三十七時限目 疑問を解消したいです(その2)
昨日から更新してますのでご注意ください。
夏といえども夜になればこのところ涼しい。それは結構な頻度で夜半に雨が振ってるからかもしれないし、梅雨も完全に明けきっていないから日中の陽が雲間から顔を出している時間が少ないせいかもしれない。
夜風が優しく路地を流れていく中、俺は一人先輩のアパートへ向かっていた。
夜も九時を回っているせいで人気は無い。元々が住宅街で、この辺りの大半の住人はすでに帰宅してまったりと家族団らんの時間を過ごしているはずだ。カーテンの隙間からの光を横目で眺めながら、何となく明るい雰囲気も一緒に漏れてきているような気がして、口元が緩んだ。
規則正しく並んだ街灯が俺を誘っていく。先輩のアパートまではウチから歩いて三十分ちょい。急いで歩けば三十分を切れるだろう。気は急くが、さすがに走っていくのはしんどい。
「びっくりするだろうな、先輩」
こんな夜更けに女の家を訪ねるなんて、我ながら迷惑な野郎だよホント。ましてそれが色っぽい話でも何でも無くて、理屈じゃなく胸騒ぎがするからっていうだけなんだからな。
まあこれで何事も無ければ笑い話で済む話だしな。凛ちゃんの目も恐ろしいが、そこは土下座でもなんでもして許してもらおう。誠心誠意込めて謝れば先輩も凛ちゃんも許してくれる……はずだ。きっと。たぶん。メイビー。
歩いて行くに連れて、いつか見た景色に変わっていく。
建物が一軒家からマンションが主になっていって、その高さも少しずつ高くなっていく。一軒家もウチの様な建売じゃなくて、おしゃれで見るからに高級そうな門を携えた、到底俺には一生縁がなさそうな立派なものばかりだ。
離れたところから見るマンションの、各階に灯った通路灯もありふれた白色灯じゃなくて温かみのある橙色灯や、さながらネオンサインの様に色鮮やかに彩られたマンションの姿もある。そのせいか、代わり映えしない街灯さえもおしゃれに計画された並びの一部のように思えてきてしまう。
「……ホント先輩のイメージはこっち側なんだけどな」
先輩がぶっ倒れた時も先輩を背負ってこうしてこの道を歩いたが、それももう一ヶ月以上前の話か。だというのに未だにあのボロっちい昭和荘に先輩が住んでいるという事実が馴染まない。
「にゃぁ」
いや全く、時の流れとは随分早いもんだ。もっとちっさい頃は一日が長くて、早く大人になりたいと思っていた俺は時間の流れの遅さに時々やきもきしたが、高校生にもなるとこんなにも早いもんなのかね?
「にゃあ」
そうそう、そういえばあの時もこうして猫が鳴いてたっけな。綺麗な白猫で、どこぞのセレブの家で飼われてるんだろうそいつが塀の上を歩きながらトコトコとついて来たっけ。随分と可愛いもんだったな、アイツ。
って。
「……」
「にゃあ」
またお前か。
いつの間にか足元にやってきたいつぞやの白猫は俺の行く先に鎮座すると、鋭い歯を微かに見せながら鳴き声をあげて顔を洗った。その姿は真っ白な毛並みも相まってとても愛らしい。
「……やれやれ」
構ってほしいのかねぇ。
しゃがみ込んで「ほれほれ」と手を差し出してみるが、そいつは眠そうにアクビをするとトコトコと歩き始めた。
「……なんだよ」
冷やかされただけか。ため息を吐いて立ち上がって先輩の家へ再度歩き出す。
すると白猫は俺の方を振り返ってまた座った。金持ちの家の猫は育ちもいいのか、俺が近づいてくるのを行儀よく座って待っている。
一足の距離まで近づくと猫はまた立ち上がった。そしてマンションとマンションの間の細い路地の方へと歩き始めて俺の方を振り返る。なんだ? 付いて来いって事か?
「にゃあ……」
「来ないの?」とでも言いた気なその愛くるしい仕草に、ついつい俺も脚をそちらへ向けたくなる衝動に襲われる。だが可愛いネコさんよ、そっちは俺の目的地とは違うのだよ。
ゴメンな、と心の中だけで謝って俺は道をまっすぐに進もうとする。猫の前を横切っていくが、その時、足元に微かな抵抗感が。
見下ろしてみれば白猫が足元までまたやって来て、爪を俺のズボンの裾に引っ掛けていた。そんなにも俺を連れて来たいのかね、チミは。
だがよ、君が俺を連れて行きたいように俺も行きたい場所があるのだよ。だから今回は諦めておくれ。そしてまた別の人にお願いしてみな。時間に余裕がある人なら、君のその愛くるしい仕草で誘惑すればイチコロだろう。逆に誘拐される危険はあるがな。
しゃがみ込むと、この白猫を傷つけないように前足を出来る限り優しく持ち上げて爪をズボンの生地から剥がす。脇(猫の場合は股と言うべきなのだろうか)の下に手を入れて持ち上げ、向きを俺の方から逆に向けて地面に降ろす。
「ワリィけど俺も急いでんだ。また今度な」
また出会う機会があればだが。
内心でそうつぶやくと、今度こそ俺は既に目と鼻の先になっている先輩の家に向かって進み始めた。
……のだが。
「やれやれ……こんなにも熱心なレディの誘いを断るなんて、女性の扱いがなってないな。まあ、良質な扱いを童貞君に求めるこちらが愚かなのかもしれないがね」
そんなため息混じりのハスキー声に脚を止めざるを得なかった。え? 何、今の声? てかなんで俺罵られてんの?
