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四十時限目 皇帝と魔王

キリがいいとこまで書いたら長くなりました。

また少し書き溜めします。




 引き攣らせた顔を何とか取り繕うと凛ちゃんは盛大にため息を吐いた。ただしその眼はひどく冷たいものに見えた。


「怪我もしてないようでよかったわ」

「な、なんで凛ちゃんがここに……」


 対する俺はパニックもパニック。大パニックの極みである。

 訳わからん孔に落ちて(爺さんの話を信じるなら)アズミルズからエルミルズとかいう別世界にやってきたワケだが、その孔は滅多に開く事は無いという。そうそうアズミルズには戻れないっていう爺さんの言を信じて、だから俺は雅達の為にも何としても戻るんだ、どんな事をしてでもアズミルズに戻るんだ! とつい今しがた悲壮な覚悟を固めたってのに。

 え? 凛ちゃんがやってきて? どうやって? しかもなんでメイド服?


「驚くのも無理はないわ。武内クンが孔に落ちたのを見て慌てて追いかけてきたのよ」

「だ、だけどそしたら凛ちゃんも……」


 戻れないんじゃないだろうか。

 そう思って俺の中に非常に申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。だって凛ちゃんには先輩が居るから。前に先輩の家に行った時も、凛ちゃんは先輩の事を心配していた。学校で一人でいる先輩のことを案じて、俺なんかに先輩をよろしく頼むって頭も下げてくれた。

 その様子は、血は繋がってないけれど先輩と凛ちゃんは家族だって強く感じさせた。それは多分、俺と雅の関係に似ている。俺が雅の事を強く案じているのと同じように、凛ちゃんだって先輩が、今だって心配なはずだ。だっていうのに……


「大丈夫よ」


 凛ちゃんは俺に近づくと背伸びして頭を撫でた。子供扱いするなって、恥ずかしくていつもなら手を振り払うだろうけど、今は体は動かなかった。

 そして柔らかく、あのいつも学校で見せてた笑顔で俺に向かって微笑み掛けた。それだけで俺はすごく安心できている事に気づいた。


「だってこれでも私は武内クンの担任だもの。心配することは無いわ」

「でも! 凛ちゃんが戻れなかったら先輩が一人に……」

「大丈夫……今ならまだ間に合うわ」


 表情をキリッと切り替え、凛ちゃんは俺の手を引いて階段を上ろうとする。


「牢屋の鍵開けからしようとすると間に合うか分からなかったけど、武内クンが自力で出てくれたおかげで余裕があるわ。それでも急がないといけないけど」

「……なんじゃ、よく分からんが良かったの。助けてくれる人が居て」

「爺さん」

「……邪魔をするつもりですか?」


 牢を管理する爺さんからすれば、俺に逃げられるのはまずいはずだ。凛ちゃんも爺さんに向かって身構え、表情が消える。優しかった笑顔がなくなり、冷たい目が爺さんを捉えるが、爺さんは椅子に座ったまま首を横に振った。


「儂はアズミルズの人間がエルミルズに居ることは自然な事と思わん。アズミルズに戻れるんであれば、この国なんかに身を捧げるよりもお主の帰りを待つ人達と時を過ごすのが良かろうて」

「爺さん……

 でも良いのかよ、俺が居なくなったら爺さんが……」


 管理者責任を果たせなかったとして爺さんが罰せられたりしないだろうか。そう俺は懸念するが、爺さんは「ふぉっふぉ」と明るく笑ってみせる。


「そもそも牢自体が破壊される事なぞ誰も想定しとらんて。強化魔法の掛かった牢を破るような輩に儂のようなただの爺が何をできようて。責められるとすれば儂よりも魔法を掛けた魔法士連中じゃろう」


