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姫とハロワと法則世界  作者: なよ竹
偶像の雷鬼
34/39

決心と色彩

 森を駆けるシグの背で抵抗する気力もすりつぶしたのか、ラキがぐったりとされるがままになっていた。


「もうすぐだ。答えは出たか?」


 気まぐれか。別の思惑があるのか。もはやラキにとってはどうでもいい。

 すがるようにか細い声でシグに訊く。


「ラキは、どうしたらいいの?」

「自分で考えろと言っただろう。他人に指図されながら人形として生きるのは、ただの馬鹿がすることだ」

「なら、ラキは馬鹿なんだな」

「......ああ、だろうな。このまま答えない気ならそこらに捨ててやる。望み通り、なにもしないままのたれ死ね」


 子供としては似つかわしくない、自虐的な笑みをラキは浮かべた。


「ラキは、間違ってたの?」

「どちらとも言えない。主観によって良いか悪いかが決まる」


 いままでラキがしてきたことは正しいはずだと思っていた。けれどそれは偽りを重ねてできたメッキの栄光だ。それががれればひどく醜悪な中身が出てくるにちがいない。

 はじめてそれに向き合ったラキは、今さらすぎた後悔に潰されそうだった。


「ラキは、ただ居場所がほしかった。バケモノって言われたラキが、みんなと同じだって思えるところ。でもこれが、皮肉ってやつだな」


 大人ぶってみるも顔をしかめることで失敗し、溢れだしそうななにかを堪える。シグのコートに顔を押し付けてラキは体を震わせた。

 本当は特別な力なんて欲しくない。

 こんなことになるならば、あの時に飢えたまま死んでしまったほうがどれほどマシだったか。


「なら今だけは、せめて後悔しない選択をしろ」

「シグはしたことある?」

「もちろん、あるさ。そのせいで俺はこの仕事に就いているんだからな」


 シグの浮かべたであろう表情はラキには見えなかった。

 小雨こさめになってきた空をラキは見上げ、彼女は決心する。


「決めた。ラキはーーーー」


 もう目の前に、かつての傷跡をいまも抱えた門があった。



 ----------



 ローガンは銃爪ひきがねに掛けていた指をはずす。

 あれほど執念を燃やした目を持つ村人が止まったのは、おそらく雨が止んだという平和な内容ではないだろう。

 村を包むように充満していた行使力マナが薄れていくのが彼には視えた。

 ネイシェンがやや呆けた声を出す。


「これって」

「シグのほうでなんかあったんだろうな」

「そう、なんだ」


 ローガンが両腕の銃を立ちすくむ村人に突き付ける。

 

「ひッ!?」

 

 すると彼らはあれほどのしつこさが嘘のように敗走を始めた。

 もう彼らは生き返れない。

 いくら命という時間が必要でも、法則ラウズが起動するには行使力マナが必要だ。副産物である彼らに扱えるはずもなく、肩代わりしていたものがやったことだろう。


「追わなくていいの?」

「ああ、もうじきあいつらは消える」


 供給されていた肉体を構成するための行使力マナがなくなれば、あとには残りカスほどだけとなる。それらが尽きれば待っているのは消滅という運命だろう。

 生きることに執着する亡者も、支えがなくなればこんなものだろう。


「姫さんたちと合流するか。そうすりゃあ......」


 ローガンは口をつぐむ。

 視線の先で逃げていたはずの村人が切り裂かれたからだ。

 そうする間にも次々と村人はほふられていき、幻影のように空気へと溶けていった。しかしその悲鳴は嘘なんかではないだろう。


「そ、村長、なんで! 俺たちはもう死ねないんだ!」

「死もまた復讐ですよ」

「やめーーぎぃッ!?」


 カザハは躊躇いなく逃げるものを抹消していく。


「私たちの無念は、怨みは、必ずやつらを呪います」


 右腕に装着した爪の法具ウェポンから仮想の刃が際限なく伸びる。それが振るわれ、遠くにいた村人にさえ五つの線を刻む。


「ここで滅びようとも、私たちの遺恨が消えることはないのです!」


 逃げ遅れた女を捉えようとした凶刃をネイシェンが棍で受け止める。


「あんたの言いたいことなんてあたしは理解したくもないけどさ。あんな小さな子供を壊しかけといて、どうしてまだそんなこと言うのよ! そんな身勝手な考え押し付けて、あの子がどれだけ苦しんだかわかってないの!?」

