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1 Tap to Start

 バーコードが、スマホ画面の枠内に収まるように距離を調整する。

 手がぶれないようにゆっくりと。

 これなら、何かいいアイテムが手に入るかもしれない。

 枠内にちょうどバーコードが収まると、


 ピッ――


 硬質な電子音が鳴り、画面に『読み取りに成功しました』と表示された。次いで、アイテム生成の是非を問う選択肢が現れる。


 さあ、何ができる……!

 ゴクリ、と思わず唾を飲み込んだ、その時、


「何してるんですか? 久綱(くづな)さん」


 背後から声を掛けられ、俺は振り返った。


「ああ伊野さん。もう着替えたんだ。早いね」


 更衣室から出てきた伊野さんが、鞄を肩に掛けながらこちらを見ていた。



 俺は久綱悠太。埼玉県内に両親と暮らしている、ごく平凡な十九歳。ネトゲとかスマホゲーとか、ちょっとゲームが好きなだけの、どこにでもいる大学生だ。

 夜はレンタルビデオ屋でアルバイトをしていて、今はバイトが終わって帰り支度をしていたところ。


 そして、今声を掛けてきたのが、伊野ちはる。

 彼女とはバイト仲間で、俺と同じシフトに入ることが多い。

 かわいいし、いつも元気で人懐っこく、バイト仲間や社員、それにお客さんからの人気もある、この店のアイドル的な存在だ。

 暇な時間は二人でよくお喋りをしているので、そんな彼女に俺も自然と惹かれていた。

 年が一つ下だからか、俺に対しては敬語で話し掛けてくる。


「アイテム生成……これゲームですか?」


 伊野さんが興味深そうに覗きこんでくる。栗色の髪から、ふんわりといい匂いがした。


「うん。バーコード・クエストっていうスマホゲーだよ」

「あっ知ってます! 私も気になっていたんですよね」

「ほんと? これ面白いよ」


 画面をタッチして、アイテム生成を選択。

 手に入ったのは……【熱を帯びた剣…Cランク】。


「あら。ゴミだ、これ」


 俺が笑うと伊野さんも「そんな感じですね」と笑った。

 アイテムは期待外れだったけど、伊野さんの笑顔が見られたし、よしとする。


 〈バーコード・クエスト〉――通称『ばーくえ』は、いろいろな物に付いているバーコードをスマホで読み取り、その数値情報から武器やアイテムを生成してキャラクターを強化し、クエストを進めたり他のプレイヤーと対戦したりするゲームだ。

 身近にあるバーコードで装備品が生成されるというのはなかなか面白い。

 一日の読み取り回数に制限はあるものの、その手軽さやわくわく感で評判良いのか、最近200万ダウンロードを達成した人気アプリだ。

 俺はよく知らないけど、昔、これと似た名前のゲーム機があったらしい。ようはそれのスマホ版、ということだろう。


 バイトが終わってスタッフルームで帰り支度をしていたら、テーブルの上に中古販売用のアダルトDVDが置いてあった。この部屋は備品とか、何か問題があって下げられた商品とか、とにかくごちゃごちゃと物が置いてある。このDVDも誰かが下げてきた物だろう。

