キリシタン・パニック
おそらく、第一に時間帯が悪かった。そして第二に場所が悪く、第三に持ち物が悪かった。
僕が何を言いたいかさっぱり分からないだろう。だが安心してほしい。僕にも状況がさっぱりわからない。
だが分からない分からないと連呼するだけでは事態は少しも進展しないので、とりあえず最初から整理することにしよう。何もしないよりかはマシだ。
だが、最初からといってもはたしてどこから振り返ればいいのだろうか。今朝登校する際に、僕が密かに心を寄せているクラスの女子に挨拶をされたところからだろうか。もしくは、それを見ていた親友にそのことをクラス中に暴露されたところからだろうか。はたまた授業中に宿題を忘れていたため、先生に指名されたが答えられずその子を含めたクラス中にクスクス笑われたところからだろうか。
いや、その辺りは僕のスクールライフには大いに関わってくるが、今現在の状況とは全く関係性がないため今回は割愛しよう。
……今ふと思ったことだが、割愛という言葉はどうなのだろうか。割愛とは省略するという言葉の同義語であるが、字面は全く似ていない。省略とはすなわち省き、略すということ。読んで字のごとく、何かを除くという正にそのまま字面のままだ。
だが、割愛の方はどうだろうか。割る愛、愛を割る――どちらにしてもあまりいい雰囲気は伝わってこない。
だが、ここでウダウダグダグダと割愛という日本語について頭を悩ますことこそ現在の状況に全く関係がないため、それこそ割愛させてもらう。
話を戻すが、僕が今現在置かれているこの状況の直接的な原因となった出来事はやはり『アレ』、であろうか。
『アレ』
……と、こんなふうに仰々しく表現すると、まるで疾風怒濤の時代に起こった、青春の一ページに刻まれる嬉し恥ずかしの隔週で引き起こされるラブコメ的な何かのようだが――その実はなんという事のない、少し部活で遅くなるから待っていて欲しいという親友からの連絡だ。
今日の放課後に特に用事のなかった僕は、それを快諾し親友を待つことにした。そして、校内で待つのもあれなので、少し散歩しようと思ったのが全ての間違いだった。
と、このようにかつての自分の選択が分水嶺であったというのは今でこそ分かることであって、あのときの僕にとっては自分の選択が最凶の悪手であると認識することは不可能だった。後悔先に立たず、である。
まあそういう訳で、自分の未来に何が待ち受けているかを全く知らない僕は、親友を待つ間の暇をつぶすべく散歩に出たわけだ。
僕の通う学校は市街地からやや離れた場所に建築されているため、学校から十分、十五分と歩くと辺りの風景はのどかな田園風景となる。
そして田園があるということは、近くに引水をするための水源――すなわちある程度のサイズの川があるということだ。
河川というのは四大文明の発祥地がすべて巨大な河川流域であることを考えれば分かるように、人類の歴史とは切っても切れないものであり、現代社会においても人々の生活を支える重要なファクターだ。
その恩恵は農業や工業といった生産業は言うに及ばず、日常生活の場においてもレジャーの場となったり、散歩・ジョギングのコースとなったり――座って本を読む場所となったり。
こうして僕は格好の読書スペースを得、置き勉しているためペラペラなカバンを座布団代わりにして読書を始めた。で、
「あー、そういう本私も昔読んでたわぁ。なつかしいなぁ。なんて言うかさ、聖書って言い回しが小難しくて読みづらいよね。もっとシンプルに書けばいいのに」
なぜか不審な女の人に絡まれている。
年の頃は大学生くらいだろうか。僕から見てややお姉さんといったところで、服装はシンプルに白のYシャツとひざ下十センチほどのスカートで、腰には茶色のポシェットを巻いている。
「え? あ? はぁ……?」
朝から今までを思い返してみたが、なぜ自分が現在進行形で宗教系のお姉さんに絡まれているのかがやはりいまいちよくわからない。一つ一つの選択は誤っていないはずなのに、積み重ねである結果がどうもおかしい。
「どうせその本、あの腐れハg――もとい、司教様に読んどくように言われたんでしょ? しつこいわよねーホント」
