五十 都の落日
以仁王の乱は鎮圧された。
しかし、その影響は全国に波及しており、事態を重く見た清盛は、治承4年5月末、都に戻ってくる。
惣領、宗盛から報告を受けた清盛は、そののち、六波羅小松第に、重盛を訪ねた。
「これは、父上……」
「重盛。キミを見舞いにボクが来た!」
重盛は体調を崩し、床にあった。
立ち上がって応対しようとする重盛を手で制して、清盛は言う。
「無理はしちゃいけないよ、重盛。もっと体をいたわりなさい。親より早く死ぬ不孝は御免だよ」
「大げさですよ」
「大げさだというなら、早く元気になることだ」
「はっ……」
清盛は寝床のそばに座ると、息をつく。
「しかし、厄介なことになったね」
「はい。以仁王に呼応して、全国で乱が起こっております……ご存じかと思いますが」
「宗盛から聞いたよ。以仁王の悪あがきが祟っている……とは、思うまい。地方に敵を作ったのも、園城寺や南都を敵に回したのも、すべてボクたちの行いの結果だ」
「……我々は勝ちすぎましたか」
「うん。勝ちすぎたし、何もかもを平家で抱え過ぎた……政変の過渡期の措置としては当然だったけど、既得権益から弾かれた豪族や寺社を、窮鼠にしてしまった。やはり拙速な政変は、最善の策たりえなかったね」
清盛がしみじみとつぶやいた。
重盛は身を横たえたまま、目をつぶる。
「……頼朝に関しては、弁明のし様がありません」
「謝るな。キミは惣領じゃない。頼朝を生かしておくことを最終的に決めたのはボクと宗盛で、責任を負うべきもボクと宗盛だ。不穏な動きを掴めなかったのは……相手を褒めるべきだろうね」
清盛は息を落とす。
以仁王の反乱は、首謀者たちの死により、いまだ全貌が見えていない。
しかし、八条院を介して、以仁王と義理の兄弟関係にある頼朝である。その地位から考えても、乱の構想から関わっているに違いないのだが。
「屋敷は奇麗に掃き清められ、院への感謝と謝罪の文を残し、南都に逃れる以仁王を支援するため、園城寺に残って戦い、燃える園城寺の中で自裁……」
「朝廷と以仁王。相対する両者への義を通した、武人らしい身の処し様だと思いますが……」
「重盛」
清盛は、息子の言葉を制する。
親しくつき合っていたせいか、重盛は頼朝という人間を好意的に見過ぎている。
「重盛。ボクは源頼朝という人間を、もう少し高く評価しているんだ。あの頼朝が反乱計画に絡んでいて、計画が漏れる可能性を考慮しないと思うかい? 都から逃れられたのなら、本拠地である東国まで逃げおおせることも、出来たんじゃないかい? 事実、東海道沿いの国々は軒並み不穏な動きを見せている。そして――」
碁石を打つように、清盛は床に指を置く。
「東国は大反乱の真っただ中だ。東国からの情報は細く、また錯綜しているけれど、中心人物は、間違いなく……北条政子だ」
「北条政子……」
「彼女は現代の平将門だよ」
新皇を名乗り、関東に覇を唱えた大反逆者。
あの少女は、それになぞらえるにふさわしい。
「――初めて出会った時、そう思ったのは、間違いじゃなかったみたいだ」
実感を込めて、清盛はつぶやいた。
北条政子は頼朝の妻だ。
以仁王の乱と東国の反乱は、間違いなく連動している。
であれば、頼朝が畿内に残ったことには、間違いなく意味があるはずだが……
――読み切れない。
そもそも、東国はおろか、以仁王の乱の情報さえ、錯綜している。
炎に呑まれた頼朝はともかく、南都に逃れる途中に討たれたはずの以仁王さえ、満足な本人確認が取れていない。
政変による極端な人事の弊害が、ここでも出ている。
清盛が京に赴いたのも、報告の混乱にたまりかねてのことだ。
「平将門……北条政子は東国の王になるつもりでしょうか?」
と、重盛が尋ねて来る。
そうだろうか。清盛は考え――首を左右に振る。
「わからない。とにかく、情報が足りないんだ……けれど、戦になるのは避けられないだろうね」
清盛は思いだす。
昔、政子と交わした言葉を。
――つぎは、囲碁などではない。本気の勝負をやろうぞ。
童女の戯言が、いまでは本物になっている。
そのことに、運命の不思議を覚えながら、清盛はつぶやく。
「あの時、ボクは言った。ボクは平和主義者だけど、ボクとボクの大切な家族を傷つける者にはいっさい容赦しない、と。相手が神でも、仏でも、ボクは家族を守るためなら畜生外道になれると……それを、見せてやろう。南都を焼いて畿内の源氏を撫で切りにし、平家の全力をもって東国に攻め込んで見せよう――もっとも」
立ち上がり、外を見やりながら、清盛は皮肉に笑う。
「天がそれを許してくれれば、だけど」
一瞬、清盛の身が沈む。
「……父上?」
「なんでもない。体に気をつけるんだよ、重盛」
くるりと旋回して、清盛は身を起こそうとする息子を制し、優しく笑いかける。
「そういえば、大事なことを言い忘れていたね。重盛、ボクは、都を福原に移すつもりだ」
「都を……福原に?」
「いまはとにかく畿内が不穏すぎる。現状、どこまで敵に回るか、ボクにも判断しかねている。不意をつかれて院や帝を奪われると大惨事だ。この際福原でお守りするのもよかろうと思ってね……宗盛は不服そうだったけど」
「宗盛が」
「あれはボクたちとは違う。心に武者を飼っていない……重盛。はやく良くなって、弟を助けてやってくれ」
「……はっ。なによりも、平家のために」
◆
治承4年6月。清盛は安徳天皇、高倉院、後白河院を福原に迎え、臨時の御所を置く。
後顧の憂いを断った清盛は、畿内の反乱鎮圧を指示。宗盛は兵を募り、弟の平知盛、平重衡を大将として、都周辺にくすぶる反乱勢力に当たらせる。
畿内情勢が一応の落ち着きを見せたのは8月。
その頃には、反平家を謳った反乱は各地に広がっている。
この年は、雨が降らない。
干ばつによる水不足で、西国一帯が凶作に苦しんだ。




