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第9章 命取りになった座礁

 22時17分。

 函館港内に居た日高丸も、第十二青函丸に続いて脱出したが、防波堤外に出るのに普段なら15分で出るのが1時間もかかった。


 22時37分に錨を降ろした。

 すると、防波堤外で台風と戦っていた十勝丸から無線電話が入った。


 ・十勝丸

「本船浸水甚だしくなり、ボイラー焚けず、電気も消え沈没寸前にあり。本船に近寄るな」


挿絵(By みてみん)

十勝丸(渡島丸、石狩丸と同型)画像は事故後サルベージし改修した後

洞爺丸台風遭難通信関係記録より


 この時、十勝丸は完全に機関が停止、只、波任せの漂流状態に陥っていた。

 レーダーで十勝丸を探してみるが、レーダー画面は大波のブリップだらけで非常に見にくい。おまけに大揺れのブリッジ内である。

 必死にレーダーを見つめていると、大きめの物体のブリップが点いたり消えたりする。

 すると、サーチライトにチラリと三角の物体が照らされ、黒波に出たり隠れたりしているのが見えた。

「船長!何か大きいのが左舷に浮かんでます!約80m!十勝丸かも知れません!」

"hold on anchor!"(錨伸ばせ)

 錨が3節(1節約25m)から10節に一気に伸ばされる。

 船首のアンカー・ウインチが「ゴー」と唸りをあげる。

" FULL ASTERN!"(全速後退)

 漏水が床を踊るブリッジにテレグラフの音が鳴り響く。

 黒い物体は波に消えたかと思うと、突如船首の至近距離に勢いよく海面から飛び出してくる。

 ブリッジに怒号があがる。

「うおおお!下がれぇ!」

 半速前進だったエンジンが機関室操作にて全速後進に切り替えられ、タービンエンジンの甲高い唸りが響き渡り、後進を始めた。

 日高丸は黒い物体から徐々に遠ざかり、何とか回避に成功した。

 ブリッジの船員達は冷や汗まみれに力を落とした。

「今のは…浮標じゃないです!」

「あぁ…沈船のようだな…。」

 不気味な沈黙がブリッジを包む。

「くそぉ!あんな風になってたまるか!皆!頑張るぞ!」


 一方、日高丸の機関室では怒号が飛び交っていた。

 防波堤外に出てから他の連絡船同様に後部車両甲板入口から浸水が始まり、防水対策を始めた直後に全速後退し、大量の海水が侵入し、機関室、ボイラー室に大量の海水の雨を降らせたのだ。

