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第3章 手こずる出航

★テケミ

 

 近藤船長は、天気図を見て「出港可能」と判断を下し、定時の14時40分に出港を決定した。

 その根拠は台風の影響が津軽海峡に強く出るのが16時半以降と推定され、その頃なら仮に台風に遭っても青森側の陸奥湾に逃げれば台風被害から逃れられる為、出港するなら定時がチャンスだったからである。


 洞爺丸は、14時40分の出港を前に、毎回恒例のボーイによる銅鑼の出港合図と、乗客と桟橋で見送る人々を繋ぐ紙テープによる「お別れの儀式」が始まった。

(因みにこの「儀式」は1964年に修学旅行の女子生徒1名が連絡船と桟橋の間に転落して死亡する事故が発生してしまったので、1988年の青函連絡船廃止の際の出港まで禁止された。)

挿絵(By みてみん)

見送りのテープ(船の科学館)


 すると、突如、青函連絡船の運航を管理する青函局・運航管理室から洞爺丸に「出港中止」の指示が出された。


 理由は、同じ頃に津軽海峡の中心を青森に向けて航行していた貨物専用連絡船「渡島丸」からの通報で、「東25m、波8、うねり6、横揺22度、進路南東で難航中」という通報を聞いた貨物連絡船・第十一青函丸が、函館湾を出る直前に青森行きを断念し、函館桟橋に戻って米軍用列車2両及び米兵及び家族及び日本人一般客全員を洞爺丸にお願いしたいという事だった。


 貨物連絡船・第十一青函丸は、当時の青函連絡船の中では造りが悪く、第二次大戦の際に簡易建造された「W型戦時標準船」と言われた船で、建造中に終戦を迎え、放置されていたものを、青函航路戦災復興の為に建造再開、さらに貨車搭載専用船として設計されているのも関わらず、第11青函丸をはじめ、第12青函丸、石狩丸と3隻の貨車専用船に旅客運搬を行おうと強引に前部甲板の車両甲板上にプレハブ小屋のような貧弱な客席を設けた「デッキハウス船」と呼ばれた船で、アメリカ占領時代は米軍専用だったが、1952年の占領終了後は空きがあれば一般人も乗れるようにダイヤに組まれていた。

 同じ時期に建造された洞爺丸とは雲泥の差の戦時簡易設計の船だった。

 その為、唯でさえ耐久性が低い上に重心が悪く、嵐の中を航行する自信が無いためだった。


 そして、わざわざ洞爺丸の乗客を待たせても第十一青函丸の乗客と搭載車両を移したかったのは、北海道在日米軍・陸軍第一騎兵師団の兵とその家族、そしてその米軍専用の列車を搭載していたからだった。

 乗っていた理由は任期満了で本国へ帰るため、羽田空港に向かう為だった。

 現在は緊急でもないのに、そんな理由で在日米兵を優先すれば大顰蹙を買うが、当時は日米講和条約が発効して間もない敗戦の占領下時代が終わったばかりの時代。

 まだ「アメリカ様」の時代だったので仕方が無かった。


 近藤船長は止む無く、搭載貨車2両の入れ替えと米兵とその家族57名、他、空席に乗っていた日本人121名の移乗を許可した。


 一方で青森から函館に向かっていた、洞爺丸の同型船・大雪丸と、続いて貸車専用船・石狩丸は難なく函館港に着いた。

 これは青森に向かっていた渡島丸とは風向きが逆だった為であった。

 しかし、2隻は渡島丸の「波8」の連絡は聞いており、次の青森行きに就くことに不安を覚えた。

 何しろ「波8」とは大雑把に言うと波の高さ8mと言う意味で、連絡船史上かつてない大波だったからだ。


挿絵(By みてみん)

第十一青函丸(第6~12青函丸と同型)

洞爺丸台風 遭難通信関係記録(日本鉄道技術協会)より


 田辺氏は、出港中止となり、皆でゾロゾロと3等客室に戻って行った。

 3等客室の大部屋でそれぞれの乗客がゴロ寝をしたり、思い思いの格好でくつろいでいると、スピーカーから大相撲のラジオ中継が流され始めた。

 すると、上から「ゴロゴロ」と積載貨車の移動する音が響く。

 第十一青函丸と積載貨車の交換作業が始まった。

 そして、入り口の階段から、「かつぎ屋さん」が下りてきて、大部屋が込み入ってきた。


挿絵(By みてみん)

かつぎ屋さん(船の科学館)


 車両甲板両脇に設置されたシートは、当時、主に「かつぎ屋」と呼ばれる人々の為に、三等通路甲板に設けられた座席で、函館と青森の市場を往復し、函館からは海産物、青森からリンゴや米等の穀物を背中一杯に運搬し、主に女性が多かった仕事で、連絡船の名物のひとつだった。

 大部屋のような雑魚寝席より、洋風な彼ら米兵はシート席の方が良かろうと、かつぎ屋さんに大部屋に移って貰った為だった。

 その後を続くように一般の日本人客も降りてきた。

 隣接する函館駅に到着した列車から連絡船に乗り継いだ人々だった。


挿絵(By みてみん)


 15時。

 桟橋の作業終了の合図が無く、再度確認すると、暴風による停電で桟橋が動かなくなり、船と桟橋を切り離せず停電復旧まで何も出来ないとの事だった。

 しかし、そんな事態が起こる位、天候が悪化した事に見切りをつけた近藤船長は、ついに「テケミ」(運航見合わせの業界用語)を決定する。

 

 その後たった3分で可動橋は復旧したが、テケミと言った直後の手前、船長は苦虫を噛んだような顔をして、海を睨むきりで何も言わなかった。


 16時2分。

 一般貨車のみとなり、「台風が過ぎるまで沖出せよ」を指示され、桟橋から第十一青函丸が桟橋から出て行った。

「沖出し」とは、岸壁を離れ、港内若しくは湾内で停泊することである。


 入れ替わりに、第2桟橋で貨客を降ろした大雪丸が着岸、乗客と積載貨車を降ろし始めたこの頃、函館港で騒ぎが起こり始めた。

 イタリアの貨物船アーネスト号(7341総トン)が、南米から室蘭港に入港しようとして座礁して破損し、函館ドックで修理しようとしたが、函館港で廃棄が決まり港内にて停泊していた。

 しかし、この嵐でブイに繋いでいた係留綱が暴風で切れて、港内で漂流を始めたのである。

 アーネスト号には、廃棄手続きの為に残った船員しかおらず、対策は「本船走錨中危険近寄るな」の記号旗を出す事しか出来ず、為す術が無いまま漂流し始めた。

 

 一方、洞爺丸では船内にラジオが中断され船内放送が流れた。

「お客様に申し上げます。本船は海上シケの為、出港を見合わせになります。今の所、出港時間は未定となります。お客様は船内でお待ちください。」


 17時頃。

 一旦船の揺れが収まったので、田辺氏が舷窓から外を覗くと、さっきまでの荒波が嘘のように静かになり、分厚い雲から日が差し込んで、幻想的な風景になっていた。

 田辺氏は友人4人と共にデッキに出ると、普段あまり見られないような三重の雲が付近の低空を覆い、西の空が茜色に染まり、東の空はドス黒い雲に覆われていた。

「う~ん、天然色カラー写真で撮れば、さぞかし美しいだろうな。」

「しかし、なんだな、雲の動き早ェよな、やっぱ。」

 この時雲は、高度300m位で、ぶ厚い三層になっていたという。


 この光景は、当時函館に居た台風経験者が誰もが証言する風景だった。

 そして、洞爺丸のブリッジでこの光景を見た近藤船長は「台風の目」と判断した。

 予報では台風「マリー」は新潟沖から東北を抜け、太平洋に抜けて消えると思われていた。台風は地球の自転の関係で時計回りであり、北海道に近づく頃には必然的に弱まり、東に追いやられ、太平洋に消える。


 それが台風の「常識」であったが、予想よりずれて函館上空に台風が現れた。

そして、先程、函館市内に停電をもたらし、函館港内で青函連絡船の2倍もある貨物船を振り回した強風は、この台風のせいだったのだろう。


 誰もがそう思ったという。

 中央気象台や海上保安庁巡視船「りしり」の船長も、そう判断したという。


 そうであれば話は早い。

 あと1時間位で台風一過となると判断した近藤船長は予定より4時間近く遅い18時30分出港と決定した。


 それを3等客室に来たボーイから聞いた田辺氏は「ようやく青森に行ける」とホッとしたという。


 一方で、大雪丸は、空荷になった後17時20分、桟橋を離れ「沖出し」を決定した。


 洞爺丸も「乗客・貨物車を下ろし、沖出しせよ」と指示が来たが近藤船長は断ったという。

 理由は大雪丸と違い、これから青森に行こうとする乗客千人近くを船から下ろしたら、どうなるかである。

 待合室は溢れ、通路にまで人が溢れ、台風の中、外で待ちぼうけを喰らう乗客も居るだろう。

 しかも、近藤船長の読みでは、予報では台風は速度110km/hだから、出航予定までに通り過ぎてるから心配無い。それなら乗客が気の毒だから出航しても問題ない。


 そんな考えだったと言われいる。

挿絵(By みてみん)



 

 

 

 



 


 

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 綿密な取材に基づいて書かれており、小説のみならず歴史資料としても分厚い内容で感銘を受けました。巻末の資料編も読み応えがありました。拝読できてよかったです。ありがとうございました。 [気にな…
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