3 後悔と決意
俺は家を出て、最寄りの駅に向かって歩いていた。
【砂の風車】は解除してある。
アプリ内のアイテムメニューで、具現化と解除、削除の操作ができるようになっていた。
大きい物ではないが、手に持って歩くのも煩わしかったので今は解除してある。
現実味のないこの状況に、どうしていいか分からなかった。
家には誰もいない。けど、外に出れば誰かいるんじゃないか、普段と同じように会社や学校へ向かって歩いている人がいるんじゃないか、そう思った。
……同じ境遇の人と、不安を分かち合いたかった。
でも、やはり誰とも会わなかった。
今日は10月3日。天気は晴れ。
真夏の茹だるような暑さはすでに引いていて、空気はさらっとしている。街が異様なほど静かなことを除けば、実に清々しい朝だ。
ここは埼玉県の川越市。住みやすい場所で、人口もそれなりに多い。
なのに、人も車も電車も見ない。鳥の鳴き声さえも一切聞こえてこない。
アプリをダウンロードした人たちどころか、この世界には俺一人だけしか存在していなんじゃないかとすら思えてくる。
駅前まで来た。
タクシー乗り場があるだけの、小さな駅だ。
コンビニはあるが、外から覗いてみても誰もいなかった。
それよりさっきから何か胸騒ぎがする。
何か、重要なことを見落としているような……。
と、コンビニを過ぎたその時、手に持っていたスマホがブブブブ……と震えだした。
『プレイヤーが接近しています』
立ち止まって画面を見ると、そう表示されていた。
誰かいるんだ……!
恐さより、自分の他に人がいるという喜びのほうが大きかった。
相手もきっと困惑していて、誰かに相談したいと思っているはずだ。
少なくとも俺はそう思っている。
顔を上げた。
辺りを見回す。
どこだ、どこにいる。
一旦視線をスマホに戻し、[詳細表示]をタッチ。
すると、この周辺と思われる地図に切り替わり、上の部分に【Name:上田洋平 Type:能力】と表示された。
地図上でプレイヤー上田の物と思われる人型のマークが動いている。
駅だ。駅の中に入っていく。
追いかけてみようと踏み出したところで、マークが消えた。
距離が離れたということか。
とりあえず俺も駅に入ってみた。
駅の入り口は一つでコンビニ程度の広さしかない。
その駅入り口に上田の姿はなかった。
誰一人としていない構内。
頭上の案内板には『本日の運行は終了しました』とアナウンスが流れている。
上田はどこに行ったんだ。
電車は動いていないようだし。
アプリ内の地図メニューを開いてみた。
この駅の周辺が表示される。マークはない。
地図を縮小してみると、広範囲で地図が見られるようになる。
所々でマークが動いているが、詳細は見られないようだ。
おそらく接近したプレイヤーのみ表示可能ということだろう。
マークは近くにないし、闇雲に探しまわっても仕方ないので、駅を出ることにした。
振り返ると正面に券売機が並んでいる。来た時には気付かなかったが、そのすぐ前に、何か台座のような物が設置されていた。
「これは……」
近づいてみると、それは黒曜石のような石材で、腰くらいまでの高さの物だった。
中央部分には白くバーコードが光っている。
そのバーコードの上には文字が浮かび上がっていた。
『転移バーコード再使用まで 4:17』
秒数の部分が一秒刻みで減っていく。
どういう仕組になっているのか分からないが、おそらくこのバーコードを使うと何処かへ転移するのだろう。上田はこれを使って移動したに違いない。
「ふうー」
朝なのにもう疲れた。
起きてからずっと緊張状態だったしな。少し落ち着きたい。
それにルールもまだよく分かっていない。
駅前にコンビニがあるな。そこで一息つこう。
店内に入ると人がいないだけで、何一つ変わった様子はなかった。
照明も点いていて明るいし、雑誌に食べ物、その他生活用品も全て置いてある。
こんな状況ではあるけど、飲まず食わずで来てしまったのでお腹が空いていた。
店員もいないし、この世界ではお金は払う必要がないのかもしれない。だけどちょっと気が引けるのでレジにお金を置いておこうとしたら、カウンター台に150円が置いてあった。
きっと俺の前に誰か来ていたのだろう。もしかしたらさっきの上田かもしれない。
俺は財布から500円を出して置くと、パンとおにぎり、水を持って隅の方に座った。
◇◇◇
コンビニで朝ごはんを食べながらプレイガイドを読んだ。
このゲームは、思ったよりルールが細かく設定されている。
最重要と思われる生還ポイントについては、以下のとおりだ。
・生還ポイントを+1000集めたらゲームクリア
・生還できる人数は決まっているが、明かされない
・生還ポイントに関わらず、この世界で死亡した場合、現実でも死ぬ
