ぐりはま
ある夏の夕暮れ。男と女は海岸を歩いていた。暑く燃える太陽がまぶしそうだが、それは海の小波にダイヤモンドを散りばめていた。
男と女は互いに手をつなぎたいと思いながら、手をつなげないでいた。まだ付き合い始めて日も浅く、まともに面と向き合って話したのが告白した時だった。
いい歳でまだそんな羞恥があるなんて、これからどうなるやら。
二人の影は足長おじさんのようにのび、歩調はゆったりとしていた。何がやりたいのやらで、客観的に見たなら、もどかしく苛立ちを隠せないだろう。
波の静かなる音が、風と共に仲良くやってくる。その並みに流されてきたのか、砂浜に貝殻が埋もれていた。砂からひょっこりと地表に出てきている貝殻があった。
男はその貝殻に気付いて、彼女を止めて、それを拾った。
「これ…なんだろ?」
「それ、ハマグリじゃない?」
「きっと、波に流されてきたんだろうな」
それは大きく、状態はきれいであった。貝殻を拾った男は裏を返し、その貝殻の周囲を見て、何か分析し始めた。そして気付いたことがあった。
「これ…よく見ると、なんか書いてあったみたいだな」
「何て?」
しかしそれは文字ではないように見えるが、文字のように見える。
「もしかしたら、どっかの国の人が作ったものじゃない?」
「例えば、どんなの?」
「ん…そうだな…」
今日は大漁に魚や貝を獲った。いつもより一段と多く獲ることができた。足が軽く、家までの帰路が近く思えた。
家に帰ると、温かい家庭が待っている。親と兄弟と祖父と祖母の笑顔が待っていた。
そしてそれらをあらゆる調理法で調理して、それを皆と食した。多くいる家族はやはり一日の食べる量も半端ではない。だから常に持って帰る量は足りないものでは一日で餓死してしまう。働ける兄弟なんかも今は私しかいない。親はまだ現役だが、祖父はもう体が悪い。
この村で私は長く生きてきた。まだきっとこれからも暮らしていくことになるが、もしかしたら一生ここを離れないかもしれない。それが私たちの村の伝統であり、家を継ぐのも後継である。
そろそろ結婚も考えていた私は悩んでいた。実はもう付き合っている人がいるのだが、彼女はどう思っているのか。
私は家を出て、危うく消えかかっている日を頼りに浜辺を歩いていた。悩みながら歩いていたので、いつの間にか砂泥地に変わっていることに気付かなかった。日の光が足元を照らすと、私は気になるものを見つけた。そして手を伸ばし、泥の中からそれを引っ張り上げた。それはハマグリであった。
私はそれをしばし見つめ、そして日が沈むと、私は思いついた。
意気込みを入れて家に帰り、早速そのハマグリを調理した。そして弟たちに食べさせ、その貝殻に文字を書き連ねた。自分でも困ったほどにペンを進めることができない。素直に書くことができない。それが恥ずかしくて、書けない。
私は一旦書くのを止めて、明日までに考えておこうと思った。
漁を終わらせ、また書き始めようと、砂浜で書くことにした。だがやはり考えることも書くこともできなかった。
「何やってるの?」
彼女は忽然と現れた。それに驚き、私はその持っていた貝殻を、海に向かって思いっきり投げた。
彼女はなぜ投げるのかと聞くが、私は答えられない。君のために文を書き連ねていたのだよと言った暁には、私があの太陽の変わりとなってしまう。そんなこと、絶対に言えない。
私はもう終わったことだからいいよと伝えるが、私はこれから何をすべきか、何をしなければいけないのか分かっていたような気がした。
「…と、こんな風に」
「面白いね、それ。きっと小説家にでもなれるよ」
二人は笑い合い、そしてまた男は何かに気付いた。
「あれ…ここに、小さい穴がある」
「え、どこどこ」
「ほら、ここに二つ…」
それは何かキリのようなもので穴を開けたようであった。
そして今度は男が思い立った。
「俺も思いついた、話」
「え、どんなの。聞かせて」
