六十六 光と影
「頼朝が生きておる、じゃと……?」
驚きの悲鳴を上げたあと、政子は確認するようにつぶやく。
あまりの不意打ちに、さすがの政子も思考が追いつかない。
だが、おそらくは真実だ。妹に、人の生死で冗談が言えるような性質の悪さなどない。
「――っ! どういうことだ! 頼朝が生きておる? だったらなぜわしに連絡を寄越さぬ! なぜ保子が知っておるのだ! なぜわしに秘密にしておったのだ!」
立ち直り、立て続けに質問を浴びせる。
「お、落ち着いてくださいまし、姉さま」
額同士がぶつかる様な勢いで詰め寄る政子。
それを落ち着かせようと、保子があわててなだめる。
「順を追って説明しますので、まずはお話をきいてくださいまし」
「……で、あるな。保子、言うがよい」
深く、ため息ひとつ。
その場にどっかと座って、政子は説明をうながす。
横で呆然としていた宗時も、衝撃から立ち直ったのだろう。無言で保子をうながした。
「はい……あれは、姉さまが、富士川の合戦の準備をされていたころのことでした」
思いだすように遠くを見ながら、保子は話し始める。
「ご存じのように、宗時兄さまや義時は姉さまといっしょでしたし、お父さまは伊豆の国府に詰めっぱなしだったので、家の切り盛りはわたくしの仕事ですの」
「うむ」
本来は家長の大姫――つまりは政子の仕事であるが、まあいまさらな話だ。
「といっても、間近に迫った戦の支度で、ほとんどの者が出払っておりましたが……頼朝様が身を隠すように北条屋敷にいらっしゃったのは、そんな時でした」
「身を隠すように?」
「はい。なぜか女性のような恰好までされて……それで、自分が生きてることは、秘密にしておいてほしい。しばらく昔住んでたお屋敷に居るので、関東の様子を教えて欲しいって」
「……ふむ。まあ女装は置いておくとして……園城寺で追い詰められ、炎に巻かれておって、よく助かったものよ」
女装に関しては、前世の政子にも前科があるので、あえて突っ込む気はない。
「どうも、延暦寺のお坊様とか敵方の武者さんとかにお願いして、うまく逃げられたっておっしゃってましたわ」
「延暦寺の坊主や敵方の武者って……」
「なにをどうやったらそうなるんだ……」
政子と宗時が顔を見合わせた。
もういろいろとアレすぎて、乾いた笑いしか出ない。
「……まあ、生きておったのはよい」
仕方ない、と言うように、政子は息を吐く。
死んでいた、というよりは、よほど喜ばしい報せだ。
だが。
政子はあらためて、苦虫をかみつぶす。
「――それならなぜ、知らせてくれなんだのだ」
政子の問いに、保子も戸惑いを隠せない。
「……それが、頼朝様は、姉さまは頼朝様の思いを最大限酌んでくれようとしているし、自分が死んだことになっているこの状況が、都合がいいとおっしゃって」
「都合がいいだと! それにしてもだ! せめてわしにだけは、教えてくれてもよかったではないか!」
「教えると、姉さまは絶対に納得しないし、むしろ自分が側に居ないから制御も利かずにぜったいマズイことになるから、って」
「……なるほどな」
政子とて理屈は理解できる。
政子を中心にまとまった坂東反乱軍にとって、頼朝は異物だ。
初めからそこに居たならともかく、いまさら戻ってこられても居場所などない。
それに、政子は頼朝の意志も野心も理解していたが、それを最大限尊重しようと思ったのは、頼朝が死んだから、というのが大きい。
それを思えば、頼朝がやったことも納得できなくもない。
「よし、ぶん殴る」
まあ、それはそれとして怒りは別腹だが。
「姉さま、お手柔らかにおねがいしますわね」
「それは聞けん話よ」
減刑を乞う妹に、政子は否をつきつけた。
まあ、どこまで行っても夫婦喧嘩の域を出ないだろうが。
「……そういえば、富士川の合戦の後に、めずらしく国府に来たのも、頼朝の指示か?」
ふと思い出して、政子が尋ねると、保子は身を縮めるようにして答える。
「それは、ちょっと違いまして……いえ、わたくしの将来の旦那様についてお話したのは、昔ではなく、その時のことだったんですけれど、頼朝様は先の話っておっしゃってましたのに、わたくしがつい言ってしまったんですわ」
「違うな」
保子の言葉を、政子は即座に否定した。
「保子。ぬしがつい言った――のではない。ぬしがつい言ってしまうように、頼朝が仕向けたのであろう」
「……それは、なぜ、ですの?」
「わしにもわからんが、結果を見れば……義経を暴走させるため、であろうな。なぜそうなったのか、さっぱりわからぬが」
「そうなんですの?」
保子がいぶかしげに首をかしげた。
政子とて確証はない。
だが、二手、三手先を読んでみると、見えて来るものがある。
「おそらくは義経らを平家打倒の駒として利用し、都の飢饉を利用して失脚させる。そんな図を描いておったのではないか? たしかに頼朝が居るのなら、寺社とやり合うのにあの二人の武力は必須ではない……もっとも、真相は頼朝に聞かねばわからぬが」
説きながら、政子はわきわきと拳を握りこむ。
「ともあれ、保子の純真な心を利用したのは許せん。二回ぶん殴らねば」
「姉さま、わたくしのことはいいのですわ」
「そうはいかん。わしの大切な保子の体面に疵をつけたのだ。報いは受けてもらわねばならぬ」
座ったまま二、三度虚空を殴る政子に、兄と妹は何も言えない。
「シテ、保子。頼朝は今、どこに居る?」
殴る相手を求めて、政子は問う。
「それが、頼朝様は、姉さまの影として動くって、奥州の方に出られて、それきりなんですの……」
「頼朝め、要らぬ世話を……どうせ手伝うのなら、わしの側で手伝えというのだ……」
「あら、あらあら!」
政子の不機嫌なつぶやきに、保子が目を輝かせた。
「姉さま、なんだかんだ言って、やっぱり頼朝様の事を慕わしく思ってらっしゃるんですのね!」
「まて、なんでそうなるのだ!?」
保子の言葉に抗弁する。
横で黙って聞いていた兄が、突然くつくつと笑い始めた。
「兄者まで、なんだというのだ!」
「いや、やっぱり僕は頼朝殿にはかなわないな……政子、気づいてるか? お前、いま、本当に……いい顔してるよ」
北条宗時は、そう言って笑った。
政子は面白くない。
面白くないが、そうかもしれないと思う。
清盛の死以降、常に感じていた孤独感は、もうない。
だから、政子は納得して笑う。
「で、あるか……まあ、これで張り合いが出てきたというものよ」
「張り合い、ですの?」
「左様。頼朝がどのような姑息な手段で天下を取ろうと考えているか、想像はつくが……せいぜいわしは好き勝手やらせてもらおうぞ! 尻拭いは全部頼朝に任せてな!」
「……やっぱり、言っちゃだめだったんでしょうか?」
戸惑う保子に、兄の宗時は、首を横に振って見せる。
「いや、礼を言うよ、保子。おかげで政子が元気になった……もっとも、元気になりすぎて、これからのことを考えると頭が痛いけど」
そんなことを言って、北条宗時は笑う。
妹たちを祝福するような、優しい笑みだった。




