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僕の羊

作者: シウタ

新年の書初めです。

 羊は何を食べるのか

 狼は何を食べるのか

 狼は羊のものを食べてしまった

 羊は僕のものを食べてしまった




 その頃僕は彷徨う私生児だった。

 落葉が終わり草原は茶色の葉が湿る、鳥たちや森の獣の姿が見えない。そんな僕に暖かい寝床はもちろん寒さや雨を凌ぐ屋根さえ危うい。

 僕でも頂上まで上れる山が南と北に一つづつ、間に谷が一つ、一番下に河が一つ。この小さな世界で僕は生活していた。夏の間は木の実や茸、川の魚が僕を満たしてくれたが木のざわめきとともにみんな静かになってしまった。

 山のてっぺんに上ると他の世界が見えた。大きな灰色の窪みが回りを囲みその先は見える限り岩と少しの草木しか生えていない大地、とても新天地を求めて歩く気にはなれない。世界はここ以外ずっとそうなっていると思っていた。

 山の頂上は寒い、河の近くも寒い、二つの山の北側の山は日当たりが他よりましといったところ、山の中腹の大きな岩と木の側にありったけの乾いた枯れ草を集め僕は丸まった。

 夜が来る、冬が来る。

 前の冬をどう乗り切ったのか覚えていない、前に冬があったかすら覚えていない。

 ただ眠ろう、今は眠るしかない。


 その日の目覚めは遅かった、暖かく心地良くてふわふわした感じがした。

 太陽が真上を過ぎた頃、物音で目が覚めた。白くてでかでかと毛を湛えた羊が僕の貯めていた葉を食べていた。

「おはよう、ずいぶん寝ぼすけさんね」

 羊は言った。

「おまえは誰だ! それにその葉は僕んだぞ」

「あれごめんなさいね、私はサラザアって言うのよ坊や」

 そうは言っても草を食べるのをやめない。

「僕は坊やじゃないトンジってんだ」僕は急いで散らばった草をかき集めた。

「あらいいじゃない、あなたは草じゃなくても食べれるでしょう」

 僕は冬に備えて食べれそうなものを探した、そしてこの寝床に隠しておいたがその中には食べれそうな草も集めてあった。

「もうすぐ冬が来るもう残っちゃいないよ、人のものを食いやがっておまえを代わりに食べてやる」

 そう言えば羊はどこかに行くと思ったが「いいわよ」と言いまた僕が隠そうとしていた草を図々しく食べはじめた。

「本当にいいの?」僕は羊の顔を覗き込んだ、彼女と目が合う。

「もしくは一緒に南へいきましょう」彼女は山の向こうをもぐもぐしながら見た。

「やだよ、ここを離れちゃ生きてはいけない」

「離れたことがあるの?」

「無いからいってるんだ、離れて生きていきける気がしない」

 僕は寝床に置いておいた棍棒を持って山の斜面を下った。

「どこに行くの?」

 後をついてくる羊。

「何かを探してくる」

「何かって何?」

「食べ物とかだよ、質問ばかりでうるさいなやつだな」

 羊は「そう」とだけ返事をすると僕の寝床のとこへ戻って行った。


 河原に降りた、砂利の中に黒光りする鋭利な石が混じっていてこの時間は地面も時折まぶしかった。沢は静かで魚も隠れていて見つからない、渡って反対側の山へ上る、どんぐりや柿栗あけびなんかはもうない。本当に彼女を食べていいのだろうか、それなら早い方がいいこの棍棒で頭を一撃、それでこの冬は乗り切れる。肉を食べ、皮と毛で体を覆えば寒さには勝てるだろう。そうしてまた春が来るのを待てばいい。

 冬とともにすべてを忘れて、前の冬もそうしてきたのかもしれない。

 登り疲れてたどり着いた山の頂上はいつもと変わらない、日がもう目の位置と同じところにあってまぶしい。

 ここは好きな場所だ、世界を見渡すことが出来る。見るだけでそこに行った気分になれる。そして僕は出て行かない。

 日が落ちる前に帰ろう、帰ったらきっと草だけなくなって彼女はいないだろうけど。




 山を下って沢を越えたあたりで遠い呼び声が聞こえた、彼女の声、まだそこにいた。

「おかえりなさい」彼女は床を暖めるように僕が寝ていた場所に座っていた。

「なんでまだいるんだい、この棍棒で頭を殴ればそれで終わりなんだよ」

 棒を振り上げると彼女は恐れて素早く頭を丸めた。

 夕闇が迫っていた、山と山の間の空は赤く赤く赤い。落ちる日がだんだん早くなって空の色も日を追うごとに残酷になっていく。

「坊やそうしていいだよ、坊や……」彼女はこもった声でそうつぶやいていた。

「俺は坊やじゃない」

 振り上げたものをゆっくり降ろして寝床の横の大きな岩の下にそれをしまった。

 羊は立ち上がって僕の所へ何かを持ってきた。

「ほらお食べ、これで元気を出して」

 僕が集めたのとは違う茸や木の実を羊は持ってきた。

「この茸食べれるの?」

「大丈夫食べれるやつよ」

「なんでわかるんだよ」

「あなたより長生きだからよ」

「おまえは暖かいからまだ生かしておいてやる」

 その夜は二人で眠った。




 羊の朝は早かった、空気が朝露がまだ残っているうちに毛を奮い立たせ、岩にってあたりを見回していた。羊には人には聞こえない音まで聞こえた。遠くの地で風鳴りに混じってそれは聞こえていた。

 飢えた音、奪う音、怖い音。そしてそれが近づいてくる音。

「起きて、ねえ起きて坊や」

「うるさい坊やじゃないって言ってるだろ」僕はまだ寝たかった。

 彼女は丸まった角で僕を突いてきた。僕はそれを手で押し返した。そしたら顔を僕の背中の下に滑り込ませて押し上げて、寝床から転がした。

「何するんだよ」僕は激怒して飛び起きた。

「あいつが来るわ、行きましょう」

「冬はもう来てるし僕はどこにも行かないよ」

「冬が来たらこんなものではないし、もっと恐ろしいものが先に来るわ」

 彼女の表情はいつになく真剣だった。

「行きたいなら一人で行けよ」僕は目覚まし変わりにどんぐりをかじる、思いのほかしぶくて考えがめぐりはじめた。

 羊は震えていた。そして「一緒にいきましょう」と何度もせがまれたが僕は頑なに答えを変えなかった。彼女は名残惜しそうに何度もこちらを振り返りながら斜面を下っていってやがて見えなくなる。

