尾を一つふさんと振った。


 

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