たしかに僕が今読んでいる本は学校の図書館で借りてきた聖書の解説本だが、それを読んでいる理由は現在世界史の分野が宗教改革の辺であり、それで少しキリスト教に興味を持ったから読んでいるのであって、決した僕自身がキリスト教徒というわけではなく、ましてやハゲチャビンの司祭様に指示されたからでもない。
「まあ勉強熱心なのはいいことよね。でも、気をつけなさいよ? あいつらはすっごく陰険だから、修道士のテストの時に超分かりづらい問題を出してくるわよ」
何やら昔を思い出しているのか、若干遠い目をしながら謎のアドバイスをしてくる。
彼女は現在、僕の隣に座って本をのぞき込んでいる。つまり割りと距離が近く、化粧っ気がないが割りと整っている顔がすぐ近くにあったり、なんとも言えぬ良い香りがしたり、胸の谷間やら淡い色合いの下着やらがちらちらと見えていたりするのだが――なんだろうか、正直言って全くドキドキしない。
「でもまあ、実戦だとそういうのはあんまり意味が無いけどね。――おっと、そろそろみたいよ」
女の人がやおら立ち上がり、腰のあたりをポンポンと払う。
「どうしたんですか?」
つられて僕も立ち上がる。
「そろそろ時間よ。時間。あなたは今日は私の見学だから特別することはないけど……そうね、ロザリオは持ってる?」
僕のせんべいのようにペラいかばんに目をやりながら聞いてくる。
「……いえ、持ってませんけど」
「あーやっぱり? やっぱああいうのって、学校とかに持っていきづらいわよね。友達とかに見つかったら色々と面倒だし」
そう言うと女の人は腰のポーチをゴソゴソとあさると、十字架を一つ取り出した。
「はい。まあ使うことはないでしょ負うけど、その本とこれを一応持ってて。ロザリオじゃあないけど……まあ、素人目にはどっちも大差ないし、大丈夫でしょう」
そう言って渡された十字架は、手のひらサイズでシンプルな作りであるが、銀製なのか
不思議と存在感があった。
「で、私はこれとこれね」
そう言うと女の人が取り出したのは文庫本サイズの皮と金属で装丁された本と、鎖がついた十字架だった。
「よし。これで準備オッケーと。それであちらさんは……」
そうして女の人が川の方に視線を向けると、……あれはどういうことだろうか? さっきまでは穏やかに水が流れていた水面が、急に沸騰しているかのようにボコボコと泡立ち始めた。
いや、あれは沸騰しているのではなく、
「……準備万端みたいね」
瞬間、水面から水柱が昇る。
「わっ、わわっ!?」
「下がってなさい。怪我するわよ」
川の水面から立ち上がった十メートルとも十五メートルとも思える水柱は、どういうわけなのか周囲に擬似的な雨を振らせながらも、一向に水面に没する様子はない。
「ど、どうなっているんですか?」
「そんなにオドオドしない。一般人じゃなくて修道士見習いでしょう?」
そう言うと、のんびりと構えていた女の人は十字架を体の前に突き出す。
「主よ、御名を崇めさせ賜え。御国を来たらせ賜え。天に御心の成るが如くに、地にもまた成させ賜え」
そうすると朗々と聖書の一節らしき詩を詠唱し始めた。するとどうだろうか。女の人が言葉を紡ぐと、十字架が帯電しているかのようにバチバチと光を放ち始めた。
「貴方の鞭と貴方の杖が私を慰める。貴方が我が敵の前で宴を設け、我が頭に油を注がれる。盃は溢れ、我に恵みと慈しみをもたらすだろう……Amen!」
「Kyurooooooooooo!」
締めのアーメンという言葉とともに十字架から放たれた雷撃(?)の直撃を受けた水柱から、聞くものをゾッとされるような不気味な鳴き声が聞こえてくる。
そうして雷撃にまとわりつかれ、ビチビチと身をよじるかのように荒々しく左右に不規則に揺れ動いていた水柱がはじけた。
「Kiiieeeeeeeeeeeeee!」
藻のような生臭い臭いとともに中から現れたのは、……なんと表現すればよいのだろうか。手と足には水かきのようなヒレがあり、背中には魚の背ビレのようなものが付いている。かとおもいきやそれ以外の部分は毛むくじゃらで、類人猿か何かのようにも見える。
