紡ぎ続ける夢
*
ふわふわと、浮遊しているような心地良さ。
すごく、すごく安らぐ。
それはきっと、この香りのせいで――
「……?」
ゆっくりと瞼を持ち上げてから、自分が眠っていたということに気が付いた。
目に入ったのは、見慣れたマシュマロのようなピンク色のピローではなく、シックなグレーのシーツと木製のベッドヘッド。
私が使ってるベッドの曲線美とは、全然違っていて……
(ここは……)
ううん、見覚えがある。
何より、この香りに――
そこでようやく、急激に意識がはっきりしてくる。
(……アルシェの、部屋だ)
アルシェ、という名前が巡ってから、私は慌てて身を起こした。
と、ズキンと鈍い頭痛が響いて、思わず顔をしかめる。
その瞬間、カチャリと静かに部屋の扉が開く音がした。
「……目が覚めたんだね」
「アルシェ……私……?」
どこか疲れたような、何とも言えない複雑な表情を浮かべる彼の顔をぼんやりと見ながら、記憶をたどる。
昨日は、アルシェは実習で……
私は暇潰しに街へ出て、それから――
「……!」
……やばい、思い出しちゃった。
「ど、どうして、あの……」
焦燥感で、思わずどもってしまう。
私がここに来るまでのことは、何一つ覚えていないものの……
何となく、予想はついた。
多分、最悪のシナリオなんじゃないかと思う。
「夜、ルナのフェー【妖精】から連絡が来た」
「……」
「正確に言えば、ルナのフェーを使ったラウールからのメッセージが」
「……」
どこかぼんやりと、半ば独り言のように言葉を紡ぐアルシェ。
数メートル先のテーブルで、彼はポットからコポコポと水をグラスに注ぐ。
「二人は、久し振りのデートだからお店に予約しちゃってたらしくて。……だから、出来ればレインの看病を俺にして欲しいって」
……顔から火が出るくらい、恥ずかしかった。
ルナやラウールに、次に会う時どんな顔をしたらいいの……。
ううん、それよりも前に、アルシェに何て言い訳をすれば――
「……驚いて、すぐに教授から特別免除の許可を得たんだ。実習は最高記録で大体クリアしていたし……俺を気に入ってくれてる人だったから、課題提出で埋め合わせてくれた」
ぽつりぽつりと語るアルシェの表情からは、感情が読み取れない。
いつも笑顔が絶えず、私には甘い表情ばかり見せてくれていたから……
何だが、すごく不穏な感じがした。
「メッセージでラウールが“看病”って言葉をチョイスしたのは、正解だったね」
コトリ、とグラスを置いたアルシェは、初めて私の方へとちゃんと向き直った。
「……ヴァンパイアに噛まれたから、なんて言われてたら、きっと教授への報告も無しにこっちへ向かってたから」
――初めて、気が付いた。
振り返った彼の瞳に揺らめいているのは、他の何ものでもない憤りだ。
怒るとヒステリックに叫ぶ私と対象的に、アルシェは機嫌が悪くなればなるほど、穏やかで静かになる。
まるで、内に青い炎を灯すように。
「……どうして、夜の街に一人で出たりしたの?」
「……」
歩み寄って来た彼は私の前に膝を着き、頬に手を伸ばしてくる。
「どうして、ヴァンパイアの店に一人で入った?」
「……」
「どうして声を掛けられた時点で、逃げなかった……?」
一語一語、区切るように言葉を紡ぐアルシェ。
憤りと、失望、それから悲壮感の滲んだ声に、私は返す言葉が無い。
「俺は時々君が、わからないよ」
「……ごめんなさい」
謝る他、何も言葉が見つからなかった。
ただ、胸を渦巻くのは大きな後悔。
こんな風に失望されるのなら、家を出なければ良かった。
アルシェ以上に失いたくないものなんて、何も無いのに……
「ごめんなさい」
小さく繰り返すと、そっと壊れものに触れるかのように、ゆっくりと抱き寄せられた。
「あんまり、俺を動揺させないで」
初めて互いの気持ちを告白し合った、昨年のハロウィンの夜のように、アルシェの声音は揺れていた。
「レインにはきっと、想像もつかないだろうね」
ぎゅっと、抱き締める力が強められる。
不自然な程に、強く。
「もちろん、君の身体の事も心配もしてる……もの凄く。でも――」
一瞬間が空いた後、アルシェは深い溜息を洩らす。
「――でも、何より嫉妬でどうにかなりそうだ」
どくりと、心臓が跳ねた気がした。
予想もしていなかった言葉に、思わず目を見開く。
「一瞬でも、他の男に魅了された君がすごく憎いよ」
さらに、抱き締められた腕に力がこもる。
「君の美しさに魅せられた男に、キスマークをつけさせたことも。耐えられない」
「アル――」
不意に身体が離れた瞬間名を呼ぼうとすれば、それよりも早く唇を重ねられた。
いつものように、とろけるような甘ったるいキスじゃない。
「んっ――んん、ふ……っ」
体重を掛けられて、どさりと再びベッドへと倒れ込む。
私の肩を掴んでいる手は痛いくらい力がこもっていて、角度を変えて何度も合わさる唇は、吐息も漏らせない程激しく求めてきて。
初めて見る彼の姿に困惑しつつも、それを拒むことはしない。
何より、まだ私を求めてくれていることが救いだったから。
「――レイン……」
「はぁっ、アルシェ……」
「君は、俺のものだよ」
「……」
「誰にも、触られたくない」
眉を寄せて訴えてくるその表情に、不謹慎にも胸がぎゅっと締めつけられた。
「ごめんね……」
両腕をアルシェの首に回せば、その綺麗な瞳を閉じて、私の肩口に顔を埋めてくる。
息を詰めている彼の美しい金髪を、そっと撫でた。
