第6章 混乱する函館港
当時の函館港
洞爺丸台風海難史(青函船舶鉄道管理局)より
★浸水
19時2分。
アーネスト号が大雪丸に向かってきた。
大雪丸は、これ以上の函館港内泊は危険と判断し、慎重に他の船を交わしながら港外へ向かった。
無電発信。
「港内狭い為、港外に転錨予定。」
防波堤外で青森行きを断念し停泊していた貨車専用船・北見丸が大雪丸に様子を窺う無電を発した。
北見丸(日高丸と同型)
洞爺丸台風 遭難通信関係記録(日本鉄道技術協会)より
一方、アーネスト号は、次は第六青函丸に向かい始め、ランチ(タグボート)の依頼を行ったが、只でさえ大型船舶が翻弄されている中でランチは出せないと拒否された。
19時20分。
大雪丸が防波堤外出口にさしかかったところ、第六青函丸が進路に流されてきた。
左舷に第六青函丸の船体が迫る。
“hard starboard!” (面舵一杯!)
ブリッジは迫る第六青函丸を見ながら拳を握る。
「全員、衝撃体制を取れ!」
大雪丸は波に押され、第六青函丸の左舷中央部に船首をぶつけ、船内に「ゴゴゴ~!」と音が響いたが、何とか食い込まずに離れた。
19時30分頃。
函館桟橋・第2岸に停泊待機していた石狩丸は、突風で船体が外に押され続け、ついに係留綱が切れ始める。
タグボート3隻が石狩丸を岸壁に押さえつけようとするが、石狩丸に搭載された救命ボートが吹き飛ばされる位の強風に、ついに係留綱が全て切れて岸壁から離れ、漂流し始めた。
石狩丸は、自力で辛うじて船を操ったが、それ以上沖に出ないようにするので精一杯だった。
一方、函館湾近くの沖に停泊していた北見丸の機関室に浸水が始まった。
連絡船は当時、後部の貨車積み込み口に扉は無く、車両甲板は吹きさらしだったが、冬の嵐の津軽海峡を渡航しても、多少の波飛沫が入っても、車両甲板に波が流入た例は無かった。
車両甲板に波が入ると、その下の機関室やボイラー室に、換気口等あちこちから雨のように海水が降り注ぐ。
当時の連絡船は石炭釜焚による動力源だったので、石炭が濡れると、釜焚が出来ない。
釜焚が出来なくなれば、エンジンが止まって強風や大波を避ける事が出来ずに、転覆する。
この時、防波堤の外に居た連絡船全てが同じ状況になり、各船の車両甲板で漏水との戦いが始まっていた。
何とか防水処置をしようとしても、容赦なく次々と波が入ってくる。
やがて、外の波の動きで車両甲板に溜まった水が前後に波に合わせて暴れ始める。
そして、強風に押されながら、踏ん張り続けた洞爺丸も、漏水がはじまった。
3等客室で本を読んでいた田辺氏。
揺れが段々激しくなり、気持ち悪くなって本を閉じると、頭に冷たい感触があり、思わず声を上げた。
「うひゃあ~!」
寝ていた友人が、しかめっ面で起きた。
「何だば!田辺、うるせぇな。」
「何か頭に…」
田辺氏は、頭上を見上げると、換気ダクトから水がしたたり落ちていた。
舐めると機械の匂いがして、しょっぱい。
ボーイを呼び寄せた。
「ちょい!ボーイさん、この水何です?」
「…あぁ、たまに雨水が、船の隅に溜まった雨水が垂れて来ることがあるんです。」
すると、それを聞いていた男性が言い返した。
「何はんかくせぇ(いい加減)な事言ってんだぁ?俺な、何度も時化の時も連絡船乗ってっけど、こんな水垂れるなんて事、一度も無がったぁ。呑気な事言ってねぇで、水漏るとこさぁツッペかえば(穴を塞ぐ)いいべや!おめぇ、終まいにゃ座るとこ、ビッシャになってまって、あずましく(落ち着いて)してられねっけよ!」
周囲がざわついて、ボーイは、唖然とする。
すると、大きく揺れると共に、上の三等通路から悲鳴と様々な物が落ちて来る音が響き、三等客室では、荷物と座ってた人々が転がり、悲鳴があがる。
そして、ボーイの後ろの階段から、水道を撒いたように、水がバシャバシャ落ちてきた。
ボーイは青ざめた顔で三等通路を見に行った。
あちこちから水が揺れる度に降ってくるようになる。
乗客達は不安な表情を隠せなくなってきた。
その頃、七重浜がある上磯町久根別。
暴風吹き荒れる長屋の一角に、当時小学校3年だった秋坂勇治氏がいた。
真っ暗な停電の中、ガタガタと家のあちこちが軋み、1本の蝋燭の火だけが室内を灯していた。
父が呟いた。
「どうせ、この分じゃ停電は治らん。もう寝てしまえ。」
秋坂氏は、父の言う通り寝床に付いた。
家のガタガタ音しか聞こえない。
怖くて秋坂少年は布団に潜って、外が見えないようにした。
そう怯えているうちに、いつの間にか寝てしまった。
★国際救難信号“SOS”
20時1分。
ついにSOSを発信した船が現れた。
アメリカ海軍の大型揚陸艇、LST546号である。
(運航は日本の会社委託の日本人)
アメリカ海軍の中では小型の船だか、戦車を敵地海岸に揚陸させる為の船で2316総トンもあり、青函連絡船の貨物船と同じ位の大きさがある。
洞爺丸出航直前に函館港を出航したが、あとは洞爺丸同様、防波堤を過ぎてから危険を感じ、仮泊していたが、走錨が始まってしまったのである。
・LST546
「SOS LST546 函館登支北方30度、1.5マイル強風の為危険」
・JNI(海上保安部)
「遭難状況詳細知らせ」
・LST546
「18時20分函館発塩釜へ向けたところ風波強く船体危険。45名の米兵及びトラック積載、近くに座礁したく思う」
画像・LST
海上保安庁第一管区・函館海上保安部は、LST546を救援出来る船を呼び掛けたが、答えたのは「洞爺丸」だけで、「こちらも難航中」と答えただけだった。
誰も助けに来る余裕は無いと悟ったLST546は、エンジン全開で荒波の中、函館湾を強引に突っ切り、対岸の葛登支浜に強行座礁し、難を乗り切り、SOSを取り消した。
弾雨飛び交う敵地に強行揚陸するのが任務の軍艦らしい自己解決だった。
同じ頃、もう1隻、台風「マリー」との戦いを終えた船がいた。
第十一青函丸である。
深い波の中、船体を3つに分裂させ轟沈した。
乗組員90名全員が亡くなり、沈没した経緯は、あまり知られずに函館港の防波堤外に消えた。