二人はその場に座り、男は貝殻を見つめた。
「それは、そう…」
変わらずここは漁村。だが大きな町である。港町とも言える。ポルトガルの町並みのようにきれいで、そして都市のように賑やかだ。観光客も多くいる。毎年この季節になると、この町を訪れる。
そしてそこに、ある日本人夫婦がハネムーンをしに来ていた。だから何があっても楽しく、ただこれからもこのままだろうと予知さえできた。
泊まっているホテルの夕食で、妻は肉料理を、夫は海鮮料理を頼んだ。そして出てきたフルコースを堪能していた。その出てくる料理はどれも一級品だった。途中、コースに出てくる蛤は最高で、その貝殻は記念に持って帰ろうと思った。だが何に使おうか。後先考えずにとりあえず空き箱をためておく私の癖がここに出た。
ウェイターに貝殻を包んでもらい、そして部屋に戻って、楽しい一夜を過ごした後、翌朝から海に出た。やはり日本とは違う海はきれいで、透き通るようで、見える光景は海の自然を魅せていた。
時間は経つのが早いもので、昼には上がり、妻はショッピングをしたいと言うが、夫は疲れもピークなので、部屋で休むことにして、昼を共にした後、別れた。
妻はショッピングを夕方まで存分に楽しんでいた。
夫は三時頃まで休んでいた。そして起きると、思い切り背骨を伸ばし、体を組み立てた。夫にはやろうと思ったことがあった。あのフルコースに出てきた貝殻を、海でどう使うかを考えたのだった。
夫は手馴れた手つきで道具を取り出した。この道具が無いといつも落ち着かない。実は夫は工師で、こういう小さなものを職人のようにアクセサリーに変形させて、一つの商品にする。この貝殻もそうだ。しかし工作といってもたかが知れた程度で、彩色して、穴を開けて、そしてその穴からネックレス用の線を通した。その工作時間は一時間程度で、作り終えると夫はまたベッドに横になった。
妻が帰ってくると、妻の一言で夫は起きた。そして妻と、今日はホテル外のレストランに行くことにした。妻は今日のショッピングのことを存分に楽しめたと話した。夫も明後日辺りにまた行かないかと聞いた。妻はいいよと言った。明後日というのは、明日は近くの島に行く予定になっていたからだった。
近くの海鮮レストランに入り、同じドアから店を出た時の二人は満腹だった。これからこのまま外ですることもなく、ホテルに戻ることにした。
そのホテルに戻って、部屋のある会に昇るエレベーターの中で、夫は妻に作ったアクセサリーを渡した。
「これ、私に?」
妻は子供のように喜んだ。それはよかったのだが、あまり喜ばないでもほしかった。それが元はああだったのにと、夫は恥ずかしくてたまらなかった。
しかしその寿命は短いもので、いや、あまりに短いもので、次の日、モーターボートに乗って隣の島に向かう途中、妻は船上でバランスを崩した。夫は支えてあげたが、その振動が強かったのか線は切れ、アクセサリーは、無情にポチャンという音はエンジン音に掻き消されて、白いしぶきに消えていった。
妻は悲しそうな顔をして、ごめんなさいと夫に言ったが、夫は言う。
「海に帰ったね」
「…なんか、くさくない?」
「そうか?」
「親父ギャグに加えて、よくあるラブストーリーって感じ」
それをきっかけに二人は話を発展していった。先ほどまで話をせず、しんみりと気まずいような雰囲気は嘘のようだった。たった一枚の貝殻で人生の幸せを引いてしまったようだ。
しかしこの貝殻について、二人が考えていることとはまったく、大きく違うことばかりだった。
まずラブストーリーのような、そんないい話ではない。この本当のハマグリの意味。もっと残酷で、悲しい運命をたどっていた。もしそうなるのであれば、この貝殻は見つからなかったほうがよかったかもしれない。
それはさかのぼること、戦国乱世。約四百年以上前の話になる。舞台は日本。かけ離れて外国ではない。
悲惨で誰も知らない、伝記にさえ残らない、一つの過去。
