三十一時限目 懸念が解消しました(その2)
連日更新二日目。読み飛ばしがないようご注意ください。
「な、直……」
「なぁっ!? す、すみませんっ!!」
どうやら体操服から制服に着替えていたようだ。俺は人生最速で回れ右をした。
胸が激しく鼓動して心臓のドキドキ音がこれでもかと主張してくる。うるさいばかりの脈動に合わせるようにして顔には次々と熱が立ち上ってきて、早く何とかしないと脳みそが熱で溶けてしまいそうだ。
しかし――
(やばい、先輩の――)
露わになった豊満な胸がかんっぜんに眼に焼きついた。これまでシャツごしだとか制服ごしだとかで度々眼にしてきたが、な、生で見てしまった。
眼を閉じて頭を振ってみても、しっかりと脳みそに刻まれてしまったその御姿は俺の視界が剥がれ落ちることは無い。デカイデカイとは分かっていたが、まさかあそこまでとは――
「直」
「は、はいぃっ!!」
先輩に呼ばれて思わず背筋がピシィッと伸びた。やっぱり……怒ってるだろうか。
恐る恐る振り返って先輩の様子を伺ってみると、先輩はちょうど着替え終わった様で襟元の乱れを整えると手入れの行き届いた綺麗な髪を後ろに流していた。
良かった、どうやら怒ってはいないらしい。もしくはお、おっぱいを見たと気づかれていないか。
ホッと胸を撫で下ろしていた俺だが――
「君は何も見ていない。いいね?」
「……はい」
訂正。やはりお怒りの様です。
とびっきりに低い声でご命令を承ったわけだが、先輩の顔は赤い。逆光気味なせいで少し影になっているわけだが、にも関わらずハッキリ分かるということはやはり先輩も相当に恥ずかしかったわけで。不覚にも俺はその顔が可愛いと思ってしまった。俺は何も見ては居なかったが、今の表情はこっそりと俺の心のアルバムに追加させてもらうとしよう。
「そ、それで先輩はどうしてここで着替えてたんですか?」
「き、君は……」
俺は着替えている最中は見ていない。故にこの質問は何もおかしいことはない。
「コホン……き、今日は二年は授業が早く終わってな。さっきまでバスケ部に混ぜてもらって少し体を動かしていたんだ。だが……更衣室はちょうど他の部活生でいっぱいでな。それで、その、ここは窓を開けているといい風が入ってくるし、窓の外から覗かれる心配も無いからつい油断してしまった……」
「そ、そうでしたか……その、気が付かなくてすいません……」
「い、いや、私もふ、不用意だった。み、見たくもないもの見せてしまった。ゆ、許せ……」
「先輩、俺は、その、な、何も見ていませんから」
「そ、それもそうだったな」
自爆してどうすんですか、先輩。
しかし今のやり取りでどうしても頭の中で先ほどの先輩の姿がチラついて会話に集中できん。受け答えもなんだがしどろもどろになって、先輩は先輩で恥ずかしいのか何処か返事が何かおかしい。
何ともいえない微妙な雰囲気が倉庫兼生徒会室に立ち込め始めてしまった。いかん、何とも気まずい……
どうしたものか、と先輩と向き合いつつも互いに顔を逸し合うという、傍目には仲が悪いとしか思えない状況であったが、ここは流石というべきか、それとも俺が情けないと思うべきか、先輩の方から話を振ってきてくれた。
「……すまないがコーヒーを一杯頼めるだろうか? その、運動したせいで喉が乾いてしまってな」
「え、い、良いですけど、ホットでですか?」
「ああ、最近はずっと研究をしているがやはりコーヒーはアイスよりもホットの方が香り高くて美味い。挽いた豆はそこの棚の中に保管してあるから」
先輩が後ろのガラス棚を指さした。昨日にはこんなもんは無かったと思うが、どっから運び込んだんだか。
とりあえず言われた通りに棚を探すと口をクリップ止された袋が何種類か並んであって、袋には先輩らしい達筆で豆の種類が書かれている。どれにするか少し迷い、俺はその中の一つを取った。ブレンドにする方が美味いとは思うが、それも最適な配合ができてこそだ。まだ俺にはそこまでの知識と経験はないから素直にストレートコーヒーを用意しよう。
先輩に背を向けて準備を進める。適温に設定されたポットのお湯をフィルターの上に注ぐと、焦げ茶色のコーヒーがカップへと雫となって落ちていく。それを見ながら俺は、この後先輩にどう話を切り出そうかと思案していた。
「出来ましたよ。熱いんで気をつけてください」
「ん? ああ、ありがとう」
先輩は何かの書類を作成してたみたいだが、俺が声を掛けると回転椅子を回して振り向き、手渡されたコーヒーの香りを鼻孔に吸い込んでいく。
