第5章 戻ってきた「マリー」
函館港では18時22分に再びアーネスト号がゆっくり動き始めた。
第十二青函丸から離れ始め船舶無電にて「イタリー船、走錨しつつあり、各船に報告ヨロ」と打電し始める。
「走錨」とは錨が海底に食い込まず、錨を引きずったまま漂流する事である。
18時45分
函館港は、連絡船・大雪丸に、第六青函丸、第八青函丸、第12青函丸、日高丸の他、台風から逃れる為に大小多々の民間貨物船、岸壁から避難したイカ釣り船に、漁船、それらを監視する巡視船「りしり」と、只でさえ狭い港を埋め尽くしていた。
貨車専用桟橋の有川桟橋から退避した、北見丸と、函館港で待機していた第11青函丸は、混みいった函館港を嫌がり、函館港防波堤外に出て待機していた。
青森から向かっていた十勝丸は、函館港に入るのは困難と判断し、函館湾入口で仮泊待機していた。
その光景を当時、小学校6年だった村山勝男氏が、函館山の麓の自宅から見ていた。
ラジオでは、これから函館は風が強まると言っているのに、連絡船が港から出て行くのが気になった。
「父ちゃん、連絡船が出て行くよ。」
国鉄職員の父は、窓を見て答えた。
「あぁ、桟橋さぁ居ると強風で船が、岸壁さぁぶつ(当たる)から、沖さ逃げてるんだよ。」
すると、風が急に強まり、窓がギシギシ言い始めた。
今まで見たことも無い恐ろしさを抱く強風が外を走っている。
電線が激しく踊り、電柱の看板はビビビと音を立て始め、父は勝男氏に窓から離れて布団を被ってるように指示した。
外から家に何か当たる音が何度も続き、家全体が軋み始めた。
天井に近い神棚から飾り物が次から次に落ちて、畳を転がる。
やがて天井の板の隙間から埃が降ってきた。
すると「バーン!」という音と共に明かりが消え、ラジオは止まり、風がもたらす轟音だけが不気味に響き、勝男氏と家族は身を寄せ合った。
漂流し函館港を暴走するアーネスト号の動きが激しくなってきた。
それに気が付いた周囲の船が驚き一斉に逃げ始めた。
港内に居た連絡船5隻は、直ちにサーチライトで、アーネスト号を照らす。
サーチライトには、逃げ惑う船舶と、連絡船の二倍の図体のアーネスト号が右に行ったり左に行ったりしながら船の混み合う中を迫ってくる。
一方、洞爺丸は、防波堤を過ぎた途端、強風に遭遇した。
「馬鹿な?台風が戻って来たのか?」
すると急に洞爺丸の汽笛が鳴り始め、鳴ったまま混乱する函館港を去っていく。
汽笛は弁で塞がれ操作しないと鳴らないようになっていたが強風で汽笛の操作ワイヤーが煽られ勝手に鳴りっ放しになったのだ。
間もなく根元のメンテナンス用の弁が閉じられ汽笛は止んだが、不気味に響いた汽笛は恐怖心を煽るに十分だった。
危険を感じた近藤船長は直ちに運航中止を決め、その場に錨を下ろし、風に向けて船首を向けて、台風をやり過ごす決断をした。
昭和29年台風15号進路図
洞爺丸海難史(国鉄)より
19時1分。
錨を下ろす音が3等室に響き渡った。
田辺氏は起き上がった。
「何だ!何の音だ!」
「錨を落としたんじゃないか?」
すると船内放送が流れた。
「海峡は波風が強くなった為、本船は港内で仮泊致します。なお、出航の見通しは立ちません。」
西防波堤灯台から方位300度、1574m地点で、洞爺丸は運航を断念した。
出航してたった22分で状況が急変したのだ。
船酔いしても、死ぬ事は無い。早く内地に渡りたい。
そう考えていた田辺氏達は、停泊になった事にがっかりした。
しかし、友人の一人が言った。
「なあに、仕方がないさぁ。こんな、海の真ん中に居るなんて、滅多にない経験だ。楽しもうじゃないか。」
そう聞いた田辺氏は、遊歩甲板へ外を見に行った。
確かに、この状況を楽しむ気じゃなければ、狭い船内で息が詰まるからだ。
外に出ると、恐ろしい位の黒い波がうねっていた。
恐らく錨で船が固定されているから、そんなに揺れないのでは?と思ったという。
街は、あちこちで、電線がスパークする光が上がり始め、やがて真っ暗になり、赤く光る灯台も消えた。
真っ暗な中、港ではサーチライトの光りが、あちこちを向いて綺麗だった。
しかし、波風が強くなり、顔に飛沫が絶えず飛ぶようになり、中に戻ろうとするが、強風で扉が開かず、やっとの思いで皆の所に戻ると、先生も含めて皆が面白半分で外を見に行ってしまった。
そこでは、第11青函丸から乗った米兵達が、港の光景を見ながらはしゃいでいたという。
当時の青函連絡船の運行記録図
洞爺丸台風遭難通信関係記録より