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2/6 山中

 凍り付いた枯葉をざくざくと踏みしめながら、少年と狼は山中を歩いていた。


 昨日宿から眺めていた方向へ向かっているのだが、それにしてももう少し行き用があるだろうにと狼は考えた。


 少し回り道をすれば平坦な行程を歩けるというのに、少年は起伏を突っ切りただ一直線に進んでいく。

 そして黙々と歩きながら、時折何かを思い出したように懐から白い紙を取り出し、筆を走らせるでもなく中空にぽいと投げる。

 投げられた紙は鳥のような姿に形を変え、瞬く間に音を立てて飛び去っていく。


 興味を覚えた狼が思わずそれに手を伸ばすと、少年はそれこそ『画師(えし)(あやかし)を睨むような』目で睨んできたので、しぶしぶ手を引っ込めた。



「……老狼(らおろう)、暇でしたら妖の気配が近くにないか、探ってもらえませんか」


 午前中だけでそんなことを十度も繰り返した後、とうとう根負けしたらしい怜乱(れいらん)は溜息を吐いた。

 小休止をしようと言って、小さな空き地に敷布を広げる。

 平坦な場所を選んで置かれた盆の上には、小さな徳利と山盛りの団子の皿が置かれている。


「わかった。ならばどんな(やつ)を探れば良いんだ? このあたりにだって二、三匹はいるみたいだぞ」


 団子をつつきながら狼が問う。手酌で酒を注いでいた少年は、徳利を傾けたまま首を振った。


「気配を隠していない妖は感知しているので、問題ありません。ただ、意図的に気配を沈めているようなものや血の臭いがするものについては、もし判れば教えていただければと思います」

「何だ、そんなことならさっさと言えばいいのに。要するに少しまともじゃない気配を探せばいいわけだろう?