 自分のせいで誰かが罪に問われるのは心苦しいところもあるが、俺を捕まえたのもこの国の連中だ。爺さんに累が及ばないだけでも良しとするか。


「引き止めはせんがお嬢さん、最後に一つ教えてくれんかの?」

「……何ですか?」

「そう警戒せんでもええ。特に時間稼ぎの意図も無いからの。儂が知りたいのはただ一つじゃ。

 エルミルズからどうやって戻るつもりじゃ? 儂が知る限り、アズミルズに戻るにはユースティールの王族しか術を知らんはずじゃが……

 まさかお主が行方不明の……」

「いえ、私は違いますよ」


 凛ちゃんは無表情のまま否定した。


「ですが……そうですね、生じた孔が閉じた後であってもしばらくはそこは不安定なままです。そこに高密度の魔力をぶつければ孔をこじ開けることはできます」

「……魔力さえぶつければ誰であろうと開ける事が出来ると?」

「ええ。本人の魔力でなくて、魔道具に込められたものであっても」

「……そうか」


 爺さんは小さく頭を振った。シワでいっぱいで、長く伸びた眉毛で半分隠れた眼には、何か深い想いが見え隠れした。そんな気がしたが、深く刻まれた年輪によって遮られて俺には上手く読み取れなかった。


「邪魔したの。衛兵連中がやってきたら多少じゃが儂が時間を稼いでおく。はよ行くがええ」


 追い払うように「シッシッ」と手を俺らに向かって振った。そして転がった湯のみを拾い上げると、それきり何も言わずに奥の方へと引っ込んでいった。


「……行きましょう。あまり時間に余裕は無いわ」

「あ、うん。分かった」


 爺さんの最後の眼差しが気になりつつも、動き出した凛ちゃんの後に続いて俺も階段を登る。今のところ誰かが来る様子も無い。凛ちゃんがどうやってアズミルズに戻るつもりなのかイマイチ理解できてないが、ともかく今は付いて行くしか無いだろう。

 細い石畳の階段を進み、三十分も経ってない少しの時間過ごした牢が遠くなる。だっていうのに何故だか寂しさを覚えた。

 螺旋状の階段のため、牢は見えなくなって足音だけが微かに響く中、あの爺さんの呟きらしきものがかろうじて聞こえた。


「儂も……あの時すぐに動いておれば戻れたのかもしれんのぅ……」


 逃げることに集中していた俺はその呟きの意味をうまく理解できなかった。

 そして俺はまた青空の下に飛び出した。




☆★☆★☆★☆★☆★




 皇城のとある一室の中、彼は一人執務机に向かっていた。

 部屋の中には数人が横になれる程の大きさのベッドがあり、天蓋からはレースのカーテンが降りている。床には毛の長い絨毯が引かれ、木製の本棚にはぎっしりと本が入っている。背表紙には経済や政治、軍事などに関するタイトルが並んでおり、そのどれもが古びて所々擦り切れ、年季を感じさせる。また戸棚にはグラスとワインボトルと思しき瓶が並び、新鮮なフルーツ入りのバスケットなども置かれていて部屋の持ち主が日常をこの部屋で過ごしていることが伺える。

 彼は一度書類から眼を離すと、椅子の背もたれに体を預けて天井を仰いだ。天井では繊細な意匠が施されたシャンデリアが下がっていて、綺羅びやかな光を放っている。高貴な人間が見てもその素晴らしさに眼を見張るだろうが、眼の疲れを覚えている彼にとってはその眩さは天敵でしか無かった。

 机上に視線を移せば依然うず高く積まれた書類の山がある。それを見て彼は一際大きな溜息を吐くと、手に持っていた万年筆を放り出して椅子を回転させ、立ち上がった。


 窓の方へ歩いて行く。一辺が数メートルに及ぼうという巨大な窓は南東を向いており、午後の今は穏やかな光を部屋に導いていた。差し込んだ陽の光が彼の白い肌と黒味の混じった銀髪を照らした。

 小高い位置にある城からの風景は雄壮の一言に尽きる。遠くには山嶺が寡黙に雲の笠を被って雄々しい姿を見せつけている。城から伸びる下り坂を降りた先には、視界に収めきれない程の広さを誇る帝都がある。ここまで喧騒が聞こえてきそうな程に勢いがあるそこでは彼を皇帝として慕う多くの人々が生活を営んでいた。