これらはさっきアプリを起動した際に記されていたこと。
新しく分かったことは、
・10月3日のうちにアプリを起動しなかった者は死亡
・生還ポイントは、アプリを起動した時点から一時間ごとに2ポイントずつ減っていく
・生還ポイントが-100になると死亡
つまり、何もせず動かないで生き延びることはできない。
生還できる人数も決まっているので、できるだけ早く行動しなければならない。
こういうことだ。
Name:久綱悠太
Type:能力
ポリゴンで作られた俺が、画面の中に立っている。正直気味が悪い。
その下には[アイテム][地図][プレイガイド]などのメニュー欄。
そして、上の方には『生還ポイント:±0』とある。
今は朝八時を少し過ぎたところで、アプリを起動してからもうすぐ一時間が経過する。そうしたら生還ポイントが、-2となるのだろう。
生還バーコードが幾つ存在し、一回でどれくらいポイントが入手できるのかは分からない。だがもし少数少量の場合は、確実に奪い合い、そして、殺し合いになるだろう。
信じたくない話だ。
さっきは上田のことを思わず追ってしまったが、これからはもっと警戒したほうがいいな。上田は能力タイプだったし、戦闘になっていたかもしれない。
俺の手持ちのアイテムは砂の風車だ。
能力アイテムに属していて、《砂塵の烈風》という能力を持っている。羽の部分に息を吹きかけると、砂の混じった風が発生する仕組みだ。
俺が家で自爆したように、近くの壁に向かって吹きかけたり、狭い室内で発動させたりすると大変なことになる。
今はこれ一つしか持っていないから、誰かと戦闘になった場合、不利だ。アイテムを探さなきゃ。
まだ死にたくないし、でも、人を殺すなんてできない。
だから生還バーコードも探し集める必要がある。
そういえば、大学にも『ばーくえ』をやっている友達がいたな。
きっと今頃、俺と同じようなことになっているんだろうな……。
ダウンロードした200万人が参加って、そうとうな人数だぞ。
と、俺はここで血の気がサーッと引いていったのを感じた。
自分でも顔が凍りついたのが分かる。
「ヤバイ……」
俺、昨日……伊野さんにゲーム教えたじゃん!
いや待って、落ち着け。
ゲームは教えたけど、ダウンロードはしていないかもしれない。
教えられたからってすぐにダウンロードするか?
俺が伊野さんに教えてもらったなら、すぐにするかもしれないな……。
伊野さんは……どうなんだ、分からない。
あとこれって、いつの時点までのダウンロードした人間が参加させられているんだ? 昨日までか?
だとしたら、昨日バイトが終わったのが二十一時で、そのあと約三時間のうちに伊野さんがダウンロードしていたらアウトだ。
ゲームをダウンロードしたかは分からないけど、でも昨日、俺が紹介したんだ。可能性は充分ある。楽観的に考えるのはまずい。
さっきの胸騒ぎの原因はこれだったか!
「くっそ……!」
昨日の行動を激しく後悔するが、でも今はそんなことしている場合じゃない。
どうすればいい。考えろ。
電話やメールはできない。
参加しているプレイヤーの名前は接近しないと確認できない。
プレイヤー検索などの機能もない。
ない……確認する術がない……!
なら、どうする。
「…………行って、探してみよう」
これしかない。
伊野さんが参加していたとして、俺が探しまわったところで見つかる可能性は低いと思う。けど、もしかしたら今も、一人でどうしていいか分からずに困っているかもしれない。
伊野さんが危険な目に遭っているかもしれないのに、無視なんてできない。
行かなきゃ、だめだ。
伊野さんの家は、バイト先の店から歩いて五分くらいと、以前聞いたことがある。
バイト先は隣駅近くの繁華街だ。
そういえば駅に転移バーコードがあったな。
きっとそれで各駅に移動できるのだろう。
歩くより早いだろうし、試してみよう。
とりあえず、店を目指して行く。
伊野さんを探しつつ、バーコードがあれば、読み取っていく。
これでいこう。
ああ……ちくしょう情けない。急に体が震えてきた。
しっかりしないと。大丈夫、落ち着こう。
俺は震える指でスマホを操作して、地図メニューを開いた。
地図上で、人型のマークはプレイヤー。そして、四角いマークはバーコードの在処を示している。
先ほど上田を探すために地図を縮小したままだった。プレイガイドによると、自分を中心として半径70メートル以内にプレイヤーが近づくと、端末が警報を出すシステムになっているみたいだ。
このままだと自分の周りがよく分からないので、地図を拡大して戻す。
すると、一つのマークがだんだんとこちらに向かって来ていた。
駅とは反対方向からだ。
かなり近い。注意しなくては。
俺は砂の風車を具現化した。
