四十一 修羅の道
嘉応3年3月。
京の北、鞍馬寺の外れで、一人の少年が、地にあぐらをかいて座っていた。
年のころは十歳過ぎ。苦虫をかみつぶした顔で、地においた手紙を忌々しげに睨んでいる。
牛若丸――後の源義経である。
「かっかっか、どうした牛若ぁ! 不景気な面しやがって!」
と、竹林の間から、身の丈七尺(210cm)はあろうかという大男が姿を現した。
源為朝。現在は素性を隠し、鬼一法眼を名乗っている。
「……別に、おれは別に不機嫌じゃない」
「かっかっか。隠せとらんぜ!」
拗ねたようにそっぽを向く義経に、為朝は意地悪く笑った。
「そんなに癪に障るか? 己の兄と魔王娘が婚儀を結んだのが」
「うるさいっ!」
癇癪を起して手元にあった小石を投げ付けるが、為朝はこれをひょいと払いのけてしまった。
「と、それは」
地面に置かれた手紙を見つけたのか、為朝は軽く目を見開いた。
「魔王娘からの手紙か?」
「……そうだ」
「かっかっか、よかったじゃねえか、報せが来て! おまえ一言の報せもなしにあの娘が嫁いだと知って、涙目になっておったものなぁ!」
為朝の言葉に、義経は思い切り取り乱す。
「な、涙目になってなどおらんわ! あれはだな、あ、あの娘、おれに求婚してきたのに、婚儀のときにおれに一言もなくて――」
「はんっ、勘違いもいいとこだぜ! あの魔王娘、格好こそ小娘だが、中身は化物だぞ? 魑魅魍魎、どころじゃない。仏法に仇なす魔王の類だ。しおらしく求婚なんてタマかよ」
ぐっ、と、義経は言葉に詰まる。
「なんでそんなことがわかるのだ!」
「決まってるさ」
為朝の口の端がつり上がった。
親指で胸元を指し示しながら、為朝は断じる。
「おれさまも同類だからよ」
十五歳の若さで鎮西(九州)を征服した。
保元の乱で天皇に弓引いた。
流刑先の伊豆諸島を武で平らげた。
京にもどって刀狩りで世を騒がせ、今なお天下を睨む混世の魔王。
魔王は笑った。
威圧するようなそれを、しかし義経は跳ね返す。
「そんなこと、わからぬではないか!」
「わかるさ。その手紙、魔王娘からのものだとすれば……当ててやろうか? “伊豆が手に入った。早く来い”……こんなとこだろう?」
「ぐっ……うう……」
言い当てられて、義経は二の句を継げない。
「というか牛若、てめえも女の趣味が悪いというか……ひょっとして男装とか好きなのか? 白拍子紹介してやろうか?」
「いらぬわーっ!」
義経はたまらず絶叫した。
◆
「――まあ、それはともかくとして、だ……どうする、牛若? 魔王娘の誘いに乗るか?」
「乗れるかっ! おれは将来、鞍馬寺で僧になるからこそ、生かされてるんだぞっ!」
義経の、返答に。
為朝は、声をあげて笑った。
「なにがおかしいっ!?」
義経が眉根を逆立てても、為朝は取り合わない。
「おかしい? おかしいさ。おかしいに決まってる! だって、なあ、牛若よ! 鞍馬寺で僧になる男が、必死になって武芸を習うか!?」
「――っ!」
「誤魔化すなよ牛若。てめえも腹の底じゃわかってるはずだ……自分は魔王娘やおれさまと同類だと。神だの仏だの帝だの、なんとも思っちゃいねえ生粋の魔王だと。だから惹かれたんだろう? 魔王娘に!」
「……お、おれは……おれは……」
動揺する義経の耳元で、為朝が哂いささやく。
「なあ、牛若よ。しかし、しかしだ。他人の天下取りの手伝いなんぞ下らんぞ? 魔王娘の描く天下なら……まあ、面白そうだが、頼朝の天下なんぞ陰気臭くてたまらんわ」
「……おぬし、いったいなにが言いたい」
「くっくっく、言いたいことは、ひとつだ。牛若――おれさまと共に鎮西(九州)に行こうぜ。あそこには、おれさまの天下の燃え残りが燻ってやがる。そこでひと旗挙げようじゃねえか」
「鬼一法眼……おぬしは……」
義経は声を震わせた。
こんなことを言える人間が。
ここまで言える人間が、ただの武芸者であるはずがない。
「おれさまの真の名を教えてやろう」
胸を反らして、為朝は名乗る。
「源為朝――てめえの叔父で、天下の反逆者だ」
その名は、義経にとってはるか遠い昔の名だ。
だが、先ほどまでの大言壮語を納得させるに十分な名だ。
「どうだ? 牛若」
為朝の誘いに、義経は迷う。
異母兄である源頼朝、そして北条政子がいる伊豆に行けば。
朝廷から追われはしても、それなりに安泰な生活を送れるだろう。
一方、源為朝の誘いに乗れば、行く先は修羅の道だ。
朝廷から追われ、寄る辺ない身で、殺し殺される野獣のごとき生活を強いられるだろう。
寺に残る、という選択肢は、もはや頭から消え失せている。
為朝に突きつけられ、自覚させられた衝動が、もはやそれを許さない。
だが、この日この時、唐突に。
第三の選択肢は、舞い込んできた。
後白河院よりの二通の文である。
◆
“源義朝の息子、牛若は、本来処刑されるところを、仏門に入ることで許された身である。
で、ありながら、鞍馬寺では奔放を尽くし、密かに武芸を磨いているという。
伊豆へ流された兄頼朝が仏法に深く帰依し、死者の霊を日々慰めているのに対して、これは著しく不遜である。
ゆえに、牛若を奥州へ流罪とする。”
これが一枚目の下文である。
使者に内容を読み上げられた時、さすがの義経も血の気が引いた。
だが、二枚目があった。
二枚目の文は読み上げられず、使者がそっと義経に預けた。
密かに話を聞いていた為朝とともに、それをひも解いて……義経は不敵に笑った。
「鬼一法眼――いや、叔父上よ。今度はそちらが選ぶ番だ。おれと共に来るか?」
義経は、為朝に向かって文を示す。
――奥州にて、力を蓄えよ。そのための勝手を許す。
「……けっ、あの魑魅魍魎、また企んでやがるな。平家に対抗する武力が欲しいってとこか。頼朝を伊豆守にしたのが本命だとしたら、こっちはその裏ってとこだろうぜ」
頼朝に対して打った手の補強であり、源氏優遇を隠すための目くらましの役目でもあろう。
さらに言うなら、奥州の主、藤原秀衡の岳父は院近臣であり、義経の義理の父と親戚関係にある。連携も取りやすいと、後白河院は判断したに違いない。
「だが、面白ぇ。“勝手を許す”……奥州十七万騎、丸のみにしてやるのも楽しそうだ!」
ばん、と拳を打ちあわせて、為朝は歯を剥き笑う。
「――牛若、感謝しろ。ついて行ってやるぜ」
「ならば叔父上よ、続けておれを鍛えてくれ。おれは強くならねばならぬのだ。もっと、もっと!」
決意の炎が、義経の身を焼く。
耐えがたい衝動に、義経は吼えた。
この日、二匹の獣が、野に放たれた。
白拍子……この場合男装の遊女。
院近臣……治天の君の側近。グループ自体も指す。