「これは……ふむ、サントスのストレートだな」
「へえ、正解です。よく分かりましたね」
香りだけで当てるとは大したもんだ。先輩を褒め称えると先輩は「フフン」と鼻高々といった感じで豊満な胸を張って、だが少し恥ずかしそうに笑った。
「毎日勉強しているからな。いい加減ストレートコーヒーの種類くらい当てられるさ」
「でもこんな短期間で香りだけで当てられるようになるなんて凄いですよ。俺だってまだ迷うのに」
「そもそも私が買い揃えた分しか選択肢が無かったからな。それぞれ香りが特徴的だから直でも当てるのは難しくあるまい。それに……ここだけの話なんだが」
「なんですか?」
先輩がチョイチョイ、といった様子で手招きしてくる。なんだろうと寄っていけば耳を貸せ、と周囲を警戒した様子で口パクで伝えてきた。エラい警戒してるな。どうせこんな部屋に聞き耳を立ててる奴なんて居ないとは思うんだが、よっぽど秘密の話なのか? それとも他の人には聞かれたくない、重要な……
「それに……どうやら私は味覚が死んでいるらしい。飲むと逆にまったく種類が分からなくなるのだ」
「それ、知ってますから」
むしろ俺らの中では周知の事実です。秘密でもなんでもねぇよ。
そう伝えると、先輩は「なん、だと……」とよろめきながら後ずさった。大袈裟すぎますって、先輩……と笑いながら先輩を見ると、いつぞやの如く「orz」ポーズで項垂れていた。どうやら本気で衝撃だったらしい。
「なんということだ……私だけが知らなかったというのか……」
「むしろ、だからこそ銘柄を当てたことに俺もビビったんですが」
そしてそこまでショックを受けていることの方が驚きだよ、俺は。
「まあそれはさておいて」
「……だんだん対応が雑になってきている気がするのだが」
「気のせいですよ」
しれっと言ってのける俺を先輩はジロっと見てくるが気にしたら負けだ。
「さて、と……」
いつもならもうバイトに行こうかなと思う程度にはここに来て時間が経っているが、今日は授業がいつもより早く終わったんでまだ時間はある。
余っていたカップに俺もコーヒーを注いでいく。そしてカップを持って先輩の傍の椅子に座って自分の淹れたコーヒーの味を確かめてみる。
「なんか……」
違うんだよな。ミケさんが淹れたのに比べると味も香りも足りないというか。たまに客が少ない時に店でも練習させてもらってるが、同じ豆と道具を使ってんのにミケさんの味が再現できない。そこは年季の差っていうか腕の差なんだろうが、ちょっと悔しい。今も豆と道具の差はあるにしろ、それだけじゃ説明できない、言葉に出来ない差があるのが分かる。
それでもカップから香るコーヒーはそれなりに芳ばしい。先輩が買ったものだが決して安くはないんだろう。
そんな事を考えながら自分の淹れたコーヒーを味わっていると視線を感じた。正面の先輩を見れば目が合って、先輩は気まずそうに眼を逸らした。ああ、やっぱり俺、先輩に嫌われたんかなぁ……
とはいえ、昼間に決意した通り先輩を問いたださねば。先輩が何を考えているか、本当にあの少女を見捨てるつもりなのか。だとしたら何故なのか。
小さく息を吐いて気持ちを落ち着ける様に髪を掻きむしる。そして大きく息を吸い込んで――
「あの、先輩」
「なあ、直」
……かぶった。
先輩とお互いに眼をパチパチとしながら見つめ合うこと数秒。気恥ずかしさからどちらからともなく咳払いを一度。ここはやはり、
「先輩からどうぞ」
「いや、直からで構わない」
「そんな事言わずに」
「私のは急ぐ話ではないから大丈夫だ」
「俺も同じですし。ここは年長者から」
「上司は部下の話をしっかり聞くものだ」
などというどうでもいい譲り合いが繰り広げられ。
「むう、では私からか……」
厳正なる勝負の結果、石はハサミに勝ちまして先輩からとなりました。
「その、だな……」
そして歯切れ悪く先輩は切り出した。はて、先輩は俺に何を言いたいのだろうか? やはり俺の事が嫌いです、とでも言い出すのだろうか? もう生徒会室には来なくて結構ですってか? もしそうなら俺としても時間に余裕が出来て万々歳ではある。元々強制的に入れられたようなもんだしな。
だが――果たして俺はそれで満足なのだろうか?
「直は――まだ私に怒ってるのだろうか?」
「……は?」
少し物思いにふけっている俺に対して、先輩はそんな事を言い出した。
突然何を言い出すんだ、この人は?