 それなら、そうだな、ちょっと遠いが西の方にそんな気配があるぞ。そりゃもう馬鹿みたいに血腥(ちなまぐさ)い」

「遠いとは、どれくらいですか?」

「ざっと二百里くらい向こうだな」


 狼が自信たっぷりに答えると、身を乗り出してきていた怜乱は大きな溜息をついて首を振った。


「……老狼。そんなに向こうに行ったら海に出てしまいます。僕はもっと近く、少なくとも三日以内で歩き回れるような範囲でものを言っているのですが」

「そうなのか。だが、そんな近くにはめぼしい妖の気配なぞ見当たらんぞ」

「……やはり、老狼にはあまり気配感知を頼らない方が良さそうですね」


 やれやれと言わんばかりの少年に、狼は尻尾を振り回した。


「かもな……って、やはりってのは何だ、やはりって」

「老狼は力の強い(かた)のようですし、あまり索敵には秀でていないのではないかと思っていましたので。

 そんなことより、口にものを入れたまま喋らないでください、行儀が悪い」

「昼間から酒をかっ食らってるお前さんに言われたくはないな」


 むっとして言い返すと、少年は自分の持っていた酒杯にちょっと目を落とした。


「……これは行儀とかそういう問題ではなくて、必要なんです」


 抗議してくる少年に、狼は団子の串を振り回しながらいい加減に返す。


「はいはい、判った判った。ところで、良いのか。こんな(ところ)でのんびりしていて」

「ええ、そろそろ戻ってくるはずですから──ほら」


 少年は酒杯から薄い唇を離し、ふいと空を見上げる。

 皿の団子を摘みかけていたいた狼も、つられて視線を上に向けた。


 少年の視線の先、舞っていたのは日差しをきらきらと反射する銀の断片だった。


 鳥のような動きで空を滑ってはいるが、よくよく見ればそれは生き物の形すらしていないことが判る。ただ鳥の形を真似ただけの簡素なつくりものだ。

 目も(くちばし)も羽毛すらない物体たちは、一呼吸の間を置いて少年の視線目掛けて次々と空から落ちてきた。


 ゆらりと中空を落下するそれは、高さの分だけ速度を増して天を見上げる怜乱に肉薄する。


「──おい、怜乱!」


 狼は慌てて立ち上がるが、鳥の形は止める間もなく少年の前髪に突き刺さり、澄んだ金属音を立て次々と消えた。


「──何なんだ、それは」


 十と七つを数えたそれが全て消え去るのを見届けて、狼は詰めていた息を吐いた。


 狼に視線を向けた少年の肌には傷一つ見て取れない。

 瞬きを一つして、彼は答える。


使鬼(しき)、と言います──それより」


 少年は唐突に口を(つぐ)んだ。狼も空気の変化に顔を上げる。


 すうと静寂が落ちるように、濃厚な水の気配が満ちてきていた。

 霧よりも濃密な水が空間を塗り潰していく。

 氷よりも冷え切っているのに凍る気配を見せない奇妙な空気は、冷たさを通り越して熱を孕んでいるかのようですらある。


「──!」


 指先にぴりりとした違和感を覚え、怜乱はわずかに表情を変えた。

 辺りに満ちた水の気配に、いつの間にか雷気が混じっている。


「? どうしたんだ怜乱」


 怜乱の声に気付いた狼が問いかけてくる。


「……いえ、何でもありません」


 いつも通りの無表情で答える少年の言葉を鵜呑(うの)みにして、狼は長い爪で耳の後ろを掻いた。


「そうか。それにしてもなんだかべたべたしていやな空気だな」

「それだけですか」

「うむ……後は、なんだ。耳のこの辺がぴりぴりするような、妙な感じがするよな。(たてがみ)が逆立つというか」


 しきりに耳をばたつかせながら、人間でいう盆の窪あたりをなで回している。

 いささかのんびりしすぎているようにも感じられるその態度に、怜乱は内心で小さく溜息を吐いた。


 同行の申し出は受けたものの、実のところ狼の助力には期待などしていない。

 手助けは単なる口実で、目的は別にあると踏んでいる。

 そうでなければどうして、(あやかし)である彼が画師(えし)である自分についてくるなどと言うのか。


 それに、余裕のあるこの態度。

 気配だけで狼がかなりの力を持っていると知れるが、それだけに今まで他者から敵意を向けられたことがないだろうとも想像できる。人間以外の生物が、自分より強いものに突っかかっていくことは希だ。


 故に、老狼(らおろう)が戦い方を心得ているとは思えない。

 下手に手を出して相手を殺されるくらいなら、黙って後ろで構えていてくれる方がましだと、怜乱は思っている。


「老狼、できればあまり邪魔をしないでくださいね。……それと、相手を殺さないように」

「? 邪魔? なんでだ?」


 狼が首を傾げている間にも、辺りに漂う水の気配はじりじりと密度を増していった。


 水の気配に混じってだんだんと強くなっていく雷気は、すでに時折ぱちぱちと小さな光を発して水の粒の間を駆け回るまでに強まっている。


 画師(えし)の命とも言える指先に、雷気がまとわりついてくるのがとても不快だった。

 こんなに強い雷気が充満していては、血の通った人間なら心臓でも止まりかねない。

 自分はまだ指先が僅かに痺れる程度で済んでいるが、その違和感が命取りになりかねないことはよく知っている。

 相手もきっとそれを狙っているのだろう。


 ──だからきっとそろそろだ。


「老狼、画師がどうやって妖を封じるかはご存じだと思います。ですので、相手が現れたらできるだけ時間を稼いでいただけますか。

 ……ちゃんと手加減して」


 不愉快そうに耳と尻尾をばたつかせている狼に、少年は声を掛ける。

 途端、


「何が手加減だ! さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがって!」


 唐突に雷気を含んだ水が揺れ、ばちばちと音を立てて閃光が散った。

 青白い稲光とともに、どすの利いた子供の声が響き渡る。


「誘導には成功したようです。老狼、気をつけて」


 言い終わらないうちに、目の前に雷が落ちた。


 

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