 うるさいやつがいなくなって僕はまた寝ようと思った。寝そべるとお月様が白く欠けていて、こうしていると空の中にいる気持ちになれた。

 寒いから暖かいときより遠くて高く、ずっとずっと吸い込まれる。あのお月様までいったら荒廃した岩だらけの先が見えるのかな。


 物音で目が覚めた、南の山の方からだ。

「サラザア戻ってきたの?」

 僕の声に答えるように黒い風が勢いよく降りかかってきた。

「あの羊の知り合いかい小僧っこ」

 両手両足がすごい力で抑えつけられたかと思うと目の前には白い牙に真っ赤な舌、狼の顔があった。

「あの雌に関わるとろくなことがないねえ、だから群れも追い出されてお前を見つけたってわけだ」

 僕は必死にもがいて抜け出そうとしたが体がずっと大きくてとても適わなかった。

「人間はまだ食べたことがないんだよ、どこから食べるのがおいしいんだい、教えてくれさねえ」

 今になって彼女についていけばとぎりぎりと歯が鳴った。

「おまえ彼女に何をしたんだ」

 狼は真っ赤な舌で俺を一舐めした。

「あいつの大事なものを食べたのさ、おまえも早くそうすればよかったものを」

 拳を握りありったけの力を絞って叫んだ、狼は一瞬怯みその隙をついて体を跳ね除けると身を翻して岩陰の棍棒を握り構えた。

「やるじゃねえか小僧、だがなこの牙にかかればその棒切れじゃ役にたたんのよ」

 棍棒を無闇に振り回したが飛び掛ってきた狼は的確に顎で棒を捉えて噛み砕いた。僕は切れ端を捨てて走った。

 後ろを振り返らず、ひたすら、今こそ南へ行こうと思った。北の山の斜面を下り、沢を越え南の山の斜面にかかった、息は絶え絶え、中ほどまで昇ったところで、背中を押さえつけられ地面に突っ伏した。

「ずいぶん走ったね、でも遅くなってきたからここらで休ませてあげよう」

 うつぶせになっていて良くみえない、狼の熱い息が首もとへとかかる。

「ここがおいしそうだね、いただくとしよう」

 熱い舌と冷たい牙が首に触れたとき、すっと体が軽くなった。

 終わった、冬を越えられなかった。お天道様が暖かい、寒いより好き。光輝くあそこまでいけるかな。

横では丁度白と黒が混じり合っていた。狼と羊が互いにもがき、苦しみ、命をかけて戦っていた。

苦しい、息はまだ整っていない。

「逃げなさい私のかわいい坊や、今度はちゃんと逃げなさい」

 その声に反射して僕は立ち上がった。震える、手と足と心。さっきの羊の気持ちがわかった。

「さようなら坊や元気でね」羊の声はかすれて消えた。


 僕は走った、河原には上流から流れ着いた尖った黒曜石がいくつもあった、それを拾いに走った、ありったけ。

 二つの黒い石を握り締めて二匹のところへたどり着いたとき羊の毛は血で赤く染まっていた。狼は羊の毛に顔が絡まってうつ伏せに暴れていた。羊は横たわっていて足で空を切っていた。

「まだ生きている」僕は思わず叫んだ、そして急いで羊の毛を刈りはじめた。

 狼の絡みつきがとれないように慎重に、羊の皮膚がこれ以上傷つかないように丁寧に、早く早く早くそう心で何度も繰り返しながら。

 最後の一切れが取れたときその豊潤な毛量とともに狼の背中を蹴り押した。背中は重たかった、蹴ったつま先が痛くなる。

 狼は転がり斜面を落ちて行き、岩にぶつかってそして動かなくなった。


「サラザア、生きてるかい」

羊は倒れたまま顔だけを少しあげてこちらを見た。

「南へ行こうサラザア」

 羊はゆっくりと首を振った。

「私にそんな力は朝露ほども残っちゃいないよ、私は冬を越せない」

 顔をまた寝かせ目をつむる、羊から一筋の涙が流れた。

「もう眼前、私を食べてその骸の中に入って冬を越して、そうすれば君は助かるわ」

「僕がおぶっていくから、そんなこと言わないで」

 羊は動かない、日が陰りはじめた、鳥の一段が弧を描いて朱色に染まった空に溶けていった。

 今日は冷えそうだ。

「サラザア、見て冬が来たよ」

僕は彼女をずっと撫でていた。反対側の山に白い点が見えはじめた、羊は動かない。地面が少し揺れた。

「冬ってこうやって近づいてくるんだね」

 段々地響きが大きくなる。

「これは冬じゃないわ坊や」

 ハッと羊は首を起こすと弱々しく、震えながら立ち上がった。振動は増すばかり、白い集団は谷を越えこちらへ走ってくる。そしてあっという間に飲み込まれた。




 僕は心地よい柔らかさの中、赤紫の空を見上げていた。空は高く赤く深く先はずっと見えない。鳥達は相変わらず弧を描いて飛んでいた。横にはサラザアもいた。

僕達は彼女の仲間の群れに運ばれて窪地を越え岩の荒野を横切り、みんなと一緒に暖かい南へ。 [完]

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