六十五 兄妹
「政子……すこし、話をしようか」
兄、宗時に呼び止められて、政子は振り返る。
この上ないほど真剣な表情だ。軽く驚いて、政子は怪訝な表情を浮かべる。
「どうした、兄者よ?」
「腹を割って話したいんだ」
「ふむ……わかった。聞こうではないか」
うなずき、踵を返すと、ちょうど国司館に来ていた妹、保子がひょこりと顔をのぞかせた。
「姉さま、どうされました?」
「――保子。いい年の娘が、童のようなふるまいをするもんじゃない」
宗時が咎めると、保子が拗ねたように口をとがらせた。
「兄さまこそ、目が怖いですわ。どうしたんですの?」
「まあ、大事な話らしい。ちょうどいい。保子、しばらく奥に人を寄せぬようにしてくれ」
政子の言葉に、「わかりましたわ」とうなずいて、保子は離れていく。
そして、人を寄せぬ一室で、政子と宗時は相対す。
「シテ、兄者よ。大事な話とは何だ?」
「全部だ」
政子の問いに、宗時は床に拳を置いて言う。
「――お前の思ってる事、全部教えてくれ」
「ほう?」
興味をそそられたように、政子は視線を返す。
ただそれだけで、発せられる圧は実の兄すらを威竦ませる。
「――知ってどうする?」
試すような面持ちで、政子は言葉を返す。
宗時は揺れない。まっすぐに政子の瞳を見すえる。
「……僕はお前の兄だ。お前のやる事を知って、受け入れて、支えてやりたい。そう思ってる。だから、教えて欲しいんだよ」
「くっくっく。知らねばよかった、と、思うやもしれんぞ?」
「それでも、知らなきゃいけないんだ」
――真面目な兄よ。
思うが、その真面目さを、政子は嫌いではない。
「まあよかろう。教えてやろうさ……わしの野望は天下にある。これは常々申しておったな」
「ああ」
「言っておらなんだのは、どのような形で天下を握るか、であろう?」
「ああ……多くの豪族たちは、所領を安堵された今、この状況が続くことを望んでいる。上総広常殿のみは、坂東に独立王国を築くことを、そして、武田やごく少数の時世の読める者たちは、都で権勢をふるう――平家になり変わることを望んでいる」
「うむ」
「だが、政子。お前の思いは、そのどれでもない」
「で、あるな」
政子は笑う。
賢明な兄だ。それくらいは十分に察するだろう。
「天下を食らう。その方法を選ぶつもりはなかったが……頼朝の願いでな。同時に天下を救ってやらねばならぬのだ」
「天下を、救う?」
うなずいて、政子は言う。
「この天下に巣食う者がいる。日ノ本に蔦のごとくからみ、富を吸い上げ世を乱し、民草に仇なす者たちが……わしの敵はそ奴らよ」
「日ノ本に……蔦のごとく――っ!?」
気づいたのか、宗時の顔色が変わる。
「その敵の名はな……寺社、という」
「馬鹿なっ!」
宗時が叫んだ。
「日ノ本に巣食う、だって!? たしかに最近の寺社の乱暴狼藉は見過ごし難い! だけど、それでも、寺社は、日ノ本を日ノ本たらしめている――日ノ本という国を紡ぐ横糸そのものじゃないか!」
宗時の剣幕にも、政子は動じない。
宗時はなおも言い募る。
「わかっているのか! 全国がまとまっていられるのも、商いが円滑に出来るのも、豪族や侍同士の争いがこの程度で済んでいるのも全国に分社を張り巡らす寺社の力が大きい! 飢えた民を抱えて盗賊化するのを防いでるのも寺社じゃないか! それだけじゃない! 豪族や武士の次男三男で寺社に入ってる奴だってごまんといる! 寺社を正面から敵にすれば、この反乱軍が一夜で崩壊しかねないぞっ!」
「で、あるな」
絶望的な観測を、政子は笑って肯定する。
「それゆえ、言えぬさ。わしとて、寺社そのものを消し去ろうとは思っておらぬ。だが、相手はそう思うまい。前例のない介入は、侵略と取られても文句は言えぬ」
「……わかってるのか、政子。あの強大な権力をふるった白河法皇だって、寺社を抑え切ることはできなかったんだぞ?」
「ゆえに、まずは天下を取る。平家を倒し、天下の武士をわしらで握る。そのために組織を作る。そのために反乱を合法化する。そのためにこの飢饉を利用し、そして隙あらば寺社の勢力を削っていく」
「……じゃあ、北陸の義経殿を抑えるのに白山神社を使ったのも」