 テーブルの上にあったアダルトDVDを見つけて、エロパワーで何か強いアイテムが手に入るような気がしてアプリを起動してみたのだが、そんなことはなかった。


 伊野さんはエロDVDを戸惑いなく手に取って見ている。まあビデオ屋でバイトしていれば見慣れた物だろうし、当然だ。

 そういえば、彼女も大学生で、通学途中にスマホゲーで暇をつぶしているという話を聞いたことがあったな。


「伊野さんもゲーム好きだったよね」

「はい。ちょっとした空き時間にちょうどいいですからね」

「だよね。ばーくえも面白いから、よかったらダウンロードしてみ」


 よし、これで伊野さんと同じゲームができるかもしれない。

 我ながら自然に言えたと思う。

 今日はこれで満足だ。


「じゃあ帰ろうか」

「そうですね。行きましょう」


 店は繁華街の一角にある。

 外に出ると、二十一時過ぎだというのに通りは人でいっぱいだ。


 伊野さんとは帰る方向が違う。

 「気をつけてね」この一言がいつも言えない。

 少しだけ彼女の背中を見送った。

 歩調に合わせ、肩に掛かる髪が揺れている。

 行き交う人の流れが、彼女を隠すように飲み込んでいった。




◇◇◇




 次の日。

 朝起きたら、家族がいなくなっていた。

 家中探しても誰もいない。

 俺は薄暗い廊下で独り、立ち尽くしていた。




 最初に違和感を覚えたのは、目が覚めてからすぐのことだった。


 目を閉じたままベッドから身体を起こし、見ていた夢の余韻に浸っていた。

 少しの間そうしていると、ふわふわと鈍っていた体の感覚や思考が徐々にはっきりしたものになってくる。

 遮光カーテンの隙間から僅かに光が漏れているが、部屋はまだ暗い。

 カーテンを開けようと腕を伸ばした時、ふと、静かだなと思った。

 いつもなら母が朝食を準備している音や居間から聞こえてくるテレビのくぐもった音声とか、何かしら生活音が聞こえてくるというのに。今日はやけに静かだ。


 ……まあ、こんな日もあるか。

 とりあえず下に行こう。


 多少の違和感はあったけど、気にしないことにして部屋から出た。

 そして一階に降りる途中で足を止めた。

 階段の先が暗い。

 それに、やはり音もしていない。

 様子を確かめるために、そのまま階段を降りた。

 一階の雨戸は閉められたままで、誰もいなかった。


 朝七時。

 普段なら、専業主婦の母は誰よりも早く起きて、朝食の準備をしている。会社員の父は、髭を剃っているか、居間で煙草を吸いながらニュース番組を観ている。

 毎日のように見てきた、久綱家の朝の光景だ。

 ところが今朝は違った。

 父と母の姿はなく、仄暗い部屋は沈黙で満たされていた。


 二人ともまだ寝ているのかもしれない。父は会社があるし、遅刻でもしたら困るだろう。

 そう思って、二人を起こしに二階にある寝室へと向かい、扉を開けた。

 しかしそこには人が寝ていた形跡はなく、綺麗に整えられた布団が二組並んでいるだけだった。


 一応と思い、自分の部屋を覗いてはみたものの、そこにはおらず、また一階に降りた。

 居間、台所、洗面所、トイレと見て回ったが、どこにもいなかった。

 玄関の鍵は掛かったままで、庭にいるということも考えにくい。


「母さん」


 家の中にいるのであれば何処にいても聞こえるくらいの大きさで呼びかけた。

 返事はない。

 一階、というか、家全体がシンと静まりきっている。


 父も母もいなくなっていた。




 なんで、いないんだ……?

 こうなると、だんだん不安になってくる。

 俺、何かやったっけ。

 俺を反省させるために、まさか出て行ったのか?

 大学だってちゃんと通っているし、バイトもして、自分の小遣いくらいは自分で稼いでいる。


「……」


 心当りがない。分からない……。

 親戚の誰かが急病で倒れて、夜中に病院まで駆け付けたとか?

 ……いや、そんな慌ただしい状況だったら物音がして気付くだろうし、それに一言くらい声掛けてから行くだろう。


 状況が飲み込めず、しばらく廊下に立ち尽くしていたけど、ふと思い立った。


 そうだ、電話を掛けてみればいいんだ。

 母は携帯電話を持っていないが、父は持っている。番号は電話機にメモが貼り付けてあったはず。


 さっそく台所にある電話機のところへ行き、父の番号を確認して掛けた。そして、受話器を耳にあてたところで異変に気付く。


「あれ?」


 接続音が聞こえない。

 ちゃんと掛かっているのかな?

 一度受話器を置いて、掛け直す。


「……壊れてる?」


 受話器はうんともすんとも言わない。

 なんでだ。

 電話線は繋がっている。

 電源もコンセントにちゃんと差さっている。

 急に壊れてしまったのだろうか。

 まあいい。自分のスマホからかけてみよう。


 急ぎ足で自室に戻り、机の上に置いてあるスマホへ手を伸ばすと、画面が点灯していることに気が付いた。

 ちょうど、電話をよこしてくれたところだったのかもしれない。

 一階にいたし、マナーモードにしていたから着信に気付かなかったのだろう。


 ところが、スマホを手に取ると、着信のお知らせではなくて、なぜかアプリが起動していた。


『バーコード・クエスト Tap to Start』


 ん? なぜ『ばーくえ』が?

 昨日たしかにちょっと遊んだけど、ちゃんと終了させたはずだ。

 とにかくそんな事より、まずは電話。


 アプリを終了させるためにホームボタンをタッチした。

 しかし、本来ならこれでホーム画面に戻るか、『アプリを終了しますか?』というような選択肢が現れるはずなのに、画面は切り替わらなかった。


 あれ? 消えないな。

 接触が悪かったのか……?


 そう思い、もう一度ホームボタンをタッチしてみたけど、『バーコード・クエスト Tap to Start』と表示されたままだった。


「なんだよ」


 フリーズしているのか?

 こういうときは再起動だ。

 パソコンもそうだけど、固まって動かない時は再起動するのが手っ取り早い。


 だが、電源キーを長押ししても、再起動も電源オフもできなかった。ならばと思い、裏蓋を開けてバッテリーを取り外したにも関わらず、ゲーム起動画面は点灯したままだった。


 おかしい……。

 ありえないでしょ……。


 今までも何度かスマホがフリーズしたことはある。しかし、バッテリーを外しても電源オフにできなかったことは一度もない。

 当たり前だ。

 いったいどこから電源を確保しているというのか。


『Tap to Start』


 画面を見ると、催促でもしているかのように点滅を繰り返していた。

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