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随筆

昔、原田宗典の『おまえは世界の王様か!』を読んだ

作者: 惠美子

 かなり昔、文芸雑誌の『ダ・ヴィンチ』で小説家の原田宗典が『おまえは世界の王様か!』の題のエッセイを連載していた。この人も若い頃、文筆家志望の学生の例に洩れず、読書カードを書き留めていた。

 その若かりし頃の読書カードの寸評を読み返しつつ、生意気盛りの大言壮語を面白おかしく紹介し、昔と今の評価の変化や心境を綴り、様々な作家とその作品を伝えてくれていた。

 その中で、石原慎太郎の回があった。

 原田宗典がとある知り合いの編集者に石原慎太郎の作品の読書カードを読ませてみたら、「これはマズイ」と言われた。その編集者が原田宗典に理由を説明した。

 曰く、石原慎太郎は、的外れな悪評をされようものなら、論戦を挑んでくるだけではない、腕力に訴えて相手をやっつけるという。

 どこまで本当なのか、原田宗典も解らなかった。その編集者の話が嘘なのか、原田宗典が連載の原稿を書く際に、その話を面白く脚色してしまったのか、読者のわたしも解らなかった。

 雑誌掲載後に名誉棄損で原田宗典や出版社が石原慎太郎に訴えられたとか、その後の単行本や文庫本の出版で、内容の訂正や削除を求められたような話は聞いていない。そのまま掲載されている。(ということは原田宗典は石原慎太郎サイドから何も言われていないのだろう)

 わたしは石原慎太郎の小説を読んだことがなく、政治家としての姿しか知らない。石原慎太郎の言動から、もしかしたら有り得るかも……、と想像してしまった。

 しかし、小説の評価が低かったからといって、その評者を責めるのは賢いやり方ではない。事実なら不毛だ。

 少なくとも、両者は文章を書くことで収入を得ていたのだ。評論家だって仕事である。そして暴力を行使したら、刑事事件になりかねない。石原慎太郎がいくら有名作家で、金持ちの家の息子だからといって許されるべきではない。

 いやしくも小説家であるなら、次の作品で傑作を書き、その評論家を黙らせるべきであろう。実際、石原慎太郎は作品数が多く、小説家としては評価の高い人物と聞いている。

 岡本綺堂の『修善寺物語』の中で、面打ちの夜叉王が満足できない品を人に渡してしまったと荒れるのを、娘が必死になだめる台詞が出てくる。

「如何なる名人上手でも細工の出来不出来は時の運。一生のうちに一度でもあっぱれ名作が出来ようならば、それがすなわち名人ではござりませぬか。……拙い細工を世に出したをそれほど無念と思し召さば、これからいよいよ精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥を雪いでくださりませ」

 数ならず、及ばぬ身ながら、どんな形であれ自らの表現を発表するであれば、それが正しい姿であると思う。




 学生時代は、本や映画を鑑賞した後は、ノートに感想や批評を書き付けていた。就職し、結婚・出産を経て、てんてこ舞いをしていた頃は、本も映画も気晴らしの一つであり、ゆっくりと咀嚼し、感想を書き付けている暇がなかった。

 転機があった。メンタル面を病んで、病休と職場復帰を繰り返し、精神的にも肉体的にも限界だった。こんなにも病気休暇を繰り返し取得していて、復帰すれば緩和された業務内容をやっとの思いでこなしていく。そんな仕事振りで正職員としての給与をいただくのは職場の仲間に申し訳ない気持ちで一杯であったし、身も心も疲弊しきっていた。それでも家族は退職を勧められているのではないのだから仕事を続けよと言い続け、職場の上司も仲間も、――本音は知らないが――、法改正等経過の知識や経験のある職員がいてくれるのは心強いのだと言ってくれていた。

「病気が寛解していないうちにお給料分、働かなきゃいけないと考えちゃいけません」と、職場の産業医は言ったが、そんなことを考えない人間であればとっくに病は治り、そもそも病みもしなかっただろう。

 気の持ちよう、ポジティブに物を考えようという療法があるのも知っていた。しかし、仕事と、家庭と、スケジュールがあれこれと詰まっていると頭に刻まれていたし、元からの気質がある。ポジティブに考える余裕さえなかった。

 東日本大震災を経験して一年後、長男は大学進学のため自宅を離れ、その半年後、わたしの仕事継続の為なら協力を惜しまないと常日頃から口にしていた良人が県外への異動の辞令が出て、単身赴任となった。