「その義経や為朝を――神仏を恐れぬ将を抱え込みたいのも、そのため、であるな」
苦悶の表情を浮かべて、宗時が問う。
「いったい、なんのために」
「言ったであろう? 天下を救うためよ……それが、頼朝の願いであったからな」
政子は、口の端を皮肉の形につり上げながら答えた。
「頼朝様は、そのために、以仁王様の乱を主導したと?」
「うむ」
「そのために、天下の大乱が起こったと?」
「うむ……どうだ? 恐ろしゅうなったか?」
顔を青ざめさせた宗時に、政子は問う。
「恐ろし過ぎて言葉も出ない。どうやってそこに至れるか、見当もつかない……だけど、政子。よく教えてくれた」
青ざめたまま、宗時が述べたのは感謝の言葉だった。
意外だった。
これがきっかけで宗時とたもとを分かつことになる……とは、思っていない。
二十年以上、兄妹としてやってきた、その信頼があったからこそ、政子は真実を告げた。
だが、示された真実を自分の中で消化するのに、すくなくとも数日はかかると思っていた。これほどあっさりと呑みこまれると、政子は逆に不安になる。
「正直、まだ自分の中で理解が追いついてない」
でも、と、宗時は笑って言った。
「頼朝様が亡くなって、政子はおかしくなった。どこに向かってるか不安だった。みんながバラバラにならないか不安だった。どうやって支えていいかわからなかった。だけど、こうやって教えてくれたなら……支えられる」
「兄者」
力強く言う宗時に、政子は戸惑う。
向けられたのは、無条件の好意だった。
「気づいてなかったか? 最近のお前はちょっとおかしかった。周りとかみ合わなくなっていた。だから、なんとかしようと思った」
優しい笑みを浮かべながら、宗時は言葉を続ける。
「僕は頼朝様のように、千年先に目が届くわけじゃない。清盛のように、日本中に目が届くわけでもない。だけど、政子、お前の手足となって、側に居て支えることは、できる」
「できんと言うても押しつけるわ。たとえおなじ視点を持てずとも、わしが育てたわしの兄じゃぞ……じゃが、まあ……その……」
妙に照れくさくなって、政子は耳を朱に染め、そっぽを向きながら、ぽつりと言った。
「……ありがたい」
ぞんざいな、感謝の言葉に。
宗時は、安心したように笑みを浮かべた。
それが忌々しくて、文句のひとつも言ってやろうと口を開きかけて。
「――申し訳ありません」
と、唐突に、横やりが入った。
ややあって、仕切りの陰からこそりと入って来たのは、妹の保子だ。
「保子、聞いていたのか」
「ごめんなさい。こっそりと聞き耳を立てておりましたの……」
保子は申し訳なさそうに頭を下げる。
政子は恥ずかしいやら居たたまれないやらで、「うにゅにゅにゅ」と、わけの分からないうなり声をあげる。
「まったく、政子の気配でかき消されてたとはいえ、気づけなかったとは、我ながら情けない」
「申し訳ありません。聞かなかったふりをしたほうが、よかったのかもしれないのですけれど、聞いてしまった以上、お教えしなきゃいけないことがあるんですの」
「教える? なにをだ?」
「その、兄さまがそんな必死になるくらい姉さまとお話してたのって、頼朝様が居なくなって姉さまがおかしくなっちゃった、からですのよね?」
「わしは頼朝のことなぞ、なんとも思っとらんわ!」
悲鳴のような叫びをあげる政子を尻目に、保子は言う。
「ぜったい揉めるし制御不能になるからって口止めされてたんですけれど……姉さま。大丈夫ですの」
「大丈夫? 何がだ?」
「生きてらっしゃるんです……頼朝様は」
保子の、言葉に。
政子は目をまんまるにして。
「なんじゃとーっ!」
館が震えるほどの叫び声を上げた。
◆
はるか西、紀伊国某所。
霊峰を仰ぎ見る宿坊のかたわらで、大きなくしゃみをした男が一人。
「どうされました? 旅のお方」
「いや、なんというか……ものすごく寒気を感じたというか……」
「ほう。それはいけませんな。拙僧も今日はこちらの一隅を借りるつもりです。よければ、拙僧と閨で温め合いませぬか?」
「なんでそうなるんですかっ! 治承5年2月某日。旅の坊主に尻を狙われてつらいっ!」