スマホを左腕のリストバンド型ケースに装着する。
『プレイヤーが接近しています』
ブブブブ……とスマホが警報を発している。
詳細表示を開く。
Name:近藤竜司
Type:攻撃
攻撃タイプだ。接触したら攻撃されるかもしれない。
俺は急いでコンビニを出た。
駅までおよそ50メートル。
駆け出した。
走りながら画面をみると、近藤はもうコンビニの前に来ていた。
「おい待ってくれ!」
「……」
呼び掛けられたが無視して走る。
「なあ、頼む待ってくれ!」
切羽詰まったような声を掛けられ、俺は立ち止まった。
振り返ると、黒いスウェットパンツに黒いTシャツの金髪男――近藤が立っていた。
年齢は二十歳前後に見える。俺と同じくらいか。
武器は、持っていない。
近藤が困ったように笑いながら近づいてくる。
「あー、よかった。お前もだろ?」
お前もゲーム参加させられているんだろ?という意味だろう。
俺はうなずいた。
「……そうだよ」
「ったく、なんだよなぁこれ。あ、それお前のアイテム?」
近藤が風車を指している。
「……」
「へー、風車か」
俺は、初対面の相手に対して「お前」と呼ぶ人はどうも好きになれない。
それが表情に出てしまったのだろう。
近藤は取り繕うように笑いながら、さらに近づいてくる。
俺は砂の風車を握りなおした。
「ああ、悪い。えっと」
スマホを見て、画面を操作している。俺の名前を確認しているようだ。
「……久綱、くん」
近藤の口元が薄く歪んだ。画面をトンとタッチする。
瞬く間に、近藤の手元に大振りの鉈が現れた。
「死ねええ!」
近藤が一気に踏み込み、殺気をむき出しにして斬り掛かってくる。
迂闊だった――そんな思いが脳裏によぎる。
俺は咄嗟に身を引いた。
近藤の薙いだ鉈が眼前を掠める。
「うわっ、ちょっ……!」
「おらああ!」
返す刀の要領で、近藤が追い打ちをかけてくる。
その一撃をなんとか横に避けてかわした。
明確な殺意。
近藤は、確実に俺を殺す気で襲いかかってきた。
恐怖で膝から下の感覚が無くなる。
武器もないし、そう何度も攻撃を避けられるわけがない。
逃げないと、今すぐ!
俺は砂の風車を口の前に持ってきた。
近藤がなおも斬り掛かろうと腕を振り上げる。
息を吸い込み、一気に吹いた。
八枚の羽が勢いよく回転し、近藤に向かって《砂塵の烈風》が吹き荒れる。
ほぼ同時に、左肩に鋭い痛みが走った。
「ぐっ……」
吹くのが一瞬遅かったのか、左肩が斬りつけられた。
だが、砂塵の烈風も効いている。
「がああああ、くそがぁぁ!」
近藤が目を押さえ、後ろに大きくよろめいた。
俺は反射的に、近藤に向かって駆け出した。
そのまま勢いを乗せて腰の辺りを蹴り飛ばす。
近藤はズダダと地面に転がり、手から鉈を離した。
「てめぇ何をし――」
片目を瞑り睨みつけてきたところを、さらに烈風を浴びせる。
《砂塵の烈風》は、強く吹けば吹くほど威力を増す仕様になっている。
直接攻撃力はないが、肩を斬られて頭に来た俺は思い切り風車を吹いた。
凄まじい砂風に飲まれ、うずくまった近藤の姿が霞んで見える。
風は止んだが、近藤は起き上がらず、目を押さえて伏せている。
充分だ。
深追いはしないほうがいい。
そう判断した。
俺は、斬りつけられて血が滲み出した左肩を押さえながら、駅へ向かった。
「はぁ、はぁ。くそ……」
駅の入り口まで来た。
幸い、砂塵の烈風で怯んだのか、近藤に斬られた傷は大したことないが。
油断した。
立ち止まるんじゃなかった。振り返るんじゃなかった。
あいつ俺を殺す気だった。
冗談じゃない。こんなとこで死んでたまるか。
俺は伊野さんを探しに行くんだ!
もしかしたら近藤が追いかけてくるかもしれない。
急ごう。
転移の台座の中央部分に、白くバーコードが浮かび上がっている。
再使用うんぬんといった文字は消えているので、使えるはずだ。
スマホをケースから外し、そのバーコードを読み取った。
すると画面に、この駅を中心に四駅ずつ表示された。スクロールすれば路線駅すべてが確認できる。
目的地は、この駅の隣。そこまで行けばバイト先は近い。
画面をタッチしようとした時、入り口の向こうから、俺の名を叫ぶ近藤の声が聞こえてきた。
しつこい奴だ。
近藤を無視し、画面に触れると、白い膜のような光に包まれた。
その光の向こうに、薄く近藤の姿が見えた次の瞬間、視界が真っ白に染まった。
【ルール】
・10月3日 23時59分59秒までにアプリを起動しなかった者は死亡
・生還ポイントはアプリを起動した時点から一時間に2ポイントずつ減少する
【プレイヤーデータ】
Name:近藤竜司
Type:攻撃
装備:[攻撃]藪薙…山を切り開いて進むのに便利な鉈
:[攻撃]なし
:[支援]なし




