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3/6 雷鳴

 衝撃にも似た音とともに、辺りに水を焼いたような青い匂いが満ちる。


 暴力的な光に少年はわずかに眉を寄せ、狼は反射的に目を(つぶ)った。


 狼が目を開けると、そこには場に似つかわしくない二人組が怜乱(れいらん)と対峙していた。


 片一方は一見して判るほどの強烈な雷気(らいき)を身に(まと)った、黒髪の子供だ。

 声からして少女なのだろうが、少女と言うよりは獣に近い雰囲気をしている。

 年の頃は人で言えば十。頬には小さく雷の模様を刻印し、雷雲色をした着物と銀の装飾具を身につけている。つんけんと逆立った長い髪は、その気性の激しさを物語っているようだった。


 もう一方は彼女とは対照的に気の弱そうな顔の子供だ。

 袖の短い着物は池水色、髪や目も薄青色でお世辞にも血色が良いとは言い難い。

 年は相方の少女とそう変わらないだろうが、存在感は薄かった。

 おろおろとしながら、意気軒昂(けんこう)の相方を押しとどめようと必死の形相でしがみついている。


「ちょっと、雷玉(らいぎょく)。あれだけ飛び出してっちゃだめだって言ったのに……」

「うっさい! 姿を見せないでじわじわやろうと思ったけど、やっぱり我慢ならない! 画師(えし)なんて正面から叩きつぶしちまえばいいんだ!」

「そんな無茶な。相手は画師なんだよ、姿を見せちゃだめなのは定石じゃないか」

「いいから。襲玉(しゅうぎょく)は黙ってな」


 必死で止める少年、襲玉を振り払うと、雷玉と呼ばれた少女はびしりと怜乱に指を突きつけた。

 思いっきり息を吸い込んで怜乱を睨み付け、一息に怒鳴る。


「わざわざ手下まで連れてきたのかこの三流画師!」


 雷の名に恥じない大音声(だいおんじょう)に、狼は耳をふさいだ。雷鳴に似た響きに耳の奥がじんと痺れる。


 怜乱は涼しい顔をして、いつの間にか手にしていた細い筆の尻でこめかみを掻いた。相手を小馬鹿にしたように空いた手をひらひらと振り回す。


「三流かどうかは実力を見てから判断してもらいたいね」


 怜乱の態度に、雷玉の髪の毛が逆立つ。

 まさに怒髪衝天の(てい)で周りに雷気を撒き散らし、彼女はさらに吼えた。


「うっさい。手下を連れてないと歩けもしないなんて、三流もいいところじゃないか。どうせ時間を稼いでもらわないと絵の一つも描けやしないんだろう、三流と言わずして何と言う!」