「レイニーデビルの亜種……日本的に言うなら河童かしら?」
「かっ、河童!? 河童ってあの河童ですか!? 緑色でキュウリ大好きっ子の!?」
「そっ。その河童。鳥獣戯画に出てたり、相撲が強かったり――人間を溺れさせたり」
僕は驚愕の眼差しで河童を見つめる。すると河童がチンパンジーか何かのようにニヤリと歯をむいて笑った。
「毎年この河川では少数ではあるけど死亡者が出る。流れが急なわけでもなく、急に深くなっている場所もないのに。監視員をつけてもそれでも死者は減らない。それどころか監視員が死亡する。……その理由がこいつよ」
「Kiiieeeeeeeeeeeeee!」
――河童が唐突に『弾けた』。
「なっ、なんなんですか!?」
「落ち着いて、どうせ虚仮威しよ」
辺りに充満する生臭い臭いがより強くなる。こんな空気を何分も吸っていたら気分が悪くなってしまう。僕は新鮮な空気を吸うために後ろに下がろうとし、
……ヌチャァ。
「……ひっ」
背中に何かヌメヌメしたものが当たった。そして薄くなるどころか一層濃ゆくなる生臭い臭いと背中越しに聞こえてくる何かの息遣い。
「うわぁあああああああああああああ!」
僕は素っ頓狂な声を上げてその場にへたり込んでしまう。
「あら? どうしたの?」
「う、ううう、後ろ、後ろにも河童が……!」
「やーねー、そんな二匹もいるわけ……」
「Kiii」
のんびりとした調子で後ろに振り返った女の人の目と二匹目の河童の目がバッチリ合う。
「……いるわね、二匹」
前を向き直し、もう一度後ろを見て女の人は気まずげにそう言った。
「ちょっ!? どうすんですか!?」
「んーいやね、本家のレイニーデビルは分裂とかしないんだけどな―……亜種だからかな? それとも実は産地偽装された中国産?」
「「Gyuroooooooooooooooaaaaaaaaa!!!」」
女の人ののんきな態度が気に入らなかったのか、それとも産地偽装扱いされたのが河童のプライド的に許せなかったのか――案外後者かもしれない――前後の河童が同時に飛びかかってきた。
「わっ、わわっ!? くっ、来んな! こっち来んな!」
僕は本を振り回しながら必至に逃げまわる。
「ちょっ、なんとか! なんとかしてください! はやく! ASAP!」
「こっちを始末するのにしばらく掛かるから、悪いけどそれまでそっちの相手は君がしててちょうだい」
僕とは対照的に女の人の方はひょいひょいと軽やかなステップで河童の攻撃を躱しながら、ゴスゴスガスガスと聖書の角で河童をどついている。……あれは鈍器なのか。
「んな!? ムリムリムリ! そんなの無理です!」
「大丈夫よ。あなたが河童退治を手伝ったことはきちんと司祭様にも伝えておくから」
そういう問題じゃねえ! とツッコもうとした時に河童の鋭い爪のついた手が頬をかすめる。
「ッツ!」
切り裂かれた頬を生暖かい液体が伝う。
「いつまでも避けてばっかりじゃ倒せないわよ。詠唱しなさい。詠唱」
「詠唱って何をですか!」
「何でもいいわよ。ルカでもマタイでも」
そんなルカだのマタイだの言われても、何のことだかさっぱり分からない。なぜこの状況でオトコの娘の巫女さんが出てくるのか。
だが、そんなツッコミをする間もなく猛然と河童が迫ってきた。
「詠唱詠唱詠唱詠唱、なにかなにかなにか……な、な、な…………南無阿弥陀仏!」
「Gyan!」
十字架から放たれた電撃(?)の直撃を受けた河童が蹴飛ばされた犬のような鳴き声で五メートルほど吹き飛ぶ。
「おぉう……なんか出た」
「ハハッ! グーよグー! サイコー! そりゃ、何でもいいとは言ったけど仏教って! 私もやってみようかしら!」
そう言って女の人が河童の攻撃を交わしながら、十字架をかざし詠唱を行おうとしたその時、
「えーと、南妙法蓮g……」
グラリと女の人がほんの少し体制を崩す。理由は靴の踵で赤ん坊の握りこぶしほどの小石を踏んでしまった。言葉にするならばただそれだけ。
――そしてそのそれだけによって状況は一変する。
「Kieeee!」
体制を崩した一瞬の隙を見逃さず、河童が女の人に飛びかかる。
「!? 大丈夫でs……!」
ガツン!