「怒るって……俺がですか?」
「……そうだ。アストレイさんとの関係に口出しされて腹を立てるのは当然だと思う。君の怒りはもっともだ。中々許す気が起きないのは分かる。しかし……」
「……ちょっと待って下さい」
これはもしかして……
「それはこないだ、気にしてませんって伝えませんでしたっけ?」
「だが心の中ではまだ許してくれていないのだろう?」
「いや、それは無いですって。アレは先輩が俺らの事をキチンと考えてくれたからって分かってますし、むしろ感謝してますって」
「し、しかしならどうして私と眼を合わせようとしてくれないのだ!? しかもいつも私を睨みつけてくるし! 君に睨まれると結構怖いんだぞ!」
「睨みつけてませんからっ!! この目つきは生まれつきだ!」
何となく読めた。つまり先輩は――
「別に俺の事を嫌いになったわけじゃない……?」
「それは私のセリフだ。どうして私が直の事を嫌わなければならん。
その……直の方こそ私の事を嫌いになっていないのか……?」
カップを両手で抱えて体を小さくしながら俺を見上げてくる先輩。恐る恐るといった感じのその様子は怒られるのを恐れてる子供みたいで。
「はあ……」
何と言うか、気が抜けた。
背もたれに体を預けて、脱力したまま目元を右腕で隠してため息を吐くとどうしてだか笑いがこみ上げてきた。
「な、直? ど、どうしたのだ? どうして笑うんだ!?」
「っくっくっく……すみません、何だか馬鹿らしくなってきて」
先輩がそっけないだとか、眼を合わせてくれないだとか、嫌われたのかだとか。
これでも色々と悩んで深音に相談とかもしたのに、実際は先輩が逆に俺に怒られるのをビビって避けてたとか、悩んでた自分がバカバカしくなって笑えてきてしまう。
「そ、そんなに笑うことはないだろうっ! ここしばらくの間、君にどうすれば許してもらえるだろうかと私がどれだけ悩んだ事か……」
ひとしきり俺が笑ったところで先輩もどうして俺が笑っているのか気づいたんだろう。頬を真っ赤に染めて怒鳴り声を上げるが全然怖くない。逆にその様子が可愛く見えてくるから面白いな、人間って。
「あー、すいません。先輩とおんなじ事考えてすれ違ってたのかって思うと変に笑えてしまって」
「むぅ……まあいい。直の言葉を素直に信じられなかった私が悪いのだ。この程度の辱めは甘んじて受け入れよう」
「辱めって……」
「どうしても許して貰えなかったら、この身を直に差し出す覚悟までしていたのだから、そうならなかっただけでも良しとするか」
「そういうのはノーサンキューでお願いします」
「……良しとする、とは言ったが即答されるのも少々不愉快だな。
……私の体にはそんなに魅力が無いのだろうか?」
「いや、むしろ魅力たっぷりとは思いますが」
口を尖らせながら先輩は自分の胸をムニムニと触り始めた。指が動くたびにご立派なモノがうねうねと形を変えて生き物の様に動き出して、その様に思わず俺の目も釘付けだ。
この人はどんだけ自分の事を低く見てんのか知らんが、そういった無防備な行動を目の前でするのはカンベンして欲しい。だって、俺だって思春期の男だからな? おっぱおは人並みに好きだし、まして先輩のだよ? そんなん見せられたらしばらく立ち上がれなくなっちまう。
何とか顔がニヤけそうになるのを堪えていたら、不意に凛ちゃんの顔を思い出してしまい、一気に頭の中が冷静になった。手を出すどころか、イヤラシイ眼で先輩を見たのがバレたら凛ちゃんに殺されてしまう。あんな痛い目に遭うのはゴメンだ。
「まあ誤解が解けてよかったと思うことにしようか。
とりあえず今ので私の用は終わったワケだが、直は何の話をしようとしていたんだ?」
「あー、まぁ今のに関係する話ではあるんですが」
仕切り直すつもりでコーヒーを一口含む。今までの流れでこの話題を切り出すのは少々勇気が要るが、引き伸ばすわけにもいくまい。
俺は椅子に座り直して頬を軽く一叩きして気合を入れなおす。そんな俺を見て先輩も真面目な話だと察したか、カップを机の上に置いて俺らは正面から向き合った。
「この間のアストレイが持ってきた絵の少女の話です。先輩は手伝わないっていう理由は理解しましたけど、何か納得できなくて。俺らが危ないから手を引くっていうのは分かりますけど、あの女の子も危ないかもしれないっていうのに何もしないのは先輩らしくないなって思って」
「ふむ、その事か……」