 出窓となっている箇所に肘を突き、しばし彼はぼんやりと眺めた。疲れた頭を癒すため、頭を空っぽにする時間というものは重要だ。昼夜を問わず思考を巡らす彼だが、休息の重要性もまた理解している。

 五分か十分か。束の間の安息を楽しんだ彼は、気を取り直して再び職務に戻ろうかと机に向き直った。しかしその脚がすぐに止まり、彼は疲れたような深い溜息を再度漏らした。


「……いつも言っているだろうが。入ってくる前にはノックくらいはしろと」


 扉が開いた様子は無かったはずだが、振り向いた先のドアには黒いマントを羽織った一人の女性が背を扉に預けていた。

 紫がかったミディアム・ロングの髪を弄くり、マントの裾から覗く脚は白くほっそりとしている。容姿は端麗の一言。十人がすれ違えば十人が振り向くだろう美人だ。それでいて中性的な雰囲気も持ち合わせている。

 女性は部屋の持ち主である皇帝に向かって「やあ」と気安く挨拶をすると「まあまあ」と口端を楽しそうに歪めながら歩み寄ってきた。


「そんな堅いこと言わなくてもいいじゃないか。私と君との仲だろう? それとも君はあれかい? 私が礼儀正しく君に傅いで恭しくしている姿が見たいのかい? 本来ならば相手が誰であろうとそんな事をするつもりは毛頭ないんだが他ならぬ皇帝陛下殿の願いだ。喜んで膝を突いて頭を垂れてあげよう」

「それだって見慣れないお前の様子に狼狽える俺をからかうためだろうが。誰にだって敬意を払うつもりなど微塵も無いくせに、よく言う」

「おや、そう思われているのは心外だね。私は誰にだって敬意を持っているさ。ただその敬意を表に出すかどうかは別だがね」


 人を食った物言いをする彼女に対して、皇帝は何度目か分からない溜息を吐きながら椅子に座る。この人には何を言っても無駄だと分かっているのについつい文句を言ってしまう自分が愚かなのだろう。

 そう思いつつ彼は再び職務に戻った。これ以上まともに相手をしていれば自分が疲れるだけだ。しかし、それでもこれだけは言っておかなければならない。なぜならば――


「百歩譲って勝手に部屋に入るのは構わない。だが――頼むから服だけは着てくれ」


 ――彼女は裸であったから。


「おっと、これは失礼。アズミルズに居る時はずっと猫の姿だったからね。全裸で居ることにすっかり慣れてしまって服という概念を失念していたよ」

「いや、お前は昔から裸がデフォルトだっただろ」


 裸に黒マントとかいう斬新過ぎるファッションを一瞥して、すぐに書類に目を落としながら彼は言った。随分と長い付き合いであるが、彼女の突飛な行動は今に始まった事でない。そして人前で服を着ないという非常識も彼女の中では常識の中の一部と化しているらしく、昔から裸でいることを好んでいた。

 皇帝自身も幼い頃からこの変態の裸姿を幾度と無く目にしてきており、最早その裸体を目撃したところで何の感想も浮かんでこない。

 それでも若き皇帝はチラリと女性を見た。出てくるのはため息ばかりであった。


「人の姿を見てため息なんて、やはりそれだけ私が魅力的で罪作りな女だということだと受け取っていいのかな? ねぇ、エルヴィンス・ヴァントレイア陛下?」

「天才というのは頭のネジが二本も三本もぶっ飛んだ連中の事をいうんだろうな、と再認識しただけだ。魔王――ユスティニアーノ・クーゲル」


 悪態を吐くエルヴィンスだったがユスティニアーノは「へぇ」と感心したような溜息を漏らした。


「それを言うなら君もそうじゃないかな?