「それはラキが望んだことです」

「弱みに付け込んで強制してただけでしょうが!」


 ネイシェンは爪を振り払い、投擲された円輪チャクラム焦却砲フォノンメーザーで撃ち落とす。

 むちのようにしなる爪がネイシェンに鎌首をもたげる。

 無数の銃弾がそこに叩き込まれ、その軌道が逸れた。


「あんたがそこまで言うのは宗教のせいなのか、はたまた怨念のせいなのかは知らねえけどよ」


 ローガンがフィルターが焼かれた煙草を吐き捨てる。


「死んだらそこで終わりさ。あとに残るのは骨だけだ」

「まさか」

「なら、あんたらに殺されちまった奴がなにかしたか? それともそいつらは何も思わずに死んだとでも考えてんのか? 残されて嘆く奴はいても、死人が怨念だとか意味のないことを言うんじゃねえよ!」


 蛇がのたうち回るように爪の刃が無差別な攻撃を仕掛けてきた。

 音速以上のそれはローガンの身体をあっさりと切り裂く。


「まっ、説教は終わりだ。害悪にしかならんあんたは、ここで退場しな」


 銃身の先がカザハの後頭部に押し付けられた。仕留めたはずの傭兵が、いつの間にかカザハの背後を取っている。

 カザハが振り返るよりも早く、ローガンは銃爪ひきがねを引いた。



 ----------



 あれほど嫌な空気と一緒に漂ってた音が途絶えたことにティオが気づくよりも先に、彼女は優しく抱き起される。

 一瞬ファルナかと思った。しかしそれにしては身長が高すぎる。


「シグ?」

「悪いな。野暮用で遅くなった」


 ティオの濡れた髪をシグは黒い手袋に包まれた左手でくしゃっとかき混ぜた。

 そこでようやく、ティオは周囲を見ることが出来る。

 鉄扇を仕舞ったファルナは両手をなぜかわきわきさせていた。ティオを抱き起すのは自分だとでも思っていたのだろうか。

 その奥で村人たちは手に持っていた武器をすべて地面に落とし、包囲の中心にいる自分たちを見ている。疑問や困惑を含んだ表情をしていながらも、目は諦観を決めてしまっているのか一様に乾燥して、なにをするわけでもなく立っていた。

 

「シグ、あのね」

「ちゃんと連れて来てやった。ほら、降りろ」

 

 シグの背中に抱えられていた少女がティオの前に飛び降りる。

 改めて向かい合うと、とても幼いことが分かる。金色の目には歳不相応な光を宿し、春風にさえ飛ばされてしまいそうな痩せた肢体に視線がいく。


「キミが、ラキだよね」

「うん」


 どこかバツの悪そうに、度の過ぎた悪戯をしかられる前の子供の表情をラキは浮かべていた。

 いくらか濡れてしまってはいたが、ティオは服の中から地下で見つけた日記や本を取り出す。


「生前にキミのお母さんは、全部の選択肢をキミにたくすって、ここに書いてあったの」


 ラキは首を巡らして人々の顔を見ていく。おそらく母親の姿を探したのだろう。

 しかし見つかることはなかった。

 どこか遠くから、一発の銃声が届く。


「キミのことを一人の子供として愛してた。法則ラウズを持っていることを知っても、彼女だけは同じ人間として愛してたの」

「知ってる。だからラキはがんばった」

「そっか」

「でも、もういいの。ラキはもう泣かないからさ。もう、人を殺したりなんて、しないからさ」


 ラキは村人たちに向き直る。

 彼女が有り余る行使力マナの放出をやめたいま、彼らはしばらくしないうちに消えていくだろう。そして記憶の再現でしかない彼らは、かつてこの村に住んでいた村人本人ですらない。


「みんな!」

 