先輩は少し考えこむように顎に手を遣って、「まあ話しておくか」とつぶやくと椅子を捻って置いたばかりのコーヒーを手に取った。
「直の懸念はもっともな話だ。少女に対して何のアクションも起こさないというのは冷淡であると私も思うし、私としても直に冷血な人間だと見られるのは嫌だな」
「俺も先輩がそんな人だとは思いませんし、思いたくありませんよ。だから俺が知らないだけで先輩の方で何か動いてんのかなって気になって」
「結論から言えば、その件はすでに解決済みだ。直は気にしなくても大丈夫だ」
「それはどういう……」
「実はだな」
勿体つけた話し方をする先輩に逸る気持ちを抑えきれない俺は少し前のめりになって続きを促そうとするが、そんな俺を諌めるように言葉を遮るとコーヒーを飲む。
「絵に描かれたあの少女。私は彼女のことを昔から知っていたんだよ」
「……へ?」
間の抜けた返事をする俺を見て先輩は苦笑いを、それでいて何処かイタズラが成功した子供みたいな笑みを浮かべた。
「彼女とは幼い頃から知り合いでな。アストレイさんの話を聞いてすぐに彼女と連絡を取ってみたんだ」
「そ、そうだったんですか」
「ああ。あの絵も見てもらって本人に確認してもらった。
最近変な男がうろついていないかとかも聞いてみたが、特に被害だとかは出ていないようだったよ」
「そうでしたか……何事も無くて何よりですね」
「もちろん先日聞いた話も彼女に話してしばらく警戒するように伝えておいたよ。だから大丈夫、とは言い切れないが、少なくとも私達が出来ることは今のところは無いだろう」
そうか、やっぱり先輩の方で動いてくれてたんだな。だよな、先輩が何もしないはずが無いもんな。
明らかに安堵した様にため息を吐く俺に、先輩は椅子に座ったままだが頭を下げてきた。
「このことは直にももっと早く伝えておくべきだった。余計な気を遣わせてしまってすまなかった。私ももっと早めに直に話そうと思ってはいたんだが、その、怒っていると思いこんでいたんでな……」
「あー、まあ過ぎた事ですし、あの子も無事なら俺から言うことは何も無いですけど……
そうだ、先輩。この事ってアストレイの奴に伝える事は……」
あんだけ俺に関係を絶てって言ってたんだ。そう思いつつも一応ダメ元で聞いて見るが、やっぱり先輩は首を横に振った。
「申し訳ないが、それはダメだ。彼女からも絶対に伝えないよう言われているしな」
「そうですか……そうですよね。じゃあその人が何処に住んでるかとか教えてもらうのもダメですか? 別に具体的な場所じゃなくていいんです。この街に住んでるとか、せめて何市に住んでるとかそれくらいのバクっとした情報でもいいんですけど」
「いや……それもダメだ。アストレイさんの事を考えると教えてやりたい気持ちは分からないでは無いが、彼女に迷惑を掛ける訳にはいかない」
「ならせめて今何歳かくらい……」
「君はレディーに年齢を尋ねるのか?」
いい笑顔で拳を鳴らし始めた先輩に、俺は引き下がらざるを得ない。
アイツが今何処に居るのかも分からんが、もし見つけた時にせめて何か情報を持っていってやりたいと思って何か引き出せる情報は無いか、と思案してみるが、先輩がそんな俺の思考を中断させた。
「それよりも今日はバイトは休みなのか? いつも出て行く時間を過ぎているが」
「あっ! やっべぇっ!!」
腕時計を見ると、いつも出る時間を十分くらいすでにオーバーしていた。
慌ててカップのコーヒーを飲み干し、鞄を持って立ち上がる。
「椅子とカップは私の方で片付けておくから」
「すいません! あざっす!」
「これくらい構わんよ。それよりも気をつけて行きたまえ。急いでる時こそ慎重にな」
先輩の忠言に手を振って答えつつ、俺は走って生徒会室を出て行った。
情報は結局得られなかったが、先輩とも仲直りできたしあの女の子のことも解決したし、実りの多い時間だった。後はアストレイを見つけるだけだな。
廊下を走り抜けて、すれ違った凛ちゃんの怒鳴り声を聞き流しながら、今度の週末に何処でアストレイを探そうか、と考えながら俺は一目散にバイトに向かった。
後ろで寂しそうに笑った先輩に、気づくことも無く。
読んでくださいまして本当にありがとうございました。
やっぱり少しでもポイントが増えるとニヤニヤしちゃいますね。
何点でもいいのでポイント評価やお気に入り登録等していただけますととても嬉しいです。
批評等も受け付けておりますのでぜひどうぞ。




