六十四 四百年の孤独
「変な妹だ」
幼いころ、北条宗時は妹に対し、そんな思いを抱いていた。
生まれた時から強烈な王気を放つ、異様な赤子だった。
片手で数えられる年のころから、一族の子供たちに軍事訓練を施し、当時の北条家では考えられないような高等教育を施し続けた。
子供の勝手気まま、とは思えなかった。
やることなす事理解しがたいが、妹は、はっきりと将来を見据えて動いている。
田舎豪族の子として、平凡な世界しか見ることのできない宗時にとって、それはうらやましいことだった。
手伝おうと思った。助けようと思った。
政子の行動で、北条という、身分の垣の外に在る家が、活気を帯びて動いて行くのが楽しかった。
十歳になるころ、京に上った妹は、八条院――皇族の猶子になった。
太陽が西から昇るような。そんなあり得ない出来事に、あの源頼朝ですら頭を抱えていたことを覚えている。
「政子こそ、世に稀なる孝行娘よ!」
父は喜んだが、宗時は素直に喜べなかった。
政子を助けて北条家を雄飛させる。そんな密かな喜びを奪われた気がして、哀しかった。
その後、流人だった頼朝も許され、驚くべきことに政子と結婚することになった。
驚いたが、宗時はうれしかった。頼朝という人間は、性格こそ粘着質で恨み深いが、政子のよき理解者だった。
「兄者よ! 戻ったぞ!」
伊豆守として国に戻って来た頼朝と政子は、国府に入ると、伊豆の行政を執り行う。
そこに至って、政子の教育が、実を結んだ。北条一族は頼朝の手足として、伊豆の行政処理を一手に担い、その存在感を高めた。
「伊豆国中の雄物よ」
宗時も、そんな評価を受けるようになった。
政子の言葉を、ただただ形にするだけでそんな評価を受けることが、すこし後ろめたかった。
ほどなくして、頼朝は検非違使佐に大抜擢。都に返り咲く。
それに伴い、宗時も頼朝の補佐役として、京の都で生活を送ることになった。
そこで、宗時は八条院に抜擢された。
「あんたが政子ちゃんのお兄ちゃんやね? うちが八条院や。よろしゅうなー」
妙にゆる軽い言動に似合わず、神仏かと疑うような存在感は、やんごとない血筋をたしかに感じさせた。
その、八条院に気に入られて、宗時は八条院で働くことになった。しかも、いきなり従五位下に推薦されて。
――田舎豪族風情が、妹のおかげを被っただけで高位にのぼっていいものか。
悩んでいると、頼朝に励まされた。
「私や政子殿の手足になるのです。この程度で怖気づかれては困りますよ」
実際、断る術などない。腹をくくるしかなかった。
「宗時! 我が愛しの息子よ! よくやった! よくやってくれた!」
父、時政は大いに喜んだ。
時政も、その子である宗時も、まともな血筋ではない。
それでなくとも、たかが地方豪族が、従五位になど昇れるものではない。
それを、時政の息子が成し遂げたのだと、父は涙を流して喜んだらしい。
正直なところ、素直に尊敬を向けられる親ではないが、それでも肩肘張って生きてきた時政の思いに、感じるものがあった。
だから、数多受ける嫉妬の視線や嫌がらせも辛くなかった。
政子に強いられて覚えた教養や事務能力を武器として、八条院庁でも一目おかれる存在となった。
子供も増えた。
時政の子のうち、時房以下若年の者をみな宗時の子として引き取った。
家格に似合わぬ望外の出世を遂げたものが、一族の幼い子弟を引き取ることはままある。任官も、出世の速度も、たったそれだけのことで、まったく変わるのだ。
――娘の……政子の野望に、うすうす気づいているでしょうに。
仕方のない父だと、苦笑を浮かべた。
妹は、南坂東を順調に掌握しつつあった。
その先のことを、頼朝も政子も考えているのだ。
数年が過ぎた。
都の政争は、刻一刻と深刻の度合いを増し、源頼朝も、宗時も、否応なしにその波に巻き込まれていく。
「宗時殿、以仁王の令旨を、政子殿に。義兼殿とともに、政子殿を頼みましたよ」
頼朝はそう言って宗時を京から脱出させた。
それが、今生の別れになるとは思わなかった。
源頼朝は名高き武家源氏、八幡太郎義家に連なる貴種だ。
南坂東の覇者であった源義朝の嫡子であり、その地盤を強固に守った武名高き悪源太義平の弟だ。
頼朝自身は武人というより、貴人の印象が強い。
実は武人としても、坂東武者に舐められない程度には強いのだが、物腰の柔らかさはそれを感じさせない。
そしてなにより、政子とおなじ視点の高さを持っていた。
政子自身は嫌がっていたが、婿として得難い人間だった。
天下を志す。妹の、そして宗時の密かな野望に、真実の形を与えた、尊敬すべき人だった。
坂東に戻ると、政子はすぐに兵を集め、伊豆、相模を武力で掌握する。
その中核となったのは、政子が幼いころから軍事教練を施した北条の武者、そしてかねてより鍛えていた頼朝の郎党たちだった。
――いったいいつから、この事に備えていたのか。
政子の準備は恐ろしいまでに周到だった。
だが、たったひとつ、計算に入っていないものがあった。
源頼朝の死だった。
相模国衣笠城で頼朝の訃報を聞いた政子は、その日一日、姿を見せず、次に姿を現した時には、剃髪していた。
鬼気のようなものを感じたのは、間違いではないだろう。
その後、坂東一円に勢力を広げた政子は、平家の討伐軍を富士川で迎え撃つ。
当時甲斐国に居た宗時は、あとで戦の詳細を聞いて、うそ寒くなった。
火薬。
政子が幼いころから、北条郷の山手で何かしていたのは知っていた。
それが火薬だと知ったのは、頼朝が伊豆守として伊豆国を治め始めてからで、その時政子は言った。
「製法にめどが立った! 密かに量産するので手伝ってくれい!」
それから、肥を研究するかたわらで、火薬の原料づくりも行い、詳細が外に漏れぬよう、調合は信頼のおけるごくごく少数で行わせた。
「爆弾を作りついでに、爆音に馬を慣らす。こちらの馬まで暴走しては話にならぬからな」
その、すべての準備が、富士川の一大決戦のためにあったというのか。
――いったい政子は、どこまで先が観えているのだろう。
ふと、うそ寒いものを感じることがある。
十年、百年、あるいはもっと先まで、見通せるとしたら。それはどれほどの孤独であろうか。
最近になって、政子の様子がおかしくなってきた。
たがが外れてきている。
配下への説明も、ぞんざいになってきた。
政子がどこに向かっているのか、わからなくなってきた。
いまはまだ、小さな不安だ。だが、ほうっておけば、やがて芽を吹き不吉な色の花を咲かすかもしれない。
「頼朝様が生きていれば……!」
思えば、そうなり始めたのは、頼朝の死以降。
顕著になったのは、清盛の訃報を聞いてからだ。
先の見えている政子が、二人の死になにを見たのか。宗時にはわからない。
わからないが、宗時は政子の兄だ。
北条政子を支えるべき、兄なのだ。
だから、宗時は、不機嫌な顔のまま奥に引っ込んだ妹を追って、声をかける。
「政子……すこし、話をしようか」