 ラキの声に村人たちがうめくように反応する。なぜ、とか、どうして、とか。疑問にまみれた声が上がるが、自分たちが消えることを止めようとするものはいなかった。


「もう、やめよう」


 やめる。それは村人の生き方をなぞることであった。人を殺すことであった。恐怖におびえながら生活することであった。嘘を重ねて本心を隠すことであった。

 

「ラキは病気もケガも治せないし、みんなをおなかいっぱいにすることも出来なかった。またみんなとオハナシしたりするのも」


 一度だけ、ラキはかつての住処を模した張りぼての家を見る。

 その中で、柱時計が時を刻んでいた。

 カチッ......カチッ......カチッ......。

 弱弱しく針が揺れ動き、今にも息絶えそうだ。

 ラキが動かすことを止めてしまった今、ゆるやかに停止していこうとする。


「ーーラキの力なんかじゃない」


 小さな少女が浮かべるにはあまりにも悲痛な、寂しい笑いをつくった。


「ラキが諦められなかったせいで、みんながこんなになっちゃった。それに、ずっとずっと、ひどいことをさせてきた。ぜんぶ、ラキが悪かったんだ」

 

 静かに聞いていた村人たちがなにを思ったかは誰にも知られることはない。

 輪郭がぼやけ、密度あるはずの身体のむこうが透けて見える。 

 彼らはありのままの事実を受け入れているようだった。

 

「だからーーもう終わろう」


 カチリ.....と時計の針が止まる。

 同時にティオたちを囲む何もかもがフッと消えていく。

 人間は砂の像が崩れ去るように消えた。

 細々とした家は別の絵を視線に差し込まれたようになくなる。

 荒れた畑は更地へと戻るように存在した。

 最近この村に入って来た外部からのものだけがあとには残る。 

 ここに村があったということを示すのは、小さな背を見せる成長した少女しかいない。



 ----------



 適当な大きさの石を積み重ねただけの墓の前にローガンの姿がある。

 村はずれの林の中だ。そこで彼は煙草を吸っていた。

 墓はイリーナのものだ。あとから作ったために消えることはなかったのだろう。


「なんかこう、疲れたなあ」


 彼女がここにいればしゃきっとしてくださいとでも言うだろうか。

 ローガンは紫煙を吐き出して背後に声を掛ける。


「どうした? そのケガ、姫さんに治してもらわなくていいのかよ」

「その前に話しておきたいことがある」

 

 シグが音もなく立っていても驚くことはない。『智の変貌マスカレード』を使っていても見つける自信があるからだ。

 

「その墓は、もう一人の傭兵のものか?」

「あぁ、そうだな」

「知り合いだったのか?」


 意外なことを訊くものだと思った。シグは見ず知らずの相手の生き死にを、気にするような人間ではないはずだ。


南国レガーナから姫さんたちの監視をしてたやつだ。なに......不幸中の幸いっつーのかな」


 中途半端な長さの煙草を吐き捨てる。足で踏みつぶして火を消しながらローガンは言った。


「ここに来てからあんま話したこともないし。傭兵ってとこぐらいしか、共通点のないやつだったよ。美人ではあったけどな」

「そうか」

 

 はぐらかした答えにもシグは頷く。しかしそれで話は終わりではないようだ。


「もう一つ、訊いてもいいか?」

「んー、なんだよ。オレに答えられるのならなんだって言うぜ」

「なら、訊こう。お前はどちら側だ?」


 ローガンは振り返ることが出来なかった。直視しなくともわかる濃密にすぎる殺気。それが普段は気だるげな様子の青年から向けられる。


「どっち側って、右利きか左利きとかってことか?」

「とぼけるな。重ねて訊くが、なぜ最初チビを撃たなかった?」


 はじめてテナンド山脈を通ろうとしたときのことだろう。ラキに牽制の銃弾をローガンは撃っていた。


「ははは、そりゃオレだって外すときくらいあるぜ」

「安定しない馬車の上で、クリーチャーの頭を狙い違わず撃ち抜いたやつのセリフか?」

「......そうか、つまりお前さんはオレを疑っていると。辛いねえ、仲間に取り調べを受けるってのは」


 殺気がさらに増す。

 これはやばいと思い、ローガンが振り向いた。


「おいおい、根拠としては弱すぎんだろ」

「これでも十分なんだがな。ならなぜ、この村に入った? 行使力マナが溢れかえったここならお前の目ですぐにでも怪しいとわかるだろう」

「それは姫さんが我がままでなぁ」

「忠告すらしていなかったようだな。まあいい、なら最後だ。戦闘の際、わざと・・・お前はファルナと合流しなかったな? たかが死なないやつらを相手にして、お前が足止めを食うはずがない」