「……そんなに言うなら、見てみるかい?」


 くるくると筆を回しながら、怜乱は言う。

 小さな子供に話しかけるようゆっくりと、笑うようにわずかに目を細めて。


「望むところだ……って、そんなもん見てたまるか!」


 威勢よく答えたところで、さすがにそれはまずいと気付いたらしい。

 やいのやいのと難癖を付けていた雷玉は、弾かれたように飛び上がり怜乱と距離を置いた。

 ぽかんとしている襲玉の襟首を引っ掴んで、守るように後ろに隠す。


「汚いぞ三流画師! (はか)ったな!」

「まさか。君が勝手に乗ってきただけじゃない」

「黙れ! 気安く呼ぶな!」


 少女は目を三角にして、胸の前で両手をかざす。

 掌の間に抱かれた空気が渦を巻き、瞬く間に強い光を放ち始めた。


 怜乱は狼のことを見上げて問う。


老狼(らおろう)、あれから守っていただけますか。そんなに時間はかかりませんから」

「あぁ、任せろ」


 一歩身を引く怜乱と、脚を踏み出す狼の立ち位置が交差する。


「逃がすか!」


 牙を剥きだして吼えた雷玉は、下がる怜乱目掛けて勢いよく指を突き出した。


 空気を割る強烈な音が(とどろ)き、鮮烈な光を纏った雷撃が(ほとばし)る。


「名前の通り、ってわけか」


 鼻先で笑って、狼は白熱する光を片手で遮った。

 大きな掌の中で融けるようにかき消えた雷に、雷玉が忌々しげに舌打ちする。


「何だ、お前。(あやかし)のくせに画師の味方をするのか」

「初対面なのに随分とご挨拶だな。俺が人間(こいつ)の味方をしちゃ悪いか?」


 焦げ跡一つない手のひらを目の前でひらひらさせてやると、雷玉はまんまと挑発に乗った。


「当たり前だ! 馬鹿でかい図体しやがって、なんでそんなちびっこいの捻り潰してしまわなかったんだ! その牙は飾りか何かなのか?」

「はっは、こういうのはな、飾りでいいんだよ」


 狼の余裕たっぷりの態度に腹を据えかねたらしく、少女は猛烈な剣幕で罵詈雑言を並べ立てだした。

 その様子はまるで怖じ気づいた獣だ。


 まだまだ理性も経験も足りないのだろう。

 持ち前の気性の激しさと自尊心で見ない振りをしてはいるが、あえて危険に身を晒そうとするのは蛮勇ですらない。ただ不安に決着をつけたいがためだ。


 まくし立てる雷玉の躰からは常に雷気が飛んでいる。

 悪口雑言をあしらうのも飽きてきて、狼はちらりと後ろに目を()った。


「すいません、老狼(らおろう)。できればもう少し雷気を散らしてくれませんか」


 狼の背後で銀の紙にさらさらと筆を走らせていた怜乱(れいらん)が、視線に気付いて顔を上げる。

 じ、と狼を見上げる目は妙に鋭く、静かな迫力があって背筋が凍った。


「お前がもう少しその口調を何とかしてくれるならな」

「……検討します」


 どことなく凄味のある視線で雷玉の姿を確認し、怜乱は再び銀の紙に筆を走らせ始めた。


 そんな彼の手元、ちらりと垣間見えたのは、半ばまで描かれた人物画だった。

 出会った時に見た虎の絵よりも、更に繊細緻密な人物画。

 紙に(はりつけ)にされたかのような姿で描かれているが、それは紛れもなく狼の目の前で喚く少女そのものだった。


 虎の時にも感じたことだが、それは人の手から生み出されたと言うには正確すぎる代物だった。

 通常、人物画などというものは多少特徴を捉えているというだけで、よくよく見れば似ていない物のほうが多い。


 だが、怜乱の絵は違った。

 髪や(まつげ)の一筋から肌の凹凸、着物や装飾品の材質に至るまで。

 省かれ無視されてしまうような細部全てが、気味が悪いほどに正確に描き出されている。

 完成すれば被写体の魂までも惑わせそうな絵姿が、ほんの一尺四方の紙に収まっていた。


 確かにそれは、魂すら宿る資格があるに違いない。

 今はまだ目覚めたばかりで守護役(じぶん)が必要だが、じきに瞬き一つの間に絵姿を仕上げられるようになるだろう。

 そう思うに足るものだった。


 怜乱の手元を見ていたのはほんの一瞬のことだ。

 意識と視線を雷玉に戻し、彼女に向けて手を伸ばす。


 狼の動きに気付いて後ずさろうとする少女だったが、一歩の距離がまず違う。

 牽制に強まる雷気をものともせず、狼はひょいとその首根っこを掴んだ。


「! なにしやがる!」


 抵抗に声を荒げる雷玉の軽い躰をつまみ上げる。

 怒りに燃えた視線がこちらを睨みつけてくるが、狼は風が吹いたほどにも感じない。

 癇癪(かんしゃく)を起こす子供をあやすように目を細め、のんびりと問いかけた。


「お嬢ちゃん、何でわざわざ出てきたりしたんだ? 逃げりゃ良かろうに」

「うっさい、裏切り者に話す理由があるか! ええい、放せ、放せ!」


 怒り狂った雷玉は狼の鼻面に一発くれてやろうと、ぶんぶんと手足を振り回した。

 同時に躰から散った雷火はしかし、黒く濡れた狼の鼻先で吸い込まれるように消える。


「! なんなんだ、お前」


 いくら力の差があると言っても元は狼。

 動物なら敏感な鼻先に雷撃をぶち当てられて、(ひる)まないはずがない。

 そう思っていた雷玉は、想像だにしなかった事態に暴れるのを止め、怪訝(けげん)な目で狼を見上げた。

 

「俺か。俺は老狼(らおろう)。まあ、どっちかっつうと(ふる)い方に属する妖だな。おまえさんらとはちと起源が違う」

「そんなの、説明になってない。お前のもと(・・)はなんなんだって聞いてるんだ!」


 半分笑いながら答える老狼の態度に、再び雷玉の声が大きくなる。


「はっはっは。お嬢ちゃん、他の(やつ)に会ったことはないのか? 

 原形を訊ねるなんて、そりゃ失礼ってものだぜ」


 楽しそうに答えて、老狼は長い爪で雷玉の鼻先を弾いた。


「────ッ!」


 怒りに言葉にならない唸り声をあげ、雷玉は特大級の雷を呼んだ。

 (にわ)かに空が悲鳴のような軋みを上げ、狼目掛け雷撃が(はし)る。


 

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