七十五 天下の計
「ひさしいな、治天の君よ!」
いきなり登場した北条政子に、後白河院はしばし、あっけにとられ……八条院に恨みがましい視線を送る。
「妹よ……」
「ごめんなにーちゃん。驚かせたらあかん思て、それとなく言おう思てたんやけど」
兄の非難がましい視線に、妹は両手を合わせて謝る。
「娘よ。おぬしも、仮にも朝敵なのだから、外面だけでも神妙にだな……」
「はっはっは、その朝敵を目の前にして、その程度で済ます態度、嫌いではないぞ」
「こら、政子ちゃん」
後白河院を前に胸を張る政子を、八条院が咎める。
咎めながら、八条院は政子の襟首を引っ張って、その頭を膝の上に乗せた。膝枕だ。
「大人しゅうしてへんと、おかあちゃん怒るよ?」
「う、うにゅ……」
頭を撫でながら叱られて、政子は素直にうなずいた。
おたがい年を取ったが、残念ながら苦手意識は変わらない。
「しかし、よくもまあ都に来れたものだ。仮にも反乱軍の首魁であろうに」
「治天の君よ。すでに平家に有効な応手はない。放置していてもじりじりと潰れていくだけじゃ。ゆえに、来た」
「平家が落ちぶれたゆえ?」
「うむ。摂関家、院近臣、寺社……平家が落ちぶれれば、復権に動きだす者どもがおる。天下を治めることが出来ずとも、都の状況を動かしうる存在が。それゆえに、急いだ」
いや。政子は内心で付け加える。
これらの魑魅魍魎も、おそらくは影で動く源頼朝と連携すれば、ある程度抑えられる。
唯一の不確定要素は、後白河院その人だ。それゆえ、まっさきに話をつける必要があった。
政子の説明に、後白河院はふむ、と眉をひそめる。
「摂関家や余の近臣、それに寺社では天下を治められん、と言うが……おぬしには天下を治める自信があるようだな」
「治天の君よ。ぬしならわかろう。これからの世は、何事も武士がおらねば回らぬ」
「……うむ」
歯に衣着せぬ物言いに、後白河院は不快を示しながらも、うなずいた。
「――清盛に問答無用と押し込められて、おぬしに東国からの税を差し止められて、つくづく実感したわ。たとえ平家無き世の都で、誰が権を握ろうとも、武士に背を向けてはなにも出来ぬ……だからこそ、余は聞きたい。娘よ。おぬしの望みはなんなのだ?」
北条政子という存在を量るような、その問いに。
政子は口の端をつり上げて答えた。
「――世直し」
◆
「これまで、武士はないがしろにされてきた」
八条院に膝枕されながら、政子は語る。
「――上の都合で振りまわされる。ある種当たり前のことであるが、振りまわされる立場の武士が、力をつけてしまった。もう沢山だと、お上に反感を抱いた。その結果が、この大乱の根にあると心得られよ」
「……ふむ。では、おぬしはこう言うのだな? たとえ平家を生贄に捧げようと、朝廷が武士への扱いを変えぬ限り、ふたたび乱は起こりうると」
「うむ。平家は地方の武士たちの統制をはかったが、性急に過ぎたため、逆に大きな反発を買った」
「……おぬしには良案があると?」
「あるといえば、ある。不快かもしれぬが、最後まで聞いてほしい」
「うむ」
後白河院がうなずくのを見て、政子は話を続ける。
「まず、わしは東国、北陸全域の武士団を支配した。そこでは地方で問題になっておる、武士の土地問題、争いの調停などを行っておる。朝廷から独立した、武士の自治組織と思えばよい……これを全国規模で行い、諸国の武士を一元管理する」
「ふむ」
「これで都の政争に武士たちが振りまわされることを、ひいては政争に軍事力が利用されることを避ける。武士の自治組織は、都を離れた場所に置くほうがよい。その不干渉が、両者の軋轢を減じる」
「だがそれは、日ノ本を切り分けるがごとき行いではないか? いずれ朝廷の威光は、地方に届かなくなろう」
おそらくは正しい予測を示されて、政子はにやりと笑う。
それくらいのことが出来なくては、相手にしがいがないというものだ。
「治天の君よ、わしには子が居らん」
だから、示す。
最大級の飴を。
後白河院にとっても、望ましい未来を。
「――武士を組織化する。その長は、皇子としてはいかがか」
朝廷を天皇が、武家を皇子が。
そして両者を、治天の君が支配する。
その絵図を示されて、後白河院は膝を打った。
「なるほど。そこにたどり着くまでが、なかなかに難事であるが……」
「たどり着ければ、天下百年の安泰を産もうぞ」
政子は笑って答える。
まさに世直しと言っていい。
「娘よ。おぬしの志、たしかに受け取った。まさに手を組むに足る相手よ」
後白河院は快哉を叫び。
北条政子は涼しい顔で微笑む。
だが、いまの段階では、それはまだ絵に描いた餅に過ぎない。
極上の餅の完成形は示した。あとはおたがい協力しながらも、自分に好ましい味付けにしていく、綱の引き合いだ。
「とりあえずの要求は、朝敵解除と平家の解官じゃな。見返りに米穀を都に送ろうぞ」
「うむ。飢饉で都に米が入って来ず、公達どもも焦っておる。囲い込みは容易であろう。あとは平家が素直に言うことを聞くか、だが」
「その時には武力がものを言おう……が、飢饉の折じゃ。都に兵を入れるのは、最後の手段と考えてもらいたい」
数千単位の軍を、都に常駐させるとなると、兵站に相当の負担を強いられる。
畿内西国の飢饉は、都に兵を置くものに等しく牙を剥くのだ。
「では……」
それから、ひとしきり将来について語らった後。
後白河院は意気揚々と八条院御所を後にした。
後には、政子と八条院が残されて。
「……なあ、政子ちゃん。にーちゃんに言わんかったこと、あるんとちがう?」
膝の上の政子の喉元を撫でながら、八条院がふと尋ねてきた。
「ほう? わかるか義母上よ――ゴロゴロ、やめにゅか」
「この八条院のおかあちゃんを舐めたらあかんよ……というのは置いといて。うちは、にーちゃんより政子ちゃんや頼朝さんのこと、よう知っとるからね……なにか、にーちゃんが尻込みしてしまいそうなこと、考えとるんと違う?」
図星である。政子は苦笑した。
「……まったく、義母上は鋭い」
と、愚痴のようにこぼして。
「寺社から武力を切り離す。武士の力を使って」
簡潔な答えは、刃の鋭さを孕んでいる。
八条院は驚きに眉をあげた。
それがもたらす未曽有の混乱を思えば、憂いもしよう。
だが、それがもたらす恩恵を思えば、斬り捨てることは絶対に出来ない。
「十年、二十年はかかろう。それが天下千年の計か、それとも史上まれに見る大愚行となるか……ともあれ日ノ本の形は、かつてないほどに整う」
その、姿を。ともに思い描いて。
母子は同時にため息をついた。
「初めて会うたとき……」
余韻を引きずるように、八条院が、ぽつりとこぼす。
「きっと将来、すごいことやる子や思たけど……ほんまにあんたは!」
「むぎゅ!」
ぎゅっと抱きつかれて、政子は悲鳴を上げた。
逃れようと、じたばたともがくが、八条院はなかなか放してくれない。
「……がんばりや。おかあちゃんにできることがあったら、なんでも言うてね」
「うみゅ……頼りにしておるぞ。義母上」
ささやくように。
告げられた言葉に、政子は笑って返した。




