第15章 夜明け
3時頃。
電気も電話も不通の函館市内を国鉄をはじめとする各部署が走り回っていた。
警察、消防、創立されたばかりの自衛隊、北電、電電公社…。
しかし、市街地の道路は崩壊した家の残骸や街路樹、電柱、電線、あらゆるものが転がり、簡単に車が走れる状態ではなかった。
国鉄では五稜郭機関区・車両基地で総出で早速棺桶が作られていた。
函館市の麓にある村山勝男氏の自宅の扉が「ドンドン」と鳴った。
彼の父も国鉄職員で函館駅の改札係だった。
この日は非番だったが、トラックで同僚が迎えに来た。
眠気眼で布団から茶の間を見ると、父が蝋燭の光の中、着替えて、慌てて出ていくのが見えた。
父は棺桶作りの為に五稜郭車両基地へ向かった。
国鉄は、各病院を手配し、遺族用のバスやタクシー、遺体運搬用のトラックがかき集められた。
七重浜駅には臨時列車で呼集された職員が集まり、暗闇の七重浜海岸に向かって駅から徒歩20分の道のりを歩いた。
国鉄職員達が七重浜海岸に着くと、既に警察や消防が車両のサーチライトを使って砂浜で生存者捜索を行っていた。
遺体は折り重なって夜の浜に果てしなく流れ着いていた。
「一体…何人が死んだんだ…。」
5時半頃。
波風が完全に静まり、函館が夜明けで白んできた。
海上保安部から、国鉄函館海岸局に洞爺丸、日高丸の無電呼び出しを中止すべきと提案があがった。
既に沈没したのが判ってるからだ。
第十二青函丸は、函館港に戻り始めた。
すると、沈没船を発見した。
薄明るい中、船首だけのシルエットが黒く海面から突き出している。
恐らく、この付近で仮伯めしていた北見丸だと思い、函館桟橋に報告し、救命ボートを降ろして調査を始める。
船名が水没していて判らない。
何も出来ずに救命ボートを収容していると、船長は気が付いた。
「……第11青函丸だな。」
第11青函丸は、戦時中になるべく資材をケチって設計された船であり、安全性が犠牲になっている造りだったので、安全性を高めるために、この年に函館ドッグで二重底にする改修を行ったばかりで、朱色の船底のペンキが新しく、日の出にキラキラ輝いていた。
5時49分、国鉄函館海岸局受信
・第十二青函丸
「キミマ(北見丸)トイセマ(第11青函丸)の投錨地点に転覆し、船首の船底を海面に露出せる連絡船あり、なお付近捜査中、底極めて新しき故、トイセマと思われる。」
一方、北見丸はなかなか見つからなかった。
走錨したまま踟蹰(風に向けて船首を向け、ゆっくり前進していく航法)したので、最初の投錨地点から、かなり離れたところで沈没したせいだった。
生存者の証言で、沈没推定時刻は22時20分、洞爺丸が座礁した頃だった。
乗客なし、乗組員70名死亡、6名生存救助。
6時44分。
・海上保安庁第一管区函館海上保安部
「27日0637青函連絡船・洞爺丸及び日高丸 QUM(遭難信号解除)」
なお、この晩、7隻のタグボートは28名を救助、25名の遺体を回収した。
その頃、上磯町久根別。
秋坂勇治氏が同級生と合流し、上磯小学校に通学する途中、新久根別川にかかる橋にさしかかると、消防団と近所の人が集まっていた。
見ると、川に白い救命胴衣を着けた遺体が沢山流れ着いていた。
「可哀想に、ナンマンダブ、ナンマンダブ…。」
唖然としていると、周囲の大人に怒られた。
「ホレホレェ、ワラシ(子供)が見るもんじゃねェ、とっとと学校さ行け!」
同級生が怒鳴った。
「うっせんだぁ!ドケチのクソオヤジ!わーい!」
「なんだ、なんだ、いっちょまえに(一人前に)、このナマっこがぁ(生意気な子)コラァ!」
私は同級生と笑いながら必死で逃げた。
同級生と顔を見合す。
「どっから流れてきたんだ?あの人たち。」
「…何だろうね。」
「本当に死んでるんかなぁ?」
「さあ?」
通学中の国道228号は、白い警察のジープや消防車やトラックが走っている。
米軍のジープが途中で止まっていて、せわしなく兵士が無線のやりとりをしている横にサングラスをかけ、葉巻を吹かした偉そうな兵士が、私達を睨み、慌てて目線をそらした。
空から、飛行機のエンジン音が響く。
一体何の騒ぎなのか気になったが、家でも停電でラジオは使えず、新聞も印刷出来なかったのか届いておらず、何も情報が無かった。
1時間かかって上磯小学校に着くと、体育館の屋根が完全に剥がれて、残骸が校庭に飛び散っていた。