咄嗟に女の人の方へ顔を向けた――向けてしまった――僕に大型犬に突進されたかのような衝撃が体に走る。そして内臓が浮き上がったかのような束の間の浮遊感と、
「ぐっ……! ガバ……!?」
背中から伝わってくる衝撃と水の冷たさ。
自分が川に叩きこまれたという事実が脳に届く前に、陸上生物の本能が水面を目指せと脳内でがなりたてる。
――だが首と腹に巻き付く腕がそれを許さない。
僕は必至にその腕を振り解こうともがくが、相手の腕力は人間よりも遥かに強力で、どれだけ僕が暴れようとも一向に解ける気配はない。
「…………ガボ……ガハッ!」
口から気泡が溢れる。なんとか流出を抑えようとするが一向に止まらない。
(離せ! 離せ! 離せ!)
そうして暴れているうちに、指先からピリピリするような感覚が伝わってきた。どうやら体内の酸素が不足してきたようだ。
(ヤバいヤバいヤバい!!!)
それでも必至に拘束を解こうと遮二無二に体を動かすが、やがてその感覚は全身へと広がっていく。
僕は陸に打ち上げられた魚のごとくビチビチと身をよじる。
そんな僕をガッチリと掴む河童。
(……これじゃあアベコベだな)
そんな考えが頭をよぎり、ふといつの間にか体を動かしていない自分に気づく。
そして、ついには意識さえ霧に霞んだかのように茫洋としたものとなり。
「………………」
こうなるともう何もすることはできない。このままだと死んでしまうということはぼんやりと分かるのだが、脳も体も動かない。
心地の良い微睡みが柔らかく体を覆う。
光も音もない深海を揺蕩っているようなフワフワとした浮遊感と多幸感が脳内を埋め尽くす。
河童に締め付けられる不快感も酸欠にあえぐ苦痛もいつの間にか消え去り、只々甘ったるいまでの極彩色の多幸感。
(……意外と悪くないかも)
昔読んだ本にそこは黒くて不気味で、時間そして無という概念すら無いと書かれていたが、案外そうでもなさそうだ。
眠りに落ちるよりも速く、滑らかに意識が深い所へふぅっと――
――――――――!!!
(!?)
市販の爆竹の規模を数倍に大きくしたような破裂音が脳を叩き、一瞬で意識が覚醒する。
(何考えてたオレ! 死ぬのも案外悪くない? そんな訳がない! まだ××××もしてないし、今月出るゲームもあるし! 何より秘蔵のブツとパソコンのハードディスクを残したままで死ねるかぁあああああああああああっ!!!)
体の中で生きる意志が爆発する。
カッと目を見開き、両腕に渾身の力を込める。
するとどうだろうか。いままでぴくりともしなかった腕の拘束が次第に緩み始めたではないか。
(霊長類のなりそこない風情が! 百二十五万種の頂点に立つ人間様を)
「ガボンゲボゲゲオ!!!」
(嘗めんじゃねえぞ!!!)
気合とともに河童の腕を完全に振り切ると、腹部に蹴りを入れ、相手が怯んだ隙に一気に川縁を目指す。
(速く速く速く速く!!!)
河童に一矢報いたと言ってもそれは一瞬のこと。すぐに追いつかれてしまう。とにかく遮二無二に手足を動かす。次捕まれば完全にアウトだ。
(ハヤクハヤクハヤクハヤクハヤクハヤク!!!)