いつも飄々としていて、何でもそつなくこなす彼が、これ程動揺するのは私のためだけだと思って良いだろうか。
「アルシェ……」
「好きだよ、レイン。今さら離れるなんて、絶対に無理だ」
「……私だって。私だって、アルシェと離れるなんて……出来ないよ」
いつだってストレートに愛を告げてくるアルシェと違って、私はすごく不器用で口下手だ。
それでも、今は……
今は、ちゃんと伝えなきゃいけないと思ったから。
「ごめんね、アルシェ……でも、本当にアルシェのことだけが好きだよ」
「……もう、夜は一人で出歩かないで」
囁きながら、アルシェの唇が私の唇を、端からなぞっていく。
首筋に舌先を這わされれば、ぞくりと全身が粟立って熱を帯びた。
「レインにそんな顔をさせるのは、俺だけでいい」
そう呟いて見下ろしてくるアルシェの、プライドの高い威圧感のある表情は、ヴァンパイアのフィリップよりも色っぽくて魅惑的だ。
思考が鈍り、思わずぼうっと見惚れる。
「隙間が無いくらい、俺に夢中になって」
甘く告げられた言葉は、どんな魔法よりも深く精神を侵食していく。
私にとっての“絶対”はきっと、これまでもこれからも、アルシェという存在だけなのだろう――
***
「何だか、変な感じ。こうしてハロウィンパーティーに、恋人と向かう日がくるなんて」
「去年は、嫌な想いをさせちゃったからね。今夜は精一杯エスコートするよ」
パーティー会場まで続くランタンの道を、アルシェと二人で手を繋いで歩いた。
恒例のパイプオルガンの音、オーケストラのワルツ。
行き交う人々もみんなドレスアップして、楽しそうだ。
こんな風に浮き立ってイベントに参加するのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「レイン、今日は一段と綺麗だよ」
「……あ、ありがと」
今年はルナカップルと共に、4人で衣装を選びに行った。
私とアルシェは、流行りのペア衣装。
ベースの色は同じダークパープルだけれど、細かいディテールが異なっていて、かなり凝っている。
二人で並ぶと、結構迫力があった。
私のドレスは腿辺りから幾重にも重なったフリルが広がり、合間にはクリスタルがキラキラと散りばめられている。
ノンスリーブの上には、ゆったりと黒いレース調のストールを羽織った。
もちろん、髪色は昨年と同様アルシェのリクエスト通りオレンジ色。
右上に結い上げた髪をふわふわと流し、かなりゴージャスに仕上がっているはずだ。
「アルシェは、何でも着こなすよね」
「まぁ、レインと一緒で元の素材が良いからね」
「……」
調子に乗るな、と言えないのは、あまりにもアルシェが格好良いから。
シックなダークパープルのスーツは、彼の綺麗な肌と美しい金髪を、より一層引き立てている。
やや着崩した白いフォーマルシャツも、いつもと違って綺麗にセットされた髪も……どこかの王族と言われても信じてしまうくらい、ばっちり着こなせている。
「歩き難くない? 大丈夫?」
「うーん……ちょっとね」
15センチ程高さのあるヒールは、やっぱり慣れることはなくて。
少し歩幅やスピードを変えたら、躓いてしまいそうだ。
「まぁ、今日はずっと俺が傍にいるから。いつでも掴まって」
「……うん」
昨年までは想像も出来なかった、甘くて優しいハロウィンパーティー。
「あ、レイン様だー! Trick or Treat!」
不意に前方から、他学科の学生に叫ばれた。
一瞬アルシェと目を見合わせれば、彼はふっと微笑んで私の肩を抱き、促してくれる。
「Happy Halloween!」
私がステッキを振れば、彼らの元へとチョコレートや、ふわふわのケーキがバラバラと降り注ぐ。
ちなみにこれはみんな、私が今まで食べた中で一番美味しいと思ったスイーツ。
……全部、この一年でアルシェと一緒に食べた思い出のあるものだ。
「うわー、何これスゴイ美味しい!」
「どこの国のだろう?! すごい!」
それはそうだ。
アルシェが各国に実習に行っては、私の為に持ち帰って来てくれたスイーツなのだから。
「ありがとう、レイン様!」
「いいえ、良いハロウィンを」
彼らににこりと微笑めば、アルシェがこめかみにキスをしてくれる。
「この一年で、随分人当たりが良くなったね」
「……アルシェと付き合うようになったからだよ」
照れながらも小さく呟けば、アルシェは一瞬驚いたように目を見開いた後、にっこりと嬉しそうに微笑んでくれた。
こうしてハロウィンを迎える度に、
成長したなって思えたらいい。
大切な人の隣を歩くために、
ほんの少しでも。
そして――――
「レイン、今夜は楽しもうね」
「うん」
「会場の真ん中でダンスしようか。俺たち、今年はベストカップルに選ばれると思うんだ」
「あははっ、ラウールも狙うって言ってたよ?」
「冗談だろ。君が相手なのに、負けるわけがない」
私たちの想いだけは、どうか変わらずに。
ハロウィンの夢は、
永遠に続くようにと――
『Halloween★High』~Return~
~それから、一年後~
fin.
2010.10.6
密かに書いてみたかったヴァンパイアを、当て馬にしてしまいました……。
私がいまだ憧れている、キラキラなファンタジー世界が少しでも伝われば幸いです。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました!