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短編小説

掌編小説『陽炎』

掲載日:2015/11/11

 刀にこびりついた血を振り落とし、鞘に収め、ついで、拾い上げたそれを頭から被った途端、季道(スエミチ)の姿は見えなくなった。

「季道様、どこでいらっしゃいますか? 姿が見えません」

 立ち寄った村から勝手に付いてきた童が、季道の姿が見えないと頻りに言う。季道は蓑を脱いだ。

「あっ、季道様」

 では、この蓑は『隠れ蓑』だ。鬼や天狗が持つという隠れ蓑。季道は足下に転がっている鬼に見入った。季道の倍はあろうかという巨体が血に塗れて息絶えている。季道がくれてやった刀傷が赤く全身に這っている。村から拐われて来た女供が口々にお礼を言い、嬉々として去って行く。

「鬼をも殺す季道様、囲われていた女供を救う季道様、わたしを従者として下さいませ」

 名も無き童は熱を帯びた調子で季道に哀願した。季道は、その乞いを無視した。童は纏った襤褸(ボロ)の裾を手繰りながら、ただ微笑んだ。

 村に戻ると季道は英雄として迎えられた。上等な酒と肴、多くの美しい女が宛がわれた。女供は季道の子種を欲しがったが、季道は相手にしなかった。


 季道は諸国の鬼を殺して回った。どんなに強い鬼をも殺す腕利きがいる。その話は朝廷にまで届いた。季道は強い。何処からか、季道は朝廷を倒そうとしているという噂が立った。それは日常に不平を感じる者らの戯れ言であったかも知れない。しかし、その強さに朝廷は脅威を感じるようになった。


 朝廷は刺客を送った。朝廷に仇為す季道を殺せ。だが、季道は隠れ蓑を纏い、姿を消し、探すことすら儘ならない。送られた刺客は、悉く返り討ちにあった。


 ある夏の日、刺客の撒き散らした血の噎せ返る平原。遠く陽炎の中に女がいることに気が付いた。隠れ蓑を脱ぐと女はいない。被れば、いる。懐かしい。季道は歩み、駆け寄り、陽炎を追った。しかし、どんなに近寄ろうとしても、指先が触れた途端に消えてしまう。日々、季道は陽炎を追った。隠れ蓑を被り、懐かしい女の姿を追った。


「季道様、隠れ蓑を被り、どちらへ参っておられるのですか」

 昼日中、姿の無い季道を訝しく思い、童が聞いた。季道は、暫し口ごもり、やがて抑揚なく言った。

「……陽炎の中へ。そこに女がいる」

「なるほど。季道様、もしかすると、それは摩利支天かも知れませぬ。女神様です。摩利支天の印は姿を隠すとされています。隠れ蓑を被れば、隠れた者同士、会うこと叶うのではないでしょうか」

「……いや……あれは鬼だ……」

 季道の恐ろしいまでの形相に童は黙り、それ以来陽炎の話はしなくなった。


 季道は昼になれば隠れ蓑を被り陽炎を追った。ゆらゆら揺れる陽炎の中、浮かぶその幻は確かに季道の母の姿であった。だが、鬼の姿。額に二本の角が現れている。優しく、季道を諭すように微笑んでいる。かつて、母は殺された。人伝てに聞けば、朝廷の命により、源頼光に仕える四天王の一人に成敗されたという。季道は、その一人の名前の一文字『季』を取って我が名とした。鬼の子である後ろめたさ、鬼である母への怨み。そして思慕。我が生命は、この世にあって良いのか。鬼どもの非道は絶え間なく、この耳に届く。鬼を消し、我が血を消す。それが季道の望みであった。


 絶え間無く刺客は送られて来る。彼等は童を目印にして訪れ、季道が隠れ蓑で姿を消せば、童を殺そうとした。季道は姿を現し、刺客を殺した。

 ある刺客は虫の息ながら仰向けに倒れ、血の溢れる喉を押さえ、切れ切れに言った。

「知っているぞ。季道、おのれ、鬼の子なれば、天下に禍いを為すか。いま一度、卜部季武ウラベノスエタケ様に滅されよ。母子ともども……消えて無くなれ、鬼の子よ……」

 季道は、その刺客の体に何度も刀を突き立てた。


 夏は過ぎ、陽炎は消えた。母は、もういない。もとより既に亡い。秋の風が冷たく吹く。その風と共に朝廷からの遣いが来た。遣いは季道に、京に出向くようにと馬上から告げた。

「これは罠に違いありません。行ってはいけません」童は何度も言った。

「鬼の討伐のため、軍の長として迎えてくれるというのだ」

「申し訳ありません。わたしがお側に居るゆえ、自由が効かぬこと……」

「いや、何よりも疲れた。昼夜を刺客から逃げ回ることに。隠れ蓑がなければ、既に死んでいる」

「……しかし、我が身に親兄弟は居りませぬゆえ、季道様だけが……」童は、それより先は言わなかった。


 数日の後、京へ上がると、民は遠巻きにして季道を指差し、「鬼の子」と揶揄した。四方から小石が飛び来て、季道の額から血を吸った。同じように血を吸われた童だけが、ただ微笑んでいた。


 季道は巨大な屋敷の門前に辿り着いた。閉ざされた門は高く、頑な。鬼でも住んでいそうな屋敷。鬼でも溜まっていそうな屋敷。民の多くは襤褸を纏い、あばら屋に住み、食うや食わず。ここが富みを奪い、独り占めにしている。

 突っ立っていた男が首筋に冷や汗を流しながら「そこで待て」と言った。辺りに殺気が漂う。終わりか……。季道は深く溜め息を吐き、軽く笑い、童を見下ろした。おまえは村に帰れ…そう言おうとした。それを制するように、ふいに童が言う。

「季道様…鬼とは何でしょう。鬼を殺して回ることは、季道様の本心でいらっしゃいますか。御心のままに。わたしは死するまで季道様と共に」

「……童、我れが鬼の血を引くと知り、それでも最後まで付いてくると言うか」

「……はい。季道様は季道様です」

 その言葉。季道は刀の柄を強く握り締めた。門がゆっくりと断末魔のような音を立てて開いてゆく。門の隙間、遠目に、御簾の奥、人影が過ったように思った。季道の目は赤く血走り、髪が燃えるように逆立った。季道の体を激しく流れる血の音が童にも聞こえた。朝廷は目の前にある。やがて門は開き切り、弓矢を構えた軍勢が眼前を遮った。キリキリと弓を搾る音が心臓を締め付ける。季道は天を仰ぎ、大きく息を吸うと、童に告げた。

「下がれ。そして見届けよ。我は、これより鬼を殺して回る」

「季道様、ご武運を」童は顔を歪めて涙を流し、しかし、微笑んだ。その濡れた目には季道が陽炎の中にいるように見えた。

 季道はひとつ頷き、手にした隠れ蓑を童に被せた。ついで正面の軍勢を睨み付け、静かに刀を抜いた。


    [了]







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