四十 富国談義
初手の不意打ちが利いて、伊豆の武士団の多くは頼朝に従った。
「ですが、まだまだです」
と、頼朝は言う。
「みなが頭を下げているのは、私にではない。朝廷から授かった身分に対してです。強固な主従関係を結ぶためには、私が頼れる棟梁だと示さねばなりません」
そう言って、頼朝は国府に入った。
国府は政庁を抱える一国の中枢都市だ。
役人は土地の豪族が務めていることが多い。つまりは武士たちである。
伊豆の武士団を従えた頼朝は、困難なく政務を始めることが出来た。そして。
その行政手腕に、役人たちはみな舌を巻いた。
この男、争いごとの調停能力、調整能力が並ではない。
おまけに十年来伊豆に住んでいるだけあって、寺社や各地の有力者との伝手も多く、下手な地元豪族より顔が利くのだから始末におえない。
「それも、北条一門の若衆の助けあってのことですよ。彼らがいなければ、とてもではないが手が回りません」
「であろう。わしが鍛えたのだからな!」
こともなげに言う頼朝に、政子は胸を反らした。
自慢したくもなるだろう。
なにせ政子が、苦労に苦労を重ねて鍛えた者たちだ。
天下運営の中枢にする予定なのだから、伊豆一国程度の実務、ちょうどいい練習でしかない。
というか、それすら出来なかったら悲しくて泣けてくる。
◆
伊豆守として国内を掌握した頼朝の権能は、非常に強い。
しかし、伊豆守頼朝をもってしても、思い通りにならない人間がいる。
ほかならぬ頼朝の妻、北条政子である。
妻というよりも同盟者のようなこの幼い少女は、頼朝の郎党となった弱小武士たちを引き連れて野山を駆け回ったり、盗賊狩りにいそしんだり、かと思えば政庁に入り込んできて資料の類を勝手に漁ったりと手に負えない。怒鳴りこんでくる武士や役人たちをなだめるのも一苦労だ。主に藤九郎の役目だが。
とはいえ、頼朝は政子の所業を恨んではいない。
郎党たちを集団として鍛錬し、国内の治安維持に寄与し、政務を取る上で様々助言もしてくれる。
――実は政子殿、私に惚れているのでは!?
そう考えてしまう頼朝だが、夢は見ない方がいい。
ともあれ、この日の政子は国司館に居た。
諸方に手紙を書く頼朝の様子を見ながら、感心したようにしみじみと言った。
「……それにしても、伊豆守とは、このような強い権力を持つ職であったか」
「おかしいですか?」
政子の言い様に、頼朝は首をひねる。
「うむ。わしの時代であれば、貴族ごときが『伊豆守である。言うことを聞け』などと抜かしてきたら、無視するか閉じ込めるか不幸な事故にあってもらうところだ」
「あなたの居た時代、つくづくおかしいです」
頼朝は青ざめた顔で突っ込んだ。
下剋上といい、末法の世すぎて聞くのが怖すぎる。
「ともあれ、だ、頼朝よ」
と、政子が話題を転じた。
「伊豆守となったおかげで、財貨が手に入るのはありがたいぞ。天下取りのためにやろうにも金が足らず、いままで何度口惜しい思いをしたことか……くっくっく、一国の税収となればあれも、これも出来る!」
「いやいや、一国の税収を使いこまないでください」
政子のかなり本気な様子に、頼朝はあわてて止めた。
「家に入れる分に関しては、好きにしていいですけど、院に納める分には手をつけないでください。例年通り程度には納めておかないと、引き続いて国主を任せてもらえませんからね?」
「わかっておるわ」
政子は不満たらたらだ。
小国とはいえ、一国の国主の収入といえば相当なもののはずだが。
「しかし、それでは足りぬのだ」
「いったい何をやりたいのか、非常に気になるのですが……それでは、税収を増やす思案など考えてはどうですか?」
この提案に、政子は目を輝かせて食い付いた。
「増やす? 税率を上げるのか? とりあえず倍にしてよいか? あと寺社に銭を要求してもよいか?」
「やめてくださいねお願いですから。お願いですから」
物騒きわまる要求に、頼朝は言葉を重ねて止める。
なんというか、これも政子の前世の常識なのだとしたら、本気で末法の世だ。
「――私は伊豆を根拠としたいのですから、民に背を向けられては、なんにもなりません。そうではなくて……田畑や市を支援して、税収を底上げするとか」
「出来るか?」