 頑張るしかないよと、わたしは言い、頑張るなんて言わなくていいと良人は言った。

 兄と父が自宅からいなくなり、暗い顔の母と、世話焼きの父方の祖母と三人で暮らすことになった二男も災難だっただろう。

 ここまでお読みになられて、明るい家庭の未来図を想像できた方はいらっしゃらないと思う。

 かなりのごたごたが続いたのち、わたしは仕事を辞めた。

 仕事を辞めたからといって全てが好転するほど、ものごとは単純ではない。

 趣味の読書や書き物は復活した。所謂三食昼寝付きの職業となり、配偶者は単身赴任中とはいえ、一人住まいではない。同居の家族と日々人間らしい生活をしようと心掛けていれば、毎日こなさなければならない家事がある。当時高校生だった二男に心理的な負担を掛けたくなかった。

 家事は時間が細切れになる。朝の時間帯の内におおまかな仕事を終えても、見計らっては洗濯物を取り込み、買い物をし、(自分や姑は生命維持に必要な最低限の食事で平気だが、男性に対してそれは通じない)家族の三度の食事を提供し、片付ける。

 加齢と病の為に集中力に問題がある人間だ。読書中、今いいところだ、書き物をしていて、なんだか乗ってきた、降りてきた、となったら止めたくないのだが、天気が怪しくなってきた、これ以上遅れるといつもの時間に夕食が間に合わなくなると、中断せざるを得ない。家人にとってこれはわたしの個人的な趣味であって、仕事ではないからだ。

 そんな中、やはり読書が趣味の弟から『小説家になろう』というサイトを教えられた。そして、様々なユーザーさんの作品を読み、自分も作品を投稿したくなった。出版社の新人文学賞に応募して、箸にも棒にも引っ掛からぬような作ばかり書いてきているが、好きなジャンルを文字数と締め切りを気にせず投稿できる、マイペースで執筆できる。わたしは自作を書き終えては読み返し、独り悦に入っているような自慰行為で満足したいとは思わなかった。弟からメンタルの弱い人は止めた方がいいと忠告を受けていた。それでも構わなかった。

 わたしは『小説家になろう』を利用するユーザーの中では比較的年齢が高い方であろう。インターネットが発達する以前からの癖があった。

 読んだ作品には必ず何らかの評価を付ける、である。3を標準として、読了したらポイントを付けていた。学生時代のように、である。3未満のポイントを付ける作品もあった。作品にポイントを付けるのに、お気に入りに指定していない作者だと、一つや二つの作品を読んだからといってプロフィールや活動報告をいちいち確認しない。

 これはどうも良くない癖であるらしい。このサイトはプロの文筆家になりたい、そこまで行かなくても良質な娯楽を提供できるような文章を書けるようになりたいと希望して投稿している人ばかりではないとやっと気付いたからだ。趣味や手すさびで投稿している作品を酷評されたら傷付く人がいる、自分のメンタル状態を棚に上げて、人様の心理に鈍感になっていた。低い評価をしても、交流が続いているユーザーさんがいることも油断の一つになっていた。

 著名人の箴言を俟つまでもなく、自分と同じように感じ、考え、行動する人間ばかりではないのだ。自動車学校でも習うような、人間観察の基本事項だ。

 アクセス数はあるのに、感想もポイントもない作品が自分にある。出版社の新人賞の下読みの人が膨大な応募をこなすのに、冒頭のページだけ読んで、これ駄目と判断して投げ出しているパターンなのかと捉えている。無料のwebサイトであるから、面白くなさそうだから読むだけ時間の無駄と判断されたとしても文句は言えない。ただ酷評でも、評価された跡がある方がいいのになぁ、と考えたりもした。貴様の作品は詰まらぬ、下らないと感想を寄せられても、どこがどう良くないのか指摘されるのなら、一時的にへこんでも、新たな創作意欲の糧となるかも知れない。

 そのように考える自分の頭が古くて、お人好しなのかも知れない。

 低い評価なら要らない人には、わたしの癖は目障りであろう。そもそもプロの評論家でもないのにそんな真似をするとは上から目線の忌々しいものなのだろう。

 わたしはまだ五十歳に至らないが、天命の無情なるを知っている。これくらいの年齢になると、若い才能の成長を見る楽しみが出てくる。そんなもの自分の子どもに向けろという方がいらっしゃるだろうが、我が子の成長と、文学上の愉悦は別である。今のところは拙さがあるか、大化けするかも知れないと楽しみにしている人たち(このサイトにもそれ以外にも)がいる。大きなお世話だろうが、そういうことなので、拝読し、評価するのは続けていくであろう。

 バカにつける薬が無いように、人間の性質や癖は簡単に治るようなものではない。

 わたしの評価に対しての抗議に反省するが、恐らくわたしは変わらない。

 わたしの評価に対してのメッセージで、却って自らの性格や弱さ、創作活動への態度など見直すよい機会となりました。今となっては感謝します。



 岡本綺堂の『修善寺物語』は青空文庫より引用いたしました。

 原田宗典の『おまえは世界の王様か!』は、メディアファクトリーより単行本、幻冬舎より文庫本が刊行されていましたが、現在一般書店では取扱していないようです。興味のある方は図書館か古書店で検索してください。

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