そこはかとなく精神的ダメージを与えてくる声の主(推定女性)を探して俺は振り向いた。だがそこには今俺が歩いてきた道と、それを照らす街灯が明々として突っ立っているだけだ。人っ子は一人としていないし、ましてやこんな時間である。女性の姿など余計に居るわけもない。
「こらこら、何処を探してるんだね。ここに居るだろう、ここに」
と、再び声が。視界を真正面から少しずつ下ろしていく。
そこには先程の白猫が。
「……!?」
「ふむ、そうして驚いてくれるというのは存外に嬉しいものだな。こちらでは色んな人を驚かせる『どっきり』なる番組が流行っているというが、今度私も見てみようかね?」
猫が……しゃべってる?
それだけでも十分に驚きなんだが、地面に座る仕草はさっきまでの猫然としたもんじゃなくって、あぐらを掻いて太ももの上に前足の肘(この場合は膝か?)を突いて頬杖してやがる。ため息混じりにしゃべるその様子はさながら何処ぞのおっさんだ。右前足にタバコでも装備すれば完璧だろう。
「……」
とりあえず無言で猫を持ち上げる。前後をひっくり返したり首元の首輪の辺りを調べたりしてみる。が、何処にもスピーカーらしきものは見つからない。再び正面で向き合って体を障ってみるが、やはりそれらしきものは何処にもなさそうだ。
となると、本当にこの猫が喋ってることになるんだが。
「……疲れてんのかな、俺」
「至って君は健康だよ。 私が保証しよう。それと、裸でいる私が言うのも何だがその様に女の裸をジロジロと見るもんじゃないよ」
「そりゃすまんな」
「それともアレかな? やはり童貞だから女の体には興味津々なのかな? だとしたら少年の性教育の教材となるのもやぶさかではない。さあどうぞどうぞ、存分に観察するがいい」
「そんな言い方されたら逆に見づらいわ!」
たとえ猫であってもな!
ったく、何なんだ、この露出狂の猫は。
「服を着てる猫の方がまだまだ珍しいと思うがね」
「揚げ足取んじゃねえよ。何なんだよお前は」
「ふむ、私が何者か、と問われれば見ての通りの猫であるが」
「猫はしゃべんねーよ。かと言ってスピーカーとかも見たところ着いてねぇし、触った感触でもロボットじゃねーみてぇだし……」
「ほう。案外、君は冷静なのだな。ついさっきのリアクションは面白かったのだが、中々どうして、現実を受け入れるのが早い。それに、物怖じしない性格も素晴らしい。気に入ったよ」
「猫に褒められてもなぁ……」
しかしまあ、この猫の言う通り「しゃべる猫」の存在をあっさりと受け入れている自分がいる。いや、正確には頭の中はパニック直前ではあったんだが、突っ込みどころが多過ぎて逆に冷静になったというかなんというか。それに、ここんところ、二階から飛び降りる会長だとか化物みたいな女だとか記憶喪失の外国人だとか、おかしな連中と付き合いすぎたからだろうか、受け入れのハードルが随分と低くなってるような気がする。
いきなり消えたゴンザレスと比べれば、しゃべる猫くらい居てもいいかもしれないと思えてしまう今日この頃です。
「……やっぱり精神的に疲れてんのかな、俺」
「肉体的にはともかくさすがの私でも君の精神性までは診断できないが、君のコロコロ変わる百面相から察するに君の精神が少々擦り減ってるのは否めないな」
「今まさに俺の精神を現在進行形でカンナで削っているお前に言われたきゃねぇよ」
「そんなどうでもいい話はさておいて、そろそろ本題に入りたいんだが」
……俺にとっては割りと深刻な問題だと思うんだが。
「君には少々付き合ってみてもらいたい場所があってね」
「あ? ああ、何かどっかに連れて行きたそうに猫の振りしてたな」
「生物学的には今の私は正真正銘可愛い可愛いネコなんだがね。その話は脇においておこう。どうだろうか、少し私の後についてきて貰えないだろうか?」
「あー……今じゃねぇとダメか? ちょっち急いでんだが」
ただでさえ遅い時間だっていうのに、急がねえと寝ちまってますます先輩とコンタクト取れなくなっちまう。まあ、別に会えなくても先輩が平穏無事に寝てるって確認できれば構わねぇけど。
「愛しい恋人に夜這いをかけに行きたいという欲求を満たしたいのは理解できるがね」
「イヤラシイ言い方してんじゃねぇよ。別にそんなんじゃねぇ」
「思春期故に棒を穴に出し入れするのを我慢するのは難しいとは思うが、あんまりがっつく男は嫌われるぞ?」
「話聞けよ」
「ちょっと焦らすくらいが男女の中はちょうどいいからね。そういう訳だからちょっとばかし私の手伝いをしてくれ。なに、手伝いとは言ってもホンの少しで終わる。時間は取らせないよ」
俺の話なんぞ全く聞く価値が無いかの様に勝手に話を進める猫。どうあがいても素直に俺を行かせてくれるつもりはないらしい。
仕方ねぇ。こんなくだらん問答で時間を潰すのも惜しい。さっさとご要望にお応えして解放してもらうか。
「はぁ、面倒くせぇなぁ……
で、俺は何をすりゃいいんだ?」
「うん、やはり若人は素直が一番だ。それじゃ行こうか」
うんうんとオッサンっぽく頷くと白猫は細い路地へと入っていった。俺もまたその後ろを溜息を吐いて頭を掻きながら付いて行く。
路地の中は街灯の光も届きづらいようで、足元は真っ暗だった。所々に空き缶や、カラスが運んできたりでもしたのか弁当のトレーが転がっていて、高級住宅街に似つかわしくない。なんだか、恵まれた生活の影の部分を見た気分だ。
それを見ていると何となくこっちまで陰鬱な気分に引きこまれてしまいそうで、それを紛らわせるように前を歩く白猫に声を掛けた。
「なあ、まだか?」
「せっかちだね、君は。そんな事じゃ……っと、ほら着いた。すぐだったろ?」
「待て。今、何を言いかけた?」
俺の声を無視して猫は二足歩行へと移行すると、自慢気に胸を張った。そこはそんな威張るとこじゃねえから。それに――
「何も無ぇじゃねぇか」
立ち止まった先は行き止まり。塀らしきものがあるだけで、その上からは植え込みのような黒い影が覗いているからたぶん誰かの敷地なんだろう。
下の方に眼を向けてみても、暗いからよく見えないが特に何かがあるわけでもなさそうだ。こんなとこで一体何をしろって……
「そうかな? よく見てご覧よ。何か見えないかい?」
「あ? よく見ろって言われても何処をだよ?」
「ほらほら、もっと近づいて。地面と塀の境目の辺りに目を凝らしてみなよ」
「んー?」
言われた通りもっと近づいて、しゃがみ込んで眼を皿のようにして見てみる。何度言われてもやっぱり何も無いじゃねえか。
「――、――、――■■―■―、■―■■―……」
猫に文句を言おうと思ったその時、不思議な言葉が聞こえてきた。
聞いたことのない言葉。俺が知る限り発音も単語も何処の国のものでもない。歌の様にも聞こえ、言葉の羅列には違いないのだがそれが意味有る音の繋がりとして理解できなかった。
そしてその音の主は、俺の後ろで眼を閉じた猫だった。
「何を――」
俺が言葉を発した直後、右足首に鋭い痛みが走った。極太の針を突き刺されたかというくらいに痛烈に脚が痛み、思わず悲鳴を上げた。
同時、猛烈な風が吹き荒れた。突風が俺を後ろに押し倒そうとしてくる。左足で何とか踏ん張って、だが片足じゃ踏ん張りきれずに右足も使うハメになって、その痛みに喉の奥から声にならない悲鳴が零れ落ちそうになる。
振り返る。そこに何があるのか。この突風を引き起こす何かがそこにはあり、しかし確かめるのが怖い。だがそれを検めなければならない。相反する感情がせめぎ合い、後者が果たして勝った。
そして俺は息を飲んだ。
塀が、壁があったはずの路地の袋小路はどこにも無くて、そこには、ただそこには――
――真っ黒な孔が世界を侵食していた。
「思った通りだったよ。それじゃ、行こうか」
「ど、こへ……」
「決まってるじゃないか」
彼女は口端をあげて笑った。猫だというのに、その笑顔は悪い意味でひどく人間じみていて――
「君の知らない世界にだよ」
そう言うと猫は俺を押し倒すように、だというのに軽やかに俺の額に飛び乗って、孔の中へと消えていく。
そして俺もまた、頭を下にして真っ逆さまに孔の中へ消えていった。
「雅……咲……センパイ……っ!!」
手を伸ばせど世界は遠く、声は届かない。
孔は閉じ、俺の体と意識は暗闇の中に溶け込んでいった。
愛想振りまくネコにご用心