外で集会が始まり、校長先生の話が始まった。
ここで、青函連絡船・洞爺丸が七重浜で沈没し、大勢の人が亡くなった事を知った。
そして学校も体育館だけではなく、校舎も被害があり使えないので休校となってしまった。
帰り、まっすぐ家に帰れと先生に言われていたが、洞爺丸の事が気になって皆で七重浜海岸に行ってみようという事になった。
七重浜海岸には多数の車が停まっていた。
そして、野次馬だろうか、乗っていた人達の家族だろうか、ロープが張られて海岸に入れない。
人垣から海岸を見ると、警察や消防、自衛隊の人達が遺体と思われるものを海岸で集め、陸上自衛隊・函館駐屯地の第2新隊員教育隊のトラックに載せていた。
その向こうの海岸に朱色の船みたいのが見えた。
後にそれが洞爺丸の船底だった事を知った。
その朱色の船みたいなものの周りに、小さな船が沢山集まっていたのが見えた。
青森から、羊蹄丸が来た。
左舷にニュースを聞いた乗客が沈没した洞爺丸を見る為に、集まった。
その中に白田弘行青年も居た。
転覆し、紅色の船腹を晒し、その上で作業をしている人達がいた。
船腹から穴を開けて入るつもりなのだろうか。
隣の乗客が話していた。
「な~んだ、まあまあ、どえれぇ事さなっちまったべさぁ、可哀想になぁ。」
「俺達も、あん時さ、無理に出てたら、こうなっちまったんさべさ。」
「全ぐ、こんの船の船長さぁ、無理して出ねんでぐれたせいで、死ななんで済んだぁ、最初は頭さ来て悪ぐ言ったけんども、全ぐ神様みてぇな船長だべよぉ。」
「んだ、んだ~…。」
周りの人達が頷いた。
何か人間って勝手なものだなと思ってしまった。
遺体は、乗客が降りない貨物専用の有川桟橋に引き揚げられた。
陸路で陸上自衛隊・函館駐屯地のトラックが遺体を次々に運んでくる。
急遽徹夜で作った棺桶に、遺体が入れられたが硬直していて、なかなかうまく入らない。
遺体は全身打撲だらけのものが多く、中には骨折しているものもあった。
有川桟橋には、棺桶に入った遺体が並び、国鉄のトラックで遺体安置場になった大森町の函館大火慰霊堂に運ばれた。
有川桟橋の片隅は、取り外した救命胴衣が山になっていた。
白い救命胴衣は遺体の血や体液が浸みてドス黒く染まっていた。
国鉄に依頼された漁船や、小型船舶が、昨日の嵐が嘘のように静かになった函館港を走り周っていた。
回収されるのは、もう遺体だけだった。
遺体は冷たく、青白くなり硬直していた。
地元のサルベージ会社や、造船所にいるダイバーが洞爺丸に閉じ込めれた人達を救助する為、現場に向かって行った。
海上保安庁は、函館海上保安局の「りしり」「おくしり」2隻だけでは、とても対応出来ないと判断し、第二管区の宮城県の塩釜を始め、各管区からも巡視船を呼び寄せ、12隻が函館湾に向かって行き、昨年採用されたばかりのベル47Gヘリコプターも派遣させた。
ベル47G2型ヘリ。画像は警視庁のもの。(佐久市立図書館)
14時17分。
国会で、昨夜発生した洞爺丸事故について審議が早速行われた。
たった一晩で大型の青函連絡船5隻が消滅した上に、うち1隻の日本が誇る、昭和天皇お召船にまで指定された「洞爺丸」が1000人以上を乗せたまま嵐の海で転覆し、犠牲者が大勢出た事に騒然となり、東京の関係省庁、国鉄、気象庁、海上保安庁の代表が呼び出され、国会議員に対し説明を求められた。
沈没
・第十一青函丸(客室空、貨車搭載)死者行方不明90名 沈没20時15分
・北見丸(貨車搭載)死者行方不明70名 生存者6名 沈没22時20分
・洞爺丸(客船・乗客及び貨車搭載[在日米兵含む])
死者行方不明1155名 生存者159名 沈没22時46分
・日高丸(貨車搭載)死者行方不明56名 生存者20名 沈没23時40分
・十勝丸(貨車搭載)死者行方不明59名 生存者17名 沈没23時43分
破損
・第六青函丸(空)左舷中央中破(大雪丸激突)
・第八青函丸(空)海中にて両舷錨絡束
・第十二青函丸(客室あり空)海中にて両舷錨絡束、機関浸水
・石狩丸(客室あり空) 救命艇破損
・大雪丸(客船空)船首小破(第六青函丸に激突)機関、舵機浸水
函館湾外
・羊蹄丸(客船)乗客及び貨車搭載のまま青森桟橋に待機
・渡島丸 貨車搭載のまま青森桟橋に待機
・摩周丸(客船)神奈川県浦賀にて定期点検中
・第七青函丸 函館どっぐにて定期点検中




