5 狂敵、辻倉
マークのことは分からないが、おじさんが辻倉に追われているというのは間違いない。
とにかく、このままじゃ二人とも危ない。
「あの、大丈夫ですか?」
おじさんに声を掛けて立ち上がらせようとした時、辻倉が十字路に姿を見せた。
俺はその姿を見た瞬間、思わず言葉を失った。
とても普通とは思えない格好をしていたからだ。
まず、大量の血で顔が真っ赤に染まっていた。
長い黒髪は激しく乱れ、血で頬にへばり付き、肩や胸の前まで垂れ下がっている。
前傾姿勢で睨みつけている目が、髪の隙間から爛々と光を放っていた。
身体は華奢だが、恐ろしいほどに殺気を漲らせている。
何も持っていないようだけど、その目を見た瞬間、この女はヤバイ――と直感した。
辻倉は、俺とおじさんを油断なく交互に見ている。
走ってきたせいなのか、興奮しているのか、呼吸は荒く、肩が上下している。
今、おじさんと協力体制を見せれば、分が悪いとみて逃げてくれるかもしれない。
なんにしても、こんなヤバイ目をした奴と戦いたくない。
俺はおじさんを立ち上がらせた。
「おじさん立って!」
「あ、ああ。すまない」
おじさんが俺の手を取り、立ち上がる。その腕には斬られたような傷があり、血が流れていた。
辻倉にやられたのか?
とにかく、弱気を見せたら襲われる。そう思った俺は、砂の風車を辻倉に向けた。
おじさんも震えた両手ですっぽんを構える。
これで二対一だ。頼むから行ってくれ!
ところが、辻倉は怯むどころかニタァと不気味に笑った後、悲鳴のような奇声を上げて迫ってきた。
こいつ、絶対ヤバイ!
俺は、すかさず風車に息を吹きかけた。
周囲の空気を巻き込み、《砂塵の烈風》が辻倉を正面から襲う。
前方の木々や電線が大きく揺れ、民家の窓がガタガタと震えている。
風が止まないうちに、俺は急いで大入道を具現化した。
「おじさん、今のうちに逃げよう!」
「ああ、そうし」
「アアアァァァァッ」
おじさんの返事が、辻倉が再び上げた奇声でかき消された。
砂埃が煙るように舞い上がるなか、辻倉は身を折り、目を守るように腕を前にかざしている。
次の瞬間、人間とは思えないほど高く跳躍した。
「なにっ!?」
軽く10メートルは跳び上がっているだろう。
辻倉は、民家の屋根とほぼ同じ高さまで到達していた。
「危ない!」
おじさんが、ぐいっと俺を引き寄せる。
ちょうど俺がいた辺りに、辻倉が腕を振り上げながら下降してきた。
着地と同時に、何かを斬りつけるように振り下ろす。
ヒュンと空を切る鋭い音。
「注意してください。この人、見えない武器を持っています」
見えない武器?
なんだそれは。攻撃アイテムか?
それに今の跳躍は……そうか、能力だな。
辻倉は着地姿勢のままこちらを睨みつけていて、今にも飛びかかってきそうな勢いだ。
こいつに話は通じそうにない。
やるしか、ないのか……!
不安な思いとは反対に、全身の血が熱く滾るのを感じた。
武器を手に入れて、多少気が大きくなっていたのかもしれない。
俺は、右手に持った大入道を辻倉に向けて突き出した。左手の、砂の風車を胸の前に引き寄せる。
針で突いたら爆発しそうなほど空気が張り詰めた。
互いに一挙一動を見極めるべく、微動だにしない。
凝縮された時間の流れが永遠のように思える。
辻倉が動いた。
着地姿勢から、地面ぎりぎりを滑空するように肉迫してくる。右手を横に引き、胸の前でピタリと止める。
横薙が来る!
俺は反射的に手首を回し、見えない武器を大入道で受け止めた。
ゴツと、木に刃物を突き立てたような鈍い音がし、鍔に近い部分が削り落ちる。そのまま見えない武器を弾き返すように、大入道を下から振り抜いた。
辻倉が押し出され、数歩後ろへ下がる。
しかしすぐに体勢を立て直し、怯むことなく地を蹴って向かってきた。
見えない武器が襲ってくる。
俺は辻倉が持っている武器を剣と想定し、必死に腕の軌道を見極め大入道で受け止める。二度、三度と続く連撃。
「肉! 肉ぅぅっ!」
肉? 何言ってんだこいつ!