体内で爆発した気力は一瞬のものだったようで、早くも体には先程までの気だるさがゆっくりと乗しかかってきた。
(ハヤクハヤクハy
「ぶっはぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
手がガッシリとした手応えを伝えてくるやいなや、素早く顔を上げ、肺に張り裂けんばかりの空気を詰め込む。
「げほっ、げほっ、がはっ……げほっ!」
肺いっぱいに酸素を詰め込み、上半身を水面から上げた僕は不用意にもそこで油断をしてしまった――根本的な問題は何一つ解決していないというのに。
「Gyuiiiiiiiiiii!」
「っな!? テメエ!」
僕に追いついた河童が、僕を水中へと引きずり込もうとおぶさるように首に手を回してきた。
「……ッ! …………ァ! ……!」
僕は必至に河童の腕に手を掛け外そうとするが、水中の時と同じくピクリともしない。
そのままギリギリと締めあげられ続け、僅かながらの抵抗をしていた両手からも力が抜ける。
(……ヤバい……こんどこそほんとに……)
死が僕の首に再び手を掛けたその時、
「よく頑張ったわね」
柔らかな響きとともに荒々しい衝撃が体を襲う。
「ゲフッ! ……ガフッ!?」
「ごめんなさい。助けるのが遅くなっちゃって。でももう大丈夫だから」
呼吸を整えながら声のする方に視線を向けると、そこに立っていたのは女の人だった。
服は乱れ泥がつき、聖書と十字架は手元にないが怪我などは特に無さそうだった。
「Gyuroooooooooooooo!」
推測するにどうやら女の人に蹴り飛ばされたらしい河童は、僕らから十メートルほど離れたところにいた。
「それはそうと。ねえ、日本でセクハラしたらどうなるか知ってる?」
「げほっ……セクハラですか……? そりゃあ、捕まるんじゃ」
なぜこの状況でそんなことを聞くのだろうかと、酸素が足りてない脳で昔学校の社会の授業中に見せられたビデオを朧気に思い出しながら答える。
「いいえ違うわ。正しくは控訴、罰金、減給、免職、顔に揮発性の毒霧を吹きかけられるもしくは――」
こちらに河童が猛然と迫り来る。しかし女の人は慌てることなく右手で握っていた『それ』をむけ、
「こうなる」
発砲。
バン! というかんしゃく玉を数倍したような音とともに、河童が後ろに吹き飛ぶ。
打たれた河童はしばらくビクビクと不気味に痙攣をしていたが、やがてそれも収まり、急速に水分が失われてかのごとく風化して、風が吹くと大気へと溶けて消えてしまった。
そして場に満ちる沈黙。
「……なに?」
僕のなんとも言えない視線に気づいたのか、フッと西部劇よろしく銃口から立ち上る硝煙を吹き、拳銃を太もものホルスターにしまいこんだ(キワドイ角度までスカートが捲れた)女の人が聞いてくる。
「いや、あの、その……拳銃?」
「うっ……言いたいことはわかるわよ。でもね、便利なんだからしょうがないじゃない。詠唱したり聖書でどつくよりよっぽど簡単なんだから。……ホント科学って罪よね」
少しすねたような態度で言い訳をしているが、僕が聞きたいのは「なぜエクソシズムに拳銃を使っているのか」ということではなく「なぜ銃の個人所有が認められていない日本で拳銃を所持しているのか」ということなのだが。
「さてと。仕事も終わったことだし私は司教様に連絡を入れるわ。その後どこかに食べに行きましょうか。ヘマしたお詫びにおごるわ」
強引に話題を切り上げるかのようにそそくさと女の人は携帯を取り出し電話をかける。
「…………あ、司祭様? ……はい。……はい。無事仕事は終わりましたよ。ただレイニーデビルが亜種だったせいか本家はしない分身をしてきてそれで少し手間取りましたけど、修道士見習いの子がきちんと…………え? 修道士見習いの子は今日は風邪で休み? え? でも…………え? …………………え゛?」
女の人が幽鬼のような仕草こちらを向き、心底イヤそうに――それこそこそこのまま何も聞かなかったことにして帰りたいといった顔で――聞いてくる。
「…………ねえ、君の名前ってヨハン・レーゲンドルフ?」
「違います」
僕は日本人だ。
「………………ええ。…………はい。………はい。………………はいっ。………え、でもそんな……………はい」
なんだろうか、僕を見る女の人の視線がまるで屠殺場に送られる豚を気の毒がるあまり直視できない農業高校の学生のそれようだ。
「……ねえ、秘密組織の秘密を知っちゃった一般人ってどうなるか知ってる?」
通話を終えて携帯をしまいこんだ女の人が諦めの境地の表情で聞いてくる。
「……そりゃあ」
――そりゃあ拉致監禁されて脳とかにいろいろと。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………なにか言ってくださいよ」
「……大丈夫よちょっとだけだから」
「何がちょっと何ですか」
「先っちょだけ、先っちょだけだから!」
「何がどう先っちょなんだよ!?」
「えーい! つべこべ言わず来なさい! 来るのよ! つーか来い!」
「ぎゃー! おまわりさーん! HENNTAI修道女にさらわれる―!」
だが川辺には僕の叫び声を聞くものは誰もおらず、結果僕はズルズルと引きずられていき、ズブズブと硝煙と香油の香り漂う世界にのめり込むこととなるのだが――それはまた別のお話。