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第7章 おさまらぬ嵐

20時15分。

 三等客室の浸水と揺れは益々ひどくなっていく。

 床が本格的に濡れて船の揺れで踊っている。

 船酔いで苦しむ乗客も出てきた。


 三等客室に突然中年女性が下りてきて叫んだ。

「誰か!誰か、お医者さん、いませんか?」

 誰も答えない。 


 洞爺丸の船内放送が、船内乗客にお医者さんが居ないか名乗り出て欲しい旨を伝えた。

 田辺氏が呟いた。

「なんだよ、こんな大きな船に医者居ないのかよ。」

「航路が4時間半で短いから必要ないんだろうよ。」

「でもさぁ、今日はどうすんだよ、もう6時間船にいるんだぜェ。」

「だからよォ、知らねェよ、そんなん!」


 上の客室でガラスが割れて飛んできたガラスが刺さった人がいるという。

 上はどうなってるんだろうか。我々は水責めで参ってきていた。

 水が降らない上が羨ましいと思ったのだが、上は暴風で危険なのだろうか。

 これから、益々酷くなっていくのだろうか。

 この嵐は、終わりが見えてこない。


 近藤船長も、「信じられない」気持ちに包まれていた。

 錨を引きずりながら、徐々に海岸の方へ流されていく。

 右に左に船尾が振り回され、その度にエンジン出力加減で、かろうじて船をコントロールしていた。

 夕方17時に見た台風の目。

 その1時間半後には、天候は落ち着く筈だった。

 なのに、何だ、この無惨な光景は!

 気圧計は980ミリバールのまま出港時から変化が無い。

 風圧計は最大50mスケールだが、振り切っている。

 壊れてると思いたいが、この4000t近い洞爺丸を振り回す力を持つこの嵐、数値は間違っていないのだろう。

 一体、何が起こっているのか解らない。

 JMC台風情報は4時間遅れで役に立たなかった。

 だから、自分で予測していたのだが…。


 実は、この時、台風は予測と逆方向の北海道南部、日本海50km沖にあった。

 しかも、100km/hで通り過ぎる筈が、出力を保ったまま北海道に達したとたんに50km/hに減速、北海道南部を長時間攻撃し続けたのである。

 こんな台風は前例が無く、後に気象庁がこの台風を解析したが、結論を出すのになんと2年もかかった。


 では、誰もが「台風の目」と思った夕方17時の空の光景は何だったのか。

 実は台風ではなかった。 

 台風の目が現れる前にあった嵐は、台風ではなく、温暖低気圧と寒冷低気圧が偶然その時、函館上空で衝突し、悪天候になったものだった。

 その後、天候が一時落ち着いたのは、台風が温暖低気圧と寒冷低気圧を押しのけて向かって来たからだった。

 まんまとこの時、皆、天気の悪戯に騙されたのであった。

 しかし、台風「マリー」の悪戯は、「悪戯」というには、あまりに残酷だった。


 20時19分。

 

 大雪丸がようやく防波堤外に脱出すると、予想以上の大波に驚かされる。

 その光景を左手に見つけた洞爺丸から無線電話が入った。

 

 ・洞爺丸

「本船の前方を今港外に出るのは貴船ですか?」

 ・大雪丸

「そうです。」

 ・洞爺丸

「本船は今非常に難航しているから注意望む」

 ・大雪丸

「本船も同じように難航している。お互いに頑張りましょう。」


 洞爺丸はどんな気持ちで大雪丸と通信を行ったのだろう。

 もし、どちらかが転覆するようなことがあれば、お互い助け合おうと考えたのではないだろうか。

 乗客、貨物が乗っていない大雪丸は、どうせ錨を降ろしても走錨する為、停泊は諦め、とにかく踟蹰(チチュウ・風に向けて船首を向け、ゆっくり前進していく航法)しながら嵐をしのぐ方法に出た。

 木の葉のごとく煽られながら、函館港を出て行った。


 同じ頃、青森市。


 青森桟橋で出港見合わせのまま、待機していた羊蹄丸の乗客は、揺れる息苦しい船内に永らく閉じ込められ、イライラを募らせ、船酔いで気持ち悪くなる乗客が増える一方で、船員が用意した桶は嘔吐物でいっぱいになり、その臭いで余計船酔い者が増えていった。

 3等客室ではついに我慢できなくなった乗客の罵声が響いていた。

「函館は出港したらしいぞ!」

「青森は何故出港しないんだ!船長の臆病者!」

「出港しないなら船から降ろせよおい!」


 この光景を、長野から北海道の帯広へ仕事で向かっていた、白田弘行氏が見ていた。

 白田氏は、父の経営する長野市の重量運搬会社で勤め始めたばかりで、社長であり、親方の父と職人達と、帯広の北海道電力の発電所の建設工事で80トンのトランスの運搬と、設置を依頼されていた。

 当時はこのような重量物運搬業者は少なく、白田組は戦前から軍の払い下げの車両を改造して重量物運搬を行っていた老舗で、当時は在日米軍から軍用車両を多数払い下げ購入し、それらを独自で改造し営業していた。

 北海道にはこのような重量物の仕事を行う業者がおらず、白田組に指名がかかったのであった。


挿絵(By みてみん)

白田氏と払い下げ米軍車両改造の重量物運搬車


 因みに、当時は大事故を請け負うレッカー会社も存在しない時代、白田組は長野県警の依頼で事故レッカーを行う事も多くなり、その縁で1972年の「あさま山荘事件」の有名な鉄球作戦も請け負ったのである。

 白田弘行氏は、その運転を行った。


 貨物鉄道で搬送したトランスと作業車両を送った後、現場に届く前に、特急で函館に渡る前に羊蹄丸で足止めを食らっていた。


 父は騒ぎをゴロ寝しながら寝ぼけ眼で舌打ちをしながら小声で呟いた。

「うるせえな。台風だから仕方ないだろうよ。」

 職人達は騒ぎを無視して花札をやって盛り上がっていた。


 昔から機械好きの白田氏は、ボーイにお願いし、ブリッジや機関室等の見学をさせてもらった。

 白田組作業員は、それなりに「出港見合わせ」を楽しんでした。

 





 


 

 






 

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