意味の分からないことを叫びながら繰り出される攻撃を何とか凌いだ俺は、足に力を入れ、踏み込んだ。勢いに乗せ、大入道で袈裟懸けに叩き付ける。
「お……らああ!」
がしかし、見えない武器で弾かれ、火花が散る。
もう一度同じ軌道で斬りつけるが、リーチが短く空振りに終わる。
武器を振るったことにより、大入道が少し長くなった。
それを生かし、胸を狙って突く。
刃が到達する寸前、辻倉は横にステップし、身体をひらりと回転させた。
細い背中が目に映る。
長い黒髪が流れるように宙を舞った。
辻倉はそのまま遠心力を利用して、正面を向くと同時に鋭い一撃を放ってきた。
「死ねっ!」
ヒュッと右頬に風を感じた。
しかし当たってはいない。見えない武器はぎりぎりのところで頬を掠めていったようだ。
無理な体勢から攻撃を繰り出したせいか、辻倉がバランスを崩し足元をふらつかせた。
俺はその隙を見て、右足を辻倉の腹にねじ込んだ。力を込め、蹴り出す。
体格の差だろう。
辻倉の体は思っていたよりも軽く、後ろに大きく下がった後、仰向けに倒れた。その拍子に見えない武器がアスファルトを叩き、金属的な音が響く。手から武器が離れたようだ。
「わああああ!」
俺が追い打ちを掛けるより早く、おじさんがすっぽんを逆手に持ち、突進した。
倒れている辻倉に向かってすっぽんを振り下ろす。しかし、すんでのところで横に転がり、かわされた。
すっぽんがアスファルトを突き、バフンと空気が抜ける音がする。
おじさんは追撃をかけるつもりで、すっぽんを引き抜こうとするが、アスファルトに吸いついていて、動作がやや遅れる。
その隙を見た辻倉が、両膝を腹につけるように曲げた。
「おじさん、気を付けて!」
「あ、ぐぉっ……!」
俺が声を上げると同時に、おじさんは後ろから引っ張られるように数メートルも吹っ飛ばされた。
おそらく、あの跳躍の能力で蹴り飛ばしたのだろう。
腹を蹴られ、アスファルトに叩きつけられたおじさんは、体を折り曲げ呻いている。羽織っている藁のベストが地面を擦り、バサバサと音を立てる。
「辻倉ぁぁっ!」
俺は、すでに起き上がった辻倉の注意を逸らすつもりで、大声を上げた。
しかし俺を横目で見ただけで、一瞬身を屈めると、おじさんに向かって跳躍した。
「おじさん!」
俺もすぐに駆け寄る。
大入道を突き出せば、防げるか?
いや、ここは……!
嬉々とした表情で下降してくる辻倉に向かって、砂の風車を思いきり吹いた。
《砂塵の烈風》が獣の咆哮のような唸りをあげ、頭上の辻倉を飲み込む。
烈風を全身で受けた辻倉は、空中で体勢を崩し、そのまま背中から落下した。
「がふっ……!」
辻倉は肺の中の空気を吐き出し、地に倒れた。
長く美しい黒髪が、艶やかに花を咲かせる。
俺はおじさんを助け起こした。
「おじさん平気?」
「ぐ……大丈夫だ。ありがとう」
辻倉はまだ、地面に倒れている。気を失ったようだ。落ちた際に頭を打ったのかもしれない。
勝負ありだ。
俺は大入道の刃を辻倉に向けながら近づいた。
この戦いで、幾分か大きくなった。そろそろ片手持ちだと辛いかもしれない。
「どうするんだい?」
「…………殺すのは、ちょっと」
「そうですね。私に、任せてください」
「えっ?」
おじさんが倒れている辻倉に近づき、俺を見た。
大入道を貸せ、というのか?
俺の代わりにおじさんが……。
逡巡していると、おじさんが辻倉の腹にすっぽんをあてがった。
「はっ!」
そして勢いよく押し込む。
ゴム製のカップが辻倉の腹に吸い付き、円状にひしゃげる。
おじさんは三度すっぽんを押し込むと、ふぅーと息を吐いた。
「これで大丈夫」
「どういうことですか?」
俺が訊くと、おじさんは柔和な笑顔を見せた。
「このすっぽんはね、相手のアイテムを吸い出して消すことができるんだ」
「ほう。それは凄いですね」
「三つ分吸い出しておいたから、もう何も持っていないよ」
プレイヤーのアイテム所持数は三つまで。新たに装備バーコードを発見した場合も、何か一つ削除しなければ、読み取ることはできない。
なるほど。これで辻倉を完全に無力化できたわけだ。
もう安心だな。
「そうですか。見えない武器と跳躍は分かりましたけど、あと一つは何だったんですかね」
「さあ、何か切札でも隠し持っていたのかもしれないですね」
切札か。
たしかに自分の武器や能力は、あまり相手に知られないほうがよさそうだな。
注意しよう。
辻倉の血に塗れた顔を眺めていたら、突然その目がカッと開いた。
「このやろう!」
倒れたまま、俺とおじさんを交互に蹴る。しかし、能力を失った蹴りに威力はない。
「……あれ?」
辻倉は、さらに自分の武器がないことに気が付いたようだ。
地面に這いつくばり、辺りを探している。
「ない……ない! 刀が、ない!」
俺はそんな辻倉に大入道を突きつけ、できる限りの冷たい声を出した。
「辻倉。悪いけど武器は消させてもらったよ。命は取らないから、もう消えて」
そう言うと、辻倉は酷くショックを受けた様子で、焦点の定まらない目で俺を見上げた。が、すぐに鋭く怒りを含んだ視線を飛ばしてくる。
「よくもアタシの刀を……! ちくしょう!」
そして、すばやく立ち上がり、走り去っていった。
【ルール】
・アイテムは三つまで所持することができる
・アイテムを三つ所持した状態で、新たに装備バーコードを読み取ることはできない
【プレイヤーデータ】
Name:辻倉祥子
Type:能力
装備:[能力]跳躍…高く跳ぶことができる
:[能力]???
:[攻撃]???