 無意識に手が腰の銃に添えられているのに気付き、ローガンは苦笑する。

 ここで戦っても自分が負ける道理はない。シグは重傷で今にも倒れるほど。そしてこちらはほぼ無傷な上に、余力もまだまだある。 

 

「その根拠は?」

「俺はな、フリーのお前の実力を理解しているからスカウトしたんだ。知っていたのに守れなかった? お前が使えないのなら、ましてやあいつの害になるのなら」


 ここから先をシグは言わなかった。そしてローガンも理解している。

 害になるのなら殺す。そうシグは言いたいのだろう。なんとも怖い同僚である。

 張り詰める緊張で、路上の小石がはじけ飛んでしまいそうだ。


「あッ、ここでなにしてるのシグ!」

 

 ーーは? 

 ローガンは唖然としそうになった。あれほど重ぐるしく粘体性のある殺気が、いとも容易く霧散したからだ。

 ティオが駆けつけた瞬間に彼女がそれを感じ取るよりも早く消える。

 そしてシグはなにもなかったように振る舞う。


「どうしたんだ。ファルナたちと待っていろと言っただろう」

「そんなケガしてほっとけるわけないでしょ!」

「チビのほうに行ってやれ」

「もうやったの! ファルナもネイシェンも手当はしておいた。だからあとはシグだけなんだって!」


 うっとおしそうにシグがティオを押し返す。


「話している途中で割って入るな。少しはマナーを気にしろ」

「シグにマナーを説かれたくないよ。右手も隠してるけど折れてるんでしょ。擦り傷とかだけでも治療しておかないと感染症にかかるって」

「お前はあっちに行ってろ。しばらくしたら戻ってやる。いいな?」

「よくない! 話なんてあとで出来るよね? ローガン、シグのこと借りてっていい?」


 豹変ぶりに肩透かしを食らっていたローガンは曖昧に頷いた。シグが『智の変貌マスカレード』を使ってここまで来たのは、ティオから逃げるためだったと納得もする。

 王女の首に巻き付いているレトロの鼻はごまかせなかったのだろう。


「あ、あぁ、別にいいんじゃねーの?」

「ほら、ローガンだってこう言ってるよ!」

「勝手なことを。何度も言うが、今はいいんだ。さっさとファルナのところに戻っていろ」


 ティオは笑顔だがいらだっているのがわかる。

 彼女はシグの手をひいた。


「ケガしてる人がなに言ってるのさ! お願いだから......!」

「なぜお前はピリピリしている。ーーああ、もしかして月のものか?」


 あまりといえばあまりなほど不躾なシグの言葉に、ティオがピキリと固まった。

 俯いたままフルフルと震えるティオ。


「そう気が立つのはわかるが今は邪魔だ。お前も静かなほうがいいだろう? だからさっさと行け」


 それを羞恥などと見当違いなほうに受け取ったシグが言う。

 しかしそうではないだろう。

 少し距離を置いて見ているローガンさえ、珍しいほどに王女が憤怒をこらえていると知れたからだ。


「ん? もしかしてもう我慢できなくーーぐッ!?」

 

 ティオは思いっきりシグの右手・・をぶっ叩く。さすがに彼もこたえたのか思わずうめいた。

 文字通りの手痛い反撃にシグが目を白黒させる。


「お前、なにを......ッ」

「無神経なシグなんて、二時間ぐらい痛みで地面をのたうち回ってればいいんだ! バーカ!」

「ま、待て」

 

 きびすを返してティオは駆け出して行った。シグは引き留めようと腕を伸ばすも、その右腕を再びひっぱたかれてうめくことになる。

 