 父である前皇帝を暗殺する手腕に、簒奪者にも関わらず家臣を完全に手中に収める人心掌握術、この広い帝国領をその若さで平然と統治する能力。とても二十そこらの若者に出来ることではないと思うがね」

「……」

「ああ、別に責めているわけでは無いよ。むしろ褒めているのさ。私もエルミルズに生まれたものとして、大陸に混乱をもたらした前皇帝の拡大戦略は好ましいとは思わなかったし、君のその才に比べれば欲望だけが肥大化していて明らかに皇帝の器では無かった。廃位すべきというエルヴィンスの判断は間違っていなかったと思うし、その決断をした君の覚悟には敬意を示すよ」

「相変わらずよくしゃべる奴だ。それで、今日は何の用だ? 見ての通り俺は忙しい」


 エルヴィンスは新たな書類を手にとってはサインをしていき、ユスティニアーノには目もくれずに用件を尋ねる。その態度は早く出て行けと言わんばかりだったが、ユスティニアーノは敢えてそれを無視して笑った。


「別に用なんて無いよ。せっかくこちらに戻ってきたのだから旧交でも暖めようと思っただけさ」

「ならまた今度にしろ。お前の為にわざわざ時間を割くなど勿体無い」

「君もつれないねぇ。せっかくお土産も持ってきたというのに。まあそれなら仕方ない」

「ちょっと待て」肩を竦めて部屋を出ていこうとするユスティニアーノをエルヴィンスは呼び止めた。「土産だと?」


 エルヴィンスは頭を上げてユスティニアーノの顔を見た。彼女の顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。

 皇帝は直感した。土産などと言っているがとんでもない。絶対にまともな物では無いだろうと。

 過去にこの部屋を訪れるいずれの時も土産などと称してふざけたものを持ち込んできた。

 ある時は他国を恋人と共に出奔した王子を。

 ある時は自分の暗殺を企んでいた闇ギルドのトップを。

 またある時は不正蓄財ごと他国に亡命しようとした大貴族を。

 いずれも相手を口にするのもはばかられる程に面白おかしいたわけた状態にした上でこの執務室に放り込んできて、エルヴィンスはその度に事態の収束に頭を悩ませたものだった。

 どんな相手にも敬意を表さず、どんな相手にも跪かない。それを誰も強制できない。例え、この大陸で覇を唱える帝国皇帝であっても、だ。

 だからこそ彼女は「魔王」であり、だからこそエルヴィンスの「友人」であり続けられる。そして、故に彼は常日頃のふざけた態度と同じくその思考回路もまたふざけたものであることを長い付き合いから知っていた。

 そういった事情からエルヴィンスの目に濃い警戒の色が浮かぶ。それを見てユスティニアーノは一層口端を歪めた。


「そんなに警戒しなくても大丈夫さ。きっと君も気に入るよ」

「お前は自分の思考が常人からかけ離れている事を理解すべきだな。どうせまともな……」


 眉根を寄せた難しい表情を浮かべてエルヴィンスは文句を口にしていたが、途中で扉がノックされて遮られた。

 エルヴィンスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「陛下、ブランドルにございます」

「宰相か。入れ」


 エルヴィンスの許しを得て恭しい仕草で入ってきたのは禿頭の男性であった。実務の腕を買われ、先代皇帝の頃から皇城にて政務を中心に職務を果たしてきた彼であったが、やはり国の中枢で中心的な役割を果たすというのは激務である。その労苦ゆえか、齢六十にも届く前であるというのにひどく年老いて見えた。体はやせ細り目元も落ち窪んでいたが、その奥で光る眼差しは強い生気を感じさせる。

 先帝の愚政を止めることは敵わなかったが、あれ程までに外征を繰り返してなお国が傾かずに済んだのは偏にこの宰相の手腕に因るところが大きかった、とエルヴィンスも認めている。それでいて帝位の簒奪や皇家の人間を傀儡にして更なる実権を握ろうという野心を見せず、国の維持・発展に身を粉にして腐心するその様はエルヴィンスから見ても好ましく、数少ない相談相手として重宝していた。


「おや、ユスティニアーノ様。お久しぶりですな」

「やあブランドル。相変わらず今にも死にそうな顔色だね。また頭が禿げたかい? もし望むなら良い毛生え薬を調合してあげようか?」

「はは、ご挨拶ですな。陛下が素晴らしい政策を日々考案なさるお陰で忙しい毎日を過ごさせて貰っておりますよ。それでも陛下がご自身でも日々政務に邁進して下さるので以前とは比べ物にならないくらい楽になっておりますし、何より国が日々発展していく様を見るというのはとても励みになりますから。それと、このハゲ頭は我が家系によるものですのでとうの昔に諦めておりますよ」