「若様」
大きな声で呼びかける女中、お月だった。お月は一つの箱を持ちながら縁側を走って、ある部屋の前にひざまずいた。
「何だ騒々しい。それで用は?」
お月はふすまを開けて、中に入った。
「届きましたよ。これでよろしいのですね?」
「おお…これは」
お月は箱を差し出し、若はすぐにその箱に飛びつき、まだ幼かったので女中はその光景を微笑ましく見ているが、お月は周りを察知していたのか、辺りを見回した。
そして手に取った貝殻。それは職人の手によってきれいに彩色されていた。
「きれいだ…」
「そうですよ。これは国一番の絵師によって描かれた物ですから」
「うむ。そうだ。やはりあやつはいい腕をしておる」
天井に掲げ、若は言った。そしてそのまましばらく眺めていると、辺りが寂しかったことに気付いた。
「そういえば、父上はどこへ行ったのだ?」
「義成様は、現在治水を行っているそうです。なにやらまた川が氾濫したやらで…」
「そうか。私もすぐに父上の助けにでも行きたいものだな。そういえば、景虎は?」
「景虎様は、勝頼様を連れて、町の警備に当たりました。最近また、盗みがあったようで」
「そうか。まだこの地の治安は安定していないか」
若はしばらく持っていた貝殻を見つめていた。その何かやりたそうな目に、お月は気が付いた。
「若様。貝合せをやりませんか?せっかくですから」
若は考えていなかったが、考えているフリをした。単に自分で切り出すのが恥ずかしくて、嫌だっただけだったのだが。
「ん…そうだな。せっかくだし」
「そうです。やりましょう」
そして始めたのだが、若は始めに間違えると、次にお月は半分以上をめくってしまった。
「なぜだ…」
「なぜでしょ」
またやったが、勝てなかった。
「なぜだ…」
「なぜでしょうね」
今度は他の女中も混ぜてやったが、一向に勝てる見込みもない。
「なぜだ…」
「なぜでしょう」
「さてはずるを…」
「ただ洞察力がいいだけですよ」
お月はにっこりと笑うが、若は不満だった。そして思いついた。新しいルールだ。特別にお月だけは一枚をとったら、次は若の番、というルールだ。
そしてお月はそのルールを受け入れて、また新たに仕切りなおしをしたが、まだお月には勝てなかった。それも二回やった。
「…なぜ勝てないのだ」
お月は得意そうだったが、若はなぜだと考えていた。その考えも、勝つ方向に変わると、また違うことを思いついた。
「お月、少し空けておいてくれないか?」
「なぜです?」
「いいから、少し空けてくれないか?」
「分かりましたが、部屋を燃やすようなことなどはしないで下さいね」
「…分かっとる」
お月は部屋を出て行った。
「何を企んでいるのです?」
「見ておれ」
和歌は引き出しから先の鋭い針を取り出した。そして貝殻に穴を開け始めた。
「若様…せっかくのお品が…」
「敵に勝つには、まず有利な立場ではじめなくてはならん。どんな時でもな」
女中は笑ったが、若は必死に穴を開けていた。そして開け終わり、お月を呼んだ。しかしお月はなかなか現れず、しばらく呼び続けていると、再び縁側を走ってやってきた。
「すみません。遅れました。少し話をしていたもので…」
「まあ…よい。それよりもだ。今度は勝ってみせるぞ」
そして始めるのだが、若がどんどんめくる中で、お月はその鋭い洞察力で、すべてを見破っていた。
「どうだ…」
若はそう言うと、勝敗が分かっていたのだが、お月は嬉しそうに、純粋な態度で臨んだ。
「すごいです。どうしたのですか」
「秘密だ」
若は得意そうにあった。そしてそれによって、お月も嬉しかった。若の笑っている顔が、何よりも幸せだった。お月にとって、天子を見ているようだったのだ。
そうして若にとっては充実した一日は終わった。
しかしその晩である。若は寝ていたが、急に用を足したくなり、起きた。そして用を足したその後の出来事である。義成様の部屋の前を通った時だった。こんな会話を耳にしたのだった。
「どうやら…もう、運は地に落ちたようじゃ」
「何をおっしゃる。殿は主である。どんな時であろうが、常に健全な態度をみせなくてはならない。高祖劉邦もまたそうだ。高祖は矢を射られながらも、軍の崩壊を防ぐため、軍中を回ったそうだ。そうならなくては誰もついて来なくなるぞ」
義成様と景虎の会話だった。景虎は義成様の幼馴染であった。どうやら、深刻な話のようだということは分かった。
「しかし、朝比奈家と長狭家は我らと停戦中の安房家に煽られ、我が家を明日の昼、攻め入るそうだ。それがなぜ危機を感じないのか」
「我が家は旗を揚げた時から、天下を手中に収めようと誓い合った。その時から、名を天下に轟かせようと。だがなぜだ。我々は足跡さえもつけられず、終わるのか」
「同盟国の平群家に要請を求めた。それが来るかどうか…」
「何を弱気にある。我らを攻め入るのは平群家ではない。敵国ではないか。味方は来る。今は祈るほかなかろう。そして鋭気を養うことしかなかろう」
「だが、我が家の軍も手勢は少なく、二国は合わせて我が家の三倍という。平群家と合わせても、まだ足りぬ」
「しかし我が軍には最勝なる兵と、何をも切る鋭利な武器と、他を圧倒の気がある。そして統率に優れた殿もいる。他に天下以外はいらないだろう。殿は天下を獲るために生まれてきた存在だ。その運命を捨てる覚悟があるのはおかしい。ここはやる時だ。決断を」
しばらく沈黙にあった。若はその話を、冷たい板の上で聞いていた。二人の話はどうなるのか。部屋のろうそくの灯火はゆらゆらと揺れている。
「…よし」
義成様は立ち上がり、ふすまに近づくと、開けた。
「どうしたのか」
「いや…なんでもない」
義成様はふすまを閉じて、また部屋の中に戻った。
若は早急に部屋に戻り、布団の中にもぐった。そして寝付くことは、なかなかできなかった。明日どうなるのか。若はそれだけを考えていた。
明朝早くから、若は起きた。スズメのさえずりで起きたのだ。知らずのうちに寝ていたようだ。
若は起きて、木刀を持って、外でそれを振った。一心に、目の前に描いた敵を斬り続けていた。ただ空気を切っているだけなのに、若は無心に斬り続けた。しかしこみ上げてくる涙には勝てない。若は泣きながら、振り続けた。
「若様。何をやっているので」
若はお月に呼び止められるまで、小一時間ほど振っていた。裸足であったので、すっかり足の裏は土色に変わっていた。手にはいくつものマメがつぶれていた。
若は木刀を落とし、やっと痛みを感じ始めていた。お月の名を呼び、お月に泣きじゃくる。
「お月…我は…我が家は…」
「大丈夫ですよ…大丈夫です…」
お月は分かっていた。昨日、景虎の弟である景光は兄との巡察をいち早く抜け、家に戻って、ただその時ばったりお月と会って、景光から話を聞いていた。後で臣下に知らされる出来事であったが、若には知らすなと言われていた。
お月は優しく若を包み込み、そして体で、ぎゅっと抱きしめた。
今、若には母親がいない。病床にいるのがほとんどの人生で、若を産んで、そしてすぐに死んだ。教育係として任命されたのがお月で、さらに乳母でもあった。親近感が違う。若と一番長くいたのは、お月であった。
時は変わり、ついに運命の昼になった。太陽が一番高くなったなと若は太陽を見上げると、角笛が鳴り響いた。ついに始まったのだ。どちらが優勢なのか、この屋敷の中ではまったく分からない。
戦に出かける前、義成様は言った。
「無益な戦などない。これは、我が家の名を世に轟かせるための戦じゃ。そして、我らは勝つ。行くぞ」
若はそれに割って言った。
「父上。戻りますよね」
しかし義成様の返事はなかった。義成様は殿下の宝刀を持って、出陣した。
戦はどうなっているのだろうか。若は部屋で刀を握り締めたまま待っていた。そして二時間ほど経って、義成様らは帰ってきた。
表に出てみると、義成様の腹部には一本、肩にもう一本の矢が刺さっていた。うめき声を上げながら、景光と勝頼は馬上から義成様をゆっくり降ろした。呼びかけたが、返事はない。
義成様は部屋に移され、寝かされた。
「…現在の…戦況は…」
うめき声を上げながら、義成様は言う。
「現在、景虎様が前線で指揮をしていますが、後退しつつあります。兵力は
未だに平群家の援軍を待機しております」
「そうか…」
義成様は苦しみにあえいでいた。
「勝頼、戦場に戻り、屋敷に残る別働隊を編成し率いて、背を攻めろ。将は…捕らえろ」
「御意」
勝頼は出て行く。そして義成様は続けた。
「…わしはもう…この身じゃ…きっとそう長くはないだろう…だが、この宝刀は、お前に授ける…」
そう言うと、義成様は若に宝刀を渡した。
「父上…」
「泣くな。景光。お前は…我が愚息を…守れ」
「御意」
「それと…景虎には…悪いと…つた…え…」
義成様は、ふと不自然に言葉を止めた。
「父上…?」
義成様は死んだ。若はそのことに気が付くのには時間がかかった。
「父上、父上…」
義成様にしがみつく若に対し、お月は若をスッと離した。そして若の頬を叩く。お月もまた、泣いていた。無言で、ただ叩いた。若はその意味が何なのか分かっていた。
そして火線はすぐそこまで来ていた。ここから煙が見えていた。高く立ち昇る煙を見て、こんなときにも風流に感じていた。
「敵襲」
景光の声が聞こえた。若には分からなかったが、実は安房家が攻め入ったのだ。名声落ち覚悟で、安房家は攻め入ってきた。確か、屋敷の兵を勝頼は編成したわけだから、今攻められると、滅亡確定だ。
部屋に入ってきた景光は言った。
「どうか、若様は裏からお逃げ下さい。ここは私が食い止めます。お月、頼むぞ」
「いや、我も戦うぞ」
「…お月、早く」
「若様、行きましょう」
「いや、父上の敵だ。我も戦うぞ」
そう言いながらも、お月に抱きかかえられて、女中を連れて裏から逃げた。若はまだ喚き騒いでいた。林道を通り、浜辺に出た。
「なぜ連れてきた」
若が振り向き、お月に言うと、男の声が聞こえた。大きな掛け声だった。屋敷は落ちたようだ。
若は膝から崩れ落ちた。お月も分かって、若と共にその場に座り込んだ。しばらくそのまま放心状態だったが、若は我に返ると、立ち上がり、こう言った。
「…我が家の人間は切腹し、自害するものはあっても、敵に降伏する者はおらん。ならば我が身、この海に沈めよ」
お月はその一言に驚き、若を見た。
「ですが…」
「早く、せよ」
女中は若に岩を結びつけた。お月はそのことに賛同できなかった。そして船を出し、沖まで出た。
「ここでいいだろう…後は好きにしろ…」
すると、若はあることに気付いた。
「それは…」
「夢中で…持ってきてしまいました…貴重品だと思ったので…」
昨日の貝合せの貝殻だった。
「こんなの…捨ててしまえ」
若は箱を持ち上げ、ひっくり返した。貝殻は浮いていたが、波は荒れ始めていた。
「これでいいだろう…では、達者でな。また会おう。父上の誇りと共に、いざ、散らん」
若は海をしばらく眺めると、背中に矢を射られたようにして海に倒れこんだ。そして大きな水しぶきを上げて、若の体は沈む、沈む、沈み、沈む…。
「若…さま」
お月はしばらく、そこで冥福を祈る後、船を引き返さず、海に身を投じた。他の女中らは互いに顔を合わせ、続いて海底へと沈んでいった。
これが事実。そんな辛く悲しい過去があっても、彼らは笑っている。笑って、砂浜に転げて、子供のように騒ぐ。海は平和に、浜風は優しく吹いている。幸せな時間が、続いている。
「行きましょ」
彼女は彼の手を握って言った。
ぐりはま:(「はまぐり(蛤)」の倒語)物事が食い違うこと。当てが外れること。ぐれはま。by『広辞苑』
これからの参考にしたいと思いますので、良かったら感想をお願いします。よりよい作品作りにご協力ください。