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第2章 昭和29年台風15号

挿絵(By みてみん)


★彼女の名前は「マリー」


 台風は日本で現在は「平成OO台風OO号」と表記されるが、当時は米軍占領時代にアメリカ式に台風に女性の名前を付けてきた風習が、1952年以降の占領終焉後も残っており、この「洞爺丸台風」も当時は「マリー」と名付けられていた。


 このアメリカ式の名前の彼女は、1954年9月18日カロリン諸島生まれで、最初は只の熱帯低気圧で、そのまま台湾南部で消滅するかと思いきや、21日に勢力を強め、26日夜明け前に風力40mの力で鹿児島県に上陸した。


 そして、普段台風は上陸後に速度を落とすが、この「マリー」は速度を時速70km/hから100km/hに加速し、九州、四国、山陰を縦断、朝に日本海を突破し、一路、北海道を目指した。

  

挿絵(By みてみん)


 11時5分。

 函館第一桟橋に青森から6時30分発下り第3便の洞爺丸が到着した。

 台風の影響で波が高く風も強かったが、まだ航行は可能な状況だった。 

 船長の近藤平市氏は定年間近のベテランで、仇名は「天気図」と呼ばれる程の天気予報マニアで、船舶気象無線通報(JMC)よりも早く正確な情報を自ら獲得するのを誇りにしていた。

 この日も次の上り第4便14時40分の便の出航前にラジオの天気予報を聞きながら一人船長室で天気図を書き込んでいた。

「さて、マリーさんは、どう来るつもりかな?」

 彼は洞爺丸の専属ではなかった。

 予備船長と呼ばれる職種で、船は同型でも細部が異なるので、その船を熟知した船長が専属で勤務する。

 しかし、同じ短い航路を1日何便をこなす青函連絡船は絶えず専属という訳にもいかないので、専属船長が休みの時は予備船長が乗務する。

 だが、予備船長こそ大変で、4隻全ての連絡船を熟知しなければ務まらないので、ベテランが勤務する。

 近藤船長は16年のベテランで、しかも温厚でもの静かな性格で、丁寧な操船は評判が良く、事故も無い船長で、最も同僚から信頼されていた。

「今度の台風は手強い強力な奴だが、夕方には日本海から東北上陸で勢力が弱まり太平洋に出て消えるだろう。最も、その余韻で午後の航海は難儀しそうだがな。」

 

★乗船


 この日は函館は小雨が朝から降りそそぎ、11時頃には雨混じりの、やや強めの風が吹き始め、強風波浪警報が発令されていた。

 北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)函館分校4年の淵上助教授率いる古美術研究旅行グループ9名が、京都へ向かう為に函館桟橋で待ち合わせていた。

 その中の1人、生徒として田辺康夫氏がいた。

 友人の秋林氏と会話を交わす。

「こんな台風じゃ船出ねぇんじゃねぇかい?ラジオじゃ、家出る時は若侠湾だから遠いけど、がっつり速ぇって言ってたっけよぉ。」

「まぁ、とりあえず皆と乗船手続きすんべよ。台風なんかどうせ北海道なんかに来ないべ。少し待てば消えるさ。」

「うん、そうかもな。」

 そこで淵上助教授は、

「この分じゃ、青森着いて、急行列車に乗って三沢を通る頃に台風と逢って汽車ごとブッ飛ばされるかもな?」

 と、冗談を言って乗船手続きに向かった。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

乗船受付名簿(船の科学館)


 その頃、青森桟橋では、羊蹄丸が下り第9便の出航準備中だったが、丁度16時30分に予定通り出航すると、予報では津軽海峡上で台風にはち合う可能性があった為、出航か欠航か様子を見ていた。

「嵐の前の静けさ」という言葉がピッタリな位に静まり返った津軽海峡を船長は睨んだ。

「函館から向かう時より静かなんて…」

 船長は気圧計の変動を警戒した。

 出航見合わせや欠航は、他の接続ダイヤを狂わせる。その決断は船長に委ねられていたが、もし、欠航するほどの嵐にならなかった場合は、現在よりはるかに責任追求が激しい時代。

 船長達は追い詰められる気分だったろう。

 

 その頃、マリーは勢力を保ちながら100km/h近くの台風らしからぬ高速で新潟沖彼方をばく進し、函館のある北海道南部を目指していた。

 当時は観測所も少なく、勿論衛星による監視なんか無い時代だったので、海上沖深い所を進む台風は文字通り「予測」しか出来なかった。


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