 相手は国を支える重鎮である。他の貴族や使用人などから見れば余りにも不敬に過ぎて即座に処断されるようなユスティニアーノの物言いだが、この場にはそれを気に留める者はいない。そもそも、今この場で年長なのはユスティニアーノなのだから。

 見た目は二十代前半に見えるユスティニアーノだが、その実年齢は本人以外誰も知らない。ブランドルが皇城に勤め始めて三十年近くになるが、当時から魔王であるユスティニアーノの容姿は変わっていない。ともすれば、以前より若返っているとも思えた。

 そして彼女は幼きエルヴィンスの家庭教師でもあった。だからと言って先ほどの会話の様にユスティニアーノに対して頭が上がらないというわけではなく、悪態をつける程には気安い関係でもある。無論、エルヴィンスにとっては迷惑極まりない客で有ることに違いは無いのだが。


「ちょうどいい、ブランドル。こいつに服の準備を頼む。部屋の中を裸でうろつかれるのは落ち着かん」

「分かりました。それでは……」


 エルヴィンスに一礼するとブランドルは扉の傍にあった鐘を鳴らして侍女を呼び出す。


「ユスティニアーノ様がお見えだ」

「畏まりました」


 入ってきた侍女もまた一礼すると一度部屋を出る――事は無く、部屋に備え付けのクローゼットから執事服を取り出してユスティニアーノに着せていく。


「……おい、ブランドル」

「はい、何でございましょうか?」

「どうして俺の部屋にコイツの服が置いてあるんだ? しかも何故に執事服だ?」

「ユスティニアーノ様が居らっしゃる時はいつも御服を召しておりませんからな。急なご来城になりますから、何時いらっしゃっても対応できますように陛下のお部屋に準備させて頂いております。執事服なのはご本人がお望みでしたので」


 しれっとした顔でブランドルは言ってのけた。


「それならば俺の部屋に置いておく必要は無いだろうが」

「どうせユスティニアーノ様は陛下の部屋にしか現れませんからな。こちらに準備させて頂く方が合理的です」


 実務家らしい発言であった。


「……まあいいだろう。ブランドルのその合理性は俺も買っている」

「お褒め頂きまして恐縮でございます」

「それで、お前は何の用だったんだ? 俺にこうも書類を送りつけてくる以上、お前も暇ではあるまい」

「おお、そうでした」


 すっかり忘れていた、と言わんばかりに禿頭に手を当ててブランドルは天井を仰いだ。

 居住まいを正してブランドルはエルヴィンスの執務机の前へと進み出ると、本来の目的である報告内容をエルヴィンスに行う。


「部下から報告がありまして、先ほど城の庭にて侵入者を発見、捕縛致しました」

「ふん、また侵入者か。今度は何処の間諜だ? リヒトラインか? それとも頭の狂った教国の連中か?」

「いえ、その何れでもありません」

「ならユースティールの残党共か? まあどこでもいい。その阿呆に自らの愚かさを思い知らせてやれ……と言いたいところだが、その程度の話で俺の所へ来るお前ではあるまい。何があった?」


 書類仕事を再開しながらもエルヴィンスは尋ねた。


「それなのですが……私もまだ報告だけ聞いたまでですので確証はございませんが」

「構わん。話せ」

「恐らく、アズミルズから落ちてきた者と思われます」


 その報告にエルヴィンスの手の動きが止まった。

 顔を上げてペンを置き、机に肘を突いてようやく視線をブランドルへと移した。


「なぜそう思う?」

「兵士によれば証言が荒唐無稽で、また衣服についてもこちらでは見慣れないものであること、加えて門兵に聞いてもその様な者が門を通過したという事実はありませんでしたので」