 分電盤に防水カンバスを被せようとしたところで頭から水が大量に降り注ぎ、水浸しの機関室で機関士達が立ち尽くす。

「馬鹿野郎!何で後退なんかさせやがんだぁ!」

 機関長が、怒る機関士達をなだめる。

「ブリッジだって判ってる!何かあったんだ!やむを得んだろ!早く防水処置を再開しろ!」

 この時、日高丸が目撃したのは、時間と場所的に、第11青函丸の船首と思われる。

 第11青函丸の船首は、丁度空気が残ってずっと漂流していたのだった。  

 日高丸は、もう何処にも安全な場所が無い事を悟った。


 22時20分。

 洞爺丸船長は、ついに決断した。

 いや、もう残された手段はただ一つだけだった。

「船内放送をかけてくれ!本船は座礁する!全員、救命胴衣着用の事!」


 座礁事故は、沈まないまでも大変な事だ。

 砂浜の海岸に座礁する分には、危険は非常に少なくなる。

 大型船の船底は平らで、砂の海底に座礁すれば船が固定されて、もう漂流する心配はない。あとは天候が落ち着くまで救援を待つだけだ。

 最も、後処理が大変だが、もう仕方がない。

 船乗りにとって、ましてや日本の自慢の優秀船・洞爺丸を座礁させてしまうとは、定年直前の近藤船長にとって最悪の屈辱だった。

 しかし、もう手段はない。

 何時まで経っても天候は回復しない。

 近藤船長は、「マリー」に負けた。

 強く握られた拳には、最初の予報や自分で調べた予報と全く異なる19時現在の天気情報の電報が握られていた。


 船内放送が流れた。

「本船は機関部に水が入り、航行不能に陥りましたので、これより七重浜へ座礁します。お客様は救命具の着用をお願い致します。」

 客室全てが騒然となった。

 放送が終わらないうちに既に救命具入れの扉に人々が飛びついた。

 田辺氏も群衆に紛れて救命胴衣を3個手に握り、友人に手渡した。

 群衆の隙間から丸まったままの救命胴衣が転がり、右舷の壁にぶつかり、溜まった水に乗客の荷物と共に浮いていた。

 ボーイが叫ぶ。

「落ち着いてください!救命胴衣の数は十分にあります!救命胴衣着用は念の為です!浜に座礁すればもう危険はありません!」

 もう、そんな言葉なんか誰も聞いてはいなかった。

 渕上先生がその光景を黙って見ていた。

「先生!はやく救命胴衣を!」

「私はいいから、君達は早く上に避難したまえ。」

 先生は落ち着いていた。

 すると、「ガシャーン」と音が響いた。

 なかなか開かない救命胴衣の扉を無理やり壊して開けていた。

 右下の方から「ズズズ」と鈍い音が二度、三度響いて船は止まった。


 びしょ濡れのブリッジで船員達が座礁して安堵の表情を浮かべる。

 その中で、唯ひとり、近藤船長だけが呆然と立ち尽くし、歯を食いしばっていた。

 静かに船長が呟いた。

「レーダーで座礁位置確認し、直ちに打電せよ。」


22時27分

・洞爺丸

「防波堤青灯より267度8ケーブル、風速18m、突風28m、波8(m)。」

22時28分

・洞爺丸

「2226(22時26分)座礁せり。」

・国鉄函館海岸局

「最後まで頑張ってください。」


 あとは、嵐が去って救援が来るまでゆっくりできる。

 無線士3人が安堵の溜息をついて笑顔を浮かべたその時だった。


「ズドドーン!」と大きな振動が船体を揺るがし、一気に45度右に傾いた。

 座っていた椅子ごと右舷に落ちそうになったので椅子から離れると椅子が勢いよく右舷の壁に叩きつけられた。

 少し間をおいて、さらに大きな振動で船体が軋み、傾きが増し始める。

「何なんだ!一体!」


挿絵(By みてみん)


 実は、座礁したのは七重浜海岸沖の遠浅ではなかった。

 海岸沖からさらに離れた普段は水深12mの場所だった。

 物理的に、喫水4.9mの洞爺丸が座礁する筈がない場所で座礁したのだ。


 実は、台風の荒波に撹拌されて海底に溜まってただけの砂の山に座礁したのだ。

絞まった浅瀬の砂に座礁すれば、もう簡単に船は動かない。

 だが、単純に溜まってるだけの絞まりの無い砂山なんか、エンジンが動けば自力で脱出できる位の柔らかい代物なのだ。


 そんな場所で8mの高波が押し寄せる海に座礁すれば、いとも簡単に転覆してしまうのだ。


 白いしぶきを立て大きなうねりを伴った黒い大波は、完全に動けなくなった洞爺丸を執拗に押し倒し始めた。


 函館市は大昔はその土地そのものが存在しなかった。

 渡島半島と函館山は大昔は離れており、函館山は「島」だった。

 永年に渡り、渡島半島の周囲の川が流した砂と、駒ケ岳の昔の火山灰の粉が混じった細かい砂の地質であり、函館市内を掘ると黒っぽい砂と穴ぼこだらけの軽石と貝殻が出てくる。

 そんな細かいものが堆積しているのが函館湾の海底だった。


 位置を聞いた函館海岸局は、不自然な位置の座礁に驚いたが、そんな理由で座礁したという事が判明したのは後日のことだった。


 もう洞爺丸が大惨事を起こすのは時間の問題だった。

 




 




 

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