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冷夏  作者: だんぞう
29/34

#29

 

「!!!」

 周囲にいた人たちが皆、俺のことを呼んだみたい。「くまちゃん」とか「まーくん」とか「先輩」とか、そんな声の余韻が耳の奥に残っている。その余韻の中で、俺の首に巻きついてきた背筋が凍りつくほど冷たいものを反射的につかんだ。また来やがったか。不思議と余裕があるのは二回目だから? そして目で唐澤刑事を探す。今、撃ってくれれば!

 

 ガーーーーーンンン! ガーーーーーンンン! ガーーーーーンンン!

 

 うっわ、首も耳も痛ぇ……でも思っていた通りだ。息苦しさが一瞬だが薄れる……って一瞬かよ! それじゃダメじゃん!

 さっき感じた余裕は、妙な安心感は錯覚だったのだろうか。どうしたらこいつを倒せるってんだよ。

 

 ……ワレヲ……フタタビ……カマエヨ……

 

 また声が聞こえた。今度ははっきりと。

 ……我を? 再び? かまえよって……声がすぐ近くで、俺の首を絞めているこのバケモノから漏れ聞こえるヒューヒュー言う音よりも近くで響いている。この声、頭の中に響いているのか?

 

 ……ワレヲ……フタタビ……カマエヨ……

 

 なんでかな、そのとき俺はあの短剣のことを思い出したんだ。その途端だった、バケモノの手がするすると俺から離れてゆく。

「くまちゃん!」

「バカ! 優美、来るなっ!」

 緑と紫の混ざった靄は人の形に近い姿のまま天井付近をふわふわと漂っているというのに、俺の右腕に温もりと重みがぎゅっとしがみついた。あの冷たいバケモノに触れられた直後だったからかな、なんだかとても熱く感じる。

 

 ……ワレヲ……フタタビ……カマエヨ……

 

 その声の直後だった。

「今なんか言った?」

 優美がそう言ったんだ。

「危ないっ!」

 唐澤刑事の叫び声のあと、俺と優美は滑るように床に転んだ。突き飛ばされた方向を振り返ると、今度は唐澤刑事がバケモノに首をつかまれていた。

 

 ……ワレヲ……

 

 今度はやけにはっきりと大きな声が聞こえ、それにつながるようなざわざわ感に右手が触れているのに気付く。そこにはあの短剣が落ちていた。まだビニール袋に入ったままだったけれど。だが、俺がそれに手を伸ばすよりも早く短剣をつかんだ手があった。優美だった。

 優美はビニール袋を裂くように開けると短剣を取り出して握りしめて……。

「おい、ゆ……」

 優美の名を呼びきらないうちに優美は走り出し、その短剣をバケモノに突き立てた。その瞬間、緑と紫の靄のバケモノの顔が一瞬だけ人の姿を取り戻す。なんだ? この短剣なら、効くのか?

 

 ゴォォォォグゥォォ……

 

 声なのか、強い風の音なのかわからない轟音が廊下全体をビリビリと震わせる。

「優美!」

 優美がスローモーションで見えた。それはとてつもなく長い長い時間に感じられたけれども、本当はあっという間の出来事だったんだと思う。優美が俺に向けて哀しみに満ちた笑顔を浮かべたのと、その手に持っていた短剣を優美自身に向かって突きたてたシーンとは、永遠に思えた一瞬の中にいつまでも余韻を残した。

 

「優美ちゃん!」

 叫んだのは、俺じゃなく望。しかもそんなときに俺はといえば、優美の腹に刺さった短剣をぼんやりと見つめていた。短剣の、柄の中央にある大きなくぼみに、赤い宝石が輝き始めていた……いや違う。もっと正確に言うと、くぼみの中で最初は点だった赤い光がどんどん大きくなって、やがてくぼみにぴったりはまる大きな宝石へと変わったんだ。

 

 ゴォォグォォォオオオオオオオオン……

 

 強い強い風の音が聞こえる。その風の中に、あの緑と紫の靄のバケモノが巻き込まれて消えた。でも、消えたのはバケモノだけじゃなかった。どこかへ流れてゆく突風の中に、俺の意識も巻き込まれたみたいに……なんだ、なんで頭が痛いんだ?

 どうしてそうなったのかなんて分からない。でも意識を失うほんの少しだけ前、俺は自分の頭が床に打ち付けられたのだということに気付いた。

 赤い。景色が赤く染まる。

 この赤は……血? ……それとも宝石の光? ……それとも炎? あれ、なんで炎だなんて俺は……

 

 

 

 

 夢を見た。長い夢だった。

 俺は、そこでは、マースという名の若者だった。

 

 雪に閉ざされた村。狩りとわずかな農作物とで日々を食いつないでいる。時代は……わからないけれど電気がないくらいの昔、もしくはそれほどの田舎。家も調度品も食器もほぼ木製、いや動物の骨でできたものもあるか……熊や鹿の骨……あとはごくごく貴重な金属が、狩猟の道具としてあるだけ。

 俺の家には大きな狼犬が一緒に住んでいて……これは、セバス、なのか? ……俺はなぜだかそう思った。

 セバスにまた会えた。例え夢の中だろうとも……俺はその夢をもっと見ていたいと、そう願った。

 

 

 

(続く)

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