「その者は何と言っていた?」

「なんでも、孔に落ちて気がついたらここに居た、と」


 報告を聞きエルヴィンスは舌打ちをするとユスティニアーノを睨みつけた。


「これがお前の言っていた『土産』か」

「ふふ、さぁ? どうだろうね?」


 人を喰った様な態度を崩さないユスティニアーノに苛立ちを覚える。執事服に着替え、髪を後ろでアップにした様は、本人の中性的な容姿も相まってひどく似合っていて、何処かの貴族の屋敷を探せばこういった執事も居るであろうと思う。それだけにその態度が尚更腹立たしい。

 視界の端で笑うユスティニアーノを無視してエルヴィンスはブランドルに詰問をした。


「……アズミルズからやってきた者は速やかに保護する様に通達していたはずだが?」

「兵士の多くは平民出身ですからな。アズミルズというものそれ自体を知らなかったのでしょう。言葉は知っていてもそれが何であるか、彼らには想像も出来ないでしょうからな。特に新規に雇い入れた兵の教育もまだ済んではおりませんので思い至る術も無いかと。

 それに、見た目上は我らエルミルズの民と区別は付きませんからな。まして突然城内に現れたとなれば混乱も已む無しかと。そういうものと知っていれば対応できましょうが、不法侵入を許したとあれば、先帝の時代であれば即座に打ち首となってもおかしくありませんでしたから兵士も必死だったのでしょうな」

「ここでも父上の愚政が私の脚を引っ張るか……」


 何時の時代でも戦争は多額の費用を要する。先帝の時代も当初は財政に余裕があったが、外征を繰り返せばその余裕もすぐに消え資金不足に陥る。税を異常な水準まで引き上げて何とかやりくりしようとするが、それは悪手であり帝国領は荒れ果てた。

 予算は有限であり、年々増大していく軍事費の煽りを受けてのは国民の教育福祉費であった。これにより国内の教育水準は低迷し、優秀な人材は時を追う事に枯渇していく。だが先帝はその事にすら気づかなかった。エルヴィンスが実父を打倒しなければ今尚水準は低迷を続けていただろう。


「頭の痛い問題だが教育が行き届くには時間がかかる。今一度対策を加速させろ」

「承知致しました」

「それと、捕らえたアズミルズからの来訪者と会いたい。まだ牢に居るのだろう? 連れて来るよう伝えろ」

「重ねて承知致し……」


 ブランドルが了承の旨を伝えようとした時、再び扉がノックされた。エルヴィンスがうんざりした顔で開けるよう伝え、侍女が対応していたが、その侍女がブランドルの元へ近づくと耳打ちする。

 ブランドルの顔が苦虫を噛み潰した様に歪んだ。


「良くない知らせの様だな」

「は……先ほどのアズミルズから迷い込んだ者ですが……脱獄したそうです」


 そして今度はエルヴィンスの顔が苦く歪んだ。

 次いでユスティニアーノをもう一度睨みつけるが、彼女はドレスから露出した肩を大きく竦めてみせた。


「私の仕業じゃ無いよ? 何かあったらすぐ私のせいにしてしまうのは、私が優秀すぎるからかな?」

「大体がお前が絡んでるからだ。

 ブランドル。その人間を絶対に城から出すな。街に逃げられて野垂れ死にでもされたら損失は大きいものになる」

「はい。今回の迷い人が如何なる人物か定かではありませんが、他国に確保された場合、潜在的な敵となるかもしれません。何としても見つけ出させましょう」

「であれば私に任せてもらおうかな」


 ユスティニアーノの言葉にエルヴィンスとブランドルは同時に振り向いた。

 彼らが不安を覚えながらユスティニアーノを見た時、既に彼女は詠唱を開始していた。

 一瞬、エルヴィンスは身構えた。だがユスティニアーノの幼少期の教育の賜物か、すぐに彼女の魔法が誰かを害する類のものではないと気づいて肩の力を抜く。そんな陛下の様子を見てブランドルも同様に緊張を解いた。