政子が問う。
問われると、頼朝は首を横に振らざるをえない。
しかし、それを知っている人間に、心当たりがある。
「私には、そこまでの思案はありません……でも、あなたにはあるのではありませんか? 未来の知恵を持つ、政子殿には」
「ふむ……」
政子は腕組して思案する。
「無いこともなかろうが、農耕はさすがに専門外でな……しかし、野山を駆けながら見た限り、この時代では肥の類を使わにゅのか?」
「肥? 田を肥やすために、草木の灰などは使うようですが」
「糞尿や干鰯、油の搾りかす、であったか? その類は使っておらなんだように思うが」
「ふむ、糞尿」
頼朝は、乾いてしまった筆を手に、思案する。
「……糞尿を、木くずや藁と混ぜて肥にするというのは、都でちらと耳にしたことがありますね。有効であれば、北条郷の一角で実験するのもよいと思いますが」
「糞尿は、ほかに使うあてがあるのだがな」
「他にも用途あるんですか糞尿。なんに使うんですか」
「秘密よ。やっと実用の目処が立ってな、財貨が出来て、いよいよこれからというところなのだ。くっくっく、心配せずとも出来上がれば教えてやろう」
「なぜだか、ものすごく聞きたくない気がします」
魔王オーラ全開で含み笑いする幼女に、頼朝は嫌な予感しか覚えない。
「くっくっく……まあ、肥に関しては、宗時に言って糞尿の肥の研究をさせてみるとするか」
「ものすごい嫌がらせに聞こえるんですが。というか宗時殿、いまでも多忙すぎるんですけど、大丈夫ですか?」
一歩退がって実務からは身を引いている宗時だが、政庁で活躍する北条家の若者たちを監督、補佐しながら北条家の家政もみており、非常に多忙な日々を送っている。
かといって宗時を休ませると、藤九郎あたりに負担が回ってきて、そっちがぶっ倒れてしまいそうだ。
「案ずることはない。宗時は我が兄ぞ」
「いや、しかし……」
「わからぬか? わしという妹を持った兄ぞ? この程度、慣れたものよ」
「なぜでしょう。いまものすごく納得してしまいました」
問答無用の説得力だった。
◆
「……そういえば、政子殿。農耕は専門外、とおっしゃいましたが、市に関しては、なにか妙案が?」
問うと、政子は渋面になった。
「流通が死んでおる。モノが集まらん。そもそも銅銭が足りぬ。はっきり言わば、伊豆一国のあがり程度ではどうにもならぬ」
「いえ、流通に関しては、他と比べて上等なほうですからね?」
「知らぬわ。せめて毎日市が立つようになってから言わぬか」
「そんな無茶な」
言いながら、頼朝は思う。
政子の時代では、それが普通だったのではないか、と。
初めて末法の世じゃない未来の姿を聞いた気がする。
「まあ、とりあえず職人を増やせ。鍛冶、鋳物師の類がよい。この時代の者が知らぬ鉄具なら、いくつか思いあたりがある。武器や農具の類よ。ほかで買えぬものを作り、市に流さば人が集まる。それを見込んで商人も増えよう……むろん、当座の資金では大規模には出来まいが」
「なるほど、新しい農具が広まれば、田畑の開発もはかどる。よい思案です。まずは無理のない規模で始めるとしましょう」
「できれば北条郷を発展させたいが――さすがに無理か。であれば三島じゃな」
「施設も揃っておりますしね。鉄は狩野や伊東の利権とぶつかるんですが――まあ、うまく利を分け与えて逆に仲良くなりましょう」
頼朝がこともなげに言うと、政子が眉をひそめた。
「大言壮語を、と言いたいが、おぬしじゃからなあ……」
「そう難事でもないんですけどね。惚れましたか?」
「逆にあきれるわ」
「ご褒美です」
「やめにゅか! というか恨み雑記帳に書くでないっ!」
止めに入るが、それ自体がご褒美だと気づいたのだろう。政子は渋面になりながら話を戻した。
「――ともあれ、そのあたりはぬしに任せる。わしの手が要る時には呼ぶがよい」
「頼りにさせていただきますよ」
じめっとした笑顔で、頼朝はうなずき、すっかり乾いてしまっている筆を、墨汁に浸した。
そんな頼朝を横目に、政子がふとつぶやいた。
「そういえば、為朝と牛若に、伊豆に来るよう手紙を出したのだが、今ごろどうしておるであろうな?」
頼朝は不吉な予感しかしない。
内政は投げるもの。




