三十二時限目 もう一度仕切り直しました(その1)
連日更新三日目。宜しくお願いします。
昼過ぎから降り始めた雨は時を経ずして豪雨となった。
休日ともあって昼前には甘味に群がる蟻の様に人で溢れかえっていた駅前通りも今は雨に押し流されたかのように閑散とし、皆、軒下や店舗の中で時間を潰している。時折はしゃぎ声を上げながら雨の中をじゃれ合いつつ歩いて行く少女たちや、ずぶ濡れになるのを厭わない少年らが歩き過ぎて行くが、それらの声も雨にあっけなくかき消されていく。
大通りでさえそうであるから路地に入れば尚更人影は少ない。
夜間営業の店の前には昼間は人の気配は無く、その様な店舗が密集している、所謂歓楽街では人の姿は皆無。雨が降り出す前にカラスによって荒らされたゴミ袋の中身が、処理しきれなかった雨水によって流されていく。
アストレイは雨に打たれながら一人、歩いていた。白い鎧を身に纏い、重い足取りで誰も居ない道を歩く。以前は綺麗に磨き上げられていた鎧の表面には汚れが付着して薄っすらと黒く変色してツヤを失っている。金色の髪からは容赦なく雨が流れ落ちて、前髪は整ったその容姿を隠すかのように張り付いていた。
「ふぅ……」
臓腑で淀む濁った思いを吐き出すかの様に重い溜息を吐いた。そして目に入った軒下の、店の勝手口らしき場所の段差に腰を下ろして雨から逃れる。そこでアストレイはもう一度粘り気のある溜息を吐き出した。
雨に濡れないように大切に仕舞っておいた絵を取り出す。笑顔の少女がそこにいて、誰かに笑いかけている。しかしそれはアストレイに向けたものではない。
絵を握る両手に思わず力が込められる。少女の顔が不格好に歪み、だが紙がしわくちゃになるのをすんでのところで堪えた。
何故、自分はこうして彼女を探しているのか。
見知らぬ少女を探し続ける自らに対する問いかけは、これでもう何度目か。幾ら問いかけようとも答えは出ず、その欠片さえ見いだせない。あるのはただ使命感のみで、正体も知らない少女を、自らのことも喪失してしまった自分が探すという滑稽さに自嘲さえこみ上げてくる。
彼女は何者か。探す自分は何者か。
自らの事を扠置いてまで探さなければならない程に重要なのか。自分を優先すべきではないか。だがしかし、その為の端初さえ結局はこの少女の存在しかない。
雨に打たれたからだろうか。それとも疲労か。臓腑の更にその奥からこみ上げてくる不安にアストレイは体を震わせた。
「……帰りたい」
幼子の様に丸めた体から思わず漏れた言葉。しかし礑と思う。それは何処に、だろうか。記憶から失われた、どこかにあるかもしれない自らの故郷にか、それとも常日頃自らを休めていた荒屋にか。
不意に浮かんでくるのは先日出会った兄妹の姿。見ず知らずの自分に対して、口は悪くとも親切にしてくれた兄と、自分の為に親身になってくれた優しい妹。自分を無くし、押し潰されそうな不安の只中に漂っていた時に貰った人の優しさは、表面上は飄々としていたアストレイを確かに救った。
「ダメだ……!」
自らを律するためにアストレイは語気を強くした。今更あの家には戻れない。自分が戻ることであの家族に迷惑を掛けるわけにはいかない。本来であれば、あの二日間だけでも望外の扱いだったのだ。云わば単なる幸運。そこに頼るべきでは無い。
俯きながら、アストレイは意図して笑みを浮かべた。そうすることで気持ちだけでも軽くなるだろうか、との単なる思いつきであったが、その笑みは慣れているかの様に自然と作ることができた。
もしかして記憶を失う前の自分も、このように辛い時に作り笑いを浮かべていたのだろう。そうすれば暗い気持ちを誤魔化し、自分の気持ちを他者に悟られるのを防ぐことができるから。
事実、作り笑いをしたら少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。そんな気がした。それでも口からこぼれ落ちたの言葉は――
「戻り、たい……」
「なら、戻ってこいよ」
掛けられた声の方をアストレイは見上げた。
そこには、リュックを背負い傘をアストレイに向かって差し出した直が居た。
☆★☆★☆★☆★☆★
「まったく、信じらんねぇ……」
リビングのソファーに座り、腕を組みながら俺は憤慨していた。
何が信じらんねぇってアストレイの事だ。あの野郎、ウチから出て行った後はどっか適当にホテルにでも泊まってんだろうって思ってたんだが、タクシーで帰ってくる道中で聞き出した答えにはびっくり仰天だ。
泊まったのは最初の数日だけで、その後はずっと野宿してたらしい。金は確かにあったようだ。というか持っていた何かの金貨を質屋で換金して現金を作ったようなのだが、日本のホテルの金額に驚いて数日だけで引き払ったとか。
所持金を聞いてみると別に今すぐどうこうなるような残額じゃなかったのだが、アストレイ的にはビビったらしい。
まあどんだけ時間が掛かるか分からん捜索だしな。所持金が限られている以上、節約しようというのは良い心掛けだとは思うが、野宿するっていうのは如何なものか。ましてこの土砂降りの中を傘もささずに打たれながら歩きまわるとか、ホント何考えてんだか。アイツは馬鹿か。いや、馬鹿だな。
「……大丈夫かな、アストレイさん」
「大丈夫だろ。体調は悪くねぇって言ってたし、シャワー浴びたら多少はシャキッとするさ」
で、雅に心配されているその馬鹿はというと今はシャワーを浴びている。というか、風呂場に押し込んだ。
心ここにあらずな様子で足元もおぼつかないアイツに肩を貸して歩いたが、雨に打たれたせいで体は冷えきっていてまるで死人みたいだった。
俺が見つけた時に弱音を吐いていたことからも分かる通り、顔に覇気は無くて今にも泣きそうな顔していて、そのくせヘッタクソな笑顔を浮かべて「自分は大丈夫です」なアピールをしてきやがるのが腹立たしい。腹立たしいんだが、そんな表情を簡単に俺に悟らせるほどにアイツが精神的に参ってるんじゃないかって思うと本気で怒ることもできねぇ。
「俺を頼れよ」と言いたくもあるのだが、そもそもアイツが出て行ったのは俺や雅の事を考えてのことで、俺もアイツが出て行くのを止めなかった。そんな俺がアイツを責めるような恥さらしな真似を出来るはずがない。だからアイツのあの声を聞いた時、殆ど迷わず俺はアイツをまた連れて帰って来ることを選んだ。
「……上がったか」
離れたところでドアがスライドする音がする。ペタペタとスリッパがフローリングを叩く音が次いで聞こえてきて、リビングのドアの前で影が立ち止まった。
影はすりガラスの向こうで立ち止まったまま動こうとしない。
俺はため息を吐くと、立ち上がってドアノブを掴んであの野郎の都合なんざお構いなくドアを勢い良く引いた。
「何やってんだよ」
「いや、その……」
ドアを開いた先では、準備してあった俺の部屋着に着替えたアストレイが所在なさ気に立ち尽くしていた。
肩を落として背を丸めてるせいか、それとも精神的なもんなのかは分からんが、俺より若干背は高いくせにどうにも俺の方がコイツを見下ろしてる気分になる。シャワーを浴びて体が温まったせいか、幾分顔色も良くなったみたいだが相変わらず景気の悪ぃツラしてやがる。
そんなアストレイの様子を見て俺はもう一度ため息を吐くと、部屋に無理やり押し込むようにしてアストレイの肩を叩いた。
押されたアストレイはバランスを崩してタタラを踏んで、若干恨みがましそうな眼をしてくるが、俺が「あぁ?」と睨みを効かせると押し黙って眼を逸らした。その様子はまるで怒られるのに怯えるガキみたいだ。
「……」
なんか、どうにも調子が狂うな。以前のコイツだったら「君の視線は凶器みたいなもんなのだから、睨みつける時は気をつけた方が良い」みたいな感じで口元に笑みを浮かべながら皮肉っぽく言ってきそうなもんなんだが、こうも反応が薄くて寄る辺ない放浪者の如く覚束ない様子だと俺もどう接していいか不安になってくる。
ともあれ、こうして二人して立っていてもしょうがねぇ。ソファに腰を降ろすが、立ったままぼーっとしてるアストレイに促して「座れよ」と指示する。すると緩慢な動きながら言われた通り座った。体が温まれば少しは気分も持ち直すかと思ったが、俺の目論見は外れてしまった様だ。
「どうぞ、アストレイさん。これでも飲んで温まってください」
座ったアストレイの前に雅がカップを置く。カップからは湯気が上がり、砂糖がたっぷり入ったレモンティーの甘い香りが漂っていた。
風呂上がりに熱い紅茶とか、普段だったら嫌がらせ以外の何物でも無いが、アストレイの状態を慮っての事だろう。対する俺には熱いコーヒーが置かれ、それを一口飲むと少々ささくれだっていた俺の気持ちも落ち着いてくる。うむ、やはり気が利く素晴らしい妹である。
「……ありがとう」
俺がカップに口をつけるのを見てアストレイもカップを手に取る。今にも消え入りそうな小声だが、どうやら礼を言えるくらいには持ち直したらしい。
まだ熱いカップを両手で抱えてふぅふぅと、まるで女の子の様に可愛らしい仕草でカップを傾けて、一度喉を鳴らすと「ほぅ……」と溜息混じりに息を吐き出した。
しばらく二人して黙ってカップを傾けていたが、中身が半分くらいまで減った頃、アストレイの顔色に完全に赤みが戻ってきたのを見てから俺は話しかけた。
「落ち着いたか?」
「……すまない。君たちには迷惑を掛けないと言ってここから出て行ったというのに……情けないことだ」
「俺が好きでお前を連れ戻したんだ。お前が気にするこたねぇよ」
「だが……私が君たちの傍に居ると、きっと危険が及ぶ。それは直、君も知ってるだろう?」
「それだって『たぶん』だろうが。あの子を探してる連中が必ずしも危ない連中だって決まったワケじゃねぇ。それにもし本当にお前らが厄介な連中だとして、俺も雅もそこら辺を理解した上でお前を連れ戻したんだ。お前が気に病むことじゃねぇよ。なぁ、雅?」
後片付けをしていた雅に同意を求めると、エプロンで手を拭きながら「そうですよ」と返事が返ってきた。
「私もお兄ちゃんと話し合って、ちゃんと理解して決めたんです。だからアストレイさんは気にしないでウチに住みながら女の子を探して下さい。それに、私はアストレイさんが女の子に酷いことをするような人じゃないって信じてますから」
「雅ちゃん……」
「まあ、そういうこった。それに万一危険が迫れば隣の咲ン家に逃げさせてもらうさ」
そんなことが無いと祈りたいとこだが、無闇に信じて対策を講じないのは愚の骨頂だ。というわけで雅と話して、本当にヤバイ時には真枝家に逃げ込もうと決めた。健一おじさんならどんな奴らがやって来ても全部叩きのめしてしまいそうな不思議な安心感があるし、健一おじさんと美沙子おばさんからも何かあれば頼ってくれていいと言ってもらってるからな。出来るだけ頼らないようにしようとは思うが、いざというときは素直に助けを求めよう。
「だからお前は気にしないでウチに居りゃいいんだよ」
「しかし、直は本当にそれでいいのかい? あの……陽芽さんだったか、彼女の考えに反するんじゃないかい?」
「まあそうなるな」
「そうなるなって……」
「先輩は先輩の考えがあって俺には俺の考えがある。先輩の心配は嬉しいし、先輩の意に反するのに少し心苦しいところが無いわけじゃないけど、それでも俺はお前を手伝いたいって思ったからそうしただけだ。それに、別に俺は先輩の家来でも何でも無いからな。意に反したからって俺と先輩の関係が悪くなるわけじゃねーし、あの人ならそこら辺も理解してくれるだろ」
別に先輩からそういう言質を取ったわけじゃないが、何となくあの人なら「直が決めたことなら私がとやかく言うべきではない」とか言って理解してくれそうな気がする。その情景があっさりと明確に想像できることがなんだか嬉しくて笑いがこみ上げてきそうになって、だがアストレイの手前無理やり押しとどめた。
「そんなわけだから何も心配せずにお前は女の子を探すことを専念してくれりゃいい。ああ、だけどもし俺が近くに居ない時に何かあったら、出来る限りでいいから雅を守ってやってくれ」
「もう、そんなに心配しなくていいっていつも言ってるのに……子供じゃないんだから私は大丈夫だよ」
「いや、子供だろ」
「子供じゃないよ」
「どう見たって子供だって」
「子供じゃないって言ってるでしょ!」
「小学生のくせして何言ってんだよ」
「ああ、そう。じゃあ明日からお昼のお弁当はお兄ちゃんが作ってよね? 子供にお弁当作らせるなんてロクな大人じゃないでしょ?」
「いや、待て。それは卑怯だ」
ただでさえ世知辛い世の中で数少ない楽しみを奪うというのかね、チミは。
だがどれだけ不満を訴えようがこうなったら俺に残された方法は一つしか無い。古きより伝わる伝統技法であるTHE・土下座を素早く繰り出し、我が家のお姫様兼料理長にご機嫌を麗しゅうして頂こうと腐心するだけである。
と、そんなやり取りを見ていたアストレイが不意に吹き出してクツクツと笑い声をあげ出した。
「まったく、君ら兄妹は……見てて飽きないね」
「うるせー。胃袋を掴まれた男は弱いんだよ」
「でも……ありがとう、直、雅。恥ずかしながらまた君らのお世話になるよ。そして……また頑張ってみる」
以前に見た時に近い、イケメンに似合う爽やかな笑みを浮かべてアストレイは俺らに向かって頭を垂れ、それを見て俺ら兄妹も互いに顔を見合わせて小さく笑いあった。
気は晴れたみたいだな。
椅子に座り直し、冷めたコーヒーを一飲み。妹に向かって頭を床に擦り付けた忌々しい記憶をとりあえず彼方に追いやって、もう一つの本題を繰り出すべく俺はアストレイと向き直った。
「落ち着いたところで、だ。お前に伝えとくべき事があってだな」
「? 改まっていったい何だい?」
「お前が探している女の子な……実は先輩の知り合いだったみたいなんだよ」
そう告げた瞬間、アストレイの顔から笑顔が消えて目を見張った。それを見た俺は、なんだかドッキリが成功したみたいな妙な高揚感を覚えつつアストレイの様子を伺った。
アストレイはしばらくカップを手にしたまま固まっていたが、やがて一度カップの中に視線を落とすと急いで中身を飲み干した。調子を取り戻したはいいんだが、相変わらず仕草の一つ一つが洗練されたお坊ちゃまなやつだ。明らかに慌ててんのに仕草が様になるのがすげぇよな。何かむかつくけど。
そんな俺の感想はさておき。
「……詳しく話を聞かせてくれないかい?」
「当たり前だ。この話を聞かせるためにどんだけ俺がお前を探し歩いたと思ってんだ?」
さあ、こっから仕切り直しだ。
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