 短い詠唱の後、彼女の手の中が光る。それを空中に解き放つと光は一瞬で膨張し、三人の前に巨大なモニターの様な物に形を変えた。

 初めは不鮮明だったモニターの中が徐々に鮮明になっていき、ハッキリと判別が出来る程に綺麗な映像が映し出された。


「これは……城ですかな?」

「そう、この城を上空から写したものだよ。これなら探しやすいでしょ?」

「そうですな。外に逃げたのであればすぐに見つけることが出来るでしょう。しかしこれ程の広域を鮮明に写し出すとは……さすがは魔王殿と賞賛すべきでしょうな」

「こいつに賞賛の言葉など勿体無い。罵声で十分だ」

「おやおや、それじゃ私も性癖を変えないといけないね。だが大丈夫。私はサドでもマゾでもどちらでも行けるクチだからね。君から罵声など浴びせられたら直ぐにでも昇天してしまいそうだ」

「もう死んでしまえ」

「それでユスティニアーノ様、迷い人は何処に」

「おっと、エルヴィンスのせいで話が逸れちゃったじゃないか。ちょっと待っててよ」


 執務机の上で拳を震わせるエルヴィンスをユスティニアーノ、ブランドルの両名ともに無視して空中モニターに注目する。

 ユスティニアーノが眼を閉じて魔法の構成を変更していく。何かを動かすように空中を両腕が泳ぎ、その動きに合わせてモニターの中の映像が切り替わっていく。


「居た居た。おや、一人じゃないんだ。彼女が助けだしたのかな? まあいいや。それじゃあ……」ユスティニアーノは眼を開けるとチェシャ猫の様にいたずらな笑みをエルヴィンスに向けた。「我らが皇帝陛下に面白いものを見せてあげよう」

「面白いものだと?」


 エルヴィンスは怪訝な表情を浮かべる。目の前の魔王が面白いと評する時は、大概が自分にとって碌でも無い時だと経験則から知っている皇帝は眉根に深いシワを寄せてモニターを睨みつける。

 楽しそうな笑顔を浮かべたユスティニアーノは、果たしてモニターに逃走者の姿を写しだした。


「彼が……まだ少年の様ですな。それと隣に居る女性……なるほど、彼女の手引で脱出したのでしょうな」

「らしいな。侍女服など着ているが動きは侍女どころか間諜としても優秀だな。何時から潜り込んでいた?」

「申し訳ありませんが存じ上げません。こちらも調べておきましょう」


 城壁などの遮蔽物の影から付近の様子を伺いながら逃走する直と凛。身を低くして俊敏な動きを見せる凛が先導し、直が彼女に何とか遅れないよう付いていく形で逃げていく。しかし、上空からこうしてモニタリングされているとはさすがに気づいてはいないようだ。


「なるほど、確かに面白いものを見せてもらった。まさか他国の人間が既に城内に紛れて居るとはな。感謝しよう、ユスティニアーノ」


 ユスティニアーノが持ち込んできたにしては、想定外に実りのある物だった。

 そう考えて謝辞をエルヴィンスは表したが、ユスティニアーノはそんなエルヴィンスを見て首を傾げた。


「何を言ってるんだい? 私がわざわざその程度のものを君に見せると思うのかい?」

「何だと?」


 まだ他にあるというのか。

 そう思いながら画面を凝視してみる。しかし先ほどから映像は二人の姿を捉えているばかりで、他に気になるような箇所は無い。ブランドルを見上げてみるが、彼もまたエルヴィンスと同じように魔王の意図したものに気づいていないようだった。


「察しが悪いね、二人共。ならこれでどうだい?」


 言葉と共に映像が再び切り替わる。今度は直の顔がアップになる。

 エルヴィンスが音を立てて立ち上がった。


「……そういう事か」

「これは……まさか……!?」


 エルヴィンス、ブランドルの二人が揃って言葉を失う。そんな様子を見てユスティニアーノは「悪戯が成功した」と言わんばかりに笑い声を上げた。


「やってくれたな、ユスティニアーノ。また面倒事を持って来おって」

「かもしれないね。だけど君の表情はそう思っていないようだけど?」


 指摘され、エルヴィンスは笑みを隠すように口元で手を組み合わせた。

 しかし隠し切れなかった目元はモニターを捉え続け、直の姿をじっと見つめていた。

 人相の悪い(・・・・・)目元が、楽しそうに直を追い続けていた。




世界が変わっても露出狂はいるもんだ

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