「なぜだ......」


 いきなり反抗期に入った娘にどう接すればいいのか分からない父親。

 そんな役柄がいまのシグにはとても似合った。


「あっははははは! よく見てるやつだとは思ったが撤回するわ。お前はただの馬鹿だ」

「まだお前との話はついていないぞ」

「あーやめだ、やめ。気が削がれちまったよ、誰かさんのせいで」

「だが」

「まあ、言うとしたらな。王城内も一枚岩ってわけじゃないってことだ。予定通り・・・・こっからは第一王女のほうに付くとするよ」


 なんとも言えない表情をしているシグに向けて、ローガンが手を振る。


「オレは姫さんには興味もないさ。お前さんの予想しているテロ起こした奴らとはなんの接点もないね」

「......」

「姫さんを追え。他人事のように思ってるだろうけどな、お前さんたちがいない間、どんだけ姫さんが心配してたか。ひょこっと帰って来てから適当にあしらうなんて、キレられても文句言えねーぞ」


 右腕をさすりながらシグが苦い顔をした。

 話は終わりとばかりに背を向けたローガンを一瞥し、シグは消えたティオのあとを追う。

 それを視送ってからローガンは反芻する。


「知ってて守れなかった、か」


 墓は時間の流れで痕跡も残さず消えてしまうだろう。ローガンもだいたいの場所しか覚えられないのかもしれない。

 それもすべて、ローガンがイリーナを守れていれば、必要のないことだった。


「ままならんね」


 苦笑いと共にため息が吐き出される。



 ----------



 ガナルクルホースも馬車も無事だ。馬のほうには手を出したら反撃されるし、村人が狙ってたのは命だったので馬車はそのままである。

 出発準備も終わった馬車の中で、ティオは窓の奥の動かない景色を見ていた。

 疲労のせいで深い眠りについたラキを膝枕させ、幼女の頭をティオは優しく撫でていた。

 ラキの身元はティオたちが預かることとなる。カザハの生前書いていた手紙にも頼むようにあった。そうでなくともティオはラキを見捨てることはない。

 最終的に西国ケルフェ中央国カルシアスのどちらの国民になるかはラキ次第だ。

 扉の奥で小さく会話が聞こえた。


「ちょっとあんた、なにしてんのよ! ティオがあんなに怒ってるのはじめて見た......って、そのケガのままだったの!? そりゃあ怒るわよ!」

「最低。あと心配されててねたましい」

「あいつは馬車にいるんだろ?」

「ええ、そうね」

「通してくれ。話がしたい」

「質問。わかってる?」

「ああ」


 ほどなくして、音を立てないように馬車の扉が開かれた。汚れていたコートを外で脱いだシグが一度立ち止まり、考えた末に扉に一番近い席に座る。ティオとは対極に位置する場所だ。


「......なあ、本音を言うとしたらのたうち回りたいほど痛い。とても二時間は耐えられん。だから治療を頼む」


 シグが言葉を発しても、ティオはぷいっとそっぽを向く。


「どこが」

「なんだと?」

「具体的にどこが悪かったのか、自分で言えるよね。私が怒ってる理由だし」


 シグが頭を掻きながら悪かった部分を自分なりの言葉で表現しようとした。

 

「崖からダイビング」

「違う。ネイシェンも助けてくれたしノーカン」

「チビに対しての殴る蹴るの暴行」

「犯罪だけどそれも違う」

「あー、アレだ。お前を抱き上げたやつ」

「そんなの今さらでしょ」


 まだわかんないの? と冷たい視線を当てられてシグは眼をそらした。この青年は戦うことや調査能力はピカイチだが、そのほかのことへの関心の薄さが経験不足につながり、こういった特定の答えがない問いかけには弱い。


「前にも言ったけどさ、どうしてキミはそう自分に無頓着なの?」

「どうなろうが生きていれば俺の勝手だろう」

「私が怒ってるのはそこだよ。こっちの心配なんかお構いなしに、危険に嬉々として突っ込んでく」

「少なくとも嬉々としては......」

「ちょっと黙ってて」


 理不尽だ、とは口にしたティオも思った。それでもこういう時だけはシグも律儀に口を閉ざす。

 ティオはラキを起こさないようにそっと席を立つ。むずがゆそうにラキは身じろぎするも、また穏やかな寝息を立てはじめた。

 薬や包帯の入った箱、さらに布を手に持ってシグの隣に座る。


「上着、脱いで」


 無言のままシグは言われたとおりにした。

 しゃらんと音を立て、彼が首にかけていた二本のチェーンが光を反射する。指輪が二つ、それぞれに通されていた。

 ティオの視線に気づいたシグが、右手でそれらを持ち上げる。


「貰った安物だ。今さら捨てがたくてな」

「珍しいね、シグがそういうの付けるなんて」

「道楽に付き合っただけだぞ」


 そう言いながらもよく手入れのされた鎖を首からはずす。

 ティオの意識も逸れ、治療にあたる。

 痩せているとは思っていたがそこに貧弱さなどとは無縁だ。

 骨の上に直接ワイヤーを束ねたような筋肉がついている。普通の鍛え方ではこうはならないとティオは知っているがあえて言及せず、手早く消毒や応急処置を施していく。

 なんとなく無言の時間だ。

 ほおが赤くなっているのをティオは自覚した。シグの顔に一瞬だけ視線を送るも、そこからは相変わらずの気だるげな様子しかうかがえず、少しだけ馬鹿らしくもなる。それで朱がひいたかというと、そうでもなかったのだが。

 動かす手を止めることはなく、右手のほうも出来る限りの治療をしていく。

 まさか他人に自分のためでしかなかった技術を使うとは、この時にまでティオは思ってもいなかった。

 

「......うん、これでよし」


 あらかたの治療は済んだ。あとはすぐにでも次の都市でやったほうがいい。腕のいい医者に見せるほうが効果的だ。


「すまん」

「そう思うなら、私に心配をかけさせないで。原因の私が言うのもなんだけどさ」


 上着を着直したシグは少しだけ挙動不審なティオに首をかしげるも、まだ怒ってるからだと決めつけて、藪蛇やぶへびとならないように指摘しなかった。

 ティオはてきぱきとあと片づけをしており、気づかないようだ。


「なぜお前は一護衛者でしかない俺にそこまで言うんだ?」

「あははは、それも今さらじゃない? でも、そうだね」


 パタンと救急箱の蓋を閉じ、ティオは体が触れ合うような距離でシグを見上げる。

 笑顔を浮かべたままではあったが、その表情に、どこか寂しげな色が浮かんでいた。











       ホシイ











「--え?」


 口を開きかけたティオの耳に、否、心にそんな稚拙で簡単な言葉が生まれる。

 シグがどうしたと訊く前に、それは訪れた。


いた......ッ!?」


 声にならない悲鳴がティオの口から洩れ、本能に従って身体が硬直する。

 頭の全体に杭を添えられて一斉に打ち込まれたような感覚がティオを襲った。床に倒れそうになる彼女の身体をシグが支えるがそれすらも意識することも出来ず、脳が甲高い悲鳴を上げるようだ。

 --あれ、頭、じゃない?

 痛みの渦の中で砕けそうな思考が今の状況に疑問を持った。

 なにかが体を蝕んでいき、それを拒もうとした心が身をよじっているのだ。

 

「......あれ?」

 

 唐突に始まった痛みの踊りは、終わりもまた唐突であった。

 飛び起きていたラキや駆けつけたネイシェンにファルナの姿まである。どれだけ痛みが続いていたのだろうかと、さきほどの出来事に不釣り合いな疑問をティオは抱いた。

 

「みんな......、え......?」

「なぜ、お前なんだ?」

「いま、なんて......」

 

 シグの呟きを聞き取れず、混乱したまま身を起こす。

 どこにも異常はないようで、あの痛みは嘘のようだ。


「おいおい、さっきの悲鳴って......どうしたんだよ、姫さん?」


 走ってきたのであろうローガンが扉から顔を出して訊いた。

 なにを示しているのか分からずにティオが柳眉をひそめるも、ローガンの目はそこに向けられていない。少しだけ、上に。シグもラキもネイシェンもファルナも、この場の誰もが同じところを注視していた。

 ティオは棚から手鏡を取り出して自分の顔を見る。

 前髪の一房だけ、鴉の濡れ羽色をしていたはずのそこは、色素をすべて失ったように白く染まっていた。

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