9 魔の手
さきほど【跳躍】能力を手に入れた。
辻倉が持っていた能力と同じだと思う。
アイテムランクはA。
砂の風車とは違って、アイテムを〈具現化〉して使うのではなく、〈付加〉という形で装備することができる。
どうやって使用するのかというと、頭の中でイメージするだけで能力が発動する仕組みのようだ。
しかし、この『イメージする』というのがなかなか難しい。
例えば二階建ての家の屋根に、跳んで上ろうとする。
頭の中では華麗に宙を舞い、颯爽と屋根に降り立つ自分を想像したのだが……。
弾かれたように跳び出し、家の壁に顔面を強打し、無様に地面に落下した。
あれは痛かった。
誰かに見られていたら恥ずかしいと思い辺りを見回したのだが、そもそも接近の警報は鳴っていなかったということを思い出し、安心した。
その後は、しばらくその場で高くジャンプするだけの練習をすることにした。
はじめのうちは空中でバランスを崩し、地面に激突しそうになって肝を冷やしたものだ。しかし何度もジャンプしているうちに、なんとなく勝手が分かってくる。
トランポリンだ。
あの感覚に近い。
より高く跳ぼうとして下手に力むとバランスを崩してしまう。空中では姿勢を伸ばすことを意識すると上手く跳べる。ただし電線に注意しなければならない。
次に跳ぶ時の角度。
これはもう感覚でしかないけど、高くなればなるほど垂直に近い角度でジャンプしないと、ものすごい勢いで壁に衝突する。瞬時にこなすのは難しいが、これはもう、何度もやって慣れるしかないだろう。
どうやら『イメージする』というのは能力発動の引き金に過ぎず、実際には体で覚えるしかないようだ。
跳躍にだいぶ慣れてきたところで、今度はどこまで高く跳べるのか実験してみた。
結論から言うと、ビルの七階くらいの高さまでならいける。高層マンションの前で跳んでみたのだが、七階くらいのところが限界だった。ただしこれは垂直に跳んだ場合。斜めに跳ぶともっと低くなってしまう。
あと、不思議なことにいくら高く跳ぼうとも、足から着地すれば衝撃は普通にジャンプした時と同じくらいですむ。全く痛くない。が、油断は禁物だ。そんな高さからバランスを崩して落下すれば命はない。気を付けなくては。
そんなふうに練習をしていたら、手は汚れ、擦り傷も幾つか負ってしまった。俺は繁華街にある広場まで移動し、そこにある水道で傷を洗い流した。
「ふうー」
疲れたな。少し休もう。
木陰にあるベンチに腰を下ろす。
朝からずっと動いているので足が疲れた。
気温もだいぶ高くなってきたし。暑い。
正面の屋外時計で時間を確認する。
もうすぐ午後だ。
仲間割れで死んでしまったあの子を看取った後、俺はバイト先の店を中心として周辺を歩き回った。
戦闘になるのではないかと不安を抱えながら何人ものプレイヤーに近づいてみたけど、伊野さんはいなかった。
これだけ探しても見つからないってことは、本当に参加していないのかもしれない。
でも……そう思おうとしても、この胸の奥に暗く存在する不安な気持ちが消えることはなかった。
いい予感はだいたい外れるけど、悪い予感はだいたい当たってしまうものだ。
もしかしたら全く別の場所にいるのかもしれない。
そうだとしたら、連絡手段のないこの空間じゃ合流するのは無理だろう。
俺は、このままでいいのだろうか。
いるのかも分からない人を探し続けるなんて、千堂さんの言ったとおり時間の無駄じゃないか?
それは、自分の命を懸けてまでしてすることなのだろうか。
千堂さん、いい人だったな。
思えば、このゲームに参加させられてから、まともに話した人は千堂さんだけだ。
彼とチームを組んで二人でポイントを集めれば、意外と簡単にクリアできるのではないか。
早い人なんかはもうクリアしているかもしれない。現実に生還できる人数は決まっているんだし、のんびりしていられない。最初に言われたじゃないか。できるだけ早くポイントを集めることだ、と。
そうだよ、今からだって遅くはない。誰かとチームを組んでさっさとポイントを集めるべきじゃないか。
「……」
分かってる。そんなことできない。
流されちゃだめだ。心を強く持たないと。
俺のせいで参加させられているかもしれないんだ。
そんな伊野さんを放ってはおけないだろ。
参加しているのに、俺だけクリアしたら、俺は一生自分を許せないだろう。
だから俺はいくら探し回ったっていい。
徒労に終わっても構わない。
こんな世界に、伊野さんはいちゃいけない。
この世界では法律なんて存在しないのだ。殺人なんて現実ではニュースの中の出来事でしかなかったのに、ここではむしろ推奨するようなルールになってしまっている。
もし本当に伊野さんがいるのならば、俺が必ず見つけ出す。そして二人で抜け出すんだ。この、ふざけた世界から。
流れてきた汗を拭う。
よし、と小さく呟いて俺は立ち上がった。
そろそろ昼の十二時になる。
駅の方に移動しよう。
もし千堂さんが伊野さんを見つけたら、午後は駅の方に来るように伝えて欲しいと言ってあるしな。
とにかく行こう。
俺は駅に向かって歩き出した。
繁華街のメインストリートを抜けると、周囲をファッションビルやオフィスビルに囲まれたスクランブル交差点に出る。普段は切れ目のない喧騒に包まれているが、今は物静かな空間を、歩行者用の信号機から流れる寂しげな旋律が埋めていた。
横断歩道を渡り終えたところで、一度地図を開いてみることにした。
この辺に誰かいるかもしれない。
メニューから地図を呼び出して見てみると、左の方にプレイヤーのマークが一つあった。
わりと近いな。
近づいて名前をチェックしてから行こう。
ここから大体100メートルくらいだろうか。
そのプレイヤーは、歩道を少し歩いた先の脇道にいる。
動きを見ていると、この通りに向かって来ているのが分かる。
向こうはまだ俺に気付いていないはずだ。
マークに向かって歩道を進んで行くと、リストバンドに装着したスマホが震えだした。
『プレイヤーが接近しています』
Name:笹峰康介
Type:???
詳細を開いてみるが、タイプが表示されない。
なんだこれ……こういう能力か?
だとしたら能力タイプか、支援タイプってとこか?
なんとなく相手のタイプを見破った気がしてほくそ笑む。
伊野さんではないし、引き返そう。
向こうも足を止めて警戒しているようだ。これ以上近づいて刺激するのはよくない。
画面上のマークからは目を離さず、踵を返す。
と、もと来た道を歩き出したところで、笹峰のマークが猛スピードでこの通りに出て来た。
くそ、向こうはやる気か!
慌てて振り返る。
黒いスーツを着た男――笹峰が脇道の前に立ち、こちらを見ていた。表情までは窺えない。
これ以上近づかれたら跳躍で逃げよう。
そう思った時だった。
突然、目の前の空間から腕が伸びてきた。
次の瞬間、頭に強い衝撃を受け視界がぶれる。
分かったのは突如として腕が出てきた、ということだけだった。気付いたら俺はアスファルトに膝を突いていた。
「がっ……!」
額の痛みが急速に膨れ上がり、生暖かい何かが頬を伝い落ちる。
見上げると、何者かの腕が空間に飲み込まれるように消えていくところだった。その手には、拳よりも大きい石が握られている。
腕が完全に消失すると、その空間が水の波紋のように揺れた。
あれで殴られたのか……!
今のは、笹峰の仕業なのか……!?
激痛で視界が狭まるなか、なんとか笹峰の姿を捉える。
笹峰は脇道の前に立っていて、足元に何かを投げ捨てた。
逃げなきゃ。
ああ、だめだ。痛みで体にうまく力が入らない。
前方の笹峰がなにやら動きを見せた。
腕を前に突き出した、と思ったら、また目の前に腕が現れた。
突き出された腕から逃げる間もなく、俺は喉元を掴まれた。
「ぐぁっ……」
腕が物凄い力で締め上げてくる。
喉が潰され涙が滲む。
締め上げてくる手を剥がそうともがくが、上手くいかない。
このままじゃ、ヤバイ……!
なんとかしないと……殺される!
俺は必死の思いで足に力を込め、地を蹴った。
跳躍を発動させ、なんとか腕から逃れることに成功した。
なんの想定もせず、でたらめに能力を発動させた俺は、通りの向かいまで吹っ飛び建物の壁に背中から激突した。
手足がばらばらになりそうな衝撃が体を襲う。
「ぐっ、げほっげほっ」
「君もなかなか面白い能力を持っているな」
歩道に踞っていると、道路植栽の向こうから笹峰の声が聞こえてきた。
まずい、また腕が来る。
早くこの場から離れないと。
立ち上がろうとした。
しかし体が言うことを聞かず、崩れ落ちた。
頭を殴られたせいか、意識が朦朧としてくる。
ああ、頭が痛い。
体が動かない。
まずいな、ここで意識を失ったら、あいつに殺される。
がんばれ、立てる。立って跳躍で逃げるんだ。
そうだ、俺は伊野さんを探すんだ。
こんなとこで死ぬわけにはいかない。
力を振り絞って起き上がろうとした時、スマホが震えだした。
『プレイヤーが接近しています』
こんな時に、新たなプレイヤーか。
ツイてないな、俺。
デスゲームが始まってから何回もやってきた動作だ。指が勝手に動いた。
俺は、画面の[詳細表示]に指を合わせた。
Name:伊野ちはる
Type:支援
伊野さんは、いた。
【ルール】
・端末を紛失した場合でもPKで生還ポイントを得ることはできる
・他人の端末は操作することができない
【プレイヤーデータ】
Name:久綱悠太
Type:能力
装備:[能力]砂の風車…息を吹きかけると砂混じりの突風が発生する
:[能力]跳躍…高く跳ぶことができる
:[攻撃]大入道…一振りごとに